「フィンランド現地から」の連載では、ウェルビーイングのテーマを軸に、フィンランド各地で育まれる実践や知恵を追っていく。連載第1回では、北部フィンランドの都市オウルが、ウェルビーイングを福祉にとどめず、産業戦略の中核に据える姿を報告した。第2回では、ルカ=クーサモを訪れ、森や湖、サウナ、地域に受け継がれてきた知恵を守ることが、観光と雇用を支える地域経済につながる様子を追った。
最終回の舞台は、フィンランド中央部の湖水地方に位置するユヴァスキュラと、その周辺地域である。ここでは、日々の暮らしに根づくサウナ文化が、健康科学、予防医療、地域コミュニティ、観光、ものづくりへと広がっている。
筆者は、世界30カ国以上から関係者が集まる「World Sauna Forum(世界サウナフォーラム)」に参加し、世界最大級のサウナヒーターメーカーHarviaの本社や、ヤムサ地域に歴史的なスモークサウナを集めたサウナキュラを訪ねた。
一つの生活文化が、どのように科学の研究対象となり、産業を育て、健康や地域コミュニティを支える仕組みへ広がっていくのか。最終回では、サウナを手がかりに、ウェルビーイングを社会と経済の基盤として捉えるフィンランドの実践を追う。
余裕があるから、ではない
誤解のないように書くと、フィンランドがウェルビーイングに力を注ぐのは、国に潤沢な余裕があるからではない。少子高齢化や財政調整という日本と同様の課題を抱えるなかで、「何削り、何を守るか」を明確に選択しているのだ。
フィンランド社会保健省は、ウェルビーイングエコノミーを「人々と地球のウェルビーイングを政策・意思決定の中心に置くアプローチ」と定義する。健康で、教育を受け、社会に居場所のある人々こそが成長の源泉であり、だからこそウェルビーイングは「結果」ではなく「資本(元手)」なのだ。余裕の産物ではなく、限られた資源をどこに投じるかという意思のある選択にほかならない。

緑と水、無数のサウナに恵まれた中央フィンランドの都市ユヴァスキュラ。電車でヘルシンキから3時間ほどで到着する。(筆者撮影)
国際サウナ都市、ユヴァスキュラ
ユヴァスキュラは人口約14万8,000人の学園都市であり、フィンランドで唯一のスポーツ・健康科学部を持つユヴァスキュラ大学を擁する。市はスポーツ・ウェルビーイングを重点分野に掲げ、企業が集まる産業エコシステム「Hhub」を運営している。
この街が「世界のサウナ地域(Sauna Region of the World)」を名乗るのも、突然の思いつきではない。何世代にもわたって身体を温め、休め、回復させてきた生活文化の土壌の上に、大学の研究も企業の集積も育ってきたのだ。
視察中、現地で出会った女性がフィンランドのホリデー文化を3つの言葉で説明してくれた。フィンランドの休暇は、必ずしも遠くへ出かけたり、特別なものを消費したりすることを意味しない。湖畔の小屋でサウナに入り、森を歩き、水に入る。政策文書では「人々のウェルビーイング」と抽象的に表現されるものが、この国では具体的な時間の過ごし方として、暮らしの中に組み込まれている。
デジタル機器から離れ、アルコールを介さず、肩書きに関係なく同じ空間に居合わせる。現代社会が抱える疲労や孤独に対して、サウナはどう機能するのか。その問いを議論する場として開かれたのが「World Sauna Forum」だ。
幸福をテーマにした、世界で最もリラックスしたビジネスイベント
World Sauna Forumは、2010年に設立された業界ネットワーク「Sauna from Finland」が主催する国際イベントだ。同団体には、世界各地のサウナ関連企業・団体200以上が加盟している。8回目となる2026年のフォーラムには、30カ国以上から参加者が集まった。

ヴァルプ・ルシラ氏による、World Sauna Forum 2026開会のスピーチの様子(筆者撮影)
今年のテーマは、「The Sauna Knows: New Conversations on Happiness(サウナは知っている──幸福をめぐる新しい対話)」。折しも2026年3月、フィンランドは「世界幸福度報告書」で9年連続の首位となった。
