観光は、その土地独自の自然や文化が、地域住民と観光客にとって「共通する価値」であることに支えられている。一方で、観光需要の拡大により地域資源を消費する従来型の観光は、持続可能性の観点から今や限界を迎えつつある。
そんな現状に、旅行者も目を向け始めているようだ。Booking.comの調査によれば世界の旅行者の85%、日本では71%がよりサステナブルな旅行を「重要」または「非常に重要」と認識(※1)。実際に過去12カ月間において、地域文化を学ぶツアーに参加したミレニアル・Z世代は29〜31%、ベビーブーム世代で18%、生態系の保全に貢献するツアーに参加した人はそれぞれ23〜24%と、9%にあたるという。
この潮流を広げ、地域の価値を守り育てていくために、観光をどのように再定義することができるだろうか。
オーストラリア北東部のポート・ダグラスでは、観光によって得られる収益を、地域の自然や文化を守り育てるために還元する仕組みがつくられている。その代表的な舞台が、この町が抱える2つの世界遺産である。
1つは、1億2,000万年以上の歴史を持つ、デインツリー熱帯雨林。クク・ヤランジ族の人々が、この土地で生きてきたファースト・ネーションズ(※2)だ。彼らの叡智を、彼ら自身の言葉で伝えるのが、モスマン・ジョージ・カルチャーセンター(Mossman Gorge Cultural Centre:以下、MGCC)。1986年にクク・ヤランジ族のロイ・ギブソンさんが立ち上げた、ファースト・ネーションズの人々によるツアー「ンガディク・ドリームタイム・ウォーク(Ngadiku Dreamtime Walk)」を基盤として生まれたのがMGCCだ。
もう1つが、世界最大のサンゴ礁・グレートバリアリーフ。気候変動によるサンゴ礁の白化が深刻化する中、ここでは観光インフラを活かしたサンゴ礁の再生プログラムが立ち上がっている。日々のツアーを運行する観光事業者自身が、調査データを収集・共有し、希少な自然と旅行者、科学的知見と旅行者を間接的につなぐ役割を担っている。
サステナブルツーリズムをけん引するオーストラリア。各現場はいかにして、旅行者を協働パートナーへと変容させ、経済と保全の互恵関係を築いているのだろうか。観光を「持続可能な共同投資」へと変える仕組みには、どんな設計が必要なのだろうか。現地での実践と、現場の声から紐解いていこう。
※2 First Nations(ファースト・ネーションズ)という表現は、単に「先に住んでいた人々」ではなく、「この土地における最初の、そして現在も存在する国民」であるという主体的なアイデンティティを示すとされている。「Nation(国家、民族単位)」が複数存在することを認め、尊重する、より敬意ある包括的な言葉として用いられている|国立アートリサーチセンターより引用
この土地に生きてきた人々の言葉を聞くということ
「このスモーキング・セレモニーは、私たちのまわりにいる植物や動物、人々、あらゆる存在に敬意を示すものです。この煙が、悪いエネルギーから身を守るバリアにもなると信じられています」
この日、ガイドを担ってくれたデイビッドさんはそう語り始め、参加者に小さな広場で輪をつくるよう促した。今始まろうとしているのは、クク・ヤランジ族の人々が、モスマン渓谷を訪れた人々を迎え入れる際に執り行っていた儀式、スモーキング・セレモニーだ。

デイビッドさんは、ティーツリー(メラレウカ)の樹皮を数枚手に取ると、広場の中央に設けられた石造りの炉へ投げ入れた。

煙の周りを歩く間、ガイドはクク・ヤランジ語で儀礼の言葉を告げていた。
煙が立ち昇ったら、ゆっくりとその周りを一周する。こうして煙の「匂い」を身にまとうことで、クク・ヤランジ族の仲間として見なされるようになるという。
「これですべての先祖が、あなたがセレモニーを経ていること、この地に敬意を示して訪れていることを理解してくれます」
匂いともう一つ、身元を明らかにするためのツールが、ボディ・ペイント。本来は全身に施すのだが、この日は腕に塗って見せてくれた。
「オーストラリアの部族は、それぞれ独自のペイントの色やパターン、デザインを持っています。その描き方で、その人がどの地域の出身かをおおよそ見分けることができるのです」
木立の中を進んでいくと、デイビッドさんはあたりの木々を指差しながら、「このクモは面白い」「これは食べられる実だね」「この植物は手を洗うときに使えるんだよ」と、スラスラと解説していく。自身も、子どもの頃に森の中でこうした実を採って食べ、遊んでいたそうだ。

