アムステルダムの循環型“台所”へようこそ。地域を耕す食文化のハブ「マルクト・セントラル」

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オランダ・アムステルダム、午後1時28分。街の中心アムステルダム・ウエストに伸びる車道沿いに、人々が集まって何かを待っている。目の前には色褪せた看板に「フード・センター・アムステルダム」の文字が残る。その奥に目を向けると、広々とした敷地に産業的な建物がいくつもならんでいるのがわかる。

すると奥からこちらに向かってカタカタと音を立てながら列車が現れた。「マルクト・エクスプレス、間もなく発車します」運転手が声をかけてくる。停車するなり、集まっていた人がひとり、またひとりと乗り込む。

そして最後のひとりが腰を下ろすとまもなく、静かに発車した。列車が目指すのは、「マルクト・セントラル(Markt Centraal)」。今アムステルダム市で進められる新しい循環型開発区域の目玉となる予定の場所だ。

今回はアムステルダム在住の筆者が、実際にマルクト・セントラルを訪れてみた。この記事では、現地までの道のりから、食事の様子まで、当日の模様をお届けしていく。

筆者撮影

かつてアムステルダムの食を支えた場所が、再び地域を盛り上げる中心地へ

「マルクト・エクスプレス」の列車が通り過ぎるのは、40ヘクタールもの広大な敷地の中に建てられた様々な卸売企業の倉庫やオフィス、使われなくなった建物の数々だ。ここは1934年から80年もの間、アムステルダム市中のレストランやマーケット、小売販売店に食材を流通させる市内最大の食の卸売市場だったのだ。

海から運河を経て食料を船で運び込み、住宅地の真ん中に届けることを考えると、当時はこの立地が合理的であった。その中心に据えられたのが、野菜などの食材が売買される中央市場でるマルクト・セントラルだ。10の船着き場、巨大倉庫、大きなマーケットホールと時計塔からなる大掛かりな建物は、長きにわたって多くの食材が行き交う中心地となっていた。

しかし1970年代に入ると、水運はトラックによる運搬に置き換えられたため徐々に不要になり、水揚げ場所や古い倉庫は取り壊された。大型スーパーチェーンなどが生まれ、食の流通の仕組みは激変。その後フード・センター・アムステルダムは食の物流拠点として規模を縮小しつつも営業していたが、中央市場のマルクト・セントラルは直近15年もの間、空き地になっていた。

一方で、住宅難のアムステルダム市がこの好立地の40ヘクタールもの広大な土地を見逃すはずはない。市が再開発の計画に向けて始動したのは2005年。その後、約20年の年月を経て土地所有権の整理や開発計画の準備が進められ、現在の開発計画が採択されたのが2023年だ。

この計画によると、この広大な敷地内には住宅不足に悩む住民のために1,700戸の住宅が建てられることとなる。そのうち25%は低所得者向けの公営住宅に充てられる予定だ。

そしてこのフード・センター・アムステルダムの開発の目玉となるのが、大きな中央広場として修繕工事が行われたマルクト・セントラルだ。歴史的な建造物を修復・再利用可能にすることを専門とするBOEIが1,700万ユーロ(約27億5,300円)をかけて修繕したこのマルクト・セントラルには、アムステルダム最大の面積を誇るソーラーパネルも屋根上に搭載されている。

食の市場として栄えていたときのマルクト・セントラルと、改修後の様子。建物のアイデンティティは残しながらも安全性や機能性を高めている(Image via BOEI)

現在もフード・センター・アムステルダムの食の流通のハブとしての機能は失われておらず、朝4時から様々な食の売り手と、レストラン関係者などの買い手で、せわしなく商業車両が行き交う。安全確保のため、現在はマルクト・エクスプレスに乗って中央のマルクト・セントラルに向かうのが決まりとなっているそうだ。

フード・センター・アムステルダム内は安全性上の理由から、個々人が歩き回ることは現時点で許されておらず、このマルクト・エクスプレスに乗って移動する(筆者撮影)