ただし、フォーラムで語られた幸福は、国別ランキングや個人の気分だけを指すものではない。人が安心して休めること。誰かと無理なくつながれること。自然や自分の身体との関係を取り戻せること。そして、そうした時間や場所を、社会の中で持続可能な形にしていくこと。サウナを入り口に、ウェルビーイングを支える文化、科学、コミュニティ、事業のあり方が議論された。
フォーラムのホストを務めたのは、ヴァルプ・ルシラ氏。フィンランド文化を世界に伝えるオンラインコミュニティ「Her Finland」の創設者で、月間35万人が彼女の発信に触れる、この国きっての文化の語り手だ。彼女が開会で発した問いが、イベント全体の性格を物語っていた。「フィンランドのサウナ文化を世界に広げるとき、私たちは実際のところ、何をつくっているのか?」。答えは売上でも美しい内装でもない。人々が「ここに居ていい」と感じられる場所であり、世界中のコミュニティがともにスローダウンし、つながり、回復するための空間だ、と彼女は言った。
続いて、東フィンランド大学でサウナ文化を研究する民俗学者ダルヴァ・ランミンマキ氏が開会の言葉に立った。叙事詩カレワラの一節を引いたあと、彼女は会場を見渡して言った。「あなたたち全員が、生きたサウナ文化の守り手です。文化は凍結保存するものではなく、生かし続けるもの。水を運び、火を焚き、それを繰り返す。世代から世代へ、人から人へ」。
2日目には、日本のサウナブームを牽引してきたTTNEの松尾大氏と秋山大輔氏が登壇した。「ととのう」という言葉を生んだ入浴作法「型」の思想と、大阪・関西万博で実現した世界初の万博サウナ「太陽のつぼみ」、メルボルンでの新展開。「型は日本のものではなかった。人間のものだった」という結論に、会場は沸いた。
なぜいま、世界はサウナに向かうのか
ここで最初の問いに向き合いたい。世界ではなぜ、サウナ人気が加速しているのか。
フォーラムで見聞きした限り、答えは大きく3つある。第一に、デジタル疲れだ。Harvia本社での講演でCEOのマティアス・ヤルネフェルトは、通知と情報過多と生産性への圧力に晒され続ける時代に、サウナは日常から切断され、心と身体を取り戻せる数少ない場所だと語った。スマートフォンを持ち込めない高温の部屋は、現代人が自分に「オフライン」を許可できる、ほとんど唯一の空間になりつつある。
第二に、孤独である。世界的に若い世代の飲酒量が減り、パブやバーに代わる「アルコール抜きで人とつながれる場所」が求められている。フォーラムには英国のコミュニティサウナ運動の担い手、ポリー・ウィルソン(ロンドンの公衆サウナ「Community Sauna Baths」の運営者)も登壇し、地域の誰もが安く使えるサウナが、健康施設であると同時に孤独対策のインフラとして機能している実態を報告した。
そして第三に、参入のハードルの低さだ。ジムは体力を、ヨガは柔軟性を、瞑想は訓練を求める。多くのウェルネスには「うまくできる/できない」があり、そこで比べられ、脱落する人が出る。サウナには技術も優劣もない。座っていればいい。服も肩書きも脱いでいるから、地位も収入も見えない。誰にでも居場所があり、誰でもリラックスできる。この心理的ハードルの低さが、国も文化も超えてサウナを広げている。ヤルネフェルト氏の講演で最も印象に残った一言は、これを言い当てていた。
“Sauna doesn’t demand anything. It just gives.”──サウナは何も要求しない。ただ与えるだけだ。
こうして並べると、サウナブームの正体が見えてくる。世界が買い求めているのは熱ではない。休息、つながり、居場所──現代の生活から失われつつあるものだ。そしてこれらは、フィンランドがウェルビーイングエコノミーで「成長の資本」と呼び直しているものと、そっくり同じである。世界のトレンドと、この国の国家戦略は、同じ欠乏に対する2つの応答なのだ。

World Sauna Forumでは実際に様々なサウナを体験しながら他の参加者とネットワーキングができるポップアップサウナも開催された。(筆者撮影)
科学と政策:エビデンスが「投資」を決める
フォーラムの中核には科学があった。ユヴァスキュラ大学教授でもある循環器内科医ヤリ・ラウッカネンは、フィンランド人男性2,315人を長期追跡し、2015年のJAMA Internal Medicine誌で、週4〜7回サウナに入る人は週1回の人に比べ突然心臓死のリスクが有意に低いことを示した。男女を含む2018年の後続研究(BMC Medicine誌)では、週4〜7回の利用者の心血管死亡率は1,000人年あたり2.7件と、週1回の利用者の10.1件を大きく下回った。
