世の中は、形が見えない「ダーク・マター」で溢れている。私たちの周りには、目に見えないけれど大きな影響力を持つもの、あるいは、その存在が認識されないけれど根本的に重要な役割を果たしているものがあるはずだ。
特定の人々が経験する苦しみや、世の中の不条理は、そうしたダーク・マターをめぐる「暗黙の了解」に基づいて生み出されることがある。家賃が家計を圧迫している──大家が家を所有し、それを誰かが一時的に借りる形は理にかなっているのだろうか。日常生活でコンクリートばかり目にしていて疲れる──植物は誰もがアクセスできる存在として認識されてきたか。誰もが避けては通れないこうした「不条理」の背面には、人々が「当たり前」と認識していることがあり、そこに「そもそも」の問いが立ち上がる。
そうした背景にある問いを、デザインの力を使って、多様なステークホルダーとともに紐解く団体がある。それが、イギリスに本拠を置くDark Matter Labs(ダーク・マター・ラボ)だ。彼らは特に気候変動や技術の進展がもたらす社会的な変革に対応するための方法を考え出す国際的な組織であり、政策設計、ガバナンスや市民参加のモデルの再構築、土地やエネルギー、資源利用方法の再設計などを専門としている。
世界の「前提」を疑い、新たな知見を提供する彼らの活動の現在地とは。本記事後半では、イギリスを拠点にデザイナーとして活動するJack Minchella(ジャック・ミンチェラ)さんに、同社が関わるプロジェクトとそこからの学びについて聞いた。
話者プロフィール:Jack Minchella(ジャック・ミンチェラ)
デザイン思考、プロセスマネジメント、システム戦略を組み合わせた戦略的デザインリード。建築を専門に学び、2017年にDark Matter Labsに参加。幅広い戦略的リサーチや未来のビジュアライゼーションプロジェクトを主導している。社会的イノベーション、持続可能な都市の未来、政策デザインにおいて豊富な経験を持ち、コペンハーゲンでシンクタンク「In-Between Economies」を共同設立した経歴もある。
Dark Matter Labsとは?
Dark Matter Labsは、2017年にイギリスで設立された戦略デザイン企業だ。先述の通り、彼らは形が見えない「ダーク・マター」に立ち向かい、私たちが当たり前だ考えていることを問い直す役割を果たしている。
現在は約60名のメンバーが所属しており、専門はそれぞれデザイン、経済、地理、ファイナンスなど。彼らの事業を端的に示すのは、ホームページにも掲載されている下記の図だ。
Arcs(アーク)は、社会や環境に対する具体的なインパクトを生み出すための同社事業の方向性を示す。たとえば、都市の気候中立を目指す「Net Zero Cities」や、民主主義と市民参加の促進を目指す「Radicle Civics」などがあり、それぞれのアークは、社会課題に取り組むための包括的なアプローチを取っている。
Labs(ラボ)は、Dark Matter Labsが行う実験的な取り組みを表している。たとえば、都市技術に焦点を当てた「Civic Tech」や、対話型の設計を行う「Conversational Design」など。これらのLabsは、新しい社会の枠組みや技術の可能性を探る場として機能している。
平たく言うと、アークはDark Matter Labsが扱うテーマ・目指す先、そしてラボはそのテーマを扱うための手段・方法を意味することになろう。同社が、環境課題をめぐる単一のテーマを扱う他団体とは異なる視点を持ち合わせていることがこの表からもわかる。
答えの見えない問いに立ち向かう、Dark Matter Labsのプロジェクト
Dark Matter Labsのユニークな取り組みはイギリスのメディアで取り上げられることも増えてきた。ここで、彼らが取り組む三つのプロジェクトを具体的に見ていきたい。
気候変動で上昇する3℃に対応できるご近所を「3ºC Neighbourhood」
3ºC Neighbourhoodは、気候変動が進行し、地球の平均気温が3度上昇する未来を前提に、コミュニティや都市の持続可能なデザインを模索するプロジェクト。この取り組みは、気候危機が避けられない現実に直面したとき、地域社会がどのように適応し、レジリエンスを高められるかを探る。
ここでは、バーミンガムを舞台に、住民参加型のワークショップやデザインプロセスを通じ、地域の脆弱性を特定し、対応策を考えることが重視されている。例えば、極端な熱波や干ばつ、水資源の不足に対応するためのインフラ改善や、災害時のエネルギーや食糧供給の自給自足を目指す計画が進められている。
このプロジェクトの特徴は、技術的な解決策と自然に基づくソリューションを組み合わせている点だ。例えば、地域の緑化を進めて都市のヒートアイランド現象を緩和し、再生可能エネルギーの導入によってエネルギー供給の安定を図ることが検討されている。また、コミュニティの社会的結束力を強化し、住民が連携して課題に対処する仕組みも整備されている。
これまでの「家」の概念を問い直す。Design Museumでの展示・Future Observatory
