GDP成長だけでなく人々のウェルビーイングを経済政策の中心に据える「ウェルビーイングエコノミー」が、各国・地域の政策で存在感を増している。
その旗振り役のひとつがフィンランドだ。同国は2019年のEU理事会議長国時代に「ウェルビーイングエコノミーに関する結論」の採択をリード。ウェルビーイングを成長の「成果」ではなく成長を生み出す「条件」と再定義し、2023年には国家アクションプランを策定するなど、政策設計の中心に据えてきた。
では、その理念は実際の「場」で、どのような形をとるのだろうか。
本連載では、都市、自然、文化という三つの現場を訪ね、フィンランドにおけるウェルビーイングエコノミーの実装を報告する。第1回の舞台は、フィンランド北部最大の都市・オウル。ここで見えてきたのは、ウェルビーイングを社会政策だけに閉じ込めず、研究開発、企業活動、教育、文化、自然環境と結びつけようとする都市の姿だった。
テクノロジーの街が、文化首都に転身した理由
ボスニア湾沿いに位置するオウルは、ヘルシンキから約600キロ北、人口約22万人のフィンランド第5の都市だ。長くNokiaを中心とする通信技術の街として知られ、大学、研究機関、企業が近接する北欧有数のテクノロジー都市として発展してきた。
そのオウルが2026年、「欧州文化首都(European Capital of Culture)」に選ばれた。EUが1985年から続けるこの文化事業のもと、「オウル2026」として一年を通じて文化プログラムが展開されている。共通テーマは「Cultural Climate Change(文化的な気候変動)」。文化を通して人々を結び、考え方や地域の文化的環境に持続的な変化をもたらそうとする構想である。プロジェクトの舞台はオウル市内だけに限られない。プロジェクトには次回訪れるクーサモを含む北部39自治体が参加し、広大な地域が一つの文化圏として提示されている。
実際に歩いたオウルの街は、想像以上に賑やかだった。中心部のいたるところにオウル2026の幕が揺れ、美しい花々で彩られ、広場ではイベントの設営が進み、川辺には人が集まる。テクノロジーの街が文化の年を祝っている──だがそれは、テクノロジーから文化への「転身」ではない。取材を通じて見えてきたのは、文化とウェルビーイングを次の成長の基盤に据えるという、計算された都市戦略だった。
骨格としての都市戦略「Nordic Shine! – Oulu 2035」
その構造を最も端的に示すのが、オウル市議会が2026年に承認した都市戦略「Nordic Shine! – Oulu 2035」だ。日本語にすれば「北の輝き」といった意味になる。
戦略は、2035年までに人口24万人を達成し、毎年2,000の新規雇用を生み出すという明確な成長目標を掲げる。その一方で、都市は「人々のウェルビーイングと周囲の自然を強化する形で成長する」と明記されている。
掲げられるのは「オウルは、人間らしい活力、文化、そして未来を切り拓く力によって輝く」。安全、高い生活の質、質の高い教育、円滑に機能する日常が、人口や雇用の目標と同じ文書の中に位置づけられている。つまり、オウルはウェルビーイングのために成長を諦めたのではなく。むしろ、人口と雇用を増やす意思を明確にしている。ただし、その成長は生活の質、教育、文化、自然から切り離されていない。

オウル市の都市戦略「Nordic Shine! – Oulu 2035」は、人口と雇用の成長を、人々のウェルビーイングや自然環境の向上と同時に進める方針を掲げる。(出典:オウル市)
Nokiaの街が学んだこと──技術だけでは都市は続かない
なぜオウルが、こうした統合的な都市戦略を必要としたのだろうか。その背景を理解するには、この街がNokiaとともに経験した構造転換を振り返る必要がある。
オウルは1970年代以降、Nokiaの工場進出や北欧初のサイエンスパーク設立を経て「北欧のシリコンバレー」と呼ばれるまでに成長した。しかし、特定の大企業に依存しすぎた代償は大きかった。研究によると、スマートフォン競争でNokiaが低迷した2010年代前半、オウル地域では数千人の技術者が解雇され、失業率は18%を超えたという。
ここでオウルが行ったのは、単なる失業対策ではなかった。「Nokia Bridge Program」などを通して離職者の再就職・起業を強力に支援。オウル市などの支援を受け、Nokiaを離れた技術者らが立ち上げた起業家コミュニティ「Yritystakomo」には、延べ1,000人以上が参加し、100社を超える企業やスタートアップが誕生した。
Nokia後のオウルで起きたのは、大企業の中に閉じていた知識と人材の、地域全体への再配置だった。この経験は、現在の都市戦略を読み解く重要な背景の一つでもある。高度人材が街に残り、企業が投資し続けるためには、仕事だけでは足りない。教育、文化、生活の質、自然、国際性が必要だ──技術だけでは都市は持続しないという学びが、「Nordic Shine!」に刻まれている。
ウェルビーイングは、R&D都市の競争力である
現在のオウルの産業を支える仕組みの一つが、2009年に設立された「Oulu Innovation Alliance(OIA)」だ。市、オウル大学、VTT(フィンランド技術研究センター)などが産学官連携で研究開発から事業化までを一体で進めており、現在はICT、ヘルスケア、クリーンテックなどを軸にプログラムを展開している。さらにオウル大学の「6G Flagship」に代表される先進研究の蓄積もあり、2024年の欧州イノベーション首都賞(Rising Innovative City部門)で3位に選ばれるなど、欧州有数のイノベーション都市として評価されている。
