大阪・西成区の一角、通称「釜ヶ崎」。
高度経済成長期には全国から多くの日雇い労働者が集まり、日本最大の「寄せ場」と呼ばれた。1960年代以降は暴動が相次ぎ、1966年には「あいりん地区」として労働・福祉などの対策が進められてきた。その後、労働者の高齢化などを背景に、生活保護を受けて暮らす高齢の単身男性が多く暮らす「福祉の町」として知られるようになった。
大阪で育った筆者にとって、釜ヶ崎や西成は「危ないから行ってはいけない場所」だった。子どもの頃から親にそう言われて育ち、大学生になって初めてこの地を訪れたときには、自分が住む地域から電車で30分ほどしか離れていないのに、漂う空気の違いに恐る恐る歩いたことを覚えている。
そんな釜ヶ崎を再び訪れたのは、「動物園前」駅から徒歩5分ほど、商店街の一角にある「ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム」を訪ねるためだ。

1階は喫茶店、2階と3階はゲストハウス。表には鍋や靴下といった生活雑貨が並ぶバザーが開かれ、地域の人たちがふらりと立ち寄っては言葉を交わしている。この場所を運営するのは、NPO法人「こえとことばとこころの部屋」、通称「ココルーム」。なんとも賑やかな外観に少し躊躇しながら中に入ると、ココルームの代表・上田假奈代(うえだ かなよ)さんが着物姿で迎え入れてくれた。
上田さんは、この場所についてこう説明する。
「2階と3階が宿泊施設で、1階は喫茶店の『ふり』をしています。このあたりは貧困地域でもあり、喫茶店に入ることすら敷居が高いと感じる人も多い。だから表で靴下や鍋を売りながらお喋りをする。地域の人たちの交流を生み出す装置のようなものなのです」

「声を出したら、世界の側が私を見つけてくれた」──詩人が目指した、普通の人が自分を表せる場
ココルームの始まりは2003年。かつて新世界にあった複合施設「フェスティバルゲート」でスタートした。詩人でもある上田さんが当時掲げていたテーマは、「表現と社会と仕事と自律」。
「私自身、詩人として仕事を作りたかったんです。詩が下手でもお金がなくても『場を運営する』ことで何か仕事をつくれるかもしれない。そう思って喫茶店のふりをしながら出会いを重ねてきました」
上田さんが詩を書き始めた背景には、詩人の母の存在があった。幼い頃から、うまく話せない自分の気持ちを整えるために詩を書いていたという。そんな上田さんの転機となったのが、17歳のときの「声を出す」体験だった。
「自分で何か表現したいなと思ったとき、できることが他になくて。そんなときに思い出したのが、『声に出す』という経験でした。17歳で本を音読してみたとき、うまく説明できないのですが、とても神秘的な体験をしたんです。声を出したら世界の側が私を見つけてくれたような、不思議な安堵感があって。そのことを思い出して、朗読会をつくってみようと思いました」
そのときのコンセプトは、「表現の訓練を積んでいない普通の人が、自分の気持ちを自分で表す」こと。
「日常を生きている人がふっと自分の気持ちに潜り、それを表す。その瞬間に立ち会うことがすごく感動的で、そういう場所を自分でもつくりたいと思ったんです」
「『き』ってどうやって書くの?」──安心して存在できる場がひらくもの
声を出すこと。自分の気持ちを表すこと。そして、それを誰かに受け止めてもらうこと。ココルームがそうした「表現の場」として深まっていった背景の一つには、釜ヶ崎に移転した当初に出会った高齢男性、「安藤さん」の存在があった。
安藤さんは毎日のようにココルームを訪れた。しかし、注文もせずに座り、時には隣の人の腕をつかんで「ええ時計してんな」とつねることもあった。お客さんが逃げて帰ってしまうこともあり、スタッフからは「もう安藤さんを出入り禁止にして」と言われたという。
「スタッフが言っていることがわかるものの、釜ヶ崎に来たばかりの私としては、それができなくて。何かが引っかかっていたんです」
ココルームでは、カルタや俳句、書道など、表現と日常をつなぐワークショップが日常的に行われていた。誘っても決して参加しなかった安藤さんは、ある日、たまたま「手紙を書く会」の日に居合わせた。
「『今から手紙を書く会だから、安藤さんも書いてみたら?』と言ったら、いつも通り断ると思っていたんですが、私の隣に座って書き始めたんです。だけど、途中で手が止まって。『「き」ってどうやって書くの?』と字の書き方を聞いてきたんです」
そこで初めて、上田さんは気づいた。安藤さんは、字の書き方を知らないことを笑われるのが嫌で、今まで誘いを断っていたのだ。
「ここでなら字を聞いてもバカにしないし、もしバカにする人がいたら、間に立ってくれると信じてくれたんやなと。表現すること自体が大事なんじゃなくて、そこを信じられること、安心して自分の存在が認められると信じられる場をつくることが、とても大事なんだなと思いました」

