「ここが私の畳」気軽な“関与”で文化財を守り継ぐ、柳川・SAMURAI REBIRTHの古畳循環プロジェクト

2026.08.26

Momoko Takita

古い座敷に足を踏み入れると、思わず歩みが緩むことがある。

磨き込まれた床板の匂い、障子越しに差し込む柔らかな光、庭の池に張り出す松の枝先を渡る風。はっきりと「歴史がある」と言葉にする前に、その空間にしばらく身を置いていると、呼吸が少し深くなり、時間の流れ方までゆっくりと変わっていく。そうした場所の一部は、文化財として価値を認められ、受け継がれている。

御花の大広間

しかし、その静けさは本当に、ただそこにあり続けているだけなのだろうか。

苔むした庭園も、磨き抜かれた欄間も、静かに佇む木造建築も、何もせずに何百年もそこにあり続けてきたわけではない。雨や台風の影響で傷んだ屋根を直し、松の新芽が伸びれば剪定をし、畳が傷めば張り替える。そうした日々の手入れの積み重ねの上に、私たちが目にする「静けさ」は成り立っている。

御花の庭園

一方で、そうした文化財を支えてきた所有者や継承者の多くは、日常の維持管理にかかる費用のほとんどを、公的な補助を受けられないまま、自ら工面し続けている。国や自治体の補助は、多くの場合、壊れてから初めて動き出す修復・修繕のためのものであり、日々の光熱費や人件費、庭園の手入れといったコストには充てられない。文化財として価値を認められていても、その価値を守り続けるための日常の費用は、必ずしも社会に還元されているわけではないのだ。

文化財を「見る対象」から「関わる対象」へと変えていくには、どのような仕組みが必要なのか。訪れる人が、美しい庭園や建築を消費するだけでなく、その背景にある手入れや継承の営みに関わる仕組みを、どうすれば無理なく根づかせることができるのか。

福岡県柳川市にある「柳川藩主立花邸 御花」は、こうした問いに、具体的な仕組みをつくることで向き合ってきた場所だ。7,000坪の敷地全体が国指定名勝「立花氏庭園」に指定されている、旧柳川藩主・立花家の邸宅と庭園である。立花家が柳川に根を下ろしてから約400年。戦後は料亭旅館として事業を営みながら、現在まで立花家の子孫が邸宅と庭園を受け継いできた。

御花の庭園側からの外観

御花の庭園側からの外観

「文化財は、誰が守るものなのか」

そう語るのは、立花健太郎氏だ。柳川藩主立花邸 御花の経営に携わりながら、一般社団法人SAMURAI REBIRTHの代表理事として、文化財の新たな活用に取り組んでいる。この問いは、立花氏にずっと投げかけられ続けてきたものであり、まだ完全な答えはない。ただ、答えを探すために立花氏が実際に手を動かしてきた過程を辿ると、問いそのものが少しずつ姿を変えていくのが分かる。

今回は、御花が2023年から取り組んできた、古畳と落ち葉を堆肥に変え、そこからい草を育て、また畳へと戻していく循環プロジェクト「畳REBIRTH」を入口に、文化財と観光、そして人々の関わりをめぐる問いを追ってみたい。

話者プロフィール:立花 健太郎(たちばな・けんたろう)

たちばな・けんたろう

法政大学法学部法学科に進学し法曹界を目指すも、一念発起し放送・エンターテインメント業界へ。ドラマ制作、webコンテンツ開発、編集・ライティングに従事した後、スポーツ選手のセカンドキャリア支援および課題解決を目的に共同起業。主に経営企画、新規事業開発を担う。公益社団法人日本青年会議所出向時には、グローバルな社会活動の営み、利他の精神に触れ、以降社会性と経済性を両立させた持続的競争優位の事業モデルを標榜する。現在、福岡県柳川市にある旧大名家邸宅「柳川藩主立花邸 御花」の経営に携わる一方、文化財の新たな活用法を実践。プライベートでは遠州茶道宗家に入門。茶の湯を通じて審美眼やビジネスセンスを養っている。経営学修士(MBA) サーキュラーパートナーズ(経産省/環境省)会員 日本文化政策学会会員

「守る」とは、そもそも何をすることか

実際に立花氏の話を聞くと、たいていの人が驚くという。日々の光熱費や人件費はもちろん、庭園の手入れの費用に公的補助は一切出ていないからだ。存在するのは修復・修繕のための補助だけで、壊れてから初めて動き出す仕組みだ。

