「今、今、今」を生きる。富山の古き町家で学んだ、自然の理に委ねる豊かさ

2026.08.25

【特集】残すものと、委ねるもの。 〜富山の風土から紡ぐ、大切にしたい豊かさ〜

豊かな水循環と「土徳」という精神が息づく風土を持つ富山。本特集では、農業、食文化、建築、伝統工芸など、地域の文化を未来へ繋ぐ現場を訪ねます。単に過去を「保存」するのではなく、何を残し、どう現代へ編み直していくのか。先人の知恵を受け継ぎながら変化を生み出す人々との対話から、これからの社会に残したい豊かさの源泉を探ります。

雨は降っていない。それでも、屋根からはぽた、ぽた、と水の落ちる音が聞こえる。

春先の富山では、それが雪解けの音だ。

立山連峰の雪が少しずつ季節をゆるめ、その水はやがて川となり、海へと流れていく。

富山県射水市・内川。立山連峰を遠くに望み、富山湾へとつながるこの町では、黒瓦の町家が川辺に肩を寄せ合い、漁船が静かに揺れている。

1400年近く大きく姿を変えてこなかったこの風景のなかで、古民家再生や建築設計、地域プロデュースを手がけるのが、グリーンノートレーベル代表・明石博之さんだ。一見すると、その活動は多岐にわたる。しかし話を聞いていくと、そのすべては一つの問いへと収束していった。

「この土地が、長い時間をかけて育んできた文化を、どう次の世代へ受け渡していくか」

明石博之さん

明石さんにとって建築とは、家をつくることではない。土地と自然、人と時間をつなぎ直す営みだった。

人間中心の経済システムが各地で綻びを見せ、私たちが目指すべき「豊かさ」の概念そのものが揺らぐ。そんな今、私たちにとっての豊かさとは、どんなものだろう。いかにして、それを私たちの身体に取り戻していくことができるのだろう。効率や合理性で塗りつぶされかけた世界を問い直すヒントを、明石さんの言葉と暮らしから探っていきたい。

話者プロフィール:明石博之(あかし・ひろゆき)

1971年広島県尾道市(旧因島市)生まれ。多摩美術大学でプロダクトデザインを学ぶ。大学を卒業後に当社に入社、2008年に代表取締役に就任。全国各地を飛び回るうちに自らがローカルプレイヤーになることに憧れ、2010年に妻の故郷である富山県へ移住。漁師町で出会った古民家をカフェにリノベーションした経験をキッカケに秘密基地的な「場」をつくる面白さに目覚めた。その後、まちの価値を拡大する「場」のプロデュース・空間デザインを仕事の軸として、富山のまちづくりに取り組んでいる。

都会の「キラキラ」の先で見つけた、消費されない暮らしの最先端

明石さんのキャリアの原点は、東京での学生時代にさかのぼる。多摩美術大学でプロダクトデザインを学び、家電製品や家具など、都市の消費社会に向けたものづくりを学んでいた。しかし、アルバイト先でまちづくりの魅力に触れたことをきっかけに、20代のほとんどを全国の過疎地域での滞在に費やすこととなる。

東京に出て「いいものは全部都会に集まっている」と思っていた当時の明石さんにとって、人がほとんど歩いていない農村で目にした光景は、自身の価値観を根底から揺さぶる大きな衝撃だったという。

「消費社会しか知らなかった自分が、『この人たちはどういう価値観で暮らしているんだろう』と興味を持ちました。すると、どの地域でもお祭りを守ろうとか、この町並みを残そうとか、田園風景や伝統料理を大切にしようとしている人たちがいる。それを見て『尊いな』と思ったんです。

そのとき、都会のキラキラしたものと、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんたちが守ろうとしているもの、そのどちらが本当に大事なんだろうという疑問が湧いてきたんです。そして、悩みながらも直感的に、『田舎に今存在しているものこそが最先端なんだろう』と思いました」