エストニアからは、エダ・ヴェーロヤが登壇した。南エストニア・ヴォロマー地方でスモークサウナ農場「Mooska」を営む女性で、この地方のスモークサウナの伝統が2014年にユネスコ無形文化遺産に登録される立役者となった人物だ。癒しの儀礼としてのサウナを日々実践する彼女の提案は、率直だった。メンタルヘルスの不調に対して医師が最初に処方するのが抗うつ薬ではなく、2週間の休養と、就寝前の見守り付きサウナセッションになり、その費用を公的医療保険が負担する──そんな医療の姿を夢見ている、と。
90億ユーロを削る国では、あらゆる支出が「これはコストか、投資か」という問いにさらされる。どの支出が人々の健康と将来の医療費削減に効くかで資源配分を決めるウェルビーイング・バジェッティングの発想に立てば、エビデンスを得た文化的習慣は、予防投資の候補として政策の机に載る。英国の社会的処方(医師が薬の代わりに運動や社会参加を処方する仕組み)にサウナを組み込もうとするポリーたちの実践は、その先行例だ。
エダはもう一つ、記憶に残る言葉を残した。「ユネスコがサウナに入ってくれるわけではありません。私たちがサウナに入り続けるしかないのです」。認定も追い風も、文化を生かしはしない。生かすのは日々の実践だけ。ダルヴァ氏の開会の言葉と、同じことを言っている。
ムーラメのHarvia本社で
フォーラム最終日の朝、参加者の一部とともに隣町ムーラメのHarvia本社を訪れた。1950年にユヴァスキュラで創業したHarviaは、売上高とグローバル展開で世界最大のサウナ企業である。2018年にナスダック・ヘルシンキに上場し、2025年通期の売上高は1億9,890万ユーロ。製品は世界約100カ国で使われ、本社工場は世界最大のヒーター工場として1日およそ1,000台を送り出す。鋼板の加工から溶接ロボット、組立、出荷までを実際に歩いて見た。

ハルビア本社への視察は同社CEOのマティアス・ヤーネフェルト氏が迎えてくれた。今の最先端は、中央フィンランドモビリティ財団(CEFMOF)と共同開発した水素サウナだという(筆者撮影)
Harviaが面白いのは、ヒーターを売るだけでなく、サウナの科学に投資している点だ。大学と連携してロウリュ(蒸気)の熱伝達や身体への影響を研究し、成果を囲い込まずに公開する方針を掲げる。この日は医師エミリア・ロンカの講義もあり、更年期前後の女性ホルモンの変化にサウナがどう作用しうるかという、従来手薄だった研究領域への取り組みが紹介された。
敷地内のサウナヴィレッジには、この旅で最も未来的な一室があった。HarviaがトヨタとCefmof(2024年設立の中央フィンランド・モビリティ財団。水素技術によるユヴァスキュラのカーボンニュートラル達成を支援する)の協力で開発した、世界初の水素燃焼サウナである。水素を燃やして出るのは熱と湿度。サウナに必要なものだけで、排出はほぼゼロ。参加者が競うように試していた。国が水素や蓄電池などネットゼロ産業を税制で後押しし、R&Dを法で守る。その同じ方向を、サウナヒーターの会社が走っている。
文化の現物を残す、サウナキュラ
ヤムサ地域の「サウナキュラ(Saunakylä=サウナビレッジ)」は、1700年代から1940年代の歴史的スモークサウナ24棟が移築・保全されている場所だ。ここは単なる博物館ではなく、実際に火が焚かれ、歴史あるサウナを体験できる「生の文化遺産」である。
ボランティアベースの協会が運営を担い、伝統的なサウナの修復作業を通じて社会復帰を目指す人々への職業訓練を行うなど、社会的包摂の場にもなっている。
企業による製品開発も、大学の研究も、すべてはこうした現場に残る「本物の文化の原型」があってこそ成り立つ。サウナキュラは、産業や科学が迷ったときに戻るべき原点を守り続けているのだ。

サウナキュラについて説明してくれたスーザンさん。大きさも形も全く違う歴史的サウナが点在しており、訪れた人はそれらをひとつずつ試していく。熱くなったら目の前のパイヤンネ湖でクールダウン。(筆者撮影)
サウナブームの先にあるものは?