では、ウェルビーイングはこの産業構造とどうつながっているのか。取材に応じたオウル市長アリ・アラトッサヴァ氏は、オウルを「若く、教育水準が高く、国際的で、幸福な都市」と表現した。

住民参加型の気候政策でEU表彰を受けたイー市の市長を経て、現在は欧州文化首都Oulu2026と都市戦略「Nordic Shine! – Oulu 2035」を軸に、文化、技術、持続可能な成長を結ぶまちづくりを進めるオウル市長アリ・アラトッサヴァ氏(筆者撮影)
その根拠として市長が挙げたのは、住民の平均年齢が約40歳であること、成人の約40%が高等教育機関の学位を持つこと、フィンランド語、スウェーデン語、サーミ語以外を母語とする住民が約7%を占めること、そして企業によるR&D投資が年間約10億ユーロに上ることだった。印象的だったのは、市長が人口構成や教育、研究開発を、「経済」と「ウェルビーイング」に分けず、一続きの文脈で語っていたことだ。
多くの場合、経済成長とウェルビーイングは別々の政策領域として説明される。しかし、オウルでは両者が循環するものとして捉えられている。暮らしやすい都市には人材が集まり、人材がいる場所に企業や研究開発投資が集まる。そこで生まれた雇用や技術、税収が、教育や都市環境、公共サービスを再び支えていく。オウルにとって、ウェルビーイングは経済成長の「成果」ではなく、成長を持続させるための「条件」なのだ。
R&D拠点の立地は、コストや補助金だけでは決まらない。必要な人材を採用できるか、そして人材とその家族がその街に住み続けたいと思えるかが重要になる。市長が誇らしげに語った約1,000キロメートルに及ぶ自転車道(冬でも利用可能)や市民に親しまれるパブリックランイベントは、単なる健康施策ではない。日常の暮らしのインフラそのものが、優秀な人材を引きつけ定着させる産業基盤なのである。
水辺を歩けばわかる、「日常のウェルビーイング」の設計
その設計思想は、街を歩くと身体でわかる。
滞在中、筆者はボスニア湾に面したビーチリゾート、ナッリカリ(Nallikari)に案内された。白夜の季節、海辺には散歩やピクニックを楽しむ人々の姿がある。興味深いのは、この同じビーチが冬にはまったく別の顔を持つことだ。
毎年2月末から3月、凍結した海の上では、エレクトロニック・ミュージックと北方アートの国際フェスティバル「Frozen People」が開かれる。オウル2026の公式プログラムにも組み込まれたこの無料フェスは、米国のBurning Manに着想を得て、氷点下の海氷上でDJと観客が踊るという、世界でもここにしかない風景をつくり出す。フェスのない冬の日には、人々は同じ氷の上でアイスフィッシングやテントサウナを楽しむという。人が少なく、暗く、閉じこもりがちな冬を「祝祭と遊びの季節」へ読み替える──北部都市のウェルビーイングとは、気候を克服することではなく、気候とともに楽しく生きる設計なのだ。
サウナも、この日常設計の中核にある。筆者はオウル川に浮かぶフローティングサウナ「Lainesauna」、川辺で輝くモダンサウナ「Olosauna」、そして夏の夕方に開かれていた「Oulu Sauna Festival」を訪れた。伝統サウナから移動式サウナ、デザインサウナまでが川辺に並ぶこの祭典が示すのは、サウナが観光コンテンツである以前に、市民が水辺で身体を休め、他者と語らう公共空間だということだ。
かつてタール輸出で栄えた小島ピキサーリでは、ブルワリー・レストラン・サウナが一体となった「Mallassauna」で夕食をとった。ここには無料で入れるサウナもあり、クラフトビールとローカルフードとともに、現代フィンランドの社交空間として賑わっていた。健康、交流、水辺へのアクセス──ウェルビーイングエコノミーの「見えないインフラ」が、この街では物理的な形を持っている。

水辺に輝くモダンサウナ「Olosauna」は企業のチームビルディングなどにも人気だ(筆者撮影)
文化は、都市のアイデンティティをアップデートする
オウル2026の取り組みも、この文脈に位置づくとわかりやすい。自然の中にアートを配置するプロジェクトや北極圏の食文化発信、テクノロジーとアートの融合フェスなど、500を超える多彩なプロジェクトが展開されている。
象徴的なのは、オウル市庁舎そのものが展覧会場になり、フィンランド国立美術館のコレクションから現代メディアアート展が通年開催されていることだ。行政の中枢がアートに開かれ、世界レベルの作品が日常の中に存在する。これらは単なる観光集客イベントではない。「テクノロジーの街」から「文化と創造性の街」へと、都市の自己認識(アイデンティティ)をアップデートする試みなのだ。
Nokia時代に培われたエンジニアリングの街に、デザインとクラフトの層が重なりつつある。文化は成長の「あとの余白」ではなく、人々が暮らしたいと思える都市をつくるための、R&D都市戦略の一部なのである。

美しい花々の咲き誇る夏のオウル市役所前(筆者撮影)
サーキュラーエコノミーはウェルビーイングと産業をつなぐ
社会と産業の連結は、環境政策にも貫かれている。市戦略は2035年のカーボンニュートラルを目標に掲げ、オウルは2020年に欧州のCircular Cities Declarationに署名、2021年には「学習する循環都市」を掲げる循環経済ロードマップを策定した。地域の廃棄物処理会社Kiertokaariが運営する実証拠点「Ruskonniitty」では企業が循環型ビジネスを実費で試すことができ、隣接するルスコ地区ではエネルギー企業の廃棄物選別プラントやバイオガスプラントが連携する産業共生のエコシステムが動く。ニッケルやコバルトなどEUの重要原材料政策に関わる鉱物資源を抱える北部フィンランドにとって、循環経済は廃棄物削減ではなく、北部の資源をどう使い、地域に価値を残すかという産業戦略なのだ。オウル2026もまた「最も持続可能な欧州文化首都」を掲げ、イベント運営を低炭素・循環型ソリューションの実験場にしている。