均一化に抗う「屋根」──気候と重力との交渉の記憶

そうした気付きを経て、明石さんは、「自らが持つデザインという技術を、埋もれかけている地域の文化に掛け合わせ、光を当てて生きていきたい」と思うように。その後、38歳のとき、妻の実家という縁もあり富山へと移り住む。そこで明石さんを惹きつけたのは、その表情豊かな北陸の気候と景観だった。

「僕は瀬戸内の出身なんですけど、一年を通して朝も昼も晩も景色があまり変わらないんです。毎日晴れていて、冬も大きな変化がない。毎日夕日が見られるような場所でした。でも、日本海側は逆なんですよね。天気が安定しなくて、冬は寒いし、夏は暑い。晴れたと思ったら急に雨が降るし、曇っていたと思ったら雲の切れ間から神々しい光が差し込んできたりする。一日いるだけでも飽きないくらい表情が変わるんです。

地元の人は『毎日どんよりしていて嫌だ』と言うんですけど、僕はそれが大好きで。その日本海に面した北陸という土地そのものが、自分の琴線に触れる場所でした」

そんな明石さんが、今でも覚えているというのが、まだ新幹線もなかった頃、富山駅に降りて車で各地を巡りながら見た立山連峰だという。

立山連峰

「見た瞬間に、本当に驚きました。普通の山ってこのくらいの高さかな?という感覚があるじゃないですか。でも立山連峰は、そのはるか上に頂上があるように見えて、『これCGじゃないの?』と思うくらい不思議な景色だったんです。しかも天候によって毎日表情が変わる。こんな景色を毎日見ながら暮らせるなら住みたいな、と思うようになりました」

そうして拠点を求めて富山を巡るなか、特に気に入ったというのが、川に漁船が浮かんでいる新湊の風景。そこには、高度経済成長期に無理な開発に晒されず、奇跡的に残された昭和初期の黒瓦の町並みがあった。古い建物を自ら解体し、リノベーションを行うなか、明石さんは地域ごとの建築が持つ「必然性」を肌で知ることになる。教えてくれたのは、屋根の構造に見られる雪との付き合い方だ。

「地域によっては雪を下ろす構造の家屋もありますが、ここでは雪止めの瓦を使って溶けるまで待つんです。この辺の雪は湿気が多くて重いので、積もるとすぐ氷みたいになる。重い氷みたいになって落ちると危険だからそうしているんです。春先になると毎朝、雨も降っていないのに雪解けの音がする。それが僕にとっては、ちょっと春っぽい感じなんですよね」

六角堂

明石さんが内川で最初に手がけた活動の原点、カフェ『uchikawa 六角堂』。現在は妻・明石あおいさんが代表を務める株式会社ワールドリー・デザインが運営。厳選された食と空間を通して、訪れる人々にこの町の豊かな風土を味わう時間を手渡している。

「たまに海外から来た人に、『この辺は雪が降るから屋根で雪を止めてるんだよ』と話すととても感動されます。今や、どこへ行っても住宅メーカーが建てた高性能で均質な家が並ぶようになりましたが、地域性を無視した建築ばかりになってしまったら、アイデンティティを感じなくなってしまいますよね。だから、もっと文化を基準に考えていかないといけないと思うんです」

雪止め瓦も、黒瓦の町並みも、見た目の美しさだけではない。そこには、雪の重さや湿り気と付き合いながら暮らしてきた人々の知恵が刻まれている。建築とは、単なる建物ではなく、その土地で人が自然と折り合いながら暮らしてきた時間の積み重ねなのだろう。そして、その自然との対話はまた、この地に暮らす人々にも息づいている。

「この辺の漁師さんは、海や自然のメカニズムを本当によく学んでいるんです。若い漁師さんでも、海底の地形、一万三千年の地層の話、世界の潮流について自分の言葉で説明できるような人がいる。海に出るということは、常に命の危険と隣り合わせにいるということ。自然を知らなければ生き抜くことはできない。やっぱり海という大自然が、そういう生きるための知恵を育てたんだと思います」

