伝統工芸は、地域の豊かさをどう育て直すのか。高岡銅器に見る「変わりながら残す」営み

2026.09.01

Souma Motomi
【特集】残すものと、委ねるもの。 〜富山の風土から紡ぐ、大切にしたい豊かさ〜

豊かな水循環と「土徳」という精神が息づく風土を持つ富山。本特集では、農業、食文化、建築、伝統工芸など、地域の文化を未来へ繋ぐ現場を訪ねます。単に過去を「保存」するのではなく、何を残し、どう現代へ編み直していくのか。先人の知恵を受け継ぎながら変化を生み出す人々との対話から、これからの社会に残したい豊かさの源泉を探ります。

日本は、伝統工芸や民藝の豊かな国だ。国が指定する「伝統的工芸品」は、2025年時点で全国に244品目(※)。認定されない民藝なども加えれば、1,000以上もの伝統文化や工芸があると言われている。そうした地域固有の産業や文化は、その土地に合った暮らし方や地域の繁栄を支えてきた。

しかし、それらの多くは近代産業の発展や時代の変化と共に衰退し、その価値を忘れかけられている。その技術や文化を、いかに未来へつないでいくのか──担い手の高齢化も進み危機感が募るなか、伝統工芸は「残すべきもの」として語られる。

だからこそ、改めて問うてみたい。我々は、伝統工芸の“何”を残していくべきなのだろうか。そして、それらを再び地域の豊かさの礎とすることはできるのだろうか。

この問いのヒントをくれるのが、400年以上の歴史を誇る「高岡銅器」の産地、富山県・高岡市だ。耐久性と繊細な造形技術を特徴とし、仏像から茶道具まで幅広い用途の製品として使われてきた高岡銅器は、海外でも高く評価され、国内外の暮らしや文化を彩ってきた伝統工芸のひとつだ。

そんな高岡では今、高岡銅器の若手職人を中心とした新たな取り組みにより、地域そのものが少しずつ変化し始めている。

地域に変化のうねりを作り出してきた職人のひとりが、「モメンタムファクトリー・Orii(以下、Orii)」を率いる折井宏司さんだ。折井さんは、伝統を発展させた独自の着色技法とプロダクト開発で伝統工芸の新たな活躍の場を切り開きながら、他の伝統工芸や地域の発展につながる取り組みに先陣を切って取り組んできた。

伝統工芸が息を吹き返し始めた高岡で、今何が起こっているのか。モメンタムファクトリー・Oriiの取り組みと高岡の様子から、伝統工芸と地域の豊かさの結びつきについて考えていきたい。

話者プロフィール:折井宏司(おりい・こうじ)

折井 宏司さん1970年 富山県高岡市生まれ。26歳の時、東京のIT会社を退職し家業を継ぐ。高岡銅器の伝統的着色技法を応用し、銅板・真鍮板へ新たな発色を確立。内壁素材・インテリア・エクステリア用品・クラフト作品・ファッションアイテムなど様々な分野に展開している。2009年、経済産業大臣指定伝統的工芸品 伝統工芸士認定。

「豊かさの象徴」として栄えた、高岡銅器の歴史

銅器・鋳物の町として知られる高岡。その歴史の始まりは、江戸時代に加賀藩の領主だった前田利長が、町の産業を育てるために7人の鋳物職人を招いたことにさかのぼる。最初に作られていたのは、畑仕事の道具や、釜などの生活用品。そこから、時代とともに仏像や仏具、美術工芸品へと発展していった。

戦後は寺院の仏像や梵鐘から始まり、高度経済成長期になると銅器が「豊かさの象徴」として人気を集めるように。壺や香炉、茶道具など、生活用品やインテリアとしての需要が大きく伸びていった。1970年代後半からは高岡銅器がブームとなり、西洋ブロンズ像のような高価格な製品が飛ぶように売れていった時代もあったという。

伝統的な高岡銅器

折井着色所が着色を手がけた、伝統的な高岡銅器の香炉台 / Image via モメンタムファクトリー・Orii

高岡銅器の特徴のひとつは、強い生産体制を支える「徹底した分業制」だ。問屋が商品を企画し、原型や鋳型製作、鋳造、研磨、彫金、着色と、各工程の専門工場が連携してひとつの製品を完成させていく。同じ工程を担う工場の中にもそれぞれ得意分野があり、それらがニーズに応じて仕事を担っていく。この効率の良い仕組みと地域内の強いエコシステムが、全国シェア90%を維持し続ける理由でもある。