中庭から見えるココルームの外観
それは、「生きることは表現だ」と掲げてきた上田さんが、「表現できる場をつくること」こそが、自身のやっていきたい仕事なのだと気づいた瞬間だった。安藤さんとは、その後も大喧嘩を重ねながらも付き合いが続き、数年前に亡くなった際にはココルームで葬儀が営まれた。全国から安藤さんが好きだったぬいぐるみが集まり、温かな見送りの場となったという。
誰かと一緒にいることは簡単ではない。けれど、安心して存在できる場があり、安易に関係を切らないからこそ見えてくるものがある。
「違う」人と同じテーブルを囲む──食卓から考える「平和」
「安心して存在できる場所」をつくるココルームが、もう一つ大切にしてきたのが、日々の「食卓」だ。スタッフの健康のために始めた「みんなで昼食と夕食を食べる」習慣は、お客さんを巻き込む形で継続されてきた。

「お客さんと一緒に食べていると無言で食べるわけにもいかないので、『どこから来たんですか』とか『最近面白いことは何ですか』と尋ねていると、困りごとや相談事を聞くようになりました。そのうちに『それってこの人ひとりが困っているように聞こえるけど、実は社会全体の困りごとなんじゃない?』と気づくことが増えてきたんです」
たとえば、障害のある常連客から、制度の変化によって生じる生きづらさを教わったことをきっかけに、専門家を招いて話をしたり障害のある人と街へ出る企画を立てたりと、食卓の会話から、さまざまな企画や活動が生まれていった。しかし、もちろん食卓に集うのは気が合う人ばかりではない。
「一緒に食べるのって、もちろん楽しいだけではなくて、時には全然意見の合わない人とも一緒にご飯を食べなくちゃならない。でもそれが大事だと思うんです。コミュニティって自分と似た人ばかりになりがちだけど、本当の多様性ってそんなに気楽なものじゃない。ここには色々な人が来るから、日々『違い』に触れるんです」
多様性という言葉から、私たちは「いろいろな人が仲良く暮らすこと」を想像しがちだ。しかし現実には、考え方の合わない人や、異なる背景を持つ人と向き合うことでもある。上田さんは、その日常の関わりを「平和」へとつなげる。
「個人同士の対立が大きくなった先にあるのが戦争です。イスラエルの方もウクライナの方も来るこの場所で、考え方の違う個人同士がどうやって共にいられるのか。私たちはそのやり方をずっと模索しています」
「誰の居場所でもない」から、誰もが来られる
ココルームの店内を奥へ進むと、中庭がある。珍しい海外の植物から日本の植物まで、緑に覆われた中庭には、ベンチや扇風機、井戸まで、さまざまなものがカラフルにペイントされている。やってくる人たちがワークショップの中で思い思いに表現してつくってきた場所だ。

「絵心がないと言う人には、『じゃあ点々を描きましょう』とか『線を引きましょう』というとやってくれるんですよね。『絵は描けないけど点々を描くくらいならできるよ』とか。『線くらい描けるわ』と言って、みんなに描いてもらうと、こうやってできていくんです。やってくれそうな人がいたら『これちょっと塗っといて』と頼むと、扇風機やゴミ箱など、いろんなものが塗られていきます」
地域の人も外から来る人も混ざるきっかけがこの場所にはたくさんある。しかし、無理に混ざる必要もない。ただ一人でぼーっとする人もいれば、ご飯を食べる人もいる。ココルームの「居場所」のつくり方について、上田さんには独自の考えがある。
「お話を聞いて、相手に良かれと思ってあれこれ思案して、それで勝手に期待しないようにしてる。その人自身で選択肢がみえたら、それでいいと思います。代わりに生きられないから、ね。もしかしたら冷たく見えるかもしれないけど、そっちの方が長続きするんちゃうかなって思って。
『居場所』ってよく言いますが、ここが誰かの居場所になると、誰かが入れなくなると思うんです。だから、実は『誰の居場所でもない』ことが、『みんなにとっての居場所になる』と思っています」