内川

それは決して、この地域に限った特別な話ではないのかもしれない。自然をコントロールしようとするのではなく、生態系の理(ことわり)を深く理解しようとする。圧倒的な力を持つ自然のなかで生き抜くために、そうして自らを環境へとチューニングしてきたのだろう。

命の輪郭に触れる食卓──「今、今、今」を耕す感性の発掘

かつて北前船の寄港地として多様な文化を行き来させてきた歴史に加え、命の危険と隣り合わせの海で生き抜くための「学び」。厳しい自然との対話から生み出されていたのは、知識と教養だけでなかった。明石さんに「自然を感じる瞬間」を尋ねると、こんな言葉が返ってきた。

「やっぱり自然を感じるうえで、一番大きいのは食だと思うんです。僕は、週に一度、地元の漁師さんから水揚げされてわずか3時間の鮮魚を届けてもらっています。新鮮な魚ってお腹の膜がピーンと張っていて、すごくきれい。内臓がきれいだとか、お腹の膜がきれいだとか、そういうところに感動するんです。これを今すぐ刺身にして東京へ持っていったら、いくらで売れるんだろうと思うくらい、本当にいい魚を食べさせてもらっています。

これだけ豊かな食が身近にあると、毎日のように豊かさがやってくる感覚なんですよ。『今日も来た』『ありがとう』という気持ちになります」

スーパーマーケットでプラスチックトレーに載せられた「商品」としての魚ではなく、命の張りを感じながら自らさばく。地元で栽培されたお米を食べ、手作りの味噌を味わう。日々の食から、地球の生命循環とのつながりを感じているという。

漁師さんからいただいた魚

漁師さんからもらったという魚。さばいたものの食べきれるず、社内で分け合ったそう。

こうした食卓の風景は、明石さんが考える「幸せ」の輪郭とも重なっていく。私たちが生きる社会では、「将来の安心や幸福のために、現在の時間や労働を投資する」という未来延期型の構造で「豊かさ」が作られていくことが多い。また、他者が決めた価値に依存して、それを絶対的な幸せだとみなして生きる人も少なくないかもしれない。

そんな今こそ、明石さんは、「今、この瞬間」に五感をひらき、自らの身体感覚で幸福を発掘していく重要性を語る。

「『今』を切り取るんです。いつか幸せになるために今を頑張るのではなく、『今、今、今』。

幸せをつくるものの中心って、何だかんだ言って『おいしい』とか『安心する』とか、すごく直感的なものだと思うんです。今は物があふれ返っていて、足りないものなんてないじゃないですか。『これって豊かだね』と思えるものを、自分から探して確認していかないと、幸せって見つからないような気がするんです」

今日食べる魚がおいしいこと。春になると屋根から雪解けの音がすること。路地に咲く草花がきれいだと思えること。そうした小さな実感を積み重ねることが、豊かさなのだという。将来の幸福のために現在を使い切るのではなく、「今」という時間の中に幸福を見つける。その姿勢は、効率を追い求める社会とは異なる時間の流れを教えてくれる。

道端に咲く花

明石さんが時おり開催しているというツアーは、まさに参加者の「発見力」を鍛えるための試みだ。参加者は、知人やその友人、あるいは移住や起業を考えている人などさまざま。いわゆる名所を巡る観光ツアーではなく、明石さん自身がなぜこの町で活動しているのか、日々の風景の何が素敵なのかを解説して回るのだという。

「路地の側溝に雑草が生えているけど『この下は内川につながっていてサワガニがいて』とか、いちいち解説して回るんです。パッとみんなを止めて『こんなふうに見てください』と言うと、内川の水辺がきれいに見えて、その上に黒瓦の町並みが重なって見える。全方向から幸せをキャッチするアンテナを張って生きていると、道端の雑草の花を見ても『かわいい』と思える。そういう感性は、自分で育てていくしかないんです」