折井着色所は、そんな高岡で折井さんの祖父が始めた着色工場だ。戦後まもない1950年に創業し、時代のニーズに合わせてさまざまな製品を着色。1960年代には皇居の二重橋龍橋桁や照明灯といった公共空間の大型プロジェクトでも活躍するなど、銅器産業の発展と共に事業を営んできた。

「錆を鑑賞する工芸」とも言われる銅器において、着色はその表情を決定する最後の重要な工程。高岡銅器では、保存性と美化を高めることを目的に、長い間の試行錯誤からいくつもの手法が生まれた。

「例えば『糠焼き(ぬかやき)』という技法では、糠床を表面にまぶして焼いて洗い流すことでまだら模様を生み出します。『焼き朱銅』は、金属の上に備長炭を置いて焼き、その熱の跡を模様として残す手法。『煮色(にいろ)』では、硫酸銅や緑青(ろくしょう)を水と混ぜて煮込むことで美しい発色を得ます」

複数の技法を組み合わせることで、非常に複雑な色合いも表現できる。着色と聞くと塗料を上から塗るようなイメージを持つが、高岡銅器の着色は、金属に化学反応を起こして腐食させ、素材そのものの色や風合いを引き出す技法だと折井さんは語る。

「自分が継がなければ」衰退の真っ只中で職人に

しかし高岡銅器産業は、1990年代後半から急激に衰退し始める。

銅器は耐久性に優れ長く使うことができるため、一度社会に行き渡るとそう新たな需要は生まれにくい。そこにバブルの崩壊、生活様式の変化なども重なり、市場規模は30年間で約4分の1まで縮小した。分業制で成り立ってきた高岡では、ひとつの工程の仕事が減れば、全体に影響が及ぶ。このため、全ての工場が軒並み影響を受けた。

「産業の縮小は、事業者数や働く人の数にも表れています。例えば1985年に約1,600人が働いていた問屋は、現在は400人以下に。かつては約400人が働いていた私たち着色業も、現在は100人程度になりました。

職人の所得も非常に低い水準となっています。平成10年に初めて業界の統計を見たときは、愕然としました。『このままでは業界は駄目になる』と強く感じましたね」

変化に伴い、2000年頃までに多くの工場が家業をたたんでいった。仕事は減る一方で、伝統産業だけで生活を成り立たせることが難しくなっていったのだ。

「私たちの親世代は、『家業はいいから、お前は若いうちに一生働ける会社を見つけなさい』と子どもたちに勧めるようになりました。そうして後継者が減り、産業全体がさらに縮小していく。その悪循環の結果が、高岡銅器の現状です」

折井さん

折井さん

折井さんが家業を継いだのは1997年、そんな衰退の真っ只中だった。当時は27歳、景気も良く、東京でのサラリーマン生活は華やかで楽しいものだった。一方で心のどこかには、「自分が家業を継がなければ」という気持ちがあったのだという。

「葛藤しましたよ。でも、思い返せば子どもの頃の将来の夢は職人だったし、自由研究のテーマも家業のことだった。そんななか、叔父に『お前の家には立派な家業があるのだから、お前が継ぐべきだ』と言われる機会があって。それで目が覚めて、高岡に帰って家業を継ごうと決心したんです」

試行錯誤で生み出した独自の色と技術が、新たな可能性へ

家業を継いでからは、試行錯誤の連続だった。

その頃には、折井着色所の売り上げも最盛期の半分以下まで落ち込んでいた。ブームの時代には効率的な仕組みだった分業制も、不況になると弱点になる。特に、自社商品を持たない加工専門である折井のような工場は、完成した製品が届かなければ何も始められないのだ。

このまま問屋からの仕事を待つだけでは生き残れない──折井さんはそう考え、「加工専門業者」から、自ら製品を企画・販売する会社へと舵を切る。

「仕事がないなら、自分で作ればいい。そんな発想でした。昔は問屋が神様みたいな存在で、加工業者が商品を作るなんてことは業界のタブーだった。自分は、そうしたルールに染まり切っていなかったから良かったのかもしれません」

