観光は、流域を守る仕組みになれるか。環境省と豊岡市が描く、コウノトリも人も共生する地域づくり

2026.07.30

Sponsored by 環境省

旅先で、ふと歩く速度がゆるむことがある。

水田の上を渡る風、川の流れに重なる鳥の声、夕暮れどきの土や草の匂い。はっきりと「美しい」と言葉にする前に、そこにしばらく身を置いていると呼吸が少し深くなり、感覚が整っていく。

私たちは、そうした場所を「自然が豊かだ」と表現する。

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しかし、その風景は本当に、ただ自然に、そこにあるものなのだろうか。

日本で私たちが出会う風景の多くは、森、里、川、海のつながりの中で、人の暮らしや手入れとともに保たれてきた環境である。山の水源を守るために森に手を入れる人がいる。田畑や水路、ため池を使いながら整え、生きもののすみかを残してきた里の営みがある。川の流れを見守り、海では藻場や干潟を育て直す地域の試行錯誤がある。

一方で、そうした環境を支えてきた地域では、過疎化や高齢化、生活様式の変化、周囲の関心の薄れによって、これまで脈々と続いてきた手入れを維持するための人手や資金が足りなくなりつつある。風景は残っているように見えても、その風景を支えてきた営みが細っていけば、環境は少しずつ変わっていく。

観光は、こうした地域の営みをどのように結び直せるのか。訪れる人が、風景を消費するだけでなく、その背景にある手入れや保全の循環に関わる仕組みを、どうすれば地域に無理なく根づかせることができるのか。

現在、環境省が進めている「良好な環境を活用した観光モデル事業」は、これを実装すべく取り組んでいる地域をモデル事業として支援するものだ。水辺、星空、音やかおりの風景など、地域の自然や文化、人々の営みが重なって育まれてきた「良好な環境」を活用し、観光から得られる収益や関係性を、保全や再生へと還していく。その循環を一部の先進事例にとどめず、地域の中で当たり前の仕組みとして根づかせていこうとする試みである。

「環境保全は、社会にとって大きな価値を生んでいるのに、その価値がお金として戻りにくい領域です」

そう語るのは、環境省 水・大気環境局 環境管理課環境創造室の渡邉奈央さんだ。森、里、川、海の恵みは、私たちの暮らしや地域の文化、観光の魅力を支えている。しかし、その価値を守り続けるための費用や担い手は、必ずしも十分に循環してきたわけではない。地域の人々が長い時間をかけて守ってきた環境ほど、その維持が「当たり前」と見なされ、社会的・経済的な価値として回収されにくい。そこに、切実な課題がある。

こうした課題への対策の一つとして、環境省は観光を通じて保全を支える仕組みを、地域の中に根づかせようとしているのだ。

渡邉奈央さん

今回は、環境省が進める取り組みを入口に、観光と保全をめぐる今後の展開を考える。話を聞いたのは、環境省の渡邉さん。そして後半では、実践地域の一つである兵庫県豊岡市で「人とコウノトリが共生するまち・豊岡リジェネラティブな旅」に取り組む、一般社団法人豊岡観光イノベーションの小畑さん、岡本さんの声も紹介する。

森、川、水田、湿地、海までをひとつながりの「流域」として捉えながら、訪れる人がその土地の未来を支える循環にどう関われるのかを探った。

話者プロフィール:渡邉 奈央(わたなべ・なお)さん

環境省 水・大気環境局 環境管理課 環境創造室所属。「良好な環境を活用した観光モデル事業」に携わる。地域に受け継がれてきた水辺、音、香り、風景などの「良好な環境」を、観光を通じて保全・再生・創出へつなげる地域づくりを推進している。

美しい環境は、誰が守っているのか

環境省が本事業で「観光」にアプローチする背景には、保全活動の現場が直面している構造的な課題がある。

良好な環境は、地域の暮らしや文化を支えるだけでなく、観光にとっても大きな価値を持つ。しかし、その価値を支えている保全や手入れの営みは、必ずしも観光の収益や地域経済の中で十分に報われてきたわけではない。森や水辺、里海の環境は、長いあいだ地域の人々の手によって守られてきた。一方で、過疎化や高齢化によって担い手が減り、活動に必要な資金も継続的に確保しづらくなっている。