「国指定名勝という、国が価値を認めてくれている建物にもかかわらず、日常の維持管理には一切補助が出ません。明治期に建てられた築100年を超える建物なので、梅雨や台風の影響で雨漏りをすることもありますが、文化財ゆえにすぐには直せなくて、申請をしても承認までに時間がかかってしまうんです。国が価値を認めてくれているのに、改善のアプローチをかけられないのは矛盾していると感じざるを得ない制度になっています」

立花氏

「宿泊業として考えても、壊れてから直すというのは、本来お客様にとって良いことではないんです。何かが起きてから対応するのでは遅くて、日頃から手をかけておく方が、来てくださる方にも安心していただけるはずなんですけどね。さらに、文化財なので現状変更には制限があります。例えば在庫を置くための倉庫ひとつ新設することもできませんし、景色を変えたいときも、勝手には動かせないんです」

「守る」とは、制度に頼ることでも、誰かに任せることでもなく、日々の矛盾を引き受けながら、それでも手を止めないことだった。

「制度が悪いと嘆いてもどうしようもありません。文化財保全の非対称な仕組みについては、論文でも問題提起しています。でも、それはそれとして、私たちがすべきことを、日々愚直にやり続けるしかないんです」

そしてこの実感は、次の問いへとつながっていく。国から日常の維持管理に関わる補助が出ないという事実さえ、そもそも多くの人には知られていない。ならば、まずこの場所とその課題を知ってもらい、関わってもらうところから始めるしかない――そう考えて立花氏が動かし始めたのが「畳REBIRTH」だった。

畳を堆肥にするという前例のない挑戦

畳REBIRTHが動き出すきっかけの一つは、知人からサーキュラーエコノミーという概念を教えてもらったことだった。

「知人からサーキュラーエコノミーという概念を教えてもらって、文化財を舞台に循環をつくれるのではないかと思ったんです」

ただ、それはあくまできっかけの一つに過ぎない。実際にプロジェクトが動き出したのは、その後、鴨志田農園代表でコンポストアドバイザーの鴨志田純(かもしだ・じゅん)氏と出会ったことが、大きな転機となった。

サーキュラーエコノミーという概念を知ったとき、立花氏の中で、それは単なる新しい概念としてではなく、普段から大切にしているある感覚と重なって響いた。

「私は誰にでも必ず、畳にぜひ寝っ転がってくださいと言うんです。庭も目線を下げて鑑賞するようにつくられているんですよ。そして本当の畳に触れたことがない方も実は多いんです。だからこそ、大広間の本物の畳に触れてほしいと思っています。触れたことのないものを、人は守ろうとは思わないですから。五感を使ってしっかり触れて、その良さを感じて、なくなってはならないと感じてほしいんです」

鴨志田氏もまた、その言葉に導かれた一人だった。

「鴨志田さんはその時、文化財で寝転ぶなんてと恐縮していましたが、いざ寝転がると、『境界線がなくなっていく感じがした』とおっしゃいました。あの言葉を聞いたとき、嬉しかったですね。手触り感を大事にしてくれる、共通言語で語れる人と出会えたと思いました」

この出会いをきっかけに、畳REBIRTHは実際に動き出す。

「倉庫には古い畳が山積みになっていて、活用したいとずっと思っていました。それに、大量の落ち葉を焼却していることにも違和感があったんです。それなら堆肥をつくって、畳に還せないかと考えました」

畳の循環図

畳の循環図

文化財の中で廃材化された畳を堆肥化するという試みは前例がなく、立花氏自身、これまでやったことのない作業だった。鴨志田氏のアドバイスを受けながら、不安を抱えたまま踏み出すことになる。

立花氏が堆肥を作っている様子

立花氏が堆肥を作っている様子

「堆肥化は温度や水分、発酵の管理を手探りで続けるような作業でした。仕込みから50日後、堆肥の温度が70℃を超えたときは感動しましたね。混ぜただけのものから熱が出てきて、生命力を感じました」

それでも手を止めずに続けた結果、2023年から約2年かけ、活用した古畳は30枚。堆肥には古畳だけでなく、庭園で集めた大量の落ち葉も混ぜ込んでいるため、生成した堆肥は約800リットルにのぼった。

その堆肥を撒いたい草畑は約900平方メートル、そして再生畳として大広間に戻された枚数は80枚にのぼる。古畳を堆肥化し、い草を育て、新たな畳として大広間へ戻すまでの工程を、一巡させることができた。