着色の様子

工場での作業の様子

最初に行ったのが、圧延板(あつえんばん)と呼ばれる薄い金属板に着色する新たな技術の開発だ。伝統的な着色技法では加熱温度が高すぎるために薄い金属板への着色はできないが、折井さんは試行錯誤の末、従来より低い温度で着色できる技術を編み出した。

「本当に全てが自己流で、試行錯誤でした。最初は一度できた色を再現することもできなくてね。繰り返しているうちに少しずつ同じ色を作れるようになったり、新しい組み合わせを試してみたりしながら、さまざまな色を生み出していったんです」

炎のような赤茶色に、海のようなコバルトブルー、パキッとしたピンク色。折井さんが生み出した独自の色と模様は、伝統的な技法を礎としながら、それをより鮮やかに、より表情豊かに発展させたものだ。

モメンタムファクトリー・Oriiのオリジナルカラー

開発した色には、「斑紋孔雀色」といったオリジナルの名前が付けられている / Image via モメンタムファクトリー・Orii

この色のバリエーションと薄い金属板を用いて自社オリジナルの商品開発ができるようになり、置き時計やプレート、ランプシェード、繊細なアクセサリーなど、従来の高岡銅器にはなかったオリジナルプロダクトを生み出していった。

製造販売に本腰を入れようと、2008年に社名をモメンタムファクトリー・Oriiへと改める。建築資材としての需要も徐々に伸びていき、ホテルや高級ブティック、レストラン、公共施設まで、富山県内外の多様な場所の壁面装飾や看板を手がけるようになった。

こうして、従来の高岡銅器の売り上げが横ばいであり続ける中、新たな分野で再び事業全体を支えられるようになり、折井さんが編み出した技術に惹かれて全国から若手職人も集まるように。現在のスタッフは30代が中心で、女性も多く活躍しているという。

オリジナルのテーブルウェア / Image via モメンタムファクトリー・Orii

モメンタムファクトリー・Oriiのアクセサリー

オリジナルアクセサリーシリーズ / Image via モメンタムファクトリー・Orii

富山県民会館美術館

富山県民会館美術館の内装にも採用されている / Image via モメンタムファクトリー・Orii

若手職人

モメンタムファクトリー・Oriiの若手職人

形を変えた伝統工芸が、再び地域のアイデンティティに

分業制の慣習を打ち破り、技術革新と新たな分野への挑戦で事業を立て直してきたOrii。その勢いは、高岡銅器を超えた多様な伝統工芸や地場産業の未来をも変えうる展開を見せている。

そのひとつが、異業種とのコラボレーションだ。県内の縫製工場とはOriiの柄をプリントした浴衣や帯、オーダースーツ専門店とはスーツの裏地を製作。この協働は、現在力を入れるアパレル事業「ORII FABRICS」に発展している。砺波市のウィスキー蒸留所とは、Oriiの柄を印刷したお酒のパッケージを作った。素材の枠組みを超えた高岡銅器の可能性を拓きながら、地域振興にもつなげる狙いだ。

「高岡銅器と同じように時代の影響を受ける地場産業の方たちとは、『一緒にやろうよ』と声を掛け合っています。お互いのお客さんを紹介し合うなど、異業種だからこそ応援し合う関係も築くことができ、とても良いシナジーを生んでいると感じています」

漆器と眼鏡の町である福井県鯖江市の企業とは文字盤に圧延板を用いたバングルウォッチを、新潟県燕市の企業とは、江戸時代から続く金属加工の技術と高岡銅器の着色技術を融合させたテーブルウェアを作るなど、他産地との協働も積極的に行う。これまで交わることのなかった各地の伝統をかけ合わせることで、共に新たな価値を生み出そうとしている。

