「すべての我が親類たちへ」シャチと音を交わし続けたジム・ノールマン氏の半世紀

2026.08.19

「人間は、決して人間だけで生きているのではない」

その当たり前の事実を、私たちはどれほど身体で実感できているだろうか。

気候危機や生物多様性の崩壊といった深刻な課題が浮き彫りになるいま、「自然を守ろう」「環境を保全しよう」という言葉があちらこちらで聞こえてくる。しかし、その言葉に触れるたび、どこかで小さな違和感を覚えてしまう。

「自然を守る」という言葉は、ときに、守る人間と守られる自然を分けてしまわないだろうか。

私たちの身体には、ヒト由来の細胞とほぼ同程度とも推計される、数十兆個の細菌が存在している。つまり、一人ひとりがすでに無数の生物の集合体である人間は、他の種とのつながりなしには生き続けることができない。それなのに、現代社会を生きる私たちの多くが、いつの間にか人間以外の生命とのつながりを忘れてしまった。

行き詰まりを見せる人間中心的な価値観と、人新世(アントロポセン)と呼ばれるこの時代を超えて、私たちはどうすれば、失われた他者との関係性を紡ぎ直せるのだろうか。

今回インタビューしたのは、米国ワシントン州の静かな島に暮らすサウンドアーティスト、ジム・ノルマン(Jim Nollman)さんだ。彼は1970年代から半世紀にわたり、七面鳥、オオカミ、そして野生のクジラやシャチたちと「音楽」を通じて対等にセッションを重ねてきた、異種間コミュニケーションのパイオニアである。

Jim Nollman

Jim Nollman

当時は「風変わりなアーティスト」と見なされていたというジムさん。人間以外の存在も「共に生きる共生者」として捉える「More than human」の思想が注目されるいま、彼の歩みは現代の社会や生き方に対する重大な示唆に満ちている。

ジムさんが見つめる世界と、彼が紡いできた生命たちとの記憶を辿ってみよう。

話者プロフィール:Jim Nollman(ジム・ノルマン)

Jim Nollmanサウンドアーティスト。1970年代から半世紀にわたり、野生のシャチやベルーガ、七面鳥など人間以外の生命と「音楽」を通じて対話する先駆的な試みを続けてきた異種間コミュニケーションの第一人者。非営利組織 Interspecies Communication 創設者。著書に『地球は人間のものではない』『地球の庭を耕すと』など。米国ワシントン州の島にて暮らし、日々土と触れ合っている。

ピアノを燃やした若者がたどり着いた、七面鳥とのハーモニー

インタビューの冒頭、ジムさんは自身のことをいたずらっぽく「ただの老人だよ」と笑い、こう語り始めた。

「私は昔からずっとミュージシャンになりたいと思っていました。でも、楽譜の読み方は一度も学ばなかった。ステージの上に立って、みんなから注目を浴びるようなスターになるのも、私の性格には合いませんでした。

楽譜も読めない、目立ちたくもない。普通に考えれば、音楽家としては完璧な『負け組』ですよね。だから、もし音楽を仕事にしたいなら、自分で新しい何かを発明するしかなかったんです」

若き日のジムさんが始めたのは、既存の音楽表現を打ち壊すパフォーマンスアートだった。ビーチに置いたピアノの中にマイクを仕込み、巨石陣(ストーンヘンジ)のように配置したスピーカーから、炎によってピアノの木や弦が崩壊していく過程の音を響かせて燃やし尽くす。この斬新な実験はニューヨーク・タイムズ紙にも取り上げられ、注目を集めた。

しかし1973年、休暇先のメキシコで隣人が飼っていた七面鳥が、自分の吹くフルートの特定の音に反応して一斉に鳴くことに気づく。人工物を燃やす刺激的なパフォーマンスから、生きている他種との「生のセッション」へ──彼の関心は大きな転換を迎える。

