Tag Archives: アート
地域の“名もなき物語”を色に。塗料で人とものづくりの関係性を塗り替える「NULL」
地域に眠る、価値が見出されていない素材を塗料にすることで、地域の「色」を表出し、そこにいる人々の価値に変えていく。そんなプロジェクト「NULL」を紹介します。
市民がアートを持ち込み、キュレーターに。“ギャラリーは誰のものか”を問う参加型展示
ギャラリーのアート作品を見て「あ、近所の人だ」となったら、地域社会はどう変わるでしょう。イギリス・エディンバラで、市民がアートを持ち込み、全体の配置を決める参加型の企画「Whose Gallery is it Anyway?(そもそもギャラリーは誰のもの?)」が人気を博しています。
欧州に巨大な円を描く「巡礼路」が誕生?人と自然をつなぎ直す3,000キロの自転車道
ヨーロッパの地図上に描かれた巨大な円。これが将来、自然と調和の取れたプロジェクトを手がける地域をつなぐ、大きな「巡礼ルート」になるようです。2025年から、アーティストたちが各地をめぐって仲間を募り、アート企画を仕掛けます。
「よそもの」であるが故に気づくこと。NYで活躍する漫画家が表現する、”枠からはみ出た”物語
NY Timesの一面に掲載されたコミック「あなたはアメリカ人ですか?私が答えられなかった問い」。漫画家のハラ・ルミさんに新しい世界を形づくる背景や視点について話を伺いました。
社会が排除してきた存在に目を向ける。NZのアート展「聞かれなかった物語」
NZクライストチャーチ市にあるクライストチャーチ・アートギャラリーの、所蔵作品を集めた企画展「語られなかった(耳に届かなかった)物語展」。従来の“正しさ”に当てはまらないアートから見えたものとは?
英・シェフィールド市が「有害な広告」を規制。環境と市民のウェルビーイングを守る
イギリス中部の都市・シェフィールドの議会が「有害な」広告を禁止する政策を導入します。その決断にはお金よりも大切なものを守るという決意がありました。
英国で「屋外広告のない街」を求める声。広告が心身にもたらす影響が明らかに
普段、当たり前のように目にする街の広告。そんな広告のスペースを住民のための場所として活用しなおそうとする団体がイギリスにあります。彼らが持つ広告への問題意識とは?
バンクーバーの公園に「植民地監査」。多文化共生の足がかりになるか
カナダ、バンクーバーの都市公園に史上初の「植民地監査」が誕生しました。公共の場を調査し報告する彼らの活動から、土地をめぐる争いが絶えない現代に住む私たちが今学ぶべきこととは。
バンクシーの新作品がロンドンに。グリーンウォッシングを痛烈に風刺か
ロンドン北部にバンクシーが新しい作品を描きました。手前の木と合わさって出来上がるこの作品には、グリーンウォッシングに関する皮肉が込められているのではないかと言われています。
広がる活躍の場。ダウン症のある人々が“自分らしく”働く事例3選【世界ダウン症の日】
今日3月21日は、世界ダウン症の日。近年世界中で、ダウン症の人々の活躍の場が広がっています。今回は、その3つの事例を紹介します。
スキンケアに、公平さを。ストリートアートの「肌」を修復する啓発キャンペーン
「肌の健康」はあらゆる人にとって大切なのにもかかわらず、アメリカではそのリテラシーや医療へのアクセスに関して、人種による開きがあるといいます。そこでスキンケアブランドのヴァセリンがある啓発キャンペーンを始めました。
これが、車に支配された都市だ。まちの主役は誰か?を問う“未来予想図”
都市は、誰のために開発されるのでしょうか?そんな問いに立ち返ってみると、車が中心のまちづくりに違和感が……。そんな想いから強烈でちょっと不気味な都市の“未来予想”が誕生したようです。
植民地主義を“衣服”で問う。ウガンダ発ブランド「IGC FASHION」
欧米やアジアの先進国から、大量に安い古着が流れ込むウガンダ。そんななか、作品を通してウガンダのアイデンティティを呼び覚まそうとするファッションブランドがあります。その力強いメッセージを聞いてきました!
芸術と科学よ、ヒューマニティが必要だ。NY気候美術館「化石燃料の終焉」展
合理性だけではなく、感情こそが問題を解決へ導くと確信し、2014年にNYで始まった「The Climate Museum(気候美術館)」。高級ブランド街の一角で異彩を放ち、会期延長になるほど話題を呼んでいます。
いつもの食材が、もう食べられなくなる?「最後の晩餐」体験イベント
気候変動が理由となり、身近な食材が食べられなくなる日も近い?アメリカのミネアポリスでそんな食材を使った料理を体験できるイベントが開催されました。
気候危機を歌う曲が、英国チャートで史上初の一位を獲得
気候危機を歌った曲「We Tried」が、史上初の英国iTunesチャート一位を獲得しました。いま多くの人々に聴かれるこの曲をつくったのは、若き環境活動家でした。