赤や黄色の石は小川で見つかるそう。水をかけて岩の上で擦り、色を削り出していく。

水に濡らした葉をこすると急に泡立った。身体を洗うのにも使用できるという。
ここでデイビッド氏と別れ、バスに乗ってさらに熱帯雨林の奥に向かう。10分もしないうちに緑の密度が高くなり、降りると鼻から入る空気がひんやりとするのが伝わってきた。
ここで出迎えてくれたのが、エミリーさんと、ヴァニャさん。2人もクク・ヤランジ族としてこのセンターでガイドを務めている。
ヴァニャさん「熱帯雨林に来ると、多くの人はヒクイドリやヘビ、クモなどの動物を怖がります。でも、私にとって怖いのはこの植物です。イラクサ科の植物で、私たちはミリミリと呼んでいます。この植物の葉の裏には、シリカでできた毛がびっしりと生えていて、これに触れると鋭い針が刺さってとても痛く、かゆみを引き起こします。シリカは、ガラスの原料のことですね」
痛みは数ヶ月〜数年続くこともあるという。まるで“記念日”のように、翌年また痛みが戻ってきたり、発疹が出たりするという。そう知っていたら、たしかに何より怖い存在になるだろう。

激痛を引き起こすという植物・ミリミリ
さらに奥へ進むと、巨木が見えてきた。クク・ヤランジ族にとって、個人の誕生から死までを伴走する「家族の木」とされる、レッド・シダーの木だ。中が大きく空洞になっており、子が生まれたら胎盤を置き、亡くなると同じ木に埋葬するのだという。
エミリーさん「この木は先住民にとって重要なだけでなく、白人がここを見つけた時にも、レッド・シダーの耐水性が高いことに気づきました。そして入植して10年で、ほとんどの木を切り倒したのです」

エミリーさん(左)と、ヴァニャさん(右)
この木を叩くことが、仲間への合図になる“電話ボックス”の役割もあり、半径5キロの範囲まで届くという。「レッド・シダーはもう多くないので、ここで見れて嬉しい」とエミリーさんは語った。
もう一つクク・ヤランジ族と共に生きてきた木が、締め殺しのイチジク(Strangler Fig)。名前の通り、ほかの樹木を伝うように成長し、約50年かけて日光と栄養を奪い、最終的に土台にした木を窒息させることで殺してしまう。
エミリーさん「映画『アバター』で登場人物の身体が木の根に連れて行かれるシーンがありますが、この木がその由来だと言われています。
クク・ヤランジ族では、木の下の空洞部分に亡くなった方の遺体を置き、その上にイチジクの小さなツルをかけておきます。そうすることで、時間をかけてツルが遺体を木の中に持ち上げていくのです。興味深いですよね」

筆者撮影
MGCCは、熱帯雨林を訪れるという観光体験を、クク・ヤランジの文化や土地との関係に触れる機会へと変え、観光と文化維持のバランスを調和させることに寄与している。ただしこれは、ただ自然を眺めるだけのネイチャーツアーではなかった。
クク・ヤランジ族のガイドたちの言葉は、穏やかながらも、今歩いている場所が、そびえる木々が、誰のものであるのかを考えさせる。ふとした時に出てくる「入植のとき」「白人が来て」という歴史の描写は、その延長線上に「今」があることを思い起こさせるのだ。
MGCCは、この土地を誰の言葉から、どのような歴史や文化の上にある場所として理解するのか。その観光の入口を、クク・ヤランジの人々自身がつくる場でもある。
世界最大のサンゴ礁の今と、観光による守り方
次に向かったのは、デインツリー熱帯雨林と並ぶ世界遺産・グレートバリアリーフ。熱帯雨林と太平洋が近接していることが、ポート・ダグラスの特徴の一つでもある。
ここでセーリング・シュノーケリングツアーを運営しているのが、Sailaway(セイルアウェイ)。Ecotourism Australiaの認証プログラムにて「アドバンスド・エコツーリズム」および「気候アクションリーダー」として認められた組織だ。

