履歴書の経歴欄を埋めていく。どこの学校に通っているのか。どんな会社で働いているのか。次にどこに所属し、どんな肩書きを得たいのか。
では、そのどれにも当てはまらない=履歴書には書けない時間を過ごしているとき、私たちは自分をどう説明すればいいのだろう。
進学しているわけでも就職しているわけでもない。けれど、何もしていないわけではない。考えながら、迷いながら、自分の「生きる」を探している時間。それはときに「空白」や「遅れ」、つまり埋めなければならない他人との差・ギャップと見なされてしまう。
こうした時間を、自分の生き方に向き合うための余白として前向きにとらえようとするのが、ギャップイヤーという概念だ。これは、進学や就職などの節目の前後に、学びや経験、休息、自己探求などにあてる期間のことである。
ナヤー友里佳さんは、そんなギャップイヤーの経験者であり、この概念を広めようと活動を行っている。2026年5月には、自身が運営するギャップイヤー協会と、キャリアブレイク研究所との合同で「ギャップイヤー白書」を公開。ギャップイヤーの実態や、その背景にある価値観や不安、そして経験を通じて得られる変化に着目し、「立ち止まること」が持つ意味を、多角的に可視化した。ナヤーさんは、こうした情報発信やイベントを重ねながら、空白や寄り道をめぐる声を社会に届けているのだ。
学生でも会社員でもない「肩書きのない」時間を、私たちはどう受け止めればいいのか。「まっすぐ進むこと」だけが正解とされがちな社会のなかにおける「寄り道」の意味を、ナヤーさんとともに考えてみたい。
話者プロフィール:ナヤー友里佳(なやー・ゆりか)
高校を卒業した6年前、自らが「肩書きのない時間」を経験したことをきっかけに、日本ギャップイヤー協会を設立。デンマークのフォルケホイスコーレやイタリアでのホームステイなど1年弱のギャップイヤーを経て、子ども英会話講師、マレーシアでの日本語教師アシスタント、フロリダディズニーでのキャストなど、教育・多文化交流を軸に国内外で活動。現在は日本を拠点にウェディング業界で正社員として働きながら、協会の活動を続けている。
「肩書きのない」時間を肯定してくれた、ギャップイヤー
Q. ナヤーさんご自身の、ギャップイヤーとの出会いについて教えてください。
私は高校生のときに大学の推薦入試に落ちてから、マレーシアの大学へ留学することを決めました。しかし、コロナの影響で渡航できなくなり、それも断念せざるを得ず……いきなり自分の「肩書き」がなくなってしまった感じがしたんです。
でも周りは、コロナ禍でも大学生になっている。だからこそそのときは、「肩書きがない時間」に対して、すごく不安がありました。漠然とした不安もそうですし、「遅れている」という感覚が強くありましたね。
そんなときにたまたま「ギャップイヤー」という概念を知ったんです。この言葉と出会ったとき、まさに自分の今を肯定してもらえたような気分になりました。その後デンマークのフォルケホイスコーレという学校を見つけたことをきっかけに、進学するのではなくギャップイヤーとしてデンマークに行くことを決めました。

ナヤー友里佳さん
Q. 実際にギャップイヤーを経験して印象的だったことは何ですか?
ギャップイヤー中に滞在していたデンマークのフォルケホイスコーレでは、それぞれ11か国から来た、年齢もバラバラの仲間40人ほどと共同生活をしていました。
本当に「学びしかない!」というほど濃いギャップイヤー期間だったのですが、一番自分に影響を与えたのが、週に一度全員で語り合う「カルチュラル・イブニング」という時間です。私たちの仲間のなかには、30歳のフランス人男性がいて、その方にはベルギーにパートナーがいると聞いていました。当時18歳だった私は、それを知ったとき咄嗟に「30歳でパートナーがいるのに結婚せず、こういうところに来るんだな」と思ってしまったんですね。
でも、ここでは、誰もそこに疑問を持っていない。自分の中に「30歳なら結婚して、働いているべき」と無意識の偏見があった……そう思った瞬間に自分は、すごく「べき」に縛られていたんだな、とハッとしました。