「七面鳥の農場に行って、地面に座り込んで古い民謡を歌いました。私が声を張り上げてピッチを上げるたびに、300羽の七面鳥が同時に鳴くんです。それを録音したものが感謝祭(アメリカの祝日)のラジオで流れて、大ヒットしました。

私は、自分がすべてをコントロールしているわけではない状態が昔から好きでした。展開を偶然に任せて、『どうなるか見てみよう』と手放す。でも、自分が掴んだものは本物だという確信がありました」

Jim Nollman

オルカキャンプでの様子

その後、彼はオオカミの声にインド古典音楽の「ラーガ(時間帯ごとの旋律)」との共通点を見出し、野生の生命との音楽的交感にのめり込んでいく。

「動物と演奏するたびに、人間の音楽やアートとのつながりを作っていました。でも、私は専門家ではない。すべては、ただの私の意見です。

なぜなら、私は『客観性』というものを決して信じていなかったから。客観性というのは一種の宗教のようなもので、触れるものすべてを数字の羅列に変え、支配し、搾取するための手段にしてしまいます。だから私は、世界を『主観的』に見る生き方をしています。それは、『禅的な生き方』と言えるかもしれませんね」

ジムさんが選んだ「主観的で禅的」な生き方とは、外側から観察して分析するのではなく、自らもその場に飛び込み、境界線を溶かして相手と同じ「生命のリズム」を共有すること。人間中心のコントロールを手放すことだったのだ。

データには映らない、沈黙のなかで「聴く」ということ

1980年代、ジムさんはカナダのジョンストーン海峡に「オルカナンダ」と呼ばれる非営利組織のキャンプを立ち上げ、野生のシャチ(オルカ)たちとの毎晩の水中セッションを始める。

データや科学的なレポートでは測れない「他種とのつながりの確信」は、どのようにして彼のなかに宿ったのだろう。

「大人数のグループでキャンプを行い、その後しばらくそこを離れ、8年ぶりに海へ戻ったときのことです。その時に感じたのは、彼らが8年経っても私のことを『覚えていてくれた』ということでした。彼らの反応の仕方が、まるでこう言っているように思えたのです。

『この男は何を求めているのだろう? 何度もここに来て、しばらく来なくなって、今また戻ってきて、他の人をたくさん連れてきている。私たちは彼の演奏が気に入っている。だから、今度は私たちが彼の音を聴く番だ』と」

Jim Nollman

Jim Nollman

ジムさんは、その時の情景を「今まで一度も話したことがないことだ」と言いながら、振り返る。

「2回目のセッションは、関係性が『記憶され、評価され、尊重されている』と感じるものでした。私たちはシャチたちが近づき、声を発し始めた気配を感じたときだけ、録音機のスイッチを入れました。

それでも、海の中では次の鳴き声までの長い沈黙や波のノイズが大部分を占めます。結局、何年もかけて録音した65時間分ものテープのなかから、音楽的な交感と言える『最も興味深い40分間』を切り取って編集したのが、アルバム『Orcas’ Greatest Hits』です」

音響生態学の重要資料として現在スミソニアン協会に収蔵されているこのアルバムは、一方的な「人間のパフォーマンス」ではなく、対等な「互いの傾聴」から生まれた共創の記録なのだった。

「すべての我が親類たちへ」──ミクロな身体から広がる生態系

半世紀近くにわたり、野生の海を見つめ、環境破壊に対して声を上げてきたジムさん。若き日には国際NGOグリーンピースの活動家として日本の壱岐島へ赴き、メディア主導の抗議運動の限界に直面して「敵対ではなく、関係性の構築」へと足場を移した過去を持つ。そんな彼は、課題が渦巻く「現代の世界」をどう見ているのだろうか。

そう尋ねると、ジムさんはためらうことなく即答した。

「もう手遅れだと思っています。私の心は、後に残される孫たちのことを思うと痛みます。次の世紀には、海水面が30メートル上昇するかもしれないと言われています。各国の政府は劇的に変化せざるを得ず、この事態を招いた最大の原因である『資本主義』は終わりを迎えるでしょう。

