「20分間、知らない人と見つめ合う」イベントへ。 言葉のない対話が教えてくれたこと

2026.10.06

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私はその日初めて出会った人と向き合っていた。私がすることは、目の前にいる人をみつめること。ただそれだけ。「目を逸らしてしまっても良いです。ただ、発声や身振り手振りは行わず、ひたすら見つめ合ってください。成功も失敗もありません」そんな説明があったあと、私の「沈黙」の20分間が始まった。

言葉を使わずに、視線だけで向き合う対話の可能性を探る──。そんな不思議な体験を企画したのは、アーティストのまちだリなさんだ。「みつめあうだけ」と名付けられたこのプロジェクトは、発声が難しい人が目の動きで文字を選ぶ視線入力装置を使って日常的に対話をする知人との出会いをきっかけに生まれた。

20分間の沈黙を体験して

誰かの目を20分間見つめ続けるという体験は、初めてのことだった。そんなに長い間、ただじっと相手の目を見つめるだけなんて、耐えられるだろうか──不安な気持ちを抱きながら、相手の目を見つめ始めた。目の前に座っているのは、オーストラリア人の男性。ここに座るまで一言も言葉を交わすことなく、ただ目の前に現れたその人の瞳に目線を合わせた。私はおそらく緊張から、少しこわばった目でじっとその人を捉えていたと思う。何を考えているんだろう。今、どんな気持ちなんだろう。私のことをどう見ているんだろう。目や口、鼻、耳、視界に入るすべての動きから、私はその人の心の中にあるであろうものを想像していた。「わかる」ことよりも、「知ろうとする」ことが先にやってきたのだ。

途中、その人の口角が上がり、笑顔になったり、耐えられなくなったかのように視線を天井の方に向けたり下を見たり。その度に私もつられて笑ってみたり、視線をたどってみたりした。笑って、とは言われていなくても、目でそう語りかけられていたような時間もあった。

しばらくして慣れてくると、私の頭の中は自分自身のことに切り替わった。喉乾いたな、眠いな、姿勢が辛いな、このあとどこに行こうかな、眠気をどのように耐えようかな。相手の目をぼんやりと捉えつつ、そんなことに意識が向き始めた。それから気づけば意識は自分を飛び出し、相手へ。自分の世界と相手の内側を覗きに行こうとすることを繰り返しているうちに、いつのまにか、20分が過ぎ去った。

言葉に頼りすぎた社会への問い

まちださんはこれまでも、自らの意思では制御しきれない「もどかしい身体」が、環境や他者とどう関係していくかに関心を持ち、作品を生み出してきた。今回のプロジェクトもその延長線上にある。

視線とは、単に情報を伝えるためだけのものではなく、相手の存在を受け止め、自らの存在を差し出す営みでもあるはずだ。社会の速度から見れば「遅延」とも捉えられる時間にあえて向き合うことで、言葉がすぐには届ききらないからこそ立ち現れる、対話の形を探りたいとまちださんは言う。

「発声などによる即時的なやりとりとは異なり、時間をかけることで初めて生まれる『遅いコミュニケーション』があるのではないかと考えています。伝達にかかる時間は、単なる不便さや克服すべき遅れではなく、相手の存在をより強く感じる時間になり得る──視線入力装置を使って言葉を選ぶ方との対話を通して、そのように感じたんです。現代社会が加速するなかで、『遅い』という状態そのものが失われつつあるからこそ、その時間が持つ意味を改めて考えたいと思っています」

その言葉を聞いて、私は自分の体験を振り返りながら、向かいに座っていたその名前も知らない人のことを、いつのまにか知ろうとしている自分がいることに気づいた。相手をじっと見つめ、わからないまま想像しているうちに興味が生まれていくような感覚だ。たとえ言葉がなくても、私たちは相手の小さな変化を受け取りながら、相手を知ろうとすることができる。そのためには少し時間がかかる。けれど、目は、身体は、思っているよりも多くを語ることができるのかもしれない。

今回、20分間、「言葉がない」ときを過ごしたことで、言葉がいかに対話を円滑にしてくれるものかを身に染みて感じた。いつでも、どこにいても、高速で意思疎通できる現代。その恩恵を受けながらも、コミュニケーションはどこか表面的になり、すれ違いも増えている。私たちは便利な言葉に少し身を委ねすぎているのかもしれない。画面のなかに並ぶ文字を追っているとき。目の前に誰かがいても、その表情を捉えようとするよりも自分の言いたい言葉が先走ってしまうとき。それを「対話」と呼ぶことができるのだろうか。

「わからなさ」のなかにとどまる時間

この20分間の間に生まれた視線の動きは、映像として隣の部屋でリアルタイムで流れ、誰かと誰かが「目で話す」時間が映し出され、記録されていた。何人ものペアが沈黙の20分間を体験し、その感想を残すなか、まちださんは「知らない人同士なのに、沈黙の間、二人とも似たようなことを考えていたペアがいくつもありました」と教えてくれた。「わかりあえる」なんて言い過ぎかもしれないが、言葉を交わさずとも対話はできる。そう思わされた時間だった。

実際にイベントを体験しているペアの様子。見つめ合う様子は隣の部屋のスクリーンに投影され、誰でも見られるようになっていた。

20分間、誰かを見つめる。ただそれだけのことに、20分も使う。効率だけを考えれば、きっと必要のない時間だ。けれど、すぐには答えが出ないもの、言葉から漏れ落ちてしまうものがこの世界には数多ある。そうしたものと向き合うには、時に「遅延」が必要なのかもしれない。今回の20分間は、そんなことを身体で思い出させてくれる時間だった。うまく言葉を交わすことだけではない。相手を知ろうとしながら、すぐにはわからない時間を一緒に過ごすこと。その「わからなさ」のなかにとどまる時間。それもまた、対話の一部なのだと思う。

わかりやすいもの、目に見えるもの、よく聞こえるものよりも、時間をかけないとわからないものと対峙してみる。そんな対話の在り方は、教育やケアの現場、あるいは日々の職場、そして日常でのコミュニケーションにも、何かしらのヒントを投げかけてくれるかもしれない。

あなたは最近、誰かの目をじっと見つめただろうか。

【参照サイト】「みつめあうだけ」オープンスタジオイベント

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この記事を書いたライター

大学時代、ヨーロッパで数年間過ごし、大学院では移民・難民研究(開発人類学)を専攻。その後、大阪の真ん中から海と山が近い千葉の里山に移住し、山の中の古民家でシェアハウス生活を送りながら、生態系の一部としての人間のあり方を模索している。農や飲食など「食」を通じた地域づくりや高校生への講師活動にも携わり、ライター業のかたわら人と人がつながる場づくりにも取り組む。2020年からIDEAS FOR GOODでの取材・執筆を続け、人間以外の視点にも寄り添いながら、日々の暮らしの感覚と社会の問いを地続きに捉える記事を届けている。最近のテーマは、目の前のものをじっくり感じ、味わい尽くすこと。曖昧なもの、わかりにくいものこそ大事にしたい。