「テクノロジーで効率を上げるか、生活の質を落として我慢するか」
日本でサステナビリティが語られるとき、私たちはしばしばこの極端な二択を迫られる。企業は技術革新や効率化を掲げ、個人には節電や節約といった努力が求められる。しかし、そのどちらを選んでも閉塞感から抜け出せないのはなぜだろう。
その問いに、ヒントを与えてくれるのがヤミナ・サヘブ氏だ。エネルギー工学の博士号と開発経済学の修士号を持つ彼女は、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書の執筆者として、科学の世界に「サフィシエンシー(Sufficiency:充足性、十分性)」という概念を導入した。
フランス・パリを拠点にWorld Sufficiency Labを率いるサヘブ氏の言葉は、私たちが無意識に受け入れてきた「消費者の論理」を解きほぐしていく。
「私たちは消費者ではありません。一人の市民です」
そう語るサヘブ氏との対話は、私たちが自分たちの手に暮らしを取り戻すための、新しい地図を広げるような時間だった。
話者プロフィール:Yamina Saheb(ヤミナ・サヘブ)
パリ政治学院(Sciences Po)講師・研究員であり、World Sufficiency Labの共同創設者。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第6次評価報告書のリードオーサーを務める。これまで、IEA(国際エネルギー機関)のシニア分析官や、欧州委員会共同研究センター(JRC)のオフィサー、エネルギー憲章事務局のエネルギー効率化部門責任者などを歴任し、国際的なエネルギー政策の最前線で活躍。エネルギー工学の博士号に加え、景観建築学と開発経済学の修士号、建築技術のエンジニア学位を持つ。現在は、気候変動対策としての「サフィシエンシー」の理論構築と、エビデンスに基づく政策提言に注力している。
物理学が教える「効率」の限界
サヘブ氏がサフィシエンシーの重要性に気づいたのは、「エネルギー効率」の専門家としてキャリアを積んでいたときだった。
「効率化だけでエネルギー消費を減らせるというのは、物理学的に見て間違いです。効率性は熱力学の第一法則にしか基づいていません。しかし、システム全体をコントロールするには、相互作用を司る第二法則が必要です。今の政策は、この基本を無視して部品の改良ばかりに躍起になっているのです」
サヘブ氏は、私たちが日常的に使う冷蔵庫を例に挙げて説明する。
「冷蔵庫単体の効率を上げることはできます。でも、その冷蔵庫が置かれている『部屋』との関係はどうでしょうか。部品レベルの効率だけを追い求めても、家全体、街全体というシステムで見れば、エネルギー消費は減りません」
効率の良い機器が普及しても、家の面積が広がり、所有する家電の数が増え、人々の移動距離が伸びていけば、社会全体のエネルギー需要は下がらない。問うべきは、いまある需要をいかに少ないエネルギーで満たすかだけではなく、そもそもその需要がどのように生まれているのか、ということなのだ。
IPCCの報告書にサフィシエンシーという言葉を入れようとした際、サヘブ氏は激しい抵抗に遭ったという。同僚たちの反論は、「IPCCは気候変動をトピックとして扱うものであり、生物多様性や土地利用までを含むプラネタリー・バウンダリーを議論するのは範囲外だ」というものだった。しかし、報告書の建築分野に関する章を担当していた彼女は、いっこうに引かなかった。
「建物の問題を考えるとき、気候変動だけを見ることは不可能です。土地をどう使うかという視点が欠かせない。そして、土地利用を扱える唯一の科学的枠組みが、プラネタリー・バウンダリーだったのです。最終的にこの言葉が報告書に残ったのは、それが動かしようのない科学的な事実だったからです」
サフィシエンシーとは何か?「脱成長」「緊縮」との違いも
サヘブ氏によると、サフィシエンシーとは「地球の限界内で、すべての人にウェルビーイングを保証するために、エネルギーや資源の需要そのものを『避ける』ための政策措置と日常の実践」を指す。
日本でよく聞く「効率」が、今ある需要をいかに少ないエネルギーで満たすかという技術の話であるのに対し、サフィシエンシーは「そもそも、その需要は本当に必要か」と問い、過剰な消費をシステムとして「避ける」ことを目指す。