Image via Sailaway

シュノーケリングツアーでは、ウミガメに出会える日もある|Image via Sailaway
その理由は、同社が参加するサンゴ礁育成プログラムにある。ポート・ダグラス近辺のツアーオペレーターと研究者、先住民族が連携し、地域社会主導のサンゴ礁再生を推進するための研究を進めるパートナーシップだ。日々グレートバリアリーフへと観光客を案内している立場も活かし、サンゴをめぐる現状を伝える役割も担ってきた。
また地域レベルの取り組みに加えて、公的機関であるグレートバリアリーフ海洋公園管理局が運用するサンゴのモニタリングプログラム「Eye on the Reef」にも参加。地域内と国全体の両軸で協働を進めているのだ。

2019年9月に設置されたサンゴ|Image via Sailaway

2020年4月には成長が進む様子が見られる|Image via Sailaway
筆者が現地を訪れた数日前にサンゴ再生プログラムの研修に行ったというSailawayのクルーは、こう語っていた。
「プログラムに参加する観光事業者は、週に一度、共通の方法で調査を実施し、得られたデータをまとめて共有しています。これにより、みんなが現地の状況を把握できるのです」
こうした現場では、サンゴ礁の日々変化する様子を目の当たりにしているはず。米メディア・CNNは2025年10月、サンゴ礁の死により気候変動をめぐる大きな転換点を迎え「新たな現実」に突入したことを報じるなど、危機的な状況にあることがうかがえる。そんな中、現場ではサンゴ礁の実情をどう捉えているのだろうか。
「水温が約1度上がった状態が1週間ほど続くと、サンゴは藻類を失って白化してしまいます。しかし、水温が下がると藻類が戻ってくることもあります。つまりサンゴは一度白化しても、死んでいるわけではないのです。それでも、以前よりずっと高い水温が長く続くようになり、白化の起こる頻度も高くなっています。水温が下がらなければ藻類は戻らず、白化が繰り返されればサンゴは回復できなくなるのです」
グレートバリアリーフにとって最大の脅威は、依然として気候変動にある(※3)。共有資産がそんな危険にさらされるとき、資産を守るための尽力は、ただ乗り(フリーライド)問題を引き起こしかねない。一方で、今ある観光インフラや事業者のネットワークを保全・再生のインフラとして活用することで、「共に投資する」関係も構築できる。
自然環境にダメージを与えず“鑑賞する”にとどまる観光ではなく、それらを守るための経済・文化的な入り口として観光を機能させること。世界でも稀な自然を有するポート・ダグラスでは、そんな仕組みが堅実に築かれていた。
取材後記
観光は、その土地に根付いてきた光を観ることを通じて、固有の物語への尊敬を育てるもの。ひるがえって、その意識は自分の身近な地域に向けられることで、新しい見方を可能にもする。その変化が、観光の喜びであり消費型に陥らない観光を設計するために必要なものかもしれない。
またポート・ダグラスでの滞在を経て、観光が、地域の自然や文化という「共有財産」を借りて価値を生み出す性質がみえてきた。しかし、それらをフリーライドで使い尽くせば、地域の経済基盤そのものが崩壊しかねない。ポート・ダグラスの観光セクターが形成しているのは、この共有物を守るための努力もできる限り等しく共有される、いわば「共同投資」が起きやすい事業環境であったのだろう。
地域と旅行者、地域と伝統的・科学的知見、そうした関係性を編み直すことができるのも、あいだを取り持つ観光というものの強みである。経済の流れを設計することで、地域にある資産への投資と協働を促すこと──これが、ポート・ダグラスの模索してきた、経済と保全のバランスを保ちながら、地域も事業者も旅行者も豊かにする観光の形であるのかもしれない。
※1 ブッキング・ドットコム、2026年版「サステナブル&トラベル」に関する調査結果を発表|Booking.com
※3 Outlook Report 2024|Great Barrier Reef Marine Park Authority
【参照サイト】The Mossman Gorge Cultural Centre
【参照サイト】Sailaway
【参照サイト】Eye on the Reef|Reef Authority
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