私たち人間は、おそらく再び『部族』として生きる必要があります。そして、人間の数は今よりもはるかに少なくなるでしょう」

ディストピアのような未来を語りながらも、ジムさんの瞳には絶望ではなく、ある種の「拠り所」が宿っているように見えた。彼が長年心の拠り所にしてきたのは、自然と共にある先住民族たちの知恵だった。

ジム「先住民たちは、今でも自然とつながっており、自然とどう生きるかについて知恵を持った人々です。私の住むアメリカ太平洋岸北西部の先住民は、トークや会議を始める祈りの中に、いつもこの一節を入れます。

“to all of my relations:すべての我が親類(関わりのあるもの)たちへ”

彼らは動物だけでなく、目の前にある岩とも自分がつながっていると感じているのです。客観性を重んじる文明に生きる私たちには完全には理解できないかもしれませんが、私は彼らのこのつながりを、とても強くリスペクトしています。

私がシャチたちに対してやろうとしていたことも、まさにそれでした。彼らを親類として尊重し、敬い、ただその声に耳を澄ますこと。演奏する音楽がどうなるかなんて、どうでもよかったのです」

近代社会では、「人間だけが意識や合理性を持つ特別な存在であり、その他の自然や生命は人間が管理・利用するための対象にすぎない」と捉えられてきた。そうした世界観においては、目の前の岩や生きものすべてを「親類」とみなす感覚は、一見非科学的に思えるかもしれない。

しかし、耳を澄ませ、心を開き、自分の身体のミクロな感覚を周りの生態系へと広げていくとき、人間は決して独立して生きているのではなく、世界という大きな生命のネットワークの一部なのだと思い出されるのだ。

都市のベランダで、非人間中心のリズムを育む

ジムさんは過去のインタビューで、シャチとの何十時間もの録音の「90%は沈黙やタイムラグ、ノイズだった」と語っている。タイパ(時間対効果)や成果を追い求め、効率的でないものを排除しようとしがちな現代社会において、この「沈黙の時間」は何をもたらしているのだろうか。

「かつて、あるインタビューで『あなたはシャーマンだ』と言われたことがあります。そのとき、私はそれを否定しました。私はシャーマンでも修道士でもありません。私は健全な人間として、ただ静かに自然とつながろうとしているだけです。クジラと音楽を演奏するのもいいですが、忍耐強さを学ぶにはガーデニングや盆栽がずっと良い方法だと思いますよ」

「庭仕事や盆栽」と、生命との対話。ジムさんはその共通点を語る。

Jim Nollman

盆栽は、完成させるまでに何年もかかり、非常に忍耐強くならなければいけません。ですが、それは小さなアパートでも、少しの日当たりさえあれば、今すぐにでも始められます。

私はいま、毎朝を庭で過ごし、島の人々とお互いを支え合うために食べ物を育てています。今年は唐辛子をたくさん育てて、火で燻製にしてパプリカを作っているんです。これなしでは生きられません(笑)。

環境問題について頭で議論するのは本当に難しい。それは、誰もが違う仕事、違うお金、違う文化を背負っているからです。ただ、自然に触れることで、身近な植物や土地との関係を通して心地よさを得ることができます。環境保護の観点からは『自然が死にかけているから、人間を自然から遠ざけなければならない』と言われることもありますが、今は気候変動によってすべてが死にかけています。

私が伝えたいのは、自然は素晴らしい薬だということ。『山や海を見つけに行きなさい、そして物事をシンプルに保ちなさい』ということなのです」

楽器を捨てた海で、頬に触れたぬくもり

インタビューの最後、「人間以外のさまざまな生命とかかわってきたなかで、最も嬉しかった瞬間」について尋ねてみた。すると、ジムさんが愛おしそうに語ってくれたのは、シャチとの派手なセッションではなく、カナダ北部の極寒の海で、一頭のシロイルカ(ベルーガ)と交わした「身体的な接触」の記憶だった。