こうして町を歩き、ともに豊かな食卓を囲むうちに、多くの人が内川の日常に魅了されていく。結果として、空き家だった町家を購入して宿やカフェを始めたり、移住してきたりと、新たな担い手が次々と生まれているという。

内川の宿

明石さんがデザインを手がけた内川の宿。明石さんの案内で町を歩き、この土地の豊かさに触れたことをきっかけに、自ら物件を購入して宿やお店を始める人も後を絶たないという。

「伝統を守る」と肩ひじ張るのではなく、明石さん自身がこの土地の文化を心から楽しんでいる姿。それこそが、自然と人を惹きつけ、次の世代へと文化を手渡す最大の原動力になっているのだろう。

手放すことも、継承なのか──地域と自然のこれから

対話の終盤、過疎化が進む地域に対して「地域のアイデンティティをどう残すべきか」と聞いてみた。これに対し、明石さんから返ってきたのは、人間中心主義的な存続への執着を解きほぐす、どこか達観したまなざしだった。

「僕が生きている間は、ここでできることがたくさんあるからやる。できれば受け継いでほしいなとは思います。でも、それを大変なコストをかけて維持しようとは思わない。こういう生活が豊かだなと思う人が集まって、数が増えれば勝手に成立するんです。そこに豊かさを感じない人が多くて出て行ってしまうなら、それは仕方ない。どこかで諦めないといけないと思います」

「できれば受け継いでほしい。でも、それを無理に残そうとは思わない」

内川

地域の消滅を前にして「諦める」という言葉は、一見すると冷淡にも聞こえるかもしれない。暮らしの営みやコミュニティが失われていくことには、当然、痛みが伴う。けれど、明石さんの言葉の根底には、「土地は決して人間の所有物ではない」という感覚があるように思えた。

人間社会の都合だけで、なんとかその形を維持しようと執着するのではなく、今この土地で暮らす人がその風景を十分に味わい、慈しむ。そして、もし人間が住まなくなり、その役目を終えるときが来たなら、その変化もまた人間の思い通りにはならない「自然の流れ」として委ね、受け入れる。「残す」ことのジレンマを抱えながらも、明石さんのまなざしは、無理に抗うことよりも、今ここで「どう生きるか」にまっすぐに向いていた。

編集後記

「結局、豊かさって、なんなんだろうね」

取材後、同席した編集部メンバーとの夕食で、そんな言葉がこぼれた。

大きな問いのようでいて、その答えは案外、日々の暮らしの中に散らばっているのかもしれない。

何かを新しく手に入れることでも、誰かに教えてもらうことでもない。「今」という瞬間に目を凝らしたときに見えてくるもの。自分の感性で見つけていくもの。それが、「豊かさ」の正体なのではないだろうか。

春になれば、きっとまた屋根から雪解けの音が聞こえる。

その音を知らなかった昨日よりも、私は足元の風景を少しだけ丁寧に見つめられる気がしている。

誰かのものさしではなく、この土地が教えてくれた感性に、これからも耳を澄ませていたい。

【参照サイト】グリーンノートレーベル

この記事を書いたライター

伊藤 智子(いとう ともこ)。大学時代、ヨーロッパで数年間過ごしたのち、大阪の真ん中から海と山が近い千葉の里山に移住。生態系の一部としての人間のあり方を模索すべく、山の中の古民家でシェアハウス生活を行う。ライター業の傍ら、カフェの運営やまちのつながりづくりなどに取り組み、さまざまな人と出会い、多様な生き方に触れることに魅力を感じながら過ごしている。最近のテーマは、目の前のものをじっくり感じ、味わい尽くすこと。曖昧なもの、わかりにくいものこそ大事にしたい。