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資源的人とは・意味

自然と子供達

資源的人とは?

資源的人(しげんてきじん)とは、建築家で東京工業大学教授の塚本由晴が提唱する造語。

ビジネスの世界で、経営活動を支えるヒト(人材)の能力やスキルなどの経済価値に注目した「人的資源」という言葉を、逆にしたものだ。

わかりやすく言うと、都会型の価値観で生き、消費社会に依存するヒトではなく、私たちの生活に必要な資源を、自分の身の回りから取り出せるヒトを指す。

2022年10月から2023年3月まで東京・南青山で行われた、世界の多様な事例をキュレートする企画展『How is Life? ー地球と生きるためのデザイン』でも登場したキーワードである。

「人的資源」から「資源的人」へ

2021年3月14日に開催された関東学院大学建築展主催の講演会「人的資源から資源的人へ」の中で、塚本氏は、都市型の暮らしへの移行によって、人間像がいつの間にか「人的資源」へと変わっていった様について、以下のように説明した。

20世紀から21世紀初頭にかけて、人々の暮らしは「民族誌的連関(Ethnographical Network)」から「産業社会的連関(Industrial society Network)」へと移行していった。自然の中での暮らしは都市化され、ローカルはグローバルに、閉鎖的なコミュニティはフルオープンなものに、身の回りの資源ではなく遠く離れた場所から運んできた資源が使われるようになっていく。

生産性をあげ、資本主義的な仕組みで循環させていく時代へと移行していくに従い、人間像もヒトを資源として捉える「人的資源」へと変わっていく。

都市では基本的に、産業が提供するサービスに依存し、食べ物やエネルギーなどをお金で買い、そのお金を稼ぐために働き、働くために良い人的資源になろうとする循環が生まれている。

しかし塚本氏は、「人的資源(経済価値のある人材)」とはあくまで「管理者側」の言い方だと述べる。もし人々が自分で食料を手に入れることができ、エネルギーを生み出すことができれば、誰もが人的資源にならなくていいかもしれないのではないかと。

むしろ、資源を自分の身の回りから取り出せる「資源的人」になり、資源的人が増えることで、20世紀型の社会システムへの違和感が発言しやすくなるはずだとも述べている。

資源的人による暮らしの事例

塚本氏が提唱する「資源的人」による暮らしは、かつての日本でも行われていた。

たとえば、東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク「アーキエイド」は、宮城県石巻市の牡鹿地区や雄勝地区での復興支援に関わっているが、同地域は1960年代頃〜80年代頃まで資源的人による生活が行われていたといえる。

まだ遠洋漁業が盛んだった頃、漁師たちが遠洋漁業で2〜3ヶ月くらい家を開ける中、集落に残った人々が棚田を杉林に変えていった。当時、米余りによる生産調整(減反政策)が始まり、加えて農林水産省の杉の植林政策で杉山への転換が促されていた。1980年代以降に北米から材木が安く輸入されるようになるまで、集落の人々はその杉林から木を切り出して活用していた。

当時の漁師の暮らしは、山からは建材を、海からは食料を、身の回りにある資源を自分たちの手で得ていたのである。

また、建築・都市批評誌のオンラインメディア『10+1 web site』の記事に、インドのウッタラカンド州での暮らしが紹介されているが、これも資源的人による暮らしの事例といえる。

その地域の地層は脆い岩盤層と土の層が重ねられてできている。その地域の人々は、その地層をうまく活用して畑と家を効率よく作り出す。畑を作るために岩盤の地層を起こすと、石の壁を積んで、屋根を葺(ふ)いて家にする。起こした岩盤の跡地に露出した柔らかい土の層は畑の基盤となる。

同記事では、マツの木の枝払い方法にも触れられている。日本では枝を切る際、枝の節が残らないようにするが、その地域では15cmくらい枝を残す。残った枝はハシゴの役割を果たす。残った枝をハシゴにして、高いところの木の枝を切り、それらは燃料となる。資源である自然物がそのまま建築物となるところにも資源的人の姿勢が表れている。