Dark Matter Labsは、ロンドンのDesign Museumで開催された「Future Observatory」の展示にも参画していた。この展示は、気候変動に対処するためのデザイン研究に焦点を当て、環境危機に対応する未来の生活や都市のあり方を模索するものだ。
同社はその中で「FreeHouse」というプロジェクトを展示している。このプロジェクトは、家を単なる資産としてではなく、サステナブルな価値を生み出すシステムとして再構築しようとするものだ。展示では、このコンセプトを具現化した作品が紹介された。
木をインフラとして、都市を設計し直す「Tree as Infrastructure」
Tree as Infrastructureは、都市における樹木や森林をインフラの一部として再定義するプロジェクト。従来の都市計画では、装飾的な役割に留まっていた「樹木」が、このプロジェクトでは、都市環境における重要な機能を果たす存在として位置づけられ、その気候調整機能、炭素吸収、雨水の管理、生物多様性の保全といった多面的な役割に注目している。
都市の樹木を「インフラ」とみなすことで、都市計画において自然の要素を取り入れた新しいアプローチが可能になる。例えば、樹木を戦略的に配置することで、都市のヒートアイランド現象を抑制し、冷房の需要を減らすことができるのだ。
Tree as Infrastructureは、都市の持続可能性を高めるための新しいビジョンを提示しており、都市と自然が共存するインフラの再設計を目指している。
すべてを予測できるという前提に立たないこと。現場のスタッフがプロジェクトで得た知見
これまで説明してきたプロジェクトは、もちろんDark Matter Labsだけの貢献で実現したものではない。他団体の協力はもちろん、行政機関や地元の人々の力もあって、プロジェクトが成立した。イギリスの中でも「新しい」トピックを扱っているという彼らは、どのようにプロジェクトを始め、またそこから何を学び取っているのだろう。ジャックさんが、主に「3ºC Neighbourhood」のプロジェクトに関わった経験をもとに答えてくれた。
Q. Dark Matter Labsのプロジェクトは基本的に様々な人の関心が重なる部分で誕生するのだと思います。それらはどのように始まるのでしょうか。
プロジェクトの始まり方には、三つのタイプがあります。一つは、おそらく多くの企業が導入しているであろう、クライアントから直接依頼を受け、彼らの予算の中で、プロジェクトを進めるタイプです。二つ目は、Dark Matter Labsの中でやりたいことがあり、それに対して資金を募るタイプです。さらに三つ目は、これは最も珍しいパターンなのですが、公共の問題を解決するときに、複数の機関が出資しあう方法です。アイデア・問題に関心がある機関が集まるもので、ここ数年で出てきた方法ですね。
Q. ホームページで公開されている、グラフィックのビジュアルも印象的です。アウトプットの形態についてもこだわっている部分はあるのでしょうか。
一つの写真でも感じることは人によって違います。見る人に解釈を委ねるという意味で、写真は一つの技術であると思っています。時間やスキルの問題で、50ページの文字だけのレポートを読めないという人もいると思うので。
私たちが大事にしているのは、見る人が自分の経験とその絵をどう結びつけるか。見る人の「エモーショナルジャーニー」とも言えると思います。3ºC Neighbourhoodでも、建築の知識が必要な描画はDark Matter Labsが担当していました。
ただし、ビジュアルデザインを必須にしているわけではありません。例えば、Tree as Infrastructureなどのプロジェクトは、アイデアを一枚の絵におこすのが簡単ではないので、ウェブツールの開発やデジタルプラットフォームをつくること自体がゴールになっていました。
Q. ジャックさんが関わる3ºC Neighbourhoodは、どのように始まったのでしょうか。また実際にプロジェクトはどのように進めていきましたか。
もともと3ºC Neighbourhoodはバーミンガムを拠点に活動するCIVIC SQUAREとのプロジェクトで、出資も彼らによるものでした。CIVIC SQUAREが、バーミンガムにあるレディエット地区の産業的建物のリノベーションを考えていたところからスタートしたものです。
気候変動の影響を考えるときに、例えば企業や行政機関は「こんなにCO2排出量を減らしました」と、ポジティブな成果を発信します。しかし、私たちは薄々気付いているのではないでしょうか。実際には、その取り組みが地球全体の気温を下げるほど効果的に機能しているわけではないということに。イギリスだけではなく、世界各地で異常気象が見られ、実際に気温は上昇し続けています。
そうした事実に対して、悲観的になるだけではなく、私たちのチームは「これから建物をリノベーションする際は、気温が上がる想定をしておいた方が良いのではないか」と考え始めたのです。新しい建物をつくるなら5〜10年先を考える。そこのリスクも見積もってみよう、と。気候変動の影響をリアルに捉え、イギリス全体で使えるようなアイデアをバーミンガムで作ろうとしました。
