Busing(強制バス通学)とは・意味
Busing(強制バス通学)とは?
Busing(バス通学)とは、アメリカの人種分離を是正する手段として、生徒を地元の学区内または外の学校に通わせる慣習を指す。この取り組みに反対する人たちの間ではしばしば「forced busing(強制されたバス通学)」とも表されるため、このページではそのように記している。また「desegregation busing(差別撤廃に向けたバス通学)」とも呼ばれることがある。
1954年、アメリカの学校は「ブラウン対教育委員会事件(ブラウン事件判決)」と呼ばれる裁判により、表向きは人種隔離が撤廃された。この裁判は、アメリカ最高裁が公立学校における黒人系と白人系の別学を定めた州法を違憲と認めたものである。
だが実際には、人口動態の変化や郊外への白人系アメリカ人の流出、レッドラインなどの差別的な住宅慣行のために、アメリカの多くの地域は分離されたままだった。また、都市の学区枠の引き方と相まって、学校も依然として分離されたままであった。
Busingは、裁判所がアメリカの学校における人種分離を終わらせようとした主な手段である。1971年に最高裁が「スワン対シャーロット・メクレンバーグ教育委員会事件」の判決を下すと、下級裁判所は学校の人種差別撤廃を効果的に行うため、バス通学を義務付けるようになった。
物議を醸したBusing
Busingは、より多様性のある教室を作り、人種間による学力差と機会差を縮めるために考案されたものである。黒人系の生徒は白人系の多い学校へ、白人系の生徒は黒人系の多い学校へと、それぞれスクールバスで通うようになり、学校が居住地から遠く離れた地域にあることも多くなった。
Busing賛成派は、学校を効果的に統合し、学校における人種分離を是正するためには、必要な取り組みであると主張した。
一方でBusing反対派は、学校における人種分離の是正にも反対しており、バスで通学する地域は治安が悪く、その結果、子どもたちの教育が全体的に悪くなると主張した。また、学校と自宅が離れていることで、子どもたちの送迎にかかる時間が増え、勉強や宿題に使える時間が減ってしまうこと、課外活動や共同活動への参加、親のボランティア活動や学校への参加を低下させる原因になるとして、Busingに異論を唱えた。バスやその他の交通手段を毎日何台も長距離運行させることによる予算への影響も懸念した。
多くの場合、中・上流階級の白人系家庭は、Busingの影響を受けた都市部から離れ、周辺の郊外へ定住するようになった。このような移住は「white flight(ホワイトフライト)」と呼ばれる。ホワイトフライトにより、地区が裁判所の命令による人種差別撤廃の義務を果たすことは難しくなった。さらに、都市部に留まることを選んだ白人系アメリカ人は、子どもを私立学校または教会学校に入学させる傾向が強かった。
ボストンでは、暴力的なBusing反対運動が起こった。1974年、連邦判事がボストンにBusingによる公立学校の人種差別撤廃を命じると、白人系住民たちから猛烈な批判が殺到した。黒人系の子どもたちを乗せたスクールバスにレンガや瓶をぶつける者もいれば、デモ隊が学校に押し寄せる事態となった。この暴動は全米の注目を浴びた。
強制的なバス通学の義務化を廃止へ
裁判所命令による人種差別撤廃の努力は続けられたが、Busingの取り組みは完全な学校統合には至らなかった。暴力的なBusing反対運動が起きたボストンでは、公立学校からのホワイトフライトとジェントリフィケーション(高級住宅地化)、継続的な住居分離が進み、子どもたちが近隣の学校に通うことを許可するというボストン公立学校の最終的な決定は、学校の人種再隔離を招くことになった。
1974年にはGeneral Education Provisions Act(GEPA:一般教育規定法)が成立したことで、Busingに連邦予算が充当されることが禁止され、多くの地域でBusingが自主的に行われるようになった。自主的なBusingは1970年代まで続いたが、1980年代前半にピークを迎える。
黒人系の指導者たちはBusingについてさまざまな意見を述べており、活動家のジェシー・ジャクソンや全米黒人向上協会(または全米有色人種地位向上協会:National Association for the Advancement of Colored People、NAACP)の幹部などは、Busingの取り組みや政策を指示した。しかし、多くの黒人系民族主義者は、むしろ黒人コミュニティの学校の強化に焦点を当てるべきだと主張した。
アメリカの世論調査会社ギャラップによって行われた1981年2月の調査によると、アメリカの黒人系の60%がBusingに賛成し、30%が反対している。白人系では、17%がBusingに賛成し、78%が反対している結果となった。
ダートマス大学の歴史学教授であるマシュー・デルモントは著書『Why Busing Failed: Race, Media, and the National Resistance to School Desegregation』の中で、Busingの問題で大きな論争を巻き起こす議題となったのはBusingそのものではなく、「公立学校における違憲の人種差別であった」と書いている。
結局、裁判所が命じたBusingは、アメリカ全土の公立学校の生徒の5%未満にしか適用されず、デルモント氏は同書で「学校当局、政治家、裁判所、報道機関が、黒人系生徒の権利よりも親の願望を重視したため、公立学校の人種差別撤廃をより完全に行うことはできなかった」と書いている。
1990年代に入ると、裁判所の判決により、学校区は裁判所が定めた人種差別撤廃計画の必要性がなくなったと判断された。
裁判所は、地域の自主的なBusingを制限するようになった。2007年の最高裁判決(Parents Involved in Community Schools vs. Seattle School District #1)では、地区が人種差別撤廃を推進する方法が制限された。この判決では、ある学区が、その学区の人種構成を学区全体の構成と一致させるために生徒を学校に割り当てる際、人種を要因として用いることは、過去における事実上の分離の歴史を是正しない限り、違憲であると判断している。