風景は観光資源として消費されても、その風景を保つための人手や費用は、保全の現場に戻りにくい。このねじれをどう解き、観光によって生まれる価値を、環境を支える循環の中へ戻していけるのか。渡邉さんは、環境行政の歩みを振り返りながら、今この事業が必要とされる理由を話してくれた。

渡邉さん「環境庁が1971年に発足して以降、保護地域の設定・管理、気候変動対策、廃棄物対策など、環境を守るための政策を展開してきました。2001年には環境省となり、その役割も時代とともに少しずつ広がっています。

もちろん、環境が人々の健康を脅かさない状態を守ることは、今も変わらず大前提です。そのうえで現在は、守ってきた環境をいかに地域の魅力や人々のウェルビーイングにつなげていくかが、より一層問われる時代になっていると感じています。

一方で、保全の現場では『守りたい環境はあるけれど、活動を続けるための資金や人手が足りない』という声も少なくありません。地域の担い手が減り、これまで手入れされてきた土地が荒れてしまうケースもあります。国からの資金的な支援だけに頼り続けることにも、地域の人だけで担い続けることにも限界がある。だからこそ、その一つの対応策として観光があると思います。観光を通じて外からの関わりや資金の流れを生み出し、保全を地域の中で続けられる仕組みにしていくことが必要なのです」

地域の保全を担う団体と、観光事業者の間には、まだ見えない「壁」があるという。

渡邉さん「地域には、保全団体だけでなく、日々の暮らしや生業の中で、水辺や里山、里海の環境を守ってきた方々がいます。そうした方々の中には、環境を観光資源として活用することや、そこから収益を得ることに抵抗感を持つ方もいます。また、観光化によって人の流れが増えることで、かえって環境に負荷がかかるのではないかという懸念もあります。

一方で、観光事業者には集客力やブランディング力があっても、保全に関する専門知識が不足していたり、地域の環境を長く支えてきた方々や保全団体と、守るべき価値や観光活用のあり方について十分に対話できていなかったりすることもあります。

すでに保全と観光を結びつける取り組みを進めている地域もありますが、そうした動きを各地で育てていくためには、環境を守ってきた人たちと環境を守ってきた人たちと観光の知見を持つ人たちがつながり、対話しながら仕組みをつくることが、各地で当たり前になっていく必要があると考えています」

Image via 環境省

観光で生まれた価値を、保全へ還元する。良好になった環境が、また次の観光の価値になる。こうした循環を一時的な取り組みで終わらせず、地域の中で無理なく回り続ける仕組みにしていくこと。その実現を目指す地域の挑戦を支えることが、本事業の大きな役割だ。

もっとも、渡邉さんはその道が平坦ではないことも熟知している。

渡邉さん「考え方としてはとても重要ですが、それを地域の中で維持し続けることは簡単ではありません。現在の観光モデル事業の実施団体の中でも、少しずつ成果の芽は出つつあります。ただ、それだけで保全と観光の好循環が持続可能な形で定着していると言いきるのは、まだ難しいと思っています。

地域づくりでは、課題が完全になくなることはありません。だからこそ、好循環を目指しながらも、地域ごとに生まれる新しい課題に一つひとつ向き合い続けることが大切です。5年後、10年後、さらに30年後を見据えながら、地域が試行錯誤を重ねて未来の仕組みを育てており、私たちはそういった地域を応援したいと思っていますし、また増えてくれれば良いなと思っています」

ここで環境省が担うのは、地域に「正解」を与えることではない。

保全と観光のつなぎ方は、地域の自然環境や産業、担い手の関係性によって異なる。国が一律の方法を示しても、地域の人々自身が考え、関係者と対話しながら納得して進めなければ、事業期間が終わったあとに続く仕組みにはなりにくい。

だからこそ本事業では、地域が自分たちの資源や課題を見つめ直し、試行錯誤できる余白を大切にしている。モデル事業は永続的な支援ではない。事業期間の先に、地域が自ら考え、関係者をつなぎ、保全と観光の仕組みを動かし続けられるかが問われているのだ。

森・里・川・海をつなぐ「流域」という視点

本事業の特徴の一つは、森、里、川、海、そして人々の暮らしまでをひとつながりのものとして捉える「流域」の視点にある。

渡邉さん「私たちは、里山から里海まで、山から海へのつながりである『流域』にも注目しています。山に住む人は海のことをあまり考えず、海の人は山のことを意識せずに活動している。そうした意識の分断があると感じています。しかし、自然の流れは本来つながっているものです」

