なぜ「slow(スロー)」であること、つまり「遅い」ことや「時間がかかる」ことは、ネガティブな文脈で語られやすいのだろうか。
ビジネスの場において、動きが遅い、思考が遅い、判断が遅いことは、評価が低くなる原因にもなっていた。対照的に、動きが速い、思考が速い、判断が早いことは賞賛の対象となることが多い。特に資本主義の文脈において、この時間軸は、淘汰されるか生き残るかの境界線として機能してきたようだ。
しかし今、この効率至上主義に対するカウンターとして「スロー・テック」という概念が静かに台頭している。直訳すれば、遅いテクノロジー。先端技術を競う現代社会に逆行する、あるいは利便さを捨てた概念に映るかもしれないが、このスロー・テックという潮流が、世界のさまざまな場で台頭し始めているのだ。その意味と実例から、次なるテクノロジーの姿を覗いてみよう。
スロー・テックとは何か
スロー・テックという言葉に、現時点で確立された定義は存在しないようだ。しかし、先行する議論や実践を俯瞰すると、いくつかの共通した輪郭が浮かび上がる。
それは、効率や即時性を至上命題としてきた従来のテクノロジーのあり方に異議を唱える姿勢だ。スロー・テックは、技術やシステムの長寿命化、包括性、そして自然との調和を優先する。そこで重視されるのは、最適化がもたらす「摩擦のない体験」ではなく、むしろ緩やかな繋がりや温かさ、そして忍耐である。
テクノロジーの例として、カメラについて考えてみよう。かつてカメラは、一枚撮影するにもかなりの時間がかかり、その場ですぐに現像して写真を手渡すなどあり得なかった。その後、技術が発展し、今では多くの人がスマートフォンのカメラ機能で写真を撮っている。瞬間的に撮影ができるどころか、それを現像することも遠くの誰かと共有することも、ものの数分でできてしまう。こうして効率化されたテクノロジーは時短になり、便利にも見える。
一方で、印刷された写真を心待ちにする機会は少なくなり、カメラに不具合があると修理するよりもスマートフォンそのものを手軽に買い替えるようになった。時間軸が圧縮されたことで、手間がかかるからこそ存在していた豊かさやモノへの愛着は薄れてしまったかもしれない。こうした感覚をほどよいバランスで取り戻そうとするのが、スロー・テックの実践といえるだろう。
「ハイテク or ローテク」の二元論を超えて
意味を理解していくと「スロー・テックは、昔の不便な生活に戻ることなのか?」と思うかもしれない。しかし答えは、否だ。スロー・テックの議論は、AIの使用に異議を唱えてアナログに回帰するような二元論的な話ではない。また、個人的なデジタルデトックスの実践といったライフスタイルに閉じたものでもない。
スロー・テックの実践者たちは必ずしもハイテクを拒絶していないのだ。たとえば、アムステルダムを拠点とするデザインスタジオ「VOUW」は、一見すると高度なテクノロジーを用いた作品を制作しているが、その根底にスロー・テックの原則を掲げ、人々を緩やかに繋ぎ直すテクノロジーのあり方を提示している。
次の写真は、同社の「Chairwave」という作品。センサーのついた椅子が連結されており、誰も座っていないときは波のように上下に揺れるインスタレーションだが、人が近づくと一番近い椅子がフラットになり座るように促す。そこに人が座ると隣の席がゆっくりとフラットになり、あたかも次の一人を招き入れるように動く。
つまりこの椅子は、技術を介して交流の機会を生み、他者の存在を意識させる。ハイテクを使いながらも、私たちの時間感覚をスローダウンさせる──そんなスロー・テックの試みである。

Image via VOUW

Image via VOUW
また、オランダのアムステルダム応用科学大学では「Slow AI」という名の2年間の研究プロジェクトが設立され、植民地主義や搾取の歴史に根ざした効率性や最適化といった概念に抵抗する、AIとの新たな関わり方を見出そうとしている。AIそのものを劇的に変えることは難しくとも、それをスロー・テック的に使い分けるための知見が集まりつつあるのだ。
一方で、スペインとメキシコを拠点とするデザイナー組織「slowlab」は、ハイテクへの依存を減らすことを明確に掲げ、ローテクを意図的に選択することで身近な技術への意識を高めようとしている。ソーラーオーブンや自転車発電機を公共の場に持ち出したり、それらを作るワークショップを開催したりすることで、地域の人々と共に、伝統的でスローな技術を現代に取り入れる方法を模索しているのだ。