「シャチとの活動を終えた後、私は北極圏へベルーガに会いに行くようになりました。彼らはシャチよりもはるかに社交的で、私たちが彼らに興味を抱くのと同じくらい、人間に関心を示してくれる存在です。

ある映画の撮影でカヌーに乗っていたとき、私は水中カメラの前で、海の中に頭を突っ込んで、口からブクブクと泡を吹き出してみました。すると、一頭のベルーガがスーッと近づいてきて、私の顔をその大きな口で丸ごと包み込むようにして、キスをしてくれたのです」

ジムさんは、まるで昨日のことのように声を弾ませる。

ジム「それは、人間のキスとは違います。キリンが口を大きく開けて頬を濡らしてくるような触覚です。でもその瞬間、『ああ、もうエレキギターを弾く必要なんてない。これ以上の瞬間はもう訪れない』と腹の底から思いました。それが、私の人生で最高の瞬間です」

編集後記

自らの表現を手放し、ただ身を委ねて野生の懐に飛び込んだとき、ジムさんの心には他者との「言葉を介さない交感」が深く刻まれた。翻って、筆者をはじめ現代を生きる私たちのどれほどが、言葉に頼らないつながりを日常で実感できているだろうか。

人間である私たちは、この世に生まれた瞬間から、「人」として人生を生きている。地域で、職場で、街で──人と関わり、喜怒哀楽さまざまな感情を抱きながら日々を過ごす。その濃密な世界のなかでは、「人間を中心に世界が回っている」と思い込み、自分たち以外の存在が二の次、三の次になってしまうのはごく自然なことかもしれない。

けれど、少しだけ視野を広げて地球を眺めてみると、約35億年におよぶ生命の歴史のなかで、人間は「新参者」にすぎない。地球の長い時間軸から見れば、人間が都市を発展させてきた歴史など一瞬の出来事であり、私たちが生きている世界は、果てしない宇宙や生態系の広がりのなかでは、ほんの小さな部屋のようなものなのだろう。

ジムさんが取材で語ってくれたのは、楽譜が読めない不器用な若者が、七面鳥とハモり、暗闇の海でシャチの呼吸を待ち、いまや小さな島で唐辛子を育てながら静寂を楽しむという、等身大でパーソナルな「生」の姿だった。その半世紀の旅路を通して教えてくれたのは、野生をコントロールすることでも、高尚な理論で自然を崇めることでもない。ただ「自然」という薬を身体に取り入れ、物事をシンプルに保つという、生命として他者と共に生きるための「作法」だった。

人間は独立した存在ではない。私たちの身体の中には無数の微生物が息づき、私たちは他の種や地球という大きなネットワークと地続きで生きている。データや複雑な社会課題に頭を悩ませるばかりではなく、一度画面を閉じ、目を閉じて、耳を開いてみる。そうして他の種の存在を身体で感じるとき、私たちは人間ではなく、ちっぽけな、だけど大きな「いのち」として、この地球で美しく生きていけるのではないだろうか。

【参照サイト】Interspecies
【参照サイト】Smithsonian Folk Ways

この記事を書いたライター

伊藤 智子(いとう ともこ)。大学時代、ヨーロッパで数年間過ごしたのち、大阪の真ん中から海と山が近い千葉の里山に移住。生態系の一部としての人間のあり方を模索すべく、山の中の古民家でシェアハウス生活を行う。ライター業の傍ら、カフェの運営やまちのつながりづくりなどに取り組み、さまざまな人と出会い、多様な生き方に触れることに魅力を感じながら過ごしている。最近のテーマは、目の前のものをじっくり感じ、味わい尽くすこと。曖昧なもの、わかりにくいものこそ大事にしたい。