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山の栄養は、川を通じて海へ流れ、海の生きものを支える。一方で、海から陸へと栄養が戻る流れもある。鳥や魚などの生きものが担う自然の循環もあれば、人が地域資源を活かしながら、その循環を意識的につなぎ直す営みもある。

渡邉さん「特定の場所だけを守るのではなく、森、里、川、海という広域なつながりを保全するためには、国からの資金に頼るだけでは追いつきません。流域全体を視野に入れ、観光によって自分たちで保全資金を生み出していくことができれば、保全と活用を両立させることができるのではないかと思うのです」

流域とは、地図上の線ではない。森と海、農業と観光、人間と生きもの、過去と未来をつなぐ、一つの大きな生命体のようなものだ。その全体をどう守り、どう次世代へ渡すのか。観光は、そのつながりを訪れる人にも開き、保全の価値を体験として伝える手段になり得る。

「良好な環境」は五感で感じる地域の記憶

流域という大きなつながりを支えるには、そこに暮らす人々や訪れる人が、その土地の「何を守るべきか」を肌身で感じられることが欠かせない。ここで鍵となるのが、事業の核心にある「良好な環境」という考え方である。

一見すると少し抽象的に聞こえるこの言葉について、渡邉さんは自身の戸惑いとともに、その輪郭を語ってくれた。

渡邉さん「実は、私もこの部署に異動が決まったときから、『良好な環境とは何だろう』と考え続けています。ただ、日本には名水百選や音風景百選、かおり風景百選のように、日本人が五感で感じ、心地よいと受け取ってきた自然資本があります。川のせせらぎの音、鳥の声、夕方に聞こえるヒグラシの声。数値だけでは測れない、心に響くような、文化的なものも含んだ自然資本を『良好な環境』と呼んでいます。

一方で、こうした考え方は示されているものの、『良好な環境』の感じ方は地域や人によって異なるのではないかと思います。例えば、鳥が好きな私にとっては、鳥のさえずりが聞こえる環境は『良好な環境』だと感じます。環境省としても、そうした多様性を理解した上で、行政施策として何をすべきか考えていきたいと思っています」

瀬戸内海 Image via 環境省

けれど、こうした豊かさは、日常に近いからこそ見えにくい。渡邉さん自身、故郷の愛媛を離れて初めて、瀬戸内海の多島美に気づいたという。

渡邉さん「住んでいるときはその環境が当たり前すぎて、恩恵を感じる機会がなかなかないかもしれません。だからこそ、観光を通じて外からの視点を入れることに意味があります。訪れる人が感動する姿を目の当たりにすることで、地域の方々が『自分たちはこんなに豊かな資源の中で暮らしていたんだ』と再発見する。そんな地域への誇りや愛着心のようなものが醸成され、それが地域の自然環境を守りたいという主体的な気持ちにつながっていくのだと思います」

観光は、外へ向けた発信であると同時に、地域の内側へ向けた再発見の装置でもある。だからこそ、成果は来訪者数や売上だけでは測れない。訪れた人の意識の変化や、地域の人々が風景を誇り直す感覚を、保全と観光の循環を支える価値としてどう位置づけていくのか。この事業は、そうした問いも含んでいる。

【兵庫県豊岡市】コウノトリのまちで、流域の物語を旅にする

その問いに、コウノトリとの共生という長い歩みから向き合っている地域がある。兵庫県北部に位置する豊岡市だ。環境省の伴走のもと、一般社団法人豊岡観光イノベーションは現在、「人とコウノトリが共生するまち・豊岡リジェネラティブな旅」の造成に取り組んでいる。

城崎(きのさき)温泉、出石皿そば、豊岡鞄。豊岡市には、すでに多くの人が訪れる観光資源がある。一方で、それらの魅力がどのような自然環境や地域の営みに支えられているのかは、まだ十分に伝えきれていない。

この課題に向き合っているのが、豊岡市のインバウンド観光やサイクリングツアー造成に携わる、豊岡観光イノベーションの小畑さんと岡本さんだ。二人は、円山川流域の自然や、コウノトリの野生復帰の歴史、地域の暮らしを一つの物語として結び直し、訪れる人が豊岡の風土をより深く受け取れる旅のあり方を模索している。

