沈まない太陽の下で、自然の時間を生きる。ルカ=クーサモ地域で出会った「人の名前で記憶する」ツーリズム【フィンランド現地から#2】

2026.08.13

西崎こずえ

「フィンランド現地から」の連載では、ウェルビーイングのテーマを軸に、フィンランド各地で育まれる実践や知恵を追っていく。連載第1回では、北部フィンランドの都市オウルが、ウェルビーイングを福祉ではなく産業戦略の中核に据える姿を報告した。今回の舞台は、オウルから東へ車で約3時間、ロシア国境にほど近い森と湖の地域、ルカ=クーサモ(Ruka-Kuusamo)である。

先に告白しておくと、筆者はこの土地を、リゾートや宿の名前ではなく、出迎えてくれた人の名前で記憶している。トナカイ牧場のサトゥ。300年続く家のサウナで呪文を唱えてくれた「サウナエルフ」のターニャ。湖畔の焚き火小屋で野生のきのこのスープを煮ていたシルッパと、その姉妹のカティア。なぜ、この土地では施設や絶景よりも先に、そこで暮らす人の顔が浮かぶのだろう。

人口約1万5,000人の町に年間約100万人が訪れるこの地域では、自然や文化を守りながら、観光をどう仕事として次世代につないでいるのか。彼女たちの営みから、その答えを探っていく。

夜行列車で、北緯66度線を越える

旅は、ヘルシンキ中央駅19時29分発の夜行列車から始まった。翌朝8時50分、ラップランドのケミヤルヴィ着。約13時間の旅である。飛行機なら1時間半の距離をあえて列車で行く価値は、着いてみればよくわかる。都市の風景が湖水地方の森に変わり、やがて人影のない原野になる。地形と植生の変化を地続きに感じながら、車窓の空はいつまでも暮れない。白夜の金色の光の中で、列車は北極圏の入口を越えていく。

食堂車の食事は思いのほか本格的で、相席になった見知らぬ乗客たちが気軽に話しかけてくる。気がつけば、フィンランドの教育や気候変動について、初対面の人々と議論していた。移動そのものが、この国の距離感──自然との、そして他者との──に身体を慣らしていく助走になっている。

一番暗くなった時間帯・午前2時前の太陽。この後にまた明るさを増す。(写真はルカ=クーサモ観光局テッサが撮影)

人口1万5,000人の町に、年間100万人が訪れる

クーサモは人口約1万5,000人の町だ。そこに、年間およそ100万人の観光客が訪れる。地域の観光公式サイトによれば、2024年の登録宿泊数は54万5,000泊(うち国内72%)、別荘などの非登録宿泊を含めればさらに約49万泊が加わる。

フィンランド有数のスキーリゾートであるルカを擁し、ハイシーズンは冬。1956年設立のオウランカ国立公園には、フィンランドで最も有名なトレッキングルート「カルフンキエロス(熊の周回路、約80キロ)」が走り、年間20万人以上が訪れる。フェルと呼ばれるなだらかな山々の頂からの360度の眺望や、轟音を立てる滝の絶景スポットでも知られる。

つまりこの地域の観光は、雪と森と湖という自然資本の上に、まるごと成り立っている。人口の70倍近い来訪者を受け入れながら、地域の暮らしと自然の両方をどう守るのか──それがこの町の切実な問いだ。

季節についても触れておきたい。ハイシーズンは冬だが、視察や研修でこの地を訪れるなら、筆者は圧倒的に夏を勧める。夏至前後、太陽はほとんど沈まず、夜11時でも湖面は白く光る。5月から9月は自然体験の宝庫で、7月からはきのこが顔を出し、7月から10月にかけてはクラウドベリー、野生のブルーベリー、リンゴンベリー、クランベリーと、森のベリーが次々に旬を迎える。栄養豊富なスプルースの新芽は、フライにしたりデザートに散らしたりして食卓に上る。