旅の最初の問いに戻る。世界のサウナブームはなぜ起きているのか。それは、休息、つながり、居場所という、現代の生活が削ってきたものへの渇きが、世界中で臨界点を超えたからだ。そしてフィンランドのウェルビーイングエコノミーとは、その渇きに国家レベルで応える仕組みである。健康や信頼や居場所を、成長のあとに配る「ご褒美」ではなく、成長を支える「資本」として扱い、財政危機の中でも法と制度で守る。サウナは、その考え方を誰もが5分で体感できる、最も身近な入口だった。
ユヴァスキュラで見たものを最後に並べたい。生活文化としてのサウナ。それを科学で裏づける大学。製品と研究に翻訳して世界に届ける企業。予防投資として制度に組み込もうとする政策。そして原型を生きたまま残す市民の協会。一つの文化のまわりに、研究と産業と政策と市民活動が揃って立っている。この配置こそ、ウェルビーイングエコノミーの実物なのだろう。
日本には温泉があり、銭湯がある。身体を温め、他人と居合わせ、回復するための文化なら、私たちも千年分持っている。足りないのは文化ではなく、それを健康と孤独対策と地域経済の資本として扱う設計のほうだ。高齢化と財政制約の先を行くフィンランドが、その設計図を先に描いて見せてくれている。
北の光は、遠くの理想を照らしているのではない。足元にある豊かさを照らしているのではないだろうか。
(取材協力:ユヴァスキュラ市、World Sauna Forum事務局)
【参照サイト】World Sauna Forum「Programme 2026」
【参照サイト】Sauna from Finland
【参照サイト】Ministry of Social Affairs and Health, Finland「Wellbeing economy」
【参照サイト】Finnish Government「Orpo’s Government: Decisions aim to prevent public finances from spinning out of control」(2024年4月)
【参照サイト】State Treasury Finland「The national plan to raise R&D funding」
【参照サイト】Visit Jyväskylä Region「Sauna – the Sauna Region of the World」
【参照サイト】World Happiness Report 2026
【参照サイト】Laukkanen, T. et al.「Association Between Sauna Bathing and Fatal Cardiovascular and All-Cause Mortality Events」JAMA Internal Medicine(2015年)
【参照サイト】Laukkanen, J.A. et al.「Sauna bathing is associated with reduced cardiovascular mortality and improves risk prediction in men and women」BMC Medicine(2018年)
【参照サイト】Harvia Plc「Q4 2025: Growth in all sales regions continued」
【参照サイト】Toyota Motor Corporation「Harvia and Toyota Co-Develop Concept Model for Hydrogen Sauna」(2025年6月)
【参照サイト】Cefmof「Hydrogen Sauna Project」
【参照サイト】Saunakylä – Sauna Village
【参照サイト】UNESCO「Smoke sauna tradition in Võromaa」
Edited by Megumi