プロジェクトの道のりは平坦ではありませんでした。まずは、気候のリスクを見積もるのに専門知識が必要です。「そもそも気候変動とはなにか」「それを地域のスケールでみたらどうか」「国家・グローバルのスケールで見たら」という問いに基づき、アカデミックリサーチを始めました。
CIVIC SQUAREは、もともとバーミンガムで近隣住民と一緒にリノベーションの活動をしていた背景があるので、未来について話せる土壌をつくるべく、「リテラシー・ビルディング」を担当してもらっていました。
Dark Matter Labsで注力していたのは「問い」をつくる作業です。「道路はどのようにすれば良いか」「建物のオーナーシップの形態は?」など、プロジェクトの核となるような問いをつくっていきました。
Q. 3ºC Neighbourhoodのプロジェクトに関わって、ジャックさんにとっての一番大きな学びはどのようなことでしたか。
一番大きかったのは、そもそも私たちが予測できる範囲がいかに少ないか、私たちがいかに小さな窓から世界を見ているかに気付いたことです。そのような「小さな窓」から覗いて見えた景色をもとに、私たちはインフラを整備しています。例えば、イギリスの鉄道で使われている金属でさえも、過去の外気温に基づいた予測を前提にして作られていますよね。しかし、気候変動によってその想定が追いつかなくなってきているのです。
未来のリスクはブラックホールである。そのことに気付かされました。
二つ目に気付いたのは、気候変動が社会の不平等を加速させる主要な要因であるということです。これから気候変動が進むと、ますます家・学校・緑地へのアクセスが限られてきます。そしてそれらの不平等な分配が加速していきます。
ソーラーパネルを購入すれば、環境に負荷をかけずに、冬に暖かく夏に涼しい家に住むことができるかもしれません。しかし家を「脱炭素」化しようと思っても、その選択肢がない人は多くいます。こうして、気候変動を食い止めるためのすべての手段が次第に“商品化”され、経済的な格差によってアクセスが制限される状況が生まれていくのです。
Q. そうした状況を踏まえて、今後のデザインワークのあり方はどうなっていくのでしょうか。
私自身がデザイナーとして大切にしているのは「今後なにが”制限”になってくるのか」をホリスティックに考え、知ることです。
既存の建物や設備をエネルギー効率改善のため改修をする「レトロフィッティング」や、ソーラーパネルの導入はサステナビリティの文脈でよく「良い」こととして語られますが、それによって外部化されるものにも目を向けなければいけません。その資源やエネルギーはどこからくるのでしょうか。そこには「まち」のスケールでは捉えきれないものがあり、植民地化の構造をいまだ引きずっているものもあります。
ソーラーパネルを設置するために、化石燃料を燃やして、クリティカルミネラル(重要鉱物)を掘り、地球をさらにあたためる。それは回り回って、農業生産にも悪影響を及ぼし、食料の供給率を低くするでしょう。すべてのことがつながっているのです。
そうした連鎖に対して目を向けること、そして調べて得られたものに対して誠実でいることが、今後のデザインワークに求められるのではないでしょうか。
編集後記
気候変動の恐ろしさは、それが与える影響だけではなく、その影響が立ち現れるまで、実態がわからないことかもしれない。「2050年までにCO2排出量を減らします」「1.5℃目標を達成するには」……あたかも人間がそれをコントロールできることを示すような数字を見聞きすることが増えた昨今。私たちはいつまでも実態の掴めない気候変動について語り続け、行動し続けることができるだろうか。ジャックさんの話を聞く中で、そんなことを考えさせられた。
そうした未知の領域に足を踏み入れている前提で、もう一度Dark Matter Labsのホームページを見てみると、彼らは問題を決して「断定」していないことがわかる。そこに並ぶ言葉は、「Next Economies(新しい経済)」「Beyond Labour(労働を超えて)」「Capital Systems(資本のシステム)」など。どれが良いとも悪いとも示していないのだ。
気候変動は、私たちの生活に確実に影響を及ぼし始めている。地域では対応しきれない量の雨が降り、洪水が起き、エネルギー供給が途絶えたら生死をさまようであろう暑さが人々を襲う。そんなとき私たちは、すべてを解決してくれるようなインスタントな「解」を求めがちだ。しかし、早期の解決を求めて何かに傾倒することこそが、また新たな社会課題を生むのではないだろうか。最近話題にのぼる、ソーラーパネル、建物のリノベーション、電気自動車などはまさにそうであるかもしれない。
Dark Matter Labsのようなシステムの前提を問う姿勢は、未来を予測しにくいVUCAの時代にますます重要になるだろう。これからは、性能の良いエンジンをつくるだけではなく、車をどこに走らせるかを考えなければいけない──彼らの活動を知る中で、「問い」をブラッシュアップする重要性を感じた。
【参照サイト】Dark Matter Labs
【関連記事】ドーナツ経済学を、地域の変革に落とし込む。英国で注目の市民団体「CIVIC SQUARE」