古代の知恵からヒントを得て「スローキッチン」を作成する様子|Image via slowlab
このようにスロー・テックとは、ハイテクかローテクかという「技術の複雑さ」を二元的に問うものではなく、その技術が「どのような時間軸」で人や社会に関わろうとするかという設計の態度や哲学の差異を指しているのだ。
また、自然との調和も重視するスロー・テックの眼差しは、人間だけに向けられているわけでもない。これまでのテクノロジー開発は「人間にとっての使いやすさ」を追求する人間中心主義に偏っていたが、近年は「人間中心主義を超えた(More-than-human)」視点からのテクノロジーも登場している。
例えば、デジタル技術を通じた多種共存のための都市変革を目指す研究プログラム・mosaicの活動から垣間見えるのは、土壌や微生物、水、空気といった、人間以外のステークホルダーと歩みを揃えるための技術の発展。これは、効率化・高速化のなかで排除されてきた生態系全体の時間軸に立ち返ろうとする姿勢であり、スロー・テックと共鳴する部分が多いだろう。
日本で芽生えるスロー・テック
日本国内においても、スロー・テックの探求が立ち上がりつつある。
一例が、東京大学大学院情報学環とソニーグループが2023年12月に開始したプログラム「越境的未来共創社会連携講座(Creative Futurists Initiative)」。このプログラムでは、2025年末から「Slow Tech」をテーマにした短期ワークショップが開催され、次のような問いを掲げていた。
効率性や即時性を実現するテクノロジーの弊害が指摘されるなか、スピードや生産性の最大化のみを追求するのではなく、時には立ち止まり、時間をかけ、他の生物や環境とともにある時間を意識するテクノロジーのあり方は考えられないか?
スロー・テックの動きは、誰かが強力に導いているわけではなく、必ずしも明確な定義に従っているわけでもない。それでも、こうして同じ課題感から経済システムを、テクノロジーを、スローダウンさせようと試みる人たちが国内外で一歩踏み出し始めているのだ。
急がないテクノロジーが導くもの
ここで一点、私たちが直面している構造的な課題を指摘したい。それは、現代において「スロー」という概念が、しばしば一部の層だけがアクセスできる「贅沢品」として消費されている側面だ。
ファストファッションやファストフードが安価に流通する一方で、職人の手仕事や、化学肥料を使わず微生物の力を借りて育った作物、修理して長く使う道具は、往々にして高価になる。現代のシステムにおいて「時間をかけること」は、コスト増として価格に転嫁されるからだ。しかし、そもそもいつから、時間をかけることは日常から切り離された贅沢になってしまったのだろうか。
「スロー」を、単なるラグジュアリーとして終わらせてはならない。もし時間をかけることが贅沢でしかないのなら、それは社会にも歪みがあり、「何をどこまで商品として扱うべきか」を問い直す必要がある。身の回りの物に着目するスロー・テックの台頭は、社会システムをスローにするという途方もない挑戦の糸口となりうるはずだ。

近くでは手間がかかるようなものも、遠くにある結果に意識を向けるとより良いゴールに至ることもある|Image via Shutterstock
スロー・テックは単なる「遅さ」の賞賛ではなく、効率化が進んだ現代において、私たちが失いかけている時間感覚や身近なスキルを取り戻そうとする、懐かしくも新しい価値の芽生えである。
これからのテクノロジーに求められるのは、不便さをつぶさに解消し欲望を最短距離で満たすことではなく、技術を介して他者や環境との良質な摩擦を生み出すことだろう。共存のプロセスそのものを慈しむ設計へと舵を切ることが、長期的には、本来必要としていた喜びや心地良さへと結実する道であるはずだ。
【参照サイト】The Quiet Rise of Slow Tech|CRITICAL PLAYGROUND
【参照サイト】VOUW
【参照サイト】mosaic
【参照サイト】東京大学 ✕ ソニーグループ 越境的未来共創社会連携講座 Creative Futurists Camp「SlowTech #0:公開成果発表」|東京大学大学院 情報学環・学際情報学府
【参照サイト】6つのプロトタイプが問い直す「遅さ」の設計:SlowTech #0 公開成果発表レポート|Creative Futurists Initiative
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