ファッション、農、音楽。英・トットネスの事例に学ぶ、足元から未来を育てる「トランジション」

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イギリス南西部のデヴォン州、ダート川のほとりに、トットネスという町がある。

ノルマン様式の城跡が丘の上から町を見下ろし、石畳の道には独立系の商店やカフェが軒を連ねる。アーティスティックで自由な雰囲気が漂うこの小さな町は、ただ美しいだけではない。ここは、未来に向けた社会実験が、今この瞬間も続いている場所なのである。

その実験の名は「トランジション・タウン」。化石燃料に依存した現代社会のあり方を見つめ直し、気候変動や経済の不安定さといった課題に対し、地域コミュニティの力でしなやかに「移行(トランジション)」していくことを目指す草の根のムーブメントだ。2006年、このトットネスで産声を上げた思想と実践は、今や世界中に広がっている。

IDEAS FOR GOODでは、コロナ禍であった2021年にオンラインでこの町の動向を取材した。

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世界がパンデミックを経験した今、トランジション運動の現場は、どのような未来を描いているのだろうか。その精神は、地域の中でいかに息づき、進化しているのだろうか。その答えを探るべく、実際にトットネスを訪れ、地域に深く根ざす4つの団体の人々と出会った。

本記事では、私たちの生活に不可欠な「衣(ファッション)」、生命の根源である「食(農)」、そしてコミュニティの心を育む「文化(音楽)」という3つの切り口から、この町の今を紐解いていく。

「未来は自分たちでつくる」トランジション運動の原点、Transition Town Totnes

トットネスの物語を語る上で、すべての源流となっているのが「Transition Town Totnes(以下、TTT)」の存在だ。2006年、「ピークオイル(石油生産の枯渇)」という未来への危機感を原動力に始まったこの運動は、エネルギー、食、経済といったあらゆる側面で、持続可能な地域社会へと移行することを目指す。

外から与えられる解決策を待つのではなく、市民自らが生活の足元から変化を起こしていく。この思想が、以来18年以上にわたって町の土壌を深く耕し、数々の実践をつくりあげてきた。

TTTは特定のプロジェクトを運営する組織というより、市民の自発的な「やりたい」という思いが育つための、大きな受け皿であり、プラットフォームだ。長年評議員を務めるメアリーさんは、自分たちの役割を「庭師」にたとえる。

「私たちは、何々をすべきだ、とは言いません。私たちの役割は、土壌が豊かで、水と養分があり、太陽の光が注がれている状態を確かめること。そうすれば、そこに蒔かれた小さな種が、自らの力で芽吹き、花を咲かせることができるのです」

メアリーさん

この思想を象徴するのが、隣人同士がチームを組み、省エネや節水など、環境にやさしい暮らしに取り組む「Transition Streets」だ。この活動は、環境負荷の低減以上に、地域コミュニティのつながりを劇的に強化した。その真価が発揮されたのがコロナ禍である。

「Transition Streetsのコミュニティでは、誰が助けを必要としているかを住民自身が把握していました。行政が介入するまでもなく、脆弱な立場にある人々はすでにつながっていたのです」

一つの計画の成否以上に、課題に対して対話を重ね、しなやかに乗り越えていくプロセスそのものが、コミュニティの回復力を育んできた。今やTTTの存在は、その価値観に共鳴する人々やビジネスを惹きつける磁力となり、トットネス全体を創造的なエコシステムへと進化させている。

【参照サイト】Transition Town Totnes

服を、畑から育てる。ファッションの地産地消を目指す「Totnes Grows Flax」

TTTが育んできた「庭」では、具体的にどのような種が芽吹いているのだろうか。その一つが、ファッションという切り口から、土地とのつながりを問い直す試みだ。

巨大なファッション業界に絶望し、一度はその世界を離れようとしたデザイナー、ゾーイさん。彼女がTTTのプロジェクトとして始めたのが「Totnes Grows Flax」である。

Totnes Grows Flaxは、市民が自らの手で亜麻(フラックス)を育て、リネン糸へと加工するまでを体験するプロジェクト。目的は大量生産ではない。衣服がどこから来るのか、その時間と労力を肌で感じ、失われた土地とのつながりを取り戻すための「文化づくり」だ。

ゾーイさん

「このプロジェクトの核心は、『もしかしたらあの服を買う必要はないかもしれない』と思えるきっかけをつくることです。『あれはダメ』と禁止するのではなく、『この美しい植物を育てることが、どれだけ喜びに満ちているか』を伝えたいのです」

ファストファッションに依存した消費行動への対抗軸は、我慢や禁止ではなく、自らの手で何かを育む根源的な喜びの中にある。

この小さな実践は、巨大資本の論理とは異なる「脱成長(degrowth)」の思想を具体的なアクションで示す社会実験であり、トットネスの地に、新たな豊かさの種を蒔いている。

【参照サイト】Totnes Grows Flax Community

土を再生し、人を育む。農園が紡ぐ「食べられる物語」

衣服という日常から土地とのつながりを問い直す動きがある一方で、より根源的な「食」と「農」、そして「人」そのものを包括的に育む場所がある。トットネス郊外の丘陵地に広がる「Apricot Centre」だ。