ココルームの中庭。ただ何もせず一人でぼーっとしたり、ご飯を食べたり。それぞれが思い思いに過ごしている。
実際にココルームを訪れた日も、昼時にはスタッフもゲストハウスの宿泊者も一緒にランチをつくり、同じテーブルでご飯を食べ、助け合って片付けまで行っていた。
「お客さんとスタッフ」という境界線がない。何かしたければしたらいいし、何もせずにそこにいてもいい。思い思いに過ごすことが許された場所で、人々は立場や肩書きに関係なく、それぞれの時間を過ごしていた。
街を「かわいそうなだけの場所」にしないために
ココルームの活動は、ゲストハウスや“喫茶店”に留まらない。2012年には「釜ヶ崎芸術大学」を開講。詩や天文学、哲学、死について考える講座など年間80〜100講座を開き、街そのものを学びの場に変えてきた。
「この街って、どっちかっていうと偏見の目で見られたりかわいそうな人たちと思われたりします。でも、私としてはこの地域の人たちが表現してくれるものがとても面白いと感じているので、それらを紹介したいと思って始めました」
釜ヶ崎に場所を構えて20年近く。貧困ビジネスが残る一方で、昨今は急激な再開発が進み高級ホテルの建設が進んでいる。そんな変わり続ける街のなかで、ココルームがつくってきたのは、そこにいる人が安心して言葉を発し、違うまま一緒にいられるための「場」だった。

「社会が変わる中で真っ先に翻弄されるのは名もなき人々です。でも、その人たちにこそ、表現やアートを通して場所の力を伝えていく役割があると思っています。
続けてきてわかったことは、前には道はないということ。『こっちに行きなさい』という道標はなくて、そこは草ぼうぼうの荒地。道は後ろにしかありませんでした。でも、続けていたら、後ろに道はできていく。だから、迷いながら悩みながらでも、一歩一歩進めばいいとわかったんです」
編集後記
観光客が多く歩く商店街から一歩外れると、溢れんばかりの空き缶を、おっちゃんが自転車で運んでいた。
ここにいると、私も、あの人も、この人も、それぞれ違う背景を持ちながら、同じ一人の人間なのだと思えてくる。マジョリティやマイノリティという言葉の境目さえ、少し薄まっていくような感覚があった。
ココルームからの帰り道、そんなことをぼんやり考えながら、私は改めて「平和」という言葉について考えていた。
戦争のない世界や、国と国との国際関係。平和というと、つい大きな物事として考えてしまう。でも、その手前には、「違う人と一緒にいられるか」という、もっと日常的な問いがあるのではないだろうか。
自分とは違う考えを持つ人。異なる文化や背景を持つ人。少し苦手だと感じる人。
そんな人と同じテーブルにつき、「どこから来たんですか」と尋ねてみる。意見が合わないことがあっても、すぐに関係を切るのではなく、もう少し同じ空間にいてみる。ココルームで目の当たりにしたのは、そんな小さな営みの積み重ねだった。
もちろん、簡単なことではない。上田さん自身、「本当の多様性ってそんなに気楽なものじゃない」と話していた。それでも、違いのある人同士が一緒にいるためには、まず「ここにいていい」と思えること、安心して自分の存在を認められる「場」が必要なのだろう。

そんなことを考えながら、私は最近出会ったある言葉を思い出していた。
「分かり合えなくても、分かち合える」
食べる時間。何かを一緒につくる時間。たわいもない言葉を交わす時間。すべてを分かり合うことはできなくても、同じ時間や場所を分かち合うことはできる。そして、その「分かち合おうとする姿勢」そのものが、平和のひとつのかたちなのかもしれない。
世界のどこかで起きている大きな分断や対立を、私たちが直接止めることはできないかもしれない。けれど、目の前にいる「違う人」とどう関わるか。その人の話にどう耳を傾けるか。それは、自分で選ぶことができる。
「どこから来たんですか」
平和の土台は、案外、そんな何気ない一言から始まるのかもしれない。
【参照サイト】ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム






