創業60年の味噌屋は、なぜコミュニティスペースを作ったのか。宮本みそ店が“耕す”地域の担い手

2026.09.03

Souma Motomi
【特集】残すものと、委ねるもの。 〜富山の風土から紡ぐ、大切にしたい豊かさ〜

豊かな水循環と「土徳」という精神が息づく風土を持つ富山。本特集では、農業、食文化、建築、伝統工芸など、地域の文化を未来へ繋ぐ現場を訪ねます。単に過去を「保存」するのではなく、何を残し、どう現代へ編み直していくのか。先人の知恵を受け継ぎながら変化を生み出す人々との対話から、これからの社会に残したい豊かさの源泉を探ります。

祭りや工芸、郷土料理、昔ながらの集落や農業。その土地だからこそ育まれてきた文化や営みが、日本各地で姿を消しつつある。担い手の高齢化や人口減少によって、祭りは途絶え、田畑は荒れ、長年受け継がれてきた知恵や技術も失われていく。それは劇的な出来事ではなく、音もなく、少しずつ進んでいく。そして、一度途絶えてしまえば、再び取り戻すことはほとんど不可能に近い。

では、それらを守るのは、“誰の仕事”なのか。

その問いに新しい答えを探し始めているのが、富山県魚津市の「宮本みそ店」だ。

創業から約60年。すべての工程を手作業で仕込み、アルコールや添加物を一切使わない味噌を造り続けてきた宮本みそ店は、2022年、店を営む宮津地区にコミュニティスペース「BOBO.」を開いた。甘酒を使ったジェラートや味噌づくり、食事やイベントを通して、人が集い、地域との新しい関わりを育む場所をつくっている。

「味噌という文化を守るのは、味噌屋だけの仕事ではないと思うんです」

失われつつある文化や営みを、持続可能な形で未来へつないでいくには何が必要なのか。その先にある、本当の豊かさとはどのようなものなのか。宮本みそ店の取り組みとBOBO.に集う人々の姿から、そのヒントを探っていきたい。

地域で愛される祖父母の味を残すため

宮本みそ店の始まりは、現代表の宮本晃裕さんの祖父母の時代に遡る。「これで何とか生活していけ」──戦後、そんな言葉と共に親戚から譲られた一枚の田んぼで生計を立てようと試行錯誤するなかで出会った営みのひとつが、自宅の一室でできる麹づくりだった。

「人付き合いの得意なじいちゃんが、どこかから麹づくりの方法を聞いてきたそうで。1957年ごろのことです。それから、農業をメインに、冬の農閑期に麹や味噌づくりをするようになっていきました」

周りの米農家から米を預かり、それを麹や味噌に仕上げて返す。祖父母の代で行っていたのは、そんな顔の見える範囲で営む委託加工業だ。手作業で丁寧に作る味噌の評判は次第に広まり、地域の人たちにとって欠かせないものとなっていった。

宮本さん自身は、子どもの頃から祖父母に連れられて田んぼや味噌づくりの現場に行ったり、車を運転できるようになると味噌の配達を手伝ったりと、祖父母の営みを身近に感じながら育った。しかし、10代の頃は自分が味噌屋を継ごうとまでは考えていなかった。

転機が訪れたのは、宮本さんが20歳を過ぎた頃だ。

その頃すでに、味噌の消費量は食生活の変化などを理由に大きく下がり始めていた。委託加工で一年分の味噌を仕込む家庭も減っていき、宮本さんの祖父母は、自分たちの代で味噌屋を終わらせるつもりだったという。

「最初は、『これからは、よその味噌を買うようになるんだな』くらいにしか思っていませんでした。でも、生まれたときからずっとうちの味噌で育ってきたので、この味がなくなることは想像できなくて。そこで、商売にするかどうかはさておき、自分たちの食べる分だけでも作れるようになろうと思い、ばあちゃんに味噌作りを習い始めました」

自分が食べ続けたい味だから、作り方を習っておこう。そんな個人的な思いから教わり始めた味噌づくりだったが、次第に、宮本家の味噌が多くの人に愛されていることに気づかされていった。