そして10月に至っては、スキーも、オーロラも、ハイキングも、(サウナ上がりの)湖水浴も、すべてが一度にできる稀有な月だという。なお、こうした体験プログラムの多くは少人数設計で、実感としては10〜20名程度までが最も豊かに機能する。大型団体を詰め込む観光とは、設計思想がそもそも違うのだ。

1993年から続く、地域ぐるみの持続可能性戦略

ルカ=クーサモの仕組みは、場当たり的なエコ施策ではなく、30年がかりの制度設計だ。

地域の観光公式サイトによれば、クーサモ町は1993年に環境宣言を採択。現在は毎年更新されるサステナブル・トラベル・プランのもと、環境・文化・社会・経済の4つの観点から長期方針を定めている。これはまさに、ウェルビーイングエコノミーが掲げる「複数の資本を均衡させる」発想の地域版といえる。

推進主体であるルカ=クーサモ観光協会は、環境認証の取得やフィンランドの観光振興を担うVisit Finlandの「Sustainable Travel Finland(STF)」認証への参加を主導。ルカのスキーリゾートが2018年にスコープ1・2でカーボンニュートラルを達成するなど、実績を重ねている。雪がなければ成立しない産業にとって、気候変動対策は倫理ではなく事業の存続条件なのだ。

同プランが特に重視するのが「通年型観光への転換」だ。冬に偏りがちな観光需要と雇用を平準化し、夏のアクティビティを育てることで「通年の営業が、通年の雇用をつくる」サイクルを目指している。

では、その戦略の現場はどう動いているのだろうか。

サトゥ──トナカイと生きる暮らしを開く

最初の出会いは、トナカイ牧場のサトゥだった。囲いの中で、トナカイが地衣類を食む柔らかな音を聞かせてもらったあと、彼女は私たちを「カンミ(※)」に招き入れた。焚き火にかけた煤だらけのポットのコーヒーに手作りの焼き菓子が並ぶ。

※ 白樺の樹皮や泥炭で覆われた伝統的な小屋のこと

サトゥの話は、トナカイ放牧という生業の入門講義でもあった。フィンランドでトナカイの放牧が認められているのは北部の放牧指定地域だけで、トナカイ飼育者協会(Paliskunnat)によれば、国内には約20万頭のトナカイと約4,600人の所有者がいる。隣国スウェーデンやノルウェーでは放牧はサーミの人々だけに認められた権利だが、フィンランドでは地域の住民に開かれているという。

6月の沈まない太陽の元成長するハーブや新芽の勢いや高い栄養価について説明するサトゥ(筆者撮影)

住まいの話も興味深い。円錐形の「コタ」は本来、放牧に随行するためのポータブルな仮設住居。対して私たちが座っていた四角形のカンミは、真冬用の常設の住処で、かつては時に4世代が身を寄せ合って暮らしたという。厳寒の大地では、家族が固まって住むこと自体が生存の技術だった。そして、かつてのサーミの人々は、シャーマンであり、大工であり、トナカイ飼いであり、狩人だった──自然の恵みから暮らしのすべてを組み立てる人々だったのだと、サトゥは言う。

ターニャ──300年の家に伝わる「サウナの呪文」

クーサモ郊外ヴオトゥンキ村のポホヨラン・ピルッティ&キエヴァリ(Pohjolan Pirtti & Kievari)で迎えてくれたのは、自らを「サウナエルフ」と名乗るターニャだった。彼女の夫は、1686年からこの土地に根を下ろすポホヨラ家の11代目。一族の言い伝えでは、先祖オッリ・ポホヤライネンがこの地で最初に建てた建物はスモークサウナだったという。敷地には今も3つのサウナが焚かれ、サウナに入る私たちに、ターニャは家に代々伝わるサウナの呪文を唱えてくれた。