そうやって、自分の中の常識がほどけていったことが、ギャップイヤー中の印象に残っていることですね。
肌感覚を、可視化する。ギャップイヤー白書で示したかったこと
Q. 今回のギャップイヤー白書の制作はどのように始まったのでしょうか?
今回、白書をつくることになった大きなきっかけは、「キャリアブレイク研究所」を運営されている北野貴大さんとのつながりでした。北野さんは、「キャリアブレイク(一時的に仕事から離れ、心身のリフレッシュやスキルアップをしたり、新たな経験を積んだりするためにブレイク=休憩を取る期間)」を研究されている方です。それはいわば「大人のギャップイヤー」のようなものだなと感じていて、もともと親和性があるなと思っていたんですね。その北野さんから声をかけていただいたことがきっかけです。
これまでギャップイヤーについて肌感覚としてしか伝えられていなかった情報を、数字で見える化したいと思い、制作を決めました。

出典:日本ギャップイヤー協会
Q. 実際に白書でギャップイヤーの実態や声を可視化してみて、いかがでしたか?
ギャップイヤーを取るか迷っている人の背中を押すような嬉しいデータも多かったです。白書の中では、ギャップイヤーを取るうえで不安があった人は80.9%。一方で、「取って良かった」と思う度合いを10点満点で聞いたところ、10点を選んだ人が66.7%で、平均は9.2点でした。つまり、取って良かったと思っている人がほとんどだったことがわかったんです。
このデータは、不安があるからギャップイヤーを取るのはやめよう、と思っている人の背中を押すものになると思いました。
また、「ギャップイヤーの普及に際して、どのような制度が必要だと思うか」という質問では、一番多かった回答が「学校や企業の理解」でした。
なぜこのような回答が多いのか、その背景の一つに、ギャップイヤーを取ったその後の「受け皿」がないことがあると感じています。ロールモデルが少なく、その後の未来が保証されていない。だからこそ、学校も進学のことを心配してしまうし、企業もどう受け入れていいかわからない。当事者も、自分の未来がどうなるか分からないですしね。そこをどうにかしなければならないと思わされる結果も出ていました。
学校や企業が空白期間をどう評価すればよいのか分からない、そんな状況については、率直に正直に言うと、「今はしょうがないかな」と思っている部分もあります。ですが、「しょうがない」というのは、諦めではありません。ギャップイヤーは新しい概念だと思うので、そんなにすぐには受け入れられないよな、という気持ちがあるんです。
だから、必ずしも「応援する」ところまでいかなくてもいいのかなと思っています。この選択肢を知っている状態であること。それだけでも、すごく力になると思うんです。
「行っておいでよ」と強く勧めるところまでいかなくても、「ギャップイヤー、知っているよ」と言うだけでも、当事者の力になるのかなと思います。

Q. 白書の内容を伝えるうえで大切にしていることはありますか?
「ギャップイヤー」という言葉だけが独り歩きしないようにすることです。
ギャップイヤーは、人生においてただの「切り口」でしかありません。もし言葉だけが広がってしまうと、ギャップイヤーという行為をすること自体が目的になってしまいます。
例えば、「留学経験あり」という経歴が欲しいから留学しようとしたり、「ワーホリで何をしていたのか」よりも「ワーホリに行っていた」経歴をつくること自体が目的になってしまたり……そんな話を聞くことがあります。でも、「何を考え、何を得て、何を自分で選択したのか」という中身があやふやになってしまうのは違うような気がするんです。
それに、この言葉が独り歩きして「ギャップイヤーをやっていた事実」そのものが評価されるようになってしまうと、そこで比較が生まれるかもしれません。「この人の方が良いギャップイヤーをしている」「私のギャップイヤーはあの人より就職に有利」というみたいに。本当はそれぞれ違うものであって良いはずですよね。
言葉が独り歩きしないように、というのにはもう一つ理由があります。ギャップイヤーという言葉を使うことは、ある意味で、肩書きのない時間に「ギャップイヤー」という肩書きを付けているようなものでもあります。
私のように、この期間に名前を与えることによって救われる人もいれば、そうではない人もいる。だからこそ、言葉だけを広げたいわけではないんですよね。