「味噌づくりに関わるうちに、うちの味噌を本当に楽しみに待ってくれているお客さんがたくさんいることを知るようになりました。『あんたたちの味噌じゃないと、味噌汁食べれんがやね』そんな風に言ってくれる地元のおじいちゃんやおばあちゃんたちの声を聞いているうちに、これはなくしたらいけないものなのではないか、と思うようになりました」

手作業で作る“味”は、一度失われてしまえば、復活させることは不可能に近い。それを食べ続けたいと思ってくれる人が、こんなにもいるなら──宮本さんは、味噌事業の厳しさを覚悟しながらも、宮本家の味噌の味を残すため、味噌屋を継ぐことを決心したのだ。

宮本さん

宮本晃裕さん / Photo by gooth Inc.

失われていく大切なものを、みんなで守っていける場所を作りたい

覚悟と共に屋号を「宮本みそ店」に改め、本格的に事業を始めたのが2010年の2月。初年度の売り上げは60万円と、材料も十分に買うことができないほど。何とかしようと販路を開拓するなかで出会ったのが、当時東京で開かれていたファーマーズマーケットの運営に携わっており、その後現在に至るまで宮本さんに15年近く伴走してきた、現株式会社グースの若菜公太さんだった。

若菜さんの勧めでファーマーズマーケットに毎年継続的に出店するうち、新たなお客さんや事業の協力者にも出会えた。「東京で売れているらしい」という噂が広がり、地元でも評判に。10年近くをかけて、徐々に味噌の売り上げは伸びていった。

イベント出展の様子

ファーマーズマーケット出展の様子 / Image via 宮本みそ

そうして事業が安定し始めた頃だった。宮本みそ店の近所の建物が空き家になったことで、現在のBOBO.につながる話が動き始める。広い土地や田んぼを備えた立派な古民家だったが、もう使わないので何とかして欲しいと宮本さんに相談が持ちかけられたのだ。そこで宮本さんは建物を購入。どのように使おうかと検討を始めた。

真っ先に思い描いたのは、地域の人たちが集い、共に時間を過ごすコミュニティスペースのような場所。その発想の根底には、今ではすっかり薄れてしまった人と人とのつながりがある地域の原風景を取り戻したいという強い思いがあった。

「この地域では、昔はご近所付き合いが今よりずっと盛んでした。家に鍵なんてかけていませんから、ばあちゃんの友達はよく家に入って来ていたし、学校から帰ってくると家で知らない近所の人が寝ていることだってしばしば(笑)。正月には、元旦からよその人がうちに来て一緒に朝ごはんを食べていました。

駄菓子屋さんのようなお店もあって、そういう場所が自然と人々の交流の場になっていました。本当に、みんなで一緒に暮らす、大きな家族みたいな感じだったんですよね。そんな風景が、ごく自然だったんです。

でも、だんだんと人のつながりが希薄になって、家に鍵をかけるようになって。向かいの人がどんな仕事をしているのか、子どもは何人いるのか……そんなこともわからない世の中になってしまいました。仕方ないことなのかもしれませんが、なんというか、寂しいなと思うんです」

人と人とのつながりが失われていくということ。それは、そのつながりによって保たれていた地域の祭りや行事、固有の食文化、さらには、そこにあって当たり前だった景色や豊かな瞬間までもが失われていくことを意味する。

それらは、一度失われてしまえば簡単には取り戻せない。祖母がつくる味噌の味を残そうと思ったのと同じように、今度は、地域で音もなく失われていく大切なものを残すために、できる限りのことをしたい。ならば、それを“みんなで”守っていくための場所を作ろう。

こうした思いがだんだんと形になっていき、建物の購入から3年を経た2022年9月、宮津の地に、BOBO.は誕生した。

誰もが楽しめるジェラートがきっかけに。BOBO.に生まれた賑わい

「ボボ」は魚津の方言で、「小さな丸い粒」という意味だ。お米や塩、大豆、麹菌。その一粒一粒が集まってお互いを刺激し混ざり合うことで「発酵」という反応が起き、味噌の美味しさが生まれる。そんな風に、この場所に一人ひとりが集まることで新たな何かが生まれ、それが育っていくように──この名前には、そんな思いが込められている。