知ってもらい関わってもらう仕組みをつくる

鴨志田氏という一人の専門家との出会いから始まったこの手応えを、他の誰かのものにもしていくための仕組みが、次に動き始めた。

立花氏が代表を務める一般社団法人SAMURAI REBIRTHは、「地域の誇りを未来へ」を掲げ、文化財の活用を通じた地域再生を目指す団体だ。この法人が運営するプロジェクトとして、資金面で支える「Joshu」と、実際に畳REBIRTHの実装・運営を手伝う「Fellows」という、2つの関わり方を用意した。Fellowsには、堆肥化の専門家やい草生産者など、畳の循環に協力してくれた顔ぶれが名を連ねている。

畳を支援する参加型制度「Joshu」は、いわゆる「一口城主」の発想から生まれた。一口城主とは、少額の寄付を通じて誰もがお城の“持ち主”の一人になれるという、城郭の保存活動でよく使われる仕組みだ。立花氏はこの発想を畳に置き換え、「一口畳主」として制度化した。ローマ字表記の「Joshu」という名前には、その由来が込められている。

「畳オーナー制度は、いわゆる一口城主のような発想から生まれました。畳のオーナーに対するインセンティブが作れたらと思ったんです。そこで、畳の裏面にオーナーの名前、メッセージ、シリアルナンバーが刻印されるようにしました。また、例えば文化や歴史に興味のないカップルでも、オーナーになっていただくことで『私の畳がある御花に行かない?』と言って来てくれるんじゃないか、と想像しました」

それが実際に、来訪の目的のひとつになっていった。

Joshuは畳一枚につきオーナー一人という仕組みで、再生畳80枚に対して、これまでに80人がJoshuに参加している。「ここが私の畳ですね」と話すオーナーもいれば、法人代表が自社のオウンドメディアで御花への共感を発信するケースもある。参加者は福岡市内や県外からが多いという。

御花の大広間2畳オーナーの第一号になってくださったのは、電気設備会社を営みながら、バイオマス事業や八女の竹林再生にも取り組んでいる知人。他にも東京の工務店経営者が宿泊時に取り組みを知ってJoshuになり、この循環から生まれた畳を付加価値として商品展開したいという声など、多様な関わり方が生まれている。

Joshuの支援者に、立花氏が本当に期待しているのは何か。

「とにかく語り手になってほしいですね。Joshuの方はそれぞれに、彼・彼女なりの理由で興味を持ってJoshuになってくれました。自分の言葉で周りに広げていってほしいと思っています」

数字として見える参加人数の先に、それぞれが自分の言葉で御花を語り、その連鎖が広がっていくこと。それこそが、立花氏が本当に育てたいものなのだろう。

そしてJoshuを通じて集まった支援金は御花の日常的な維持管理にもあてられる予定だ。ただし、80人分の支援金で、日常維持費のすべてが賄えるわけではない。Joshuが本当に生み出しているのは、財源そのものというより、参加した一人ひとりが「語り手」になり、国や自治体からは一円も出ないというあの制度の現実を、それぞれの言葉で周囲に伝えていく、そのきっかけなのだろう。

なぜJoshuは、共同所有ではなく「関与」という形を選んだのか。立花氏がその設計思想の拠り所としているのが、経営学でいう「心理的オーナーシップ」という考え方だ。法的な所有権とは別に、「これは自分たちのものだ」と感じる心理状態のことで、人はその感覚を持った瞬間から、受け身ではなく主体的に動くようになるとされる。

「この課題意識は10年ほど前から持っていました。ヨーロッパに学ぶべきだとアドバイスを受けて、たどり着いたのが英国のナショナル・トラストです。政府ではなく市民から立ち上がった組織で、寄付が関わる人自身のスキルアップにもつながっていく仕組みに、大いに共感しましたね」

英国のナショナル・トラストは1895年の設立から130年以上、歴史的建造物や庭園、森林、海岸を守り続けてきた組織で、現在は500万人を超える会員に支えられている。その会員の多くは、施設の所有者ではない。それでも会費を払い、ボランティアとして関わり、繰り返し現地を訪れては、その魅力を家族や友人に伝えている。法的な所有権がなくても、「これは自分たちの文化だ」という感覚が、人を支え手に変えていく。立花氏が参照しているのは、その組織の仕組みそのものよりも、この背景にある考え方だという。

「文化財を地域全体で共同所有するというより、関与を通じて自分ごと化してもらう、という感覚に近いですね。判断の主体は、あくまで私たち御花にあります。うまくいったこともいかなかったことも、最終的な責任を負うのは自分たちですから」

御花はあくまで立花家が単独で所有・経営する私的な資産であり、Joshuは支援の仕組みであって、意思決定を共有する仕組みではない。公的支援に依存するのでもなく、かといって所有や意思決定をまるごとオープンにするのでもない。関与の入り口をつくることで、文化財を「見る人」から「支える人」へと少しずつ変えていきながら、最終的な判断と責任は、あくまで民間経営として引き受け続ける。そうして生まれたのが、公的資金にも完全なオープン化にも寄りかからない、立花氏が標榜・推進したハイブリッドな経営モデルだった。