単に個人が「我慢」するのではなく、そもそも無理な需要が発生しないように社会の仕組みを整える。サヘブ氏はこの定義を、さらに3つの視点から補足してくれた。
- 「全員」が十分であること(公平性):一部の人が過剰に消費し、一部の人が不足に苦しむのではなく、全員が尊厳を持って暮らせる「十分なライン」を社会として保証する。
- 「モノ」ではなく「ニーズ」を満たす(需要側への転換):「車」というモノを売るのではなく、「移動したい」という人間の根本的なニーズをどう満たすかを考える。供給側の都合ではなく、人間の必要から逆算して社会を作る。
- 「自由」のためのルールであること(組織化の原則):サフィシエンシーは、私たちがどう生きたいかを自分たちで決めるための「自由」の土台。どのような街に住み、どのような資源を分かち合うのか。それを民主的な対話によって決めていくプロセスそのものを重視する。
ここで多くの人が抱くのが、「サフィシエンシーとは結局のところ、生活を切り詰める『緊縮』や、エネルギーや資源の使用量を減らす『脱成長』と同じではないか」という疑問だ。しかし、サヘブ氏は明確に否定する。
「サフィシエンシーは、決して『緊縮』ではありません。緊縮は人々に欠乏を強いるものですが、サフィシエンシーは全員に『十分』を届けるためのものだからです。
また、よく混同される『脱成長』とも、思考の流派が異なります。脱成長は北半球で生まれたムーブメントですが、サフィシエンシーは南半球を含む国々ではすでに実装されている社会組織のあり方です。サフィシエンシーは、政治哲学においては『分配的正義』の理論であり、社会学においては『社会の組織化の原則』です。つまり、そこで問われるのは、すべての人が良い暮らしを送るために十分なものを持てるよう、自分たちをどう組織化するかということなのです」
こうした理論を具体的な政策へと落とし込むために、サヘブ氏は2024年にWorld Sufficiency Labを設立した。55万件もの科学論文を学習させたAI「Chat Sufficiency」を開発し、科学的根拠に基づいた分析を世界中の政策立案者に届けている。
パリで自転車に乗れるように。変わったのは「私」ではなく「制度」である
サフィシエンシーは、しばしば「個人のライフスタイルの選択」の問題だと片付けられがちだ。しかし、サヘブ氏は「それは個人の行動変容の問題ではない」と断言する。彼女がその証拠として挙げるのが、パリの街を変えた自転車レーンの話だ。

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「25年前、パリで自転車に乗ることは不可能でした。車が行き交う道を自転車で走るのは、あまりに危険すぎたからです。でも今、私は息子を後ろに乗せて自転車を漕いでいます。何が変わったのでしょうか。私は同じ人間です。私の行動が変わったのではなく、市議会という『制度』が安全なインフラを整備し、自転車に乗るという選択肢を可能にしたのです」
個人のライフスタイルは、社会の設計図によってあらかじめ規定されている。だからこそサヘブ氏は、サフィシエンシーを個人の道徳心の問題ではなく、社会をどう形作るかという「組織化の原則」だと位置づける。どのような枠組みで生きるかを自分たちで選ぶ。その権利を取り戻すことこそが、彼女の説く「自由」だ。
「サフィシエンシーは、実際には『自由』についての話なのです。私たちはパリのような(自転車中心の)都市に住みたいのか、それともロサンゼルスのような(車中心の)都市に住みたいのか。それを決めるのは、民主的な対話のプロセスであるべきです。誰かに生き方を押し付けられるのではなく、私たちがどう生きたいかを自分たちで決める。それこそが、サフィシエンシーの本質です」
過剰な消費を煽る「広告」のあり方を問い直す
社会の再設計を語る上で、サヘブ氏が言及したのが、現代の経済システムにおける「広告」の役割についてだった。彼女は、人々の欲望を刺激して不必要な消費を促し続ける広告のあり方を、人間の真のウェルビーイングを損なうものとして警鐘を鳴らす。
「生命を破壊し、人間のニーズを侵害するような広告は、すべて禁止すべきです。フランスおよびEUがタバコの広告を法律で禁止したように、不健康で持続不可能な消費を煽るものを社会から排除していく必要があります。
