【特集】残すものと、委ねるもの。 〜富山の風土から紡ぐ、大切にしたい豊かさ〜
豊かな水循環と「土徳」という精神が息づく風土を持つ富山。本特集では、農業、食文化、建築、伝統工芸など、地域の文化を未来へ繋ぐ現場を訪ねます。単に過去を「保存」するのではなく、何を残し、どう現代へ編み直していくのか。先人の知恵を受け継ぎながら変化を生み出す人々との対話から、これからの社会に残したい豊かさの源泉を探ります。
山に降った雨が、海へ向かって駆け下りていく。
立山連峰から富山湾まで、わずかな距離しかない魚津では、山と海が驚くほど近い。雪解け水や雨は大地に染み込み、地下を流れ、やがて海の底から再び湧き出す。山で生まれた水が、海へ、そしてまた土地へと戻っていく。
そんな「水の循環」の上に、人々の暮らしも、農業も、食文化もある。
一方で、雨が多く湿度の高い魚津は、ワイン用ぶどうを育てるには決して恵まれた土地ではない。それでも、この土地の自然を変えようとするのではなく、むしろその声に耳を澄ましながら、ぶどうを育て、ワインを造る人がいる。富山県魚津市の「KANATA WINERY(カナタワイナリー)」で栽培・醸造を担う、土井祐樹さんだ。

土井さんが造るのは、単なる「魚津産のワイン」ではない。
自然に人間を合わせること。先人から受け継いだ知恵を、次の世代へ手渡すこと。そして、古いものをそのまま保存するのではなく、新しい文化と掛け合わせながら、もう一度未来へ開いていくこと。土井さんのワインづくりには、自然と文化のあいだの「循環」があった。
巨大な水脈の上に生きる魚津の人々は、未来へ何を「残そう」としているのだろうか。その循環の先にあるものを、土井さんのワインづくりから考えてみたい。
ガス会社がなぜワインを?耕作放棄地から始まった地域への恩返し
カナタワイナリーの原点は、地元のインフラ会社として地域に密着してきた創業72年目のガス会社。あるときワインづくりに挑みたいという声があがったという。全く畑違いの会社が、なぜワインを始めたのか。その背景には、人口減少や高齢化に直面する地方都市の切実な課題があった。
「高齢化に伴い、耕作放棄地の活用の相談が、地域の生活基盤を支えるうちの会社(ガス会社)によく入ってくるようになっていたんです。相談役でもある前の会長は、85歳ですが、若い頃に農業をやっていた経験があり『人生の最終盤でもう一度農業をやりたい』と思っていたようです。また、せっかくの土地を地元の人がなんとかしなければならないという強い思いも持っていたことから、農業を元気にしながら地域貢献をしたいと、2018年頃にプロジェクトが動き出しました」

当時、県庁の果樹技術者として勤務していた土井さんのもとに、「ワインづくりの管理運営をお願いできないか」とガス会社から声がかかったのは、まさにそんなタイミングだった。25年以上のキャリアを持つ土井さんは、その打診を受けた瞬間を「絶対に失敗する」と思ったと笑いながら振り返る。
「地域愛は素晴らしいけれど、ぶどう栽培のノウハウがないから無理だと思いました。ただ、私自身、技術者として魚津の果樹農家さんたちに育ててもらったという強い恩義がありましたし、何より魚津の食文化は本当に面白い。ここで良いワインを造ってしっかりと評価されれば、魚津が誇れるものになると思い、転職して参画することに決めました。他の地域だったら断っていたと思います」
自然に降参し、知恵をひらく。受け継がれる「魚津DNA」
魚津だから引き受けた。この土地だったからこそ、挑戦する意味があった──土井さんがそう話す魚津の町の地形は、非常に特異だ。北アルプスの山頂までわずか25キロメートルほどしかない。年間降水量は2,500〜2,700ミリ。山と海が近接するこの土地では、降った雨や雪解け水が地下を通り、短い距離のなかで水循環を繰り返している。
しかし、雨が多く湿度の高い環境は、ワイン用ぶどうにとっては過酷そのもの。立ち上げ当初、専門家からは「こんなところで良いワインができるわけがない」と断言されたという。
「自然を変えることはできません。だから毎日、木を見ます。葉の色はどうか。枝はどちらへ伸びたか。雨のあとにどう反応したか。教科書ではなく、ぶどう自身から学ぶ。その積み重ねが、技術なのです。教科書通りにはいきませんから、現場で起きる様々な変化に対応できる『見る目』を養うことが重要です。楽しいというよりは、修業のようなものですね」

土井さんは、自然を「克服する対象」とは見ていなかった。変えられないものを変えようとするのではなく、自分たちのほうが自然に合わせていく。その発想の転換こそが、この土地で受け継がれてきた知恵なのだ。
「たとえば、120年余りの歴史があるこの地のりんご農家さんは、かつて先進地の技術を学びながら、魚津の過酷な気象や土壌条件に応じたオリジナルな栽培技術を作り上げてきました。さらにすごいのは、昭和の終わり頃から、彼らは富山県内にりんご栽培を広げるために、自分たちが苦労して手に入れた栽培ノウハウを新興の産地に惜しみなく注ぎ込んできたこと。
普通なら技術を囲い込みたいはずなのにそれをしなかった。このオープンで利他的な心意気は、『魚津魂』と言うべきか『魚津DNA』と言うべきか。私たちKANATA WINERYも、この素晴らしいDNAをしっかり受け継いでいかなければならないと強く感じています」
魚津の豊かさは、水だけではない。先人たちは、自分たちが苦労して築いた栽培技術を囲い込まなかった。地域全体が豊かになるなら、その方がいい。そんな考え方が、この町には流れている。土井さんが「魚津DNA」と呼ぶものは、技術ではなく、その心なのかもしれない。
「魚津には、海の中から綺麗な淡水が湧き出る『海底湧水』という現象があります。この冷たくて栄養豊富な海底湧水が富山湾の豊かな生態系を支えているんです。2,000年前の杉の原生林の根っこ(埋没林)も、この湧水に絶え間なくさらされて酸素が遮断されていたからこそ、腐らずに生の状態で残りました。これこそ、陸の環境が海の底まで繋がっているという究極の証明であり、私たちのワインづくりにとっても大きなテーマになっています」