関わる人が増えるほど、次の問いも見えてくる。この輪は、御花という場所を離れても、続いていけるものなのか。

動き続けることが答えの代わりになる

2026年、御花は国内最大級の観光アワード「JAPANトラベルアワード2026」でグランプリを受賞した。前年の「九州観光まちづくりAWARD2025」でも宿(おもてなし)部門 金賞を獲得しており、その文化観光への挑戦は対外的にも高く評価されている。だが、こうした表舞台での評価の裏側で、日々の維持管理にどれほどの葛藤と工夫が積み重ねられているかを知る人は、決して多くない。

御花の客室

御花の客室

「次は、このプロジェクトを違う視点から体験できるスタディツアーをやりたいと思っています。現地に足を運んで、堆肥やい草畑、再生畳が敷かれた大広間を実際に歩きながら、気づきを持ち帰ってもらう場をつくりたいですね」

寺社仏閣や他地域への展開、そして再生畳への需要拡大も、その延長線上に見据えている構想だ。

ただし、こうした構想がどれだけ広がっても、日常の維持管理に公的な補助が出ないという、そもそもの制度的な非対称性が消えるわけではない。立花氏がずっと投げかけ続けているこの問いの先には、文化庁のような制度の担い手も含まれている。

「文化庁の方にお願いしたいのは、民間施設に対しても、日常の維持費を少しでも見てほしいということです。壊れてからでは遅いんです。健康診断と同じで、悪くなってから治療するのではなく、日頃から手をかけておくことが大事だと思います」

答えを待つのではなく、動きながら見つけていく。その姿勢に共感してくれる人が増えることを、立花氏は願っている。

このプロジェクトを5年後に振り返ったとき何が見えているだろうか。立花氏はまず、こう答えた。

「やってよかったと思っています。自分の中にあった違和感や社会課題を、形にできました。人生でやるべきことが生まれた感覚がありますね」

制度は簡単には変わらない。当事者意識の測り方も、まだ言葉になっていない部分がある。それでも、古畳は堆肥になり、い草になり、また畳になって、80人の名乗りとともに文化財に還ってきた。うまくいくかどうかを最初から知っていたわけではない。分からないまま、手を動かし続けてきた結果として、今がある。

「文化財は、誰が守るものなのか」

この問いは、ここまでの過程を経て、最初とは少し違う形になった。誰かが答えを持っているのではなく、関わった人の数だけ、答えは更新され続けていく。御花という一つの現場は、その更新を止めずに続けている場所だ。

編集後記

「触れたことのないものを、人は守ろうとは思わない」――そう語った立花氏の言葉は、御花という一つの現場を超えて、多くのことに通じているように思う。

大切なものほど、人は距離を置いてしまう。壊してはいけない、汚してはいけない、自分などが触れていいものではない。そうやって「守るべきもの」を遠ざけているうちに、いつのまにか、それは誰のものでもなくなっていく。

立花氏の実践が興味深いのは、その距離を縮める方法として、鑑賞でも保護でもなく、「循環」という手段を選んだことだ。誰も見向きもしなかった古畳や落ち葉に手を伸ばし、堆肥にし、い草にし、また畳に戻す。その一つひとつの工程に、人が触れ、汗をかき、失敗を重ねながら、少しずつこの場所を「自分ごと」として引き受けていく。

立花氏が向き合い続けている「文化財は、誰が守るものなのか」という問いに、明快な答えはまだない。けれど、答えを待つのではなく、手を動かしながら探し続けるという姿勢そのものが、この問いに対する一つの誠実な応答なのかもしれない。

80人の名前が刻まれた畳の上に、これから何度、誰かが寝転ぶだろう。その度に、文化財との境界線は、少しずつ溶けていくはずだ。

【参照サイト】柳川藩主立花邸 御花(公式サイト)
【参照サイト】一般社団法人SAMURAI REBIRTH

この記事を書いたライター

瀧田桃子

Momoko Takita

瀧田 桃子(たきた ももこ)。幼少期にアメリカやインドで約8年間過ごし、大学休学中には、LAにて貧困地域の小学生に算数や和食育を教えるNPOの活動に携わる。ヨーロッパ周遊で現地の人との交流をきっかけに人と環境に優しい社会に関心を持つ。現在は福岡・柳川を拠点に廃校活用やまちづくりに携わる。
関心テーマはウェルビーイング、リジェネラティブツーリズム、これからの教育の在り方