以前、11月の肌寒い日のことです。パリ市内で自転車に乗りながら赤信号を待っていると、『週末、25ユーロでリスボンへ!』という広告が目に飛び込んできました。安く太陽の光を浴びに行きませんか、という誘いです。週末にリスボンへ飛べば、航空会社は儲かりますが、個人は移動で疲れ果て、排出量は増え、地球の生命は破壊されます。そこにあるのは、企業の利益と引き換えに、地球も個人もすり減っていくような循環だけなのです」
サヘブ氏が批判の矛先を向けているのは、広告そのものではなく、それが「人間のニーズを侵害するもの」として機能している現状だ。過剰な消費を煽るシステムが、結果として地球環境だけでなく、私たちの心身の健康や、そのシステムを支える労働者の尊厳までも損なっているのではないか。彼女の問いは、広告や労働を「人間を効率化のための道具」として扱う経済システムそのものに向けられている。
「消費者」という役割を降り、社会を作る「市民」に戻る
私たちは普段、自らのことを「消費者」とみなしてしまいやすい。流れてくる広告に反応し、提示された選択肢の中からモノを買う。その受動的な役割の中にいる限り、社会の大きな仕組みを変えることは難しいように思えてしまう。
しかし、サヘブ氏は「私たちは消費者である前に、一人の市民であることを思い出さなければならない」と訴える。彼女にとって、科学者としてIPCCの報告書をまとめることも、一人の市民としての「ポリティクス(政治的な営み)」なのだという。
「科学的な結果は、常に政治的です。IPCCの報告書に何が書かれ、それがどう利用されるか。それは社会のあり方を決める政治そのものです。消費者は、AIや機械に置き換えられる存在に過ぎません。しかし、市民には権利があり、自分たちの社会をどう組織するかを決定する責任があります。サフィシエンシーとは、私たちが『消費者』という受動的な役割を降りて、自分たちの暮らしの主権を取り戻すための試みなのです」
資源の多くを海外に依存し、かつてのような経済成長は望めなくなった今の日本。サヘブ氏は、日本もヨーロッパ諸国と同様に、大きな転換点に立っていると指摘する。
「OECD諸国のかつてのような優位性は失われつつあります。米中対立のような大国間の争いや、資源の制約が厳しくなる世界において、サフィシエンシーは単なる環境対策ではありません。私たちが自律性を保ち、社会の平和を維持するための『生存戦略』でもあるのです。
民主主義は、平和があってこそ機能します。そして平和のためには、全員の基本ニーズが満たされていなければなりません。もし食べ物や水がなくなれば、私たちは動物として生き残るために戦いはじめるでしょう。サフィシエンシーは、私たちが共に生きる方法、つまり『コモンズ(共有財)』を守るための唯一の道なのです」
現地の文脈に合ったサフィシエンシーを、自分たちで描く
最後に、日本への示唆を聞いたところ、サヘブ氏は「現地の当事者」が主導権を握ることの重要性を強調した。
「日本の文化や歴史に合ったサフィシエンシーの形は、日本の皆さんが自分たちで見つけるしかありません。私たちは知見を共有することはできますが、それをどう使い、どのような社会を描くかは、現地の専門家や市民に委ねられています。日本には、産業化以前から受け継がれてきたサフィシエンシーの知恵があるはずです。それを現代のシステムとしてどう再構築するか。その答えは、皆さんの対話の中にあります」
サヘブ氏との対話を通じて見えてきたのは、サフィシエンシーが決して「引き算」の概念ではないということだ。それは、供給側の論理にハックされた私たちの欲望を、再び自分たちの手に取り戻す「自律」のプロセスに他ならない。
日本に古くからある「足るを知る」という精神。それは、単に現状に甘んじることではなく、何が自分たちを真に自由にするのかを見極める知恵でもあったはずだ。
私たちはもう、誰かに用意された「効率」や「犠牲」の物語を、ただ受け取るだけの存在でいる必要はない。私たちが「消費者」という受動的な役割を降りて、自分の暮らしを自分で描く当事者として対話を始めるとき、サフィシエンシーという新しい物語が動き出す。
【参照サイト】World Sufficiency Lab
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