私たちが届けたいのは、その先にある「自分が生きたい生き方を選べる社会をつくる」ということです。この点は、絶対に見落としたくないと思っています。
ギャップとは、木漏れ日である
Q. 隔たり、ずれ、乖離など、ネガティブな意味で使われることも多い「ギャップ」という言葉ですが、ナヤーさんはこの言葉をどう捉えていますか。
すごく抽象的なんですけど、「木漏れ日みたいな感じ」ですね。
木漏れ日は、葉と葉の間の隙間から光が差し込んで、その光が風で揺れたりして、一秒一秒変わっていく素敵な風景ですよね。葉っぱがたくさん生い茂った木の方が、ある意味では「完璧な木」に見えるかもしれない。でも、完璧に埋まった木からは、木漏れ日は生まれない。隙間があるから、あんなに素敵な木漏れ日が生まれる。そして、葉でも光でもない、「隙間がつくる光」が主役になる。そこが、すごく素敵だと思っています。
隙間や余白は、普段は主役になることが少ないから、悪いもの、ネガティブなものだと思われてしまう。でも、それをポジティブに上書きすることは、言葉によってできると思っています。光の加減、葉の加減、風の加減によって、ずっと変化していく。ギャップイヤーも、それくらい柔軟なものだと思っています。

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Q. ナヤーさんにとって「ギャップイヤー」とは何でしょうか。
人それぞれ答えが違うと思いますが、私の場合は「自分が、自分として生きる期間」です。
私でいえば「ナヤー友里佳として生きる」こと。肩書きが「ナヤー友里佳」でしかない──そんな時間がギャップイヤーなのだと思います。
自分の名前しか肩書きがない時間って、人生のなかでほとんどないと思うんです。そうなったとき、誰かのまねをしたり、人に言われた選択をするのもなんだか違う気がしていて。自分で選び、自分で決断し、自分のことを信じて進んでいく。自分だからできる生き方をする。そういう期間が、ギャップイヤーなのかなと思います。
ギャップイヤーは「キラキラした人」「行動力があり、社会を変えたいと思っている若者」だけのものだと思われてしまいがちです。でも、それだけではありません。
その人には、その人のギャップイヤーがある。必ずしも「自分が生きたい生き方」を実現できていなくてもいいと思うんです。でも、自分が生きたい生き方に近づくための、一つの選択肢なのかなと思います。
そんな、いろんなあり方、その中身が見えるようにするために、もっと「人」にフォーカスした形で、ギャップイヤーを広めていきたいと思っています。ギャップイヤーという選択をした人が、その後どう生きているか、どう幸せになっているか、社会のために何ができているか──そのストーリーまで見えるようにしたい。ロールモデルがまだ少ない今、まずは自分がその一人になりたいと思っています。
編集後記
この年は休学していますね。離職してから再就職までに、時間が空いていますね。
……「で、この期間は何をしていたんですか?」
「履歴書に書けない時間」は、なぜこんなにも説明を求められるのだろう。 学校に通う大学生、会社で働く社員、部長。そうした肩書きを使えば、わかりやすく自分を表すことができる。しかし、その肩書きが外れたとたんに、私たちは、自分を簡潔に説明する言葉を失ってしまう。
どんなことを考え、どんなことを学び、どんなことに迷い、どんなふうに生きる力を養っているのか。そんな「一言では説明できない何か」を、そのまま抱きしめられたら──社会は変われるのだろうか。
きっと、すぐには変われないのかもしれない。空白期間に戸惑うことだって、互いの肩書きだけで判断しあうことだってあるだろう。だが、木漏れ日はいつだって私たちの上にやわらかく降りそそぐ。その美しさを何度でも思い出せる自分であれたらと思う。
【参照サイト】日本ギャップイヤー協会インスタグラム
【参照サイト】【ギャップイヤー白書2026】約98%が「日本でも必要」――不安を抱えながら進学・就職以外の道を選んだ若者210人が証明した、寄り道の価値│PR TIMES
【参照サイト】肩書きがなくなった私が、日本ギャップイヤー協会をつくるまで│note
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