痩せた土地や過酷な気候を「リスク」として排除するのではなく、ぶどうの生命力を引き出す「豊かさの源泉」として捉え直す。そこには、技術を私有化せず地域へひらいてきた先人たちの知恵が息づいている。山に降った雨が地下を通り、海底から湧き出て古代の杉を守り育むように。魚津では、自然の生態系も、人間が育む文化や技術も、すべてが分断されることなく巨大な一つの水脈としてつながっていた。
「昆布締め」に合うワイン。伝統の周りにあるつながりを流し直す
そんな水脈の一端を担うKANATA WINERYが目指すワインとは──地元の人が日常的に飲み、地元の「食」に合うワインだ。その背景には、魚津が誇る濃厚な食文化がある。

「魚津は人口約4万人の小さな町ですが、駅前には飲食店が150軒近くもあり、非常に豊かな飲み屋文化が根付いています。新鮮で多様な魚介類がベースになっており、この地域には食にこだわる人も多いです。
魚津では『昆布締め』をよく食べるほか、モツ鍋などに昆布の旨味が移ったものや、富山特有の昆布巻きのかまぼこなど、昆布の旨味ベースの和食文化が日常にあります。私たちのワインは、そういった魚津の出汁の文化や個性的な魚料理、和食にしっかりと合わせられるように品種を選び、造っています。日本酒のように、和食と高い次元で融合するワインを証明していきたいです」
山に降った雨は、地下を通り、海底から湧き出す。その水で育った魚が昆布締めになる。その昆布は、北前船が運んできた文化だった。そこへ、魚津の畑で育ったぶどうから生まれたワインを合わせる。自然と歴史の流れが、一つの食卓で交わる。見えない伝統の周りにあるつながりを、ワインという新しいメディアを通じて、現代の食卓へもう一度循環させる試みがここにあった。
そこには歴史のロマンを楽しむ、大人の遊び心も同居していた。
「ワイナリーの横にある天神山は、かつて上杉景勝が籠城した城跡です。ここで私たちは『甲州』を育てています。甲州は現在の山梨を代表する品種。その山梨といえば武田信玄を思い浮かべますよね。上杉方のお膝元で、武田信玄にゆかりのある甲州ぶどうを育てる。
もし二人が生きていたら『ちょっと一杯どうだ?』と一緒に飲ませてみたいなと、そんな遊び心も持っています。ぶどうは植えてからお金になるまで時間がかかりますし、雪対策も大変ですが、立山連峰が風や雪から守ってくれている部分もありますね」
「攻める」ことで伝統は守られる。郷土文化を“アウフヘーベン”させる覚悟
日本中で問題になっている農業の高齢化や後継者不足。この深刻な社会課題は、ここ魚津市でも全く同じように起きており、約140年の伝統を有する果樹栽培の歴史にも影を落としている。その中で、土井さんは伝統を後世に残すことに対して「攻めの姿勢」を崩さない。
「いま、この伝統ある果樹農業も風前の灯火になりつつあります。だからこそ私たちは、この課題を『ワインづくりで解決する!』という強い気概を持っています。ただ守るというより、どんどん攻めていく結果として、伝統が守られるのだと思っています。
魚津の若い料理人たちも、地元の食材を使ってフレンチやイタリアンに落とし込むなど、型にとらわれない挑戦をしています。色々なトライをするからこそ、面白いものが生まれる。私たちの使命は、地元の伝統や郷土料理をただ昔のまま残すことではありません。ワインという新しい文化と掛け合わせることで、伝統を否定するのではなく、より高い次元へと発展させる。つまり、郷土料理を“アウフヘーベン(止揚)”させることが、私たちの使命なんです」

「攻める」と聞くと大胆な挑戦を想像してしまう。しかし土井さんの言う攻めとは、思いつきではない。自然を観察し、地域の文化を学び、根拠を積み重ねた先に初めてできる挑戦なのだろう。
「気候変動の影響もありますし、計画通りにいかないこともあります。造ってみると『もう少し熟成させてからリリースした方が良いワインになる』と気づくこともあり、販売ペースは様子を見ながら進めています。将来的には、魚津のどこの飲食店に行っても、うちのワインや地元の日本酒が当たり前のように置いてあり、皆さんに楽しんでもらえる状態になってほしい。
地元の人にしっかりと飲んでもらえるワインを造り続けること。それが結果的に、魚津という町の魅力や活気を維持し、発展させることに繋がっていくと信じています」
編集後記
「ワイン造りが特別好きなわけじゃないんですよ」
取材中、そう言って楽しそうに笑う土井さんの姿が耳から離れない。彼が愛しているのは、ワインそのもの以上に、魚津という土地とそこに流れる人々の営みなのだと思う。
山から海の底へ途切れることなく水が駆け下り、120年前の農家が惜しみなく知恵を分かち合ってきたように。土井さんにとってワインは、土地に脈々と流れる記憶や心意気を途切れさせず、次の世代へ手渡すための「メディア」だった。
私たちが未来へ「残したい」と願うものは、なんだろう。私たちはどんな未来を紡いでいけるだろう。
魚津の風土と海の記憶が溶け込んだ一杯のワインを前に、そんなことを思った。
【参照サイト】カナタワイナリー
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