そんなBOBO.は、立山連峰の一角を成す毛勝山のふもと、田畑に囲まれた静かな場所にある。瓦屋根が立派な年季の入った古民家。ガラス戸をガラリと引いて中に入ると、広い店内が見渡せる。

BOBO.の外観

BOBO.の外観 / Image via 宮本みそ

入り口近くには石造りのカウンターとジェラートのショーケース、手前には大きな丸テーブルと懐かしい小学校の椅子。その奥には、寝転がることもできる広々とした畳の小上がりがあり、大きな縁側の窓の外には田んぼの景色が一面に広がる。

BOBO.の内観

BOBO.の内観

BOBO.の内観

大きな柱や彫刻の施された欄間(らんま)など、元の古民家の良さを残しているからか、どことなく“おばあちゃんの家”に来たような感覚にもなれる。一方で、天井から吊るされた豆電球はどこか秘密基地のような雰囲気を醸し出し、何か新しいことが生まれそうな予感もする。

そして、この拠点と共に新たに開発したのが、発酵に欠かすことのできない“麹”を使ったオリジナルジェラートだ。

「味噌や麹をわざわざ買いに来てくれる人は、どうしても限られます。でも、ジェラートなら、大人も子どもも一緒に楽しめますし、もっと気軽に発酵に触れてもらうきっかけになるんじゃないかと思ったんです」

BOBO.のジェラート

魚津産のりんごを使ったオリジナルフレーバー / Image via 宮本みそ

BOBO.のジェラート

Photo by gooth Inc.

誰もが楽しめるようにと、原料は植物性のみ。定番は、宮本みそ店の代表的な商品である「飲む糀(甘酒)」を濃縮した「甘酒と豆乳ミルク」だ。他にも、「味噌キャラメル」や「山椒カカオニブ」など、季節ごとに様々な地元の素材も取り入れながら、味噌屋ならではのユニークなフレーバーを届けている。

このジェラートが、狙い通り幅広い世代に大人気に。子どもからお年寄りまで、さまざまな人が宮本みそ店やBOBO.と関わる接点になっている。

オープンからしばらく経つと、宮本みそ店のお米とお店の味噌を使った味噌汁のシンプルな昼食や、味噌や麹を中心とした調味料で作る週替わりの「発酵ランチ」も始めた。

「最近では、子ども連れのお母さんたちがランチがてらにくつろいでいく様子もよく見られるようになり、それがとても嬉しいですね」

BOBO.のランチタイムの様子

Photo by gooth Inc.

BOBO.の発酵ランチ

BOBO.に飾られている、地域の人たちの写真

BOBO.の一画に飾られている、ジェラートを味わう地域の人たちの写真

豊かさとは、「みんなで分かち合える」こと

親子で参加できる味噌作り体験にコミュニティディナー、年末には餅つきイベント。人が集うきっかけを積み重ねて4年近く経ち、BOBO.は、少しずつ地域の人たちが安心して過ごせる場所として定着しつつあるようだ。

BOBO.に人の賑わいが生まれるようになってきた今。その先に描いていた、みんなで大事なものを守っていく未来の入り口も、少しずつ開き始めている。

「味噌という文化を守るのは、味噌屋だけの仕事ではないと思うんです。うちの場合、お米を作るところから始めて、収穫して、麹にして、味噌にして……それを全て少ない人数で続けていくのは、やっぱり限界があります。

でも、例えばBOBO.でやっている味噌作りでは、一度に半年から一年分をまとめて仕込む人がいます。そういう人がもっと増えれば、その分僕たちも楽になる。その人たちはお客さんでありながら、同時にすごく大事な協力者なんです。

僕たちは材料を用意すればいいし、お客さんも楽しそうに味噌を作ってくれています。自分で作るとより一層美味しく感じると話してくれますし、子どもたちにとってもその体験は記憶に残ると思います。そういう子どもたちの中から、『僕、味噌屋やる』っていう子が出てくるかもしれないし。