小畑雅代さん(左)と岡本環さん(右)

話者プロフィール:小畑雅代(おばた・まさよ)さん・岡本環(おかもと・たまき)さん

一般社団法人豊岡観光イノベーションにて、豊岡市のインバウンド観光やサイクリングツアー造成に携わる。環境省「令和8年度良好な環境の創出・活用推進事業(良好な環境を活用した観光モデル事業)」の一環として、「人とコウノトリが共生するまち・豊岡リジェネラティブな旅」を推進している。

それは、温泉や食、鞄といった街の誇りを、その根底で支えている円山川(まるやまがわ)流域の自然の物語だ。かつてこの地で姿を消したコウノトリを、再び空へと呼び戻した人々の歩みも、既存の観光ルートだけでは見えにくくなっていた。

小畑さん「インバウンドの方には、城崎温泉を中心に多く来ていただいています。でも、温泉を育む大地も、そばや鞄産業を支える人々の暮らしも、すべてはこの円山川とその周囲の自然という『舞台』の上にある。そのつながりが、まだ物語として伝えきれていないと感じていました」

3年前に豊岡へ移住してきた小畑さんにとって、水田の上をコウノトリが悠々と舞う風景は、息を呑むような衝撃だった。しかし、長くこの地で暮らす人々にとって、それはあまりに日常に溶け込んだ景色でもある。

小畑さん「コウノトリの野生復帰に長年取り組んできた豊岡では、田んぼの上をコウノトリが飛んでいる姿も、今では決して珍しいものではありません。でも、一時はこの空から完全に消えていた生きものが、人々の努力で戻り、日常の中に当たり前にいる。それは外から来た私にとっては、奇跡のような、心揺さぶられる風景でした」

風土の価値は、そこに暮らす人の記憶の中にすでにある。けれど、外から来た人のまなざしが入ることで、その価値があらためて言葉になり、地域の人自身にも見つめ直すことがあるのかもしれない。環境省と共に取り組むこのプロジェクトは、単なるツアー造成ではない。豊岡の風土を、観光の動線やガイドの言葉、地域との出会いの中に編み込んでいく試みでもある。

流域の物語を、自転車でたどる

その土地に埋もれていた物語を、訪れる人が身体感覚として受け取れるようにするため、豊岡観光イノベーションが本モデル事業の中で造成しているのが、自転車で流域を巡るサイクリングツアーだ。

2025年度は、サイクリングコースの専門家による助言を受けながらルートを選定し、ガイド養成やマップ作成、モニターツアーを実施してきた。目指しているのは、既存の観光地を自転車でつなぐことではない。コウノトリの野生復帰の歴史、円山川流域の自然、農業、地質、暮らしを、一つの物語として体験できる旅をつくることだ。

コウノトリの郷公園から、円山川沿いの水田、玄武洞公園、城崎温泉へ。旅人は水田を抜け、川の流れに沿って進み、土地の成り立ちに触れながら、コウノトリを支える環境の広がりを少しずつ理解していく。

サイクリングツアーの様子 (c) 木多淳公

なぜ、自転車なのか。岡本さんは、その理由を「速度」だと話す。

岡本さん「自転車は窓がなく、空気を肌で直接感じられます。風が暖かいのか、冷たいのか。花のにおいや田んぼのにおいも感じられる。目的地に行くことだけではなく、その過程を楽しめると思います」

小畑さんは、ガイドが地域の人との偶然の接点をつくることにも期待を寄せる。

小畑さん「地元の人が案内することで、偶然見つけられるものがあると思っています。地域の人と出会い、そこで何かが生まれる。そういった偶然性も楽しんでほしいです」

自転車は、移動手段であるだけでなく、流域を読むためのメディアになる。自動車やバスでは速すぎて通り過ぎてしまう風景があり、徒歩ではたどり着く範囲が限られてしまう。自転車の速度は、そのあいだにある。におい、風、声、道の感触。そうした小さな手がかりを受け取りながら、旅人は、コウノトリを支える環境の広がりを少しずつ感じ取っていく。

サイクリングツアーの様子

走る旅を、保全への小さな参加にする

では、訪れる人がその流域を走ることは、どのように保全へつながるのだろうか。

豊岡観光イノベーションは、ツアー参加、地域産品の購入、寄付、保全活動への参加などを通じて、訪れる人の行動を、地域の自然や暮らしへ還していく構想を描いている。

たとえば、コウノトリ育むお米やその加工品を旅のなかで知り、購入することは、農家の継続意欲を支えることにつながる。地域産品を買うことが、単なる土産購入ではなく、コウノトリも暮らせる水田を支える行為にもなる。

コウノトリ育む米(無農薬5キロ)

また、寄付や保全活動への参加は、経済的な支援や活動面での支援にとどまらず、地域の人々のモチベーションにもつながる。自分たちが守ってきた風景に、遠くから来た人が関心を寄せる。そのこと自体が、保全を続ける力になるのだ。

この考え方を、豊岡観光イノベーションは「Cycling for Good.」と表現する。

小畑さん「気負わずに、ちょっといいことをしてみよう、という感じです。無理なく楽しく目指そう、と」

現在、造成しているツアーでは、代金の一部を寄付金として保全に還元する仕組みを検討しているという。さらに今後は、任意でドネーションを受け付ける仕組みも視野に入れている。

この軽やかさは重要だ。保全は、正しさだけでは続かない。訪れる人が無理なく参加でき、地域の人にとっても負担にならず、それでいて確かに保全の現場に意味がある。その接点をどう設計するかが、これからの課題になる。

コウノトリ“も”住める環境を、どう支えるか

ただし、参加者が支えようとしているのは、単に「コウノトリがいる風景」ではない。その背景には、豊岡が長い時間をかけて育んできた共生の哲学がある。

日本の野生コウノトリは、乱獲や農薬の影響などを背景に減少し、1971年に野生下から姿を消した。その後、豊岡では人工飼育や野生復帰の取り組みが続けられ、コウノトリが再び空を舞う環境を取り戻すための試行錯誤が重ねられてきた。

小畑さんは、この歩みを単なる成功談として語るべきではないと言う。

小畑さん「日本で野生最後の一羽のコウノトリが確認されたのも、この土地でした。そこから一度、国内の野生コウノトリは姿を消しています。一度は卵を産んでもふ化しなかった。農薬の影響も背景にあると考えられ、コウノトリ育む農法へとつながっていったのです。こうした挫折の過程を一つずつお話しすることも、この旅には必要だと考えています」

農薬を減らす決断は、農家の生活を左右する葛藤を伴った。岡本さんは、当時の地域の苦労を想像しながらこう話す。

岡本さん「一度はこの土地からコウノトリが姿を消しました。そこから、どうすればもう一度戻ってこられるのかを考え、農業のあり方や地域の環境を見直してきた歴史があります。

最初に農薬を減らしてほしいと伝えたとき、反発があったはずです。収量はどうなるのか、生活は成り立つのかという不安もあったと思います。そこを一人ひとりに理解していただきながら進めてきた過程があります」

なぜ、そこまでして鳥を守る必要があったのか。それは、コウノトリが単なる一種類の鳥ではなく、人間にとっても健やかな環境を映し出す象徴だったからだ。

岡本さん「コウノトリが生息できるほどの水田であるということは、私たちが口にするものの安心・安全について考えることにもつながります。コウノトリは、ある意味で象徴なのです」

その積み重ねの先に、豊岡が大切にしてきた「コウノトリも住める環境」という考え方がある。

岡本さん「コウノトリだけが住める環境ではなく、コウノトリ“も”、人間も住める環境をつくる、ということです。コウノトリのために人間が我慢しなければいけないのであれば、それは本当の意味での共生ではありません。人間も、生きものも、ともに住みやすい環境であってこそ、真の共生なのだと思います」

「コウノトリも住める環境」。この「も」という一文字には、コウノトリだけを特別に守るのではなく、農業も、地域経済も、人々の暮らしも、同じ土地のなかで続いていくべきだという考え方が込められている。

だからこそ小畑さんは、今回の旅を通じて、参加者にこんな問いを持ち帰ってほしいと話す。

小畑さん「良好な環境とは、誰にとって良好な環境なのか。私たちはどうしても人間中心で考えてしまいますが、豊岡で出会う人たちが生き生きと暮らしている姿を通じて、その答えを感じ取ってもらえたらと思っています」