現代でもBusingは論争の的となっている
現代でもBusingは議題として挙げられている。2019年に行われた第2回民主党大統領選討論会で、カマラ・ハリス上院議員(現アメリカ第49代副大統領)は1970年代にジョー・バイデン元副大統領(現アメリカ第46代大統領)がBusingに反対したことについて触れた。
この討論会でバイデン氏は、40年以上前にBusingに反対していたこと、また人種分離主義者の上院議員を賞賛していたことから、今日の民主党のあり方を背景に精査されることになった。
バイデン氏はハリス氏に対し「私はBusingに反対したわけではない。私が反対していたのは、教育省がBusingを義務付けていたことに対してだ」と答えた。
ニューヨーク・タイムズはウェブサイトで、バイデン氏が人種差別撤廃に関する自身の記録が誤って伝えられているとし、白人系と黒人系の生徒を別々の学校に通わせるという差別的政策の善後策としてBusingを支持していると主張した、と書いている。
だが同誌は、1975年から1982年まで、バイデン氏がBusingを義務付ける連邦機関や裁判所の権限を厳しく制限することを目的とした12本近い法案を推進したことを記している。
バイデン氏は、Busingは学校に人種的な定員を強制させる割当制度に過ぎないと述べていた。また「統合は重要だが、郊外に公営住宅を建てるなど、もっと他の方法で達成できるはずだ」というのが、バイデン氏を含む反対派の意見であった。
学校における人種の分離は続いている
Busingそのものは20年前に廃止された、と2019年にタイム誌はウェブサイトにて書いているが、その記事のタイトルには「今日、私たちの学校は再び分離されている」ともある。
今日、アメリカの多くの学区では、大部分が分離されたままだといわれている。
たとえば、1971年、アメリカにBusingの門戸を開いたノースカロライナ州シャーロットにあるウェスト・シャーロット高校は、当時、学生の40%が黒人系、60%が白人系で学校統合の全国的なモデルだった。そこから40年以上経った今、シャーロットでのBusingが廃止となった今では、黒人系が88%、白人系が1%となっており、有色人種が大半を占める。
ボストンでは、市民の54%が白人系だが、ボストン公立学校の生徒のうち、白人系は14%である。2018年時点では、ボストン公立学校の半数以上が1965年当時よりも人種隔離が深くなっており、多くの学校では在籍する生徒の90%以上が有色人種の生徒となっている。
また非営利団体EdBuildが2019年に発表した報告書によると、アメリカの子どもの半数以上が生徒の75%以上が白人系、または75%以上が非白人系である地区の学校に通っている。
ノースカロライナ大学シャーロット校社会学部教授のロズリン・ミケルソンはドキュメンタリー報道を専門とするレトロレポートの動画内で、「アメリカの学校は、1970年代以前に見られたような分離のレベルに近づいている」と述べている。
加えてレトロレポートは、黒人系やラテンアメリカ系の生徒の通常65%近くが貧困層の学校に通っていると伝える。Busingは所得水準や社会階層の異なる生徒を混在させられることが利点の1つとして挙げられていた。Busingの取り組みが解体された今、人種的にも経済的にも隔離が進んでいるとされる。
タイム誌の記事を執筆したグロリア・J・ブロウン=マーシャル(ジョン・ジェイ刑事司法カレッジの憲法学教授)は、今も昔も、人種差別撤廃という恩恵が、人種的なステレオタイプ(固定観念)を打ち壊すと書きつつも、記事の締めくくりにこう疑問を投げかける。
Educational equality is a form of reparations and an investment in America’s future. America created apartheid with Plessy v. Ferguson. Any desegregation plans must be a shared burden. But are we willing to take it on?
教育的な平等は償いの形であり、アメリカの未来への投資である。
アメリカは「プレッシー対ファーガソン裁判」(「分離すれど平等」の主義のもと、公共施設での白人専用等の黒人分離は人種差別に当たらないとし、これを合憲とした裁判)でアパルトヘイトを生み出した。いかなる人種差別撤廃計画であっても、負担を分かち合うものでなければならない。だが、私たちはそれを喜んで引き受けるだろうか。
Busingの取り組みは完全な学校統合には至らず、学校における人種再隔離も招いたが、取り組みそのものが無駄であったとは言い難い。Busingによる課題も、Busing廃止により生じた課題もふまえて、新たな人種差別撤廃計画に取り組むことが重要なのではないだろうか。
【参照サイト】Busing | Definition, History, & Facts | Britannica
【参照サイト】What is busing? | CNN Politics
【参照サイト】What Led to Desegregation Busing—and Did It Work? – HISTORY
【参照サイト】How Joe Biden Became the Democrats’ Anti-Busing Crusader – The New York Times
【参照サイト】ボストン・スクール・バスィング論争再訪
【参照サイト】Can Affirmative Action Survive? | The New Yorker
【参照サイト】Desegregation Busing | Encyclopedia of Boston
【参照サイト】20 Years After Busing Ended, Schools Are Again Segregated | Time
【参照サイト】The Battle for School Busing | Retro Report | The New York Times