帯あげ

銅板のついた洋服

1枚目:ORII FABRICSの帯あげ 2枚目:本物の銅板を打ちつけたデニム服

また、折井さんと同じように伝統工芸や産業の未来に危機感を持った同世代の職人たちが動き出したことで、高岡という地域全体そのものも、少しずつ変わってきているという。

2010年ごろには、県外の企業やバイヤー向けに町工場を開くオープンファクトリーを複数の企業と共に始めた。昔はほとんど見せることのなかった工場の裏側を見せることで、新たな事業創出につなげられればと考えたのだ。この取り組みはその後「高岡クラフツーリズモ」という名で一般向けに開催されるようになり、人気を博している。

さらに現在では、街と人を繋ぐクラフトの祭典「市場街(いちばまち)」や、全国の職人や工芸作家たちが集う産業工芸博覧会「ツギノテ」など、県内外から大勢の人を呼び寄せる魅力的な企画が毎年開催されるようになった。高岡の若手職人やデザイナーが属する高岡伝統産業青年会などが中心となり、折井さん世代が作った流れを若い世代がさらに発展させているのだ。

「業界に危機が訪れたことで、伝統工芸や産業内の雰囲気も変わってきました。問屋と職人の間にあった上下関係や垣根はなくなり、鋳物屋や溶接屋といった他の工場ともさまざまな形で横の連携をするようになったんです。そうした側面も含め、高岡は地域全体として良くなってきていると思います」

ジョブキッズとやまの様子

2026年8月に行った「ジョブキッズとやま」の様子 / Image via モメンタムファクトリー・Orii

高岡での職業体験をきっかけに、伝統工芸の業界に入った子どももいる。少しずつだが、その価値は若い世代にも伝わり始めているようだ。たとえその道に進まなくても、何らかの形で伝統工芸に触れた経験は、成長して県外へ出たときに、高岡のことを語ってくれるきっかけになるかもしれない──折井さんは、伝統工芸が地域への誇りや愛着を育む未来を描く。

「職人は、3K(汚い、きつい、危険)と言われてきた仕事です。でも、職人って本来、かっこいい仕事だと思うんです。だから、そうしたマイナスのイメージを払拭し、若い世代に『職人ってかっこいい』『伝統工芸って面白い』と思ってもらえるような取り組みをしていきたいと思っています。

伝統工芸の技術は、このままでは間違いなく失われていきます。だから、守るだけではなく、新しい分野に挑戦し続けること。そうすることで、本当の意味で伝統工芸を残すことができるのだと思います」

モメンタムファクトリー・Oriiの時計

colorfultimes / Image via モメンタムファクトリー・Orii

編集後記

「職人は、かっこよくなきゃ」

自社事業の再生から、地域一丸となって伝統工芸を盛り上げる活動まで。精力的な活動を行う折井さんの原動力は、子どもの頃から培われた職人やその技術への純粋な“憧れ”であることが、取材中のそんな言葉の節々から感じられた。本当に人の心を動かすのは、大義名分ではなく、理屈や言葉では表せない物事の魅力や奥深さだ。折井さんのシンプルな言葉は、それを思い起こさせてくれる。

我々は、伝統工芸の“何”を残していくべきなのか。そして、それらを再び地域の豊かさの礎とすることはできるのか。

時代の変化によって伝統工芸や文化のあり方が変わるのは、ある意味で自然なことかもしれない。一方で、その中で時間をかけて積み重ねられてきた知恵や技術、精神。そうした目には見えないものは、時代が変わっても受け継いでいくことができる。

それらが現代の文脈の中で形を変えて立ち現れるとき、人々のアイデンティティや地域固有の価値となり、簡単には崩れ去らない“豊かさの源泉”となっていく。高岡で今起こり始めている物語から、そのことを学ばせてもらった。

伝統的工芸品(経済産業省)

【参照サイト】モメンタムファクトリー・Orii

この記事を書いたライター

相馬 素美

Souma Motomi

相馬素美(そうま・もとみ)1996年横浜出身。東京音楽大学器楽専攻鍵盤楽器(ピアノ科)、同大学院伴奏研究領域にて研鑽を積む。2020年にハーチ株式会社に入社、IDEAS FOR GOOD、Circular Yokohama等にてサステナビリティに関する幅広いトピックの取材・執筆のほか、企業向けのサステナビリティ研修、展示、地域イベント、ワークショップ等の企画運営を担当。2023年、半年間アイルランドに滞在し、語学研鑽や取材活動を行う。(この人が書いた記事の一覧