現代の暮らしが生み出す障壁

資源的人による暮らしでは、生活に必要となる資源と暮らしが密接に関わる。一方で、現代の暮らしは、身の回りの資源へのアクセシビリティを阻むものになっている、とこの資源的人の考え方ではされている。

塚本氏は講演で、アーキエイドが宮城県石巻市の漁村集落の再生を試み、集落の山林の木を使おうとしたところ、集落と山林の間には「マーケット(市場)」という障壁が生じており、かつて棚田を杉林へと変えていった集落の人々ですら、杉林という資源にアクセスできない状況にあった、と述べている。

また資源的人による暮らしは、経済的な観点からはその見え方が異なる。

岡橋秀典『新興経済大国・インドにおける低開発地域の変貌』(広島大学大学院文学研究科論集 第71巻、2011年)では、インドのウッタラカンド州は「山岳地域のため農地条件に恵まれず、専ら零細で自給的な農業を中心としてきた。他産業による就業機会も少なかったため、地域経済は後進性、低開発性を大きな特徴としてきた」と、地域経済としては後進的だと捉えられている。同州は19世紀末から、就業機会を求めた人々による人口流出も進んでいた。

同論文では、1990年代以降のインドの経済成長に伴い、山麓の平野部における大規模な工業開発やリゾート施設などの観光産業の進出がみられ、農業の商品経済化、都市化の進行など、地域経済の発展的傾向が顕著になっていることが記されている。しかしこの経済発展には問題点もある。工業化や観光開発を主導するのは域外資本であり、地域の経済的従属性が顕著になることが指摘されている。

インドのウッタラカンド州の経済発展からは、この地域もまた都市型の暮らしへと移行し、人間像が人的資源へと変わっていることがうかがえる。

資源的人のアプローチについて考える

現代の建築や都市、社会などは、そのほとんどが人的資源のために作られている。かといって、資源的人のアプローチは都市型の暮らしを逆行させるものでは決してない。

たとえば、熊本県熊本市は市民の水道水の100%を地下水で賄っているが、これもひとつの資源的人のアプローチではないかと考える。

熊本地域は降雨の多さと水が浸透しやすい地層という自然の恵みと、熊本城を築いた加藤清正が行った大規模な水田開発のおかげで、豊富な地下水の恩恵を受けている。水が浸透しやすい性質の土地に水田を開いたことで、地下に水が浸透しやすくなったという構図は、『10+1 web site』で紹介されていたインドのウッタラカンド州での暮らしに通ずるものがある。

塚本氏は講演で、資源的人のアプローチを考えるようになったきっかけについて以下のように述べている。

東京工業大学の中にある環境エネルギーイノベーション棟の建築に携わった際、二酸化炭素排出量を大幅に削減しながら、棟内で消費する電力をほぼ自給自足できる建物に対し、「変わらなければならないのは建物ではなくヒトの方だ」「暮らしを変えていかないと環境問題は解決できない」と思うようになった。

今ある暮らしを今すぐガラリと変えるのは困難だが、農家にならなくてもいいから農業に少し触れてみる、自分の身の回りにある資源を探してみる、その活用を試みるなどのアプローチで、資源的人に近づくことはできるだろう。

【参照サイト】生環境の環を歩きながら「地球の声」に耳を澄ます
【参照サイト】資源的人会議
【参照サイト】建築家・塚本由晴さんに聞く、「木」の街並みづくり | スミカマガジン | SuMiKa
【参照サイト】不寛容化する世界で、暮らしのエコロジーと生産や建設について考える(22人で。)
【参照サイト】アーキエイド | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas – イミダス
【参照サイト】耕作放棄される棚田
【参照サイト】新興経済大国・インドにおける低開発地域の変貌
【参照サイト】世界に誇る地下水都市・熊本
【参照サイト】環境エネルギーイノベーション棟 | キャンパス見どころ紹介 | キャンパス案内 | 東工大について | 東京工業大学
【参照動画】塚本由晴氏 講演会「人的資源から資源的人へ」

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