しばらくすると、乗っていたマルクト・エクスプレスが止まった。列車の運転手が外を指さしながら言う。「この冷蔵倉庫の壁面全面に描かれているのは、著名な画家、キース・ヘリング氏によるヨーロッパ最大の絵画です。写真を撮るなら今ですよ」それを聞いた乗客が興味深げに絵画を眺め、それをスマホのスクリーンに収める。大方の人が終わったのを見届けると、さらに1・2分ほどでマルクト・エクスプレスはマルクト・セントラルに到着した。

キース・ヘリング氏の描いたヨーロッパ最大の絵画(Image via BOEI)

食事の価格にも一工夫。値段は自分で決められる?

大きな建物の中に一歩足を踏み入れると、至る所にポップなネオンサインやイラストが飾られている。筆者が訪れた日曜日は、月に一度ステージ上でライブを鑑賞しながらベジタリアンの3コースランチが楽しめる「マルクト・マール(市場ごはん)」のイベントが展開されていた。ぜひここで自分の誕生日を祝いたいという友人に連れられて、この場に足を踏み入れたのだった。

このランチコースのチケット予約の仕組みにもひと工夫凝らしているのが印象的だった。なんとランチの金額は、自分で選ぶことができるのだ。同じ3コースでも、選ぶことのできる価格は4つ。「他の人に食事を無償で提供したい」あなたは15ユーロ。「休暇の旅にどこかに旅行に行くけれど、高級スノーリゾートに毎年行けるほどではなく、スーパーのディスカウントカードを欠かさず使う」あなたは10ユーロ。「シティパス(低所得者向けの行政からのディスカウントパス)を持っている」人は5ユーロ。「どうしても払えない」人は0ユーロ。

物価の高いアムステルダムで、最も高いチケットを買ったとしても15ユーロというのは破格だ。それもそのはず、現在この場所は非営利目的で、住民が食や文化を目的につながることのためだけに運営されているからだ。

ライブ演奏を聞きながら手作りランチを楽しむことができる(筆者撮影)

この日のランチは、手作りパンとバターやナッツの入ったペーストの前菜、パスタのメイン、そしてチーズやフルーツのデザートからなる3コースだった。温かみと素朴さのある美味しい食事を囲み、心温まる時間を過ごす。食事を作ってくれる人、食事を運んできてくれる人、音楽を演奏してくれる人たちとの距離が近く、また長テーブルでみんなが寄り添って食べることで、訪れる他のお客さんとも交流のきっかけが生まれる。

この日はベジタリアンのパスタ料理がメインだった(筆者撮影)

今後は食・カルチャーだけでなく、新たな事業が生まれる場所に

今後この場所は、アムステルダムで暮らし、活動する様々な住民のグループのための場所として使われる予定なのだという。住民や食のエキスパート、音楽やアートの愛好家が、食・カルチャー・イノベーションへの情熱を持ち寄り、サステナビリティに挑戦するスタートアップや大手企業が新たな事業に息を吹き込む場だ。

さらには、食だけでなく、カルチャー、ファッション、音楽、演劇に関する様々なプログラムが用意される。今後はホテル、レストラン、オフィス、教育、店舗が複合的に入る食と文化のハブになる見込みだ。ジャズライブやDJイベントも定期的に行われているため、次はどんな目的で来ようかとすでに考え始める。

フード・センター・アムステルダムの開発イメージ図。食と住民等をつなぐハブとして生まれ変わる予定だ(Image via Markt Kwartier West)

街の再開発といえば、多くの場合、新しい大型の商業施設が建てられる。しかし、その影で、その土地に根付いてきたコミュニティが分断され、その場所らしさともいえるアイデンティティが失われてしまうことがある。しかし、今回紹介した「マルクト・セントラル」のように、古い建物とその歴史や文化を活かしつつ、新たなハコモノを建てないまちづくりだからこそ息づく価値があるのだ。

【参照サイト】Food Center Amsterdam: herstructurering
【参照サイト】Marktkwartier West
【参照サイト】Centrale Markthal
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Edited by Megumi

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