ターニャの語るサウナ史は、そのままフィンランド生活文化史だった。人々は新しい土地に移り住むとき、まずサウナを建てた。凍える大地で、サウナは暖がとれ、衛生的で、入浴ができ(サウナはフィンランド人にとっての「お風呂」である)、肉の燻製など食の加工までできる、多機能の生存装置だったからだ。人生の大きな節目の前夜には、サウナで身を清める。かつては土曜の夜にみなサウナに入ったが、それは日曜が(フィンランド国教会にあたる福音ルーテル教会の)祈りの日だったから。「サウナはただの部屋ではないの。最もパワフルな建物。エネルギーそのものなのよ」とターニャは言う。

サウナの歴史について説明するターニャ(筆者撮影)

言葉の歴史はさらに深い。サウナの蒸気を意味する「ロウリュ」は、「サウナ」という言葉よりも古い語で、その原義は「生命の息吹」に通じるという。白樺やジュニパー(杜松)の枝葉を束ねた「ヴィヒタ」で身体を叩くウィスキングは、不調に応じて樹種を選び、白樺は茶にすればデトックスにもなる。結婚式の前に女性たちが集う「ブライダルサウナ」の伝統では、塩で「元彼を洗い流す」のだと、ターニャは笑った。そして1990年代には一家に1サウナが当たり前になり、現代の集合住宅にもサウナが備わる。数千年の生存装置は、いまも現役の日常インフラなのだ。

サウナのあとは、築100年を超える母屋で、地元食材づくしの夕食。森のベリー、湖の魚、トナカイ。食材の来歴を家族が自分の言葉で語れる食卓は、フードマイレージという言葉が生まれるはるか前から、ここでは当たり前だった。

シルッパとカティア──「野生の食」と6時間のサウナ

湖畔の自然滞在施設「イソケンカイステン・クルビ(Isokenkäisten Klubi)」を営むのは、シルッパとカティアの姉妹だ。

彼女たちが提供するのは、森で採れたきのこやベリー、地元の魚を使った「WILD(野生の)フード」。誰かが栽培したものではなく、森が育んだ恵みをいただく料理だ。認証の有無以前に、自分たちが大切にしてきた暮らしそのものを味わってもらうという姿勢がある。

焚き火でホットサンドとスープを用意してくれるシルッパたち(筆者撮影)

そしてこの宿の象徴が、サウナマスターが薪で6時間かけて温める「セブンスター・スモークサウナ」だ。煙を充満させて温める最古の形式で、定員は15名。サウナの完成は人間の都合ではなく、火と石の都合に委ねられる。

蒸気と煙の香りに包まれ、身も心もほぐれた状態で冷たい湖に飛び込む。沈まない太陽の下で水面に浮かびながら考えるのは、ウェルビーイングエコノミーの本質だ。健康や自然とのつながりは成長の「成果」ではなく、経済を成り立たせる「元手(資本)」である。6時間かけてサウナを温める営みは、都市で摩耗した人間の資本を回復させる再生産のプロセスそのものなのだ。

メッタ家のピュハピーロ──伝統サウナを、現代のウェルネスへ

旅の拠点となったシャレーリゾート「ルカン・サロンキ(Rukan Salonki)」は、1986年創業の家族経営の宿だ。「金の蛇口のような装飾ではなく、自然環境の磁力を信じる」という思想のもと、地元産の立ち枯れ木(ケロ材)でキャビンが建てられている。

彼らが手がけたサウナ複合施設「ピュハピーロ・サウナワールド」は、伝統的なスモークサウナにホットタブや地元食材の軽食を組み合わせ、最大40名を受け入れられる現代型のネイチャースパだ。受け継がれてきた伝統を、現代のウェルネス産業の文法へと翻訳し、事業として進化させる強みがここにある。

地元の野生食材をふんだんに使った料理がいただける(筆者撮影)

サウナのあとには、雪解け後間もない冷たい湖でひと泳ぎするのがフィンランド流(筆者撮影)

自然資本の上に立つ経済──人の名前で回る観光

ルカ=クーサモの取り組みを整理すると、自然資本を傷つけずに活用し、世代を超えた文化を継承しながら、通年雇用と経済的リターンを生み出している。

彼女たちに共通するのは、単なる「アクティビティの消費」ではなく、自然の時間軸に人間を戻す体験を提供している点だ。四半期単位の利益ではなく世代を超えた時間軸で経営されているからこそ、押し付けがましくない本物の体験が生まれる。結果として旅行者は施設名ではなく「人」を覚えて再訪する。