そして北部都市にとって、気候変動は抽象論ではない。市長は、以前は確実だった冬の海氷やクリスマスの雪が、もはや100%ではなくなったと語った。
雪は冬の暗闇を照らす光でもある。気温がマイナスに下がり切らずに0度前後を行き来すれば地面が凍り、トナカイが餌を取れなくなる。海氷の上で踊るFrozen Peopleのようなフェスティバルも、海が凍らなければ成立しない。オウルの気候政策は、環境政策であると同時に、北部の暮らしと文化そのものを守る政策でもある。
社会と産業をつなぎ、成長と幸福を対立させない
オウルから学べるのは、個別施策の模倣ではなく、政策の「接続」である。大学を地域産業とウェルビーイング政策の共通基盤にすること。大企業依存の崩壊を、再教育と起業支援による知識の地域内循環へつなげること。循環経済を廃棄物政策から産業共生へ広げること。文化政策を観光イベントではなく、人材誘致と地域アイデンティティに結びつけること。人口減少や大企業依存、若者流出に悩む日本の地方都市にとって、これらは決して遠い話ではない。
ウェルビーイングエコノミーは、しばしば経済成長の対立概念として語られる。しかしオウルが見せているのはその逆だ。人が良く生きられる環境が人材を呼び、人材が研究と産業を呼び、その果実が再び暮らしと自然に還元される。社会政策と産業戦略が、一つの円環として設計されている。「北の光」が照らしているのは、極夜の街路だけではない。成長と幸福を対立させない、都市の未来である。
もっとも、ウェルビーイングエコノミーの現場は都市だけではない。次回は、オウルから東へ約3時間、ロシア国境にほど近い森と湖の地域ルカ=クーサモを訪ねる。国立公園とトナカイ牧畜の地で、自然そのものを損なわずに価値へ変えるサステナブルツーリズムは、どう設計されているのか。都市とはまったく異なる風景の中に、同じ思想の別の実装を見ていきたい。
(取材協力:ビジネスオウル、オウル2026)
【参照サイト】City of Oulu「Oulu City Strategy – Nordic Shine! – Oulu 2035」
【参照サイト】Oulun kaupunki「Valtuusto hyväksyi kaupunkistrategian Pohjoisen loiste! – Oulu 2035」
【参照サイト】Ministry of Social Affairs and Health, Finland「Wellbeing economy」
【参照サイト】Council of the European Union「Economy of Wellbeing: the Council adopts conclusions」(2019年10月)
【参照サイト】Oulu2026「Culture Programme」
【参照サイト】University of Oulu「Oulu2026 event calendar has been published」(2025年9月)
【参照サイト】European Commission「Two European Capitals of Culture in 2026」
【参照サイト】Simonen, J. et al.「Creative destruction and creative resilience: Restructuring of the Nokia dominated high-tech sector in the Oulu region」Regional Science Policy & Practice(2020年)
【参照サイト】Kiuru, P., Handelberg, J. & Rannikko, H.「Bridge It Up – The impact of startup services offered for employees: Case Nokia’s Bridge Program」Aalto University(2013年)
【参照サイト】Oulu Innovation Alliance「What is the OIA?」
【参照サイト】University of Oulu「6G Flagship」
【参照サイト】European Innovation Council「iCapital 2024-25 winners: Oulu (Finland)」(2024年11月)
【参照サイト】PROTO – Designers’ Association of Northern Finland.
【参照サイト】Smart City Oulu「Ruskonniitty – Centre for Circular Economy」
【参照サイト】European Commission「Critical Raw Materials」
【参照サイト】parkrun「Oulu launches the world’s northernmost parkrun – Pokkinen parkrun」(2021年9月)
【参照サイト】Futurevents / Oulu「The Most Sustainable European Capital of Culture」
Edited by Megumi