本モデル事業を通じて豊岡の取り組みに伴走してきた環境省の吉田さんは、コウノトリとの共生を軸に環境と経済をつないできたこの地域の歩みを、こう位置づける。

吉田さん「ネイチャーポジティブという言葉が世界的に注目されるずっと前から、豊岡はこの考え方を先駆けて実践してきました。いわば、取り組みを継続した結果としてまちがどう変わったかという、一つの経過を見ることができる貴重な地域なのです」

吉田さんが驚きを込めて語ったのは、豊岡では「自然との共生」が個人の志や一時的な取り組みに留まらず、行政の仕組みにまで実装されている点だった。市役所には長年「コウノトリ共生」を冠する部署があり、環境と経済を切り離さずに考える姿勢が、地域のビジョン・戦略のなかにも息づいてきた。

その地域の意志があったからこそ、かつて姿を消した鳥が再び舞う空が、今の豊岡にはある。

一方で、訪れる人が地域の未来に関わるためには、その土地を「消費しない」ための配慮も欠かせない。水田や湿地は、観光の舞台である前に、農家の仕事の現場であり、生きものの生息地でもある。

岡本さん「農家さんは、観光のために農業をされているわけではありません。そこは、来られた方にもきちんと伝えなければいけない。一方で、農家の方々にも、自分たちがどのような取り組みをしているのかを話していただけるような関係ができれば理想だと思います」

だからこそ、この旅ではガイドの存在が重要になる。どこまで近づき、何に目を向け、どのように地域の人と出会うのか。訪れる人と地域のあいだを丁寧につなぐ接点があってはじめて、観光は保全を支える力になっていく。

参加者が走る道の先で、コウノトリも、人も、農業も、地域経済も続いていく。その循環をどう育てていけるか。豊岡の挑戦は、観光が地域の未来にどこまで関われるのかを問い続ける、現在進行形の実践なのである。

旅は、風景を支える営みに出会う入口になる

豊岡の事例が示しているのは、観光を保全につなげるために必要なのは、単に人を呼び込むことではないということだ。訪れる人が、その風景がどのように守られてきたのかを知り、地域の人々が自分たちの足元にある価値を見つめ直し、その関係性の中から次の保全の力が生まれていく。その循環をどう設計できるかが問われている。

渡邉さんは、現地へ足を運ぶ意味をこう話す。

渡邉さん「自分の目で見て、耳で聞き、鼻で香りを感じ、地域のおいしいものを舌で味わう。体全体を使って、その地域にあるものを受け取って帰ることに、旅の価値があると思っています。有名な観光地だけではなく、一見すると地味に見える場所にも、そこでしか出会えない風景や営みがあります。そうした場所を楽しむことが、少しずつ保全にもつながっていく。そんな旅のあり方が広がっていけばと思います」

良好な環境は、ただ美しい風景として存在しているのではない。そこには、水田を守る農家がいて、湿地に手を入れる人がいて、地域の生きものや暮らしを次の世代へつなごうとしてきた時間がある。旅は、その奥にある営みに触れる入口になり得る。

もちろん、豊岡の取り組みをそのまま別の地域に移すことはできない。自然環境も、産業も、地域の関係性も、それぞれ異なるからだ。大切なのは、成功事例をコピーすることではなく、自分たちの地域にある風景や営みをどう見つめ直し、誰と、どのように守っていくのかを考えることなのだろう。

旅先で見た美しい風景を、ただ「きれいだった」と記憶する。それ以上に、その風景を成り立たせている人の手、時間、選択にまで想像を伸ばす。そして、そのまなざしが地域の営みへの関心や参加へとつながるとき、旅は風景を消費するものから、風景を支える関係性の一部へと変わっていくのかもしれない。

【参照サイト】環境省「良好な環境を活用した観光地域づくり」
【参照サイト】環境省「一般社団法人豊岡観光イノベーション:良好な環境を活用した観光地域づくり」
【参照サイト】兵庫県立コウノトリの郷公園「野外コウノトリが500羽に到達しました」
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この記事を書いたライター

富山 恵梨香(とみやま えりか)。IDEAS FOR GOOD 編集長。大学卒業後は日系不動産会社のベトナム、ハノイ支店で営業マネージャーとして従事。2018年ハーチ株式会社に入社、国内外の社会的企業への取材や記事の企画などを行う。現在はフランス・パリを拠点に国際会議への参加やリサーチやイベント、教育事業などに取り組む。関心テーマは、ウェルビーイングを実現する新しい経済のあり方。(この人が書いた記事の一覧