ここは単なる農園ではない。バイオダイナミック農法やパーマカルチャーの思想に基づき、多様な作物を育てる農園であり、次世代の担い手を育成する学校であり、そして、人々の心をケアするウェルビーイングセンターでもある。これら3つの機能が分かちがたく結びつき、一つの豊かな生態系を形成している。

話を聞いたボブさん

Apricot Centreを案内してくれたチャーリーさん

10年前にApricot Centreがこの土地に移転してきたとき、土壌は長年の集約的な農業によって疲弊していたという。彼らが最初に取り組んだのは、パーマカルチャーの思想に基づき、土そのものの生命力を回復させることだった。その地道な再生プロセスを基盤に、ここで育った野菜や果物は、今や週300世帯もの食卓を彩っている。「このパンの小麦は、あの畑で育ったもの」そんなふうに、食べ物一つひとつに宿る物語を、地域の人々と共有しているのだ。

また、農園は重要な「教育」そして「ケア」の場でもある。多くの人々が無料で農業を学び、心に課題を抱える子どもたちへの自然を介したセラピーも提供されている。かつてここで精神的な困難を乗り越えた青年が、今ではカウンセラーとして子どもたちを支えているというエピソードは、この場所が持つ再生の力を象徴している。

彼らは組織の規模ではなく「インパクトの拡大」を目指す。土を再生させ、作物を育て、人を育む。Apricot Centreの実践は、持続可能な社会とは、こうした生命の循環の中にこそ宿るのだということを示している。

【参照サイト】Apricot Centre

音楽が若者の「第三の居場所」になる。Jamming Stationの挑戦

大人が未来のために土を耕す一方で、その未来を実際に生きる若者たちは、この町でどのように自分たちの場所を見つけているのだろうか。その答えの一つが、町の中心部に位置する「Jamming Station」にある。

その始まりは、「若者が気兼ねなく音楽を鳴らせる場所がない」という切実なニーズだった。そうして13年前に始まったJamming Stationは、今や学校でも家庭でもない、若者たちが安心して自分らしくいられる「第三の居場所」として、週に100人もの若者が集うコミュニティの心臓部となっている。

話を聞いたディレクターのベスさん

ディレクターのベスさんが何よりも大切にするのは、一人ひとりに寄り添うアプローチだ。利用者の多くは、ニューロダイバージェント(※)の特性を持つ。画一的なプログラムを押し付けるのではなく、彼らのニーズに合わせて、常に空間とプログラムを変化させ続けているのだ。

※神経多様性、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動性障害(ADHD)など、定型的な脳の働き方とは異なる特性を指す

音楽の力は驚くべき変化を生む。参加してたった12週間で、10歳の子どもが150人の観客の前でステージに立つこともあるという。ここは、音楽を通じて若者が自信と社会性を身につけ、エンパワーメントされる場所なのである。

しかし、彼らの挑戦は常に順風満帆なわけではない。ある夜、Jamming Stationには参加していない、路上に集う若者たちと対峙した経験から、ベスさんは「本当に支援を必要としている『届きにくい』若者たちに手を差し伸べるには、こちらから彼らのいる場所へ出向いていかなければならない」という新たな気づきを得た。

Jamming Stationの物語は、まだ終わらない。音楽を共通言語として、多様な背景を持つ若者たち一人ひとりの声に耳を傾け、彼らが自らの手で未来を奏でていけるよう、その伴走者であり続けている。

【参照サイト】Jamming Station

取材後記

今回トットネスの地を踏んで感じたのは、この町が単なる「環境先進都市」という言葉では到底捉えきれない、もっと深く、人間的な豊かさに満ちていることだった。

今回取材した4つの団体は、トランジション運動の大きな受け皿である「TTT」、衣服と土地をつなぎ直す「Totnes Grows Flax」、土と人を育む「Apricot Centre」、そして若者の居場所をつくる「Jamming Station」と、それぞれ活動の領域も対象も異なる。しかし、彼らの話に耳を傾けるうちに、その根底には共通の哲学が流れていることに気づかされた。

それは、誰かが壮大な計画を掲げるのではなく、一人ひとりの「やりたい」「こうありたい」という内なる声に、深く信頼を寄せていることだ。TTTのメアリーさんが語った「庭師」という言葉は、まさにトットネスの精神そのものを表しているように思う。

彼らは性急に結果を刈り取ろうとはしない。まず土壌を耕し、豊かな環境を整え、そこに蒔かれた多様な種が、それぞれのペースで芽吹くのを辛抱強く見守る。

実際、トットネスではエネルギー、食、教育、経済など多方面にわたる試みが立ち上がり、必ずしもすべてが成功したわけではない。しかし、芽吹いたものが地域の文化や制度に根を下ろしていく。そのプロセスこそが、TTTの価値とも言えるかもしれない。

巨大で複雑な社会システムを前に無力感を覚えるのではなく、自分たちの手の届く範囲から、具体的なアクションを通じて世界との関係性を一つひとつ結び直していく。その地道で誠実な営みこそが、この町のしなやかな強さの源泉なのだろう。

この物語は、遠いイギリスの小さな町の記録かもしれない。しかし、それは同時に、私たちの暮らしのあり方を静かに問いかけてくる。自分たちの手で未来をつくることは、決して特別なことではない。隣人と交わす一言の会話、庭の片隅に蒔く一粒の種、誰かの情熱に耳を傾ける時間。日常の中にも、「トランジション」の入り口は、無数に存在している。

トットネスの駅

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