被害者非難(Victim Blaming)とは・意味
被害者非難(Victim Blaming)とは
被害者非難(Victim Blaming)とは、犯罪や災害などの出来事において、被害者がその出来事の原因や責任を負わされる現象を指す。これは、被害者の周囲の人間や、SNSなどでの不特定多数の人間が、被害者に対して「あなたにも非があったのでは?」という言動を行うことを意味する。
例えば、性的暴行の被害者に対して「そんなに短いスカートを履いているから」「そんな夜道を歩くから」といった主張や、「なぜ反撃しなかったのか」「なぜあんなに酔っ払っていたのか」「(相手と)一緒に帰るべきではなかった」などの主張が被害者非難の一例である。
被害者非難はなぜ起こるのか
被害者非難は、誰か特定の「常に被害者非難をしてしまう属性」のせいではなく、性被害などに限定しなければ、誰にでも関係があることである。なぜ、私たち人間は、被害者を非難してしまうのか。ここに、その要因とされるものをいくつか紹介する。
公正世界信念
被害者非難が起こる要因の一つに、「公正世界信念」と呼ばれる信念があるとされる。
村山綾氏、三浦麻子の『被害者非難と加害者の非人間化―2種類の公正世界信念との関連―』(心理学研究、2015年)によると、公正世界信念とは「世界は突然の不運に見舞われることのない公正で安全な場所であり、人はその人にふさわしいものを手にしているとする信念」を指す。
「私たちは公正な世界に住んでおり、人々は善悪にかかわらず、相応の報いを受ける」という考えは幼児期からの経験を通して形成される。しかし事件や事故を報じるニュースなどといった公正世界信念を覆すような刺激に接した時、被害者と自分に類似点があったり、被害にあった原因が見出せなかったりする場合、被害者を非難することで信念の維持を図る傾向があるといわれている。
同論文では、被害者が長期的に苦しめられたり、被害の回復が望めないような被害を被ったりするほど、被害者非難の程度は高まるとある。
帰属のエラーと無敵理論
カナダの被害者支援団体「カナダ犯罪被害者支援センター(Canadian Resource Centre for Victims of Crime)」が公開する記事には、被害者非難が起こる要因として、公正世界信念の他に、「帰属のエラー(Attribution error)」「無敵理論(Invulnerability Theory)」の二つが紹介されている。
帰属のエラー
帰属のエラーとは、他人の行動をその人の性格や個人的特性のせいにすること、一方で他人の行動を自分のコントロールが及ばない環境や状況のせいにすることを表す。言い換えれば、他人の行動には100%の責任を負わせるが、自分の行動は多めに見る傾向がある、ということだ。
心理学における「帰属」とは、出来事や他人の行動、自分の行動の原因をどのように説明するかに関わる心的過程である。例えば、誰かが怒っているのは機嫌が悪いからなのか、それとも何か悪いことが起きたからなのか、などだ。
社会心理学者フリッツ・ハイダーと同じく社会心理学者ハロルド・ケリーによると、帰属には内的帰属と外的帰属の2つがある。内的帰属は、その人の個人的特性がその人の行動や状況の原因であると認識する場合に行われる。外的帰属は環境や状況がその人の行動の原因であるとするものである。
例えば待ち合わせをしていた相手が遅刻した際、「だらしない性格だから」と考えるのであれば内的帰属、その行動を「公共交通機関の乱れによる」と考えるのであれば外的帰属となる。
帰属のエラーは個人が他人を判断する際、個人的特性を過度に強調し、環境的特性を軽んじる場合に生じる。上記の例であれば、遅刻の原因が電車の遅延であるにもかかわらず、「だらしがない性格だから遅刻した」と考えてしまう傾向を指す。
この帰属のエラーもまた、被害者非難の要因となる。帰属のエラーに陥りやすい人は、被害に対する状況的な原因よりも被害者個人の「内面的な欠点」を優先して判断するため、被害者個人を被害が生じた出来事の部分的な責任とみなし、非難する。
無敵理論
無敵理論の場合、不愉快な出来事から自分自身を遠ざけ、それによって自分の無敵さを確認する方法として被害者非難が行われる。多くの場合、被害者への非難は自分自身が傷つきやすいことを否定する必要性から生じている。
無敵理論に基づく人は、自分の無力さへの恐怖に直面するのを避けるために、「被害者にはその出来事を防ぐ能力があった」と仮定し、彼らがそうしなかったのだから自分たちは彼らよりも賢く、幸運である、したがって、彼らに起こったことは決して自分たちには起こらないと考える。そして被害者よりも自分たちが優れていると感じることで傲慢になり、批判的になることがあるのだ。
無敵理論に基づく被害者非難は、時に被害者の友人や家族からも行われる。彼らでさえ、自分を守るために被害者を責めることがあるのだ。
被害者非難の問題点と、その影響
被害者非難は、何かの被害にあった当人を傷つけるだけでなく、社会的な課題解決の妨げにもなる。
特に、被害者の犯罪申告に及ぼす影響は大きい。被害を訴えても信じてもらえない、非難されるといった否定的な反応を受けた被害者はより大きな苦痛を経験することとなり、被害を報告する可能性が低くなる傾向がある。加えて、非難された被害者は「二次被害(性被害においてはセカンドレイプ、などとも呼ばれる)」を避けるため、それ以上の犯罪を報告しなくなる。
二次被害とは「周囲やマスコミによる無責任な言動のほか、各種手続きや裁判などに向けて繰り返し事件について話さなければならないこと等」である(引用元:二次被害について|公益社団法人 千葉犯罪被害者支援センター)。
被害者非難は、犯罪を報告する被害者の決断に影響を与えるだけでなく、被害者の決断を支援する心強い味方や証言する証人の意欲、事件を追及し加害者を起訴する当局の取り組みや有罪判決を下す陪審員の決断などにも影響を与える可能性がある。