他にも、宮本みそ店には夏の農作業を手伝ってくれる人や、冬にアルバイトで仕込みを手伝いに来てくれる人もいて、本当に助かっています。そんな風に、周りに関わる人が多ければ多いほど、伝統的な産業を守っていける可能性は高くなると思っています」

地元のおばあちゃん

Image via 宮本みそ

自分たちだけで何とかしようとするのではなく、みんなで少しずつ手を動かして守っていく。BOBO.でお米や味噌の新たな可能性を見せ続けていくことも、そんな未来を作るための一歩だ。

「昔はご飯として食べるかお酒にするくらいしかなかったかもしれませんが、今は技術も進歩して、お米から本当にさまざまなものが作れるようになりました。この可能性は、まだまだ広がっていくと思います。

そうしたことも含めて、『お米って面白いよ』というメッセージを、僕たちがいろんな形で伝えていけたら、『自分もお米を作ってみたい』と思う人が出てくるかもしれない。そうしたら、田んぼ一枚、守れるかもしれません」

BOBO.のランチタイムの様子

Photo by gooth Inc.

最後に改めて、豊かな地域とはどんな地域だと考えるのかを聞いてみると、宮本さんは少し考え、「みんなで分かち合える地域かな」と答えてくれた。

「一人じゃやっぱり、つまらないですよね。いろんな人たちと一緒に生きているんだから、うれしいことは分かち合って、つらいことは相談しながら暮らしていけたらいい。

日本一美味しいお米をお金で買って家で一人で食べるより、虫食いだらけでも自分たちで育てたお米をかまどで炊いてみんなで食べたほうが、きっと美味しいと思うんです。

そういう暮らしって、豊かなんじゃないかなって。僕自身はそういう暮らしをしたいし、周りの人たちにもそうあってほしい。じゃあ、どうやったらそういう暮らしになるのか。それをこの場所で、いろんなことをやりながら、みんなに聞いたり、一緒に食べたり飲んだりしながら考えていきたい。

時代に合わせて変化させながら、続けていく方法をみんなで考えていく。それで最後は、『いい人生だったね』って言って死んでいけたらいいなと思います」

宮本さん

Photo by gooth Inc.

編集後記

文化や営みというと、祭りや伝統工芸品など、何か決まった「形」を思い浮かべるかもしれない。しかし、本当に残したいものは、その形そのものではないのだ。

味噌にひとつとして同じ味がないように、文化もまた、生き物のように姿を変えながら受け継がれていく。人が集まり、笑い、時にはぶつかり合いながら、新しい関係が生まれる。その積み重ねの中で、その土地らしい営みは少しずつ発酵し、文化になっていく。

だからこそ宮本さんは、「味噌という文化を守るのは、味噌屋だけの仕事ではない」と語ったのだろう。誰か一人が背負うのではなく、地域に関わる一人ひとりが少しずつ関わることで、文化は未来へつながっていく。その発想は、味噌づくりだけでなく、祭りや農業、伝統工芸など、多くの地域文化にも通じるものだ。

そうして「生きた」文化が残る地域にこそ、人との関わり合いも残るのだろう。宮本さんが「分かち合い」という言葉で表したように、その関わり合いこそが、これからの社会に間違いなく残すべき“豊かさ”なのではないだろうか。

【参照サイト】宮本みそ店
【参照サイト】BOBO.
【参照サイト】BOBO Gelato

この記事を書いたライター

相馬 素美

Souma Motomi

1996年生まれ、横浜出身。東京音楽大学器楽専攻鍵盤楽器(ピアノ科)、同大学院伴奏研究領域にて研鑽を積む。2020年にアーティクル株式会社に入社、IDEAS FOR GOOD、Circular Yokohama等にてサステナビリティに関する幅広いトピックの取材・執筆のほか、企業向けのサステナビリティ研修、展示、地域イベント、ワークショップ等の企画運営を担当。2023年、半年間アイルランドに滞在し、語学研鑽や取材活動を行う。