セブンスター・スモークサウナの中。サウナマスターのマークスが6時間かけて火を焚き温めてくれる(筆者撮影)

クーサモはオウル2026欧州文化首都のパートナー自治体でもあり、都市オウルのR&D・イノベーション戦略と、クーサモの自然観光戦略は、「人が良く生きられる場所」を示す同一の物語の両輪になっている。

観光地の疲弊や季節雇用に悩む日本の地域にとっても、問われているのは単なる集客数ではなく「制度と運用の設計」だ。誰が地域の憲法を書き、事業者を巻き込み、顔の見える担い手をどう支えるのか。ルカ=クーサモの現場は、その明確なヒントを示している。

次回は最終回、サウナ首都ユヴァスキュラへ。サウナという文化がどのように観光、健康、建築、地域政策を束ねる産業へ育っているかを報告する。

(取材協力:オウル2026、ルカ・クーサモ観光協会)

【参照サイト】Ruka.fi「Sustainable tourism in Ruka-Kuusamo」
【参照サイト】Ruka-Kuusamo「Sustainable Travel Plan for Ruka-Kuusamo」(2022年)
【参照サイト】Ruka.fi「Responsibility at Ruka Ski Resort」
【参照サイト】Ruka.fi「Ruka receives Sustainable Travel Finland label」
【参照サイト】Ruka.fi「Ruka-Kuusamo Tourist Association」
【参照サイト】Ruka.fi「Ruka-Kuusamo general info」
【参照サイト】Ruka.fi「Kuusamo – the land of national parks」
【参照サイト】Luontoon.fi(Metsähallitus)「History of Oulanka National Park」
【参照サイト】Visit Kuusamo
【参照サイト】Reindeer Herders’ Association(Paliskunnat)「Reindeer herding」
【参照サイト】International Centre for Reindeer Husbandry「Sámi & Finns – Finland」
【参照サイト】Rukan Salonki Chalets「Travel Company since 1986」
【参照サイト】Rukan Salonki「Pyhäpiilo Sauna World」
【参照サイト】Ruka.fi「Sustainability efforts surprised the veterans at Rukan Salonki and Rukan Kuksa」
【参照サイト】Pohjolan Pirtti & Kievari「About us」
【参照サイト】Discovering Finland「Pohjolan Pirtti & Kievari – Authentic Finnish Experiences in Kuusamo」
【参照サイト】Ruka.fi「Pohjolan Pirtti and Kievari take care of centuries-old buildings and cultural landscapes」
【参照サイト】Isokenkäisten Klubi「Story of Isokenkäisten Klubi」
【参照サイト】Isokenkäisten Klubi「Saunas」
【参照サイト】Visit Finland「Seven Star Smoke Sauna at Isokenkäisten Klubi」
【参照サイト】Oulu2026「Oulu2026 region」
【参照サイト】Ministry of Social Affairs and Health, Finland「Wellbeing economy」
【参照サイト】VR「Night trains」

Edited by Megumi

この記事を書いたライター

西崎こずえ

西崎こずえ

西崎 こずえ(にしざき こずえ)。オーストラリア・キャンベラ大学卒。アムステルダムを拠点とするサステナビリティ特化型コンサルティング企業「Horizon Green」ファウンダー。サーキュラーエコノミー、再生可能エネルギー・水素、クリーンテック分野において、主に欧州と日本の企業・政府機関を支援。事業性とサステナビリティの統合に強みを持ち、ビジネスモデル構築、R&D支援、商談調整、プロジェクトマネジメント、投資家・技術パートナーとの連携、研修プログラムの提供など多岐にわたるサービスを展開。サステナビリティに情熱を注ぐ人のための秘密基地「エコハブ・アムステルダム」発起人・運営。note:https://note.com/kozk0zこの人が書いた記事の一覧