カナダのNPO法人Sexual Assault Centre Of Edmonton(以下、SACE)でも、性的暴行を受けた被害者の多くが、被害を訴えても信じてもらえない、非難されるといった否定的な反応に対する恐怖を抱き、それが、カナダで性的暴行の97%が法執行機関に報告されない多くの理由のひとつである、と書かれている。
被害者非難の実例
被害者非難の実例として、韓国のDJ「DJ SODA」さんが受けた性被害があげられる。
DJ SODAさんは、2023年8月13日に大阪泉南市で開かれた音楽イベントにて一部の観客から胸などを触られる性被害を受けたことを明らかにした。しかしSNS上では、被害者であるDJ SODAさんに対して「被害を受けたのは、派手な格好をしてるから」「そんなに観客と近いなら触られても仕方ない」「(触られたくないなら)胸を強調するような服を着るな」といったコメントが向けられた。
このような声に対し、DJ SODAさんは自身のX(旧ツイッター)で「私は人々に私に触ってほしいから露出した服を着るのではない。 私は服を選ぶ時、自己満足で着たい服を着ているし、どの服を着れば自分が綺麗に見えるかをよく知っているし、その服を着る事で自分の自信になる」「服装と性犯罪の被害は絶対に関係がないので、絶対に被害者を問題と考えて責任転嫁してはいけない。原因は露出が多いセクシーな服装ではなく加害者である」と投稿している。
私は人々に私に触ってほしいから露出した服を着るのではない。 私は服を選ぶ時、自己満足で着たい服を着ているし、どの服を着れば自分が綺麗に見えるかをよく知っているし、その服を着る事で自分の自信になる。
— djsoda (@dj_soda_) August 14, 2023
服装と性犯罪の被害は絶対に関係がないので、絶対に被害者を問題と考えて責任転嫁してはいけない。原因は露出が多いセクシーな服装ではなく加害者である。 pic.twitter.com/tzXTdlKyaT
— djsoda (@dj_soda_) August 21, 2023
なお、同月21日に音楽イベントの主催会社が容疑者不詳のまま観客の男女3人を不同意わいせつと暴行の疑いで大阪府警に刑事告発し、同日午後は男子大学生の2人が府内の警察署へ出頭、24日には捜査関係者により、23日に会社員の女性から任意で事情を聴いていることが明らかになった。
性暴行と服装の相関関係を問う被害者非難は今に始まったことではない。2017年には、性暴力に対する被害者非難へのアンチテーゼが込められた展覧会『あなたは何を着ていたの?』がアメリカ・カンザス大学で開催された。
この展覧会では、18着の何の変哲もない衣装が展示されていた。この衣装は、18の性的暴行被害の体験をもとに、それぞれの被害者が当時来ていた服装が再現されたもので、展示には被害者が何を着ていたかを被害者の言葉で詳細に記した説明文が添えられた。
この展示は性暴行の原因が服装ではないことを訴えかける。カンザス大学のウェブサイトで見ることができる展示の様子から、そこに飾られている服は必ずしも「露出が多いセクシーな服装」ではないことがわかる。
▶️ 展示について詳しくはこちら:普段着でランウェイ?性被害を受けた女性が「当時の服装」を再現したファッションショー
被害者非難の実例は、なにも性暴行に関するものだけでない。家庭内暴力(DV)やいじめの被害者に対する「なぜ逃げなかったのか」「なぜ助けを求めなかったのか」「なぜいじめを受けたことを黙っていたのか」「なぜ自分を守るために行動しなかったのか」といった意見も被害者非難の一例である。
被害者を責めてしまう精神性を改める
被害者非難は、犯罪や災害などの出来事において、被害者に対して非難や批判が行われることを指すが、理解すべき重要なことは、犯罪や災害などで生じた加害は決して被害者のせいではないということだ。誰かが有害な行動を選んだから起こるのであって、誰かが特定の服を着ていたり、特定のことを言ったり、特定の場所にいたから起こるのではない。そして、誰よりも責められるべきは加害者であり、被害者非難に論点をすりかえることで、社会の対応が遅れることとなる。
そして他者から危害を加えられる可能性を避けるために、自分たちの行動や表現の自由、移動の自由を制限する必要はないのだと認識する必要がある。
個々の状況にはさまざまな背景や複雑な要因が影響している。被害者を非難するのではなく、その人々の状況や背景を理解し、支援や解決策を提供することが大切だ。
【参照サイト】Belief in a just world: research progress over the past decade – ScienceDirect
【参照サイト】Victim Blaming | Sexual Assault Centre Of Edmonton
【参照サイト】Victim Blaming
【参照サイト】Attribution Theory in Psychology: Definition & Examples
【参照サイト】人文学部心理学科リレーエッセイ NO.09 「原因帰属」 | 学部からの最新情報
【参照サイト】Fundamental Attribution Error: What It Is & How to Avoid It
【参照サイト】Stop Blaming the Victim | CPOMC
【参照サイト】Clothes accompanied by victims’ stories shine light on sexual assault at KU exhibit | FOX 4 Kansas City WDAF-TV
【参考文献】村山綾、三浦麻子『被害者非難と加害者の非人間化―2種類の公正世界信念との関連―』(心理学研究2015年第86巻第1号pp.1ー9、2015年)