成果ではなく、ニーズに応じた給与へ。新たな賃金制度は、個人と組織を幸せにするか

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企業であれ非営利団体であれ、組織に勤める人であれば毎月もらっているであろう、給与。

私たちの生活を支える大事な基盤でもある給与は、仕事を選ぶ際の基準になったり、人生の計画を立てるベースになったりと、誰にとっても大事なものだろう。経営者からすれば、社員に支払う給与は毎月確保すべきものであり、その配分は重要な経営判断のひとつかもしれない。

現在、給与に関して前提になっていることの一つが、「高い成果を出す人に、より高い給与が支払われる」ことではないだろうか。従来の日本では勤続年数に応じて給与が上がっていく年功序列の給与制度を採用する企業が大半だったが、近年では欧米企業に倣い結果に応じて給与を分配する「成果主義」にシフトしていくべきだ、といった議論がよく聞かれる。

より良い結果を出した人が、より多く受け取る。これは、ある意味当然のことのように感じられる。従来の年功序列式に比べると、より“フェア”だと考える人も多いかもしれない。

だが、実はこの成果主義にも、見落としてはならない欠陥がある。それは、この給与システムが、働く個々人の「ニーズ」を反映するものではないという点だ。ここでいうニーズとは、個人がその社会の一般的な生活水準を保つのに必要な事項──例えば、光熱費や家賃、子どもの養育費、扶養家族の医療費など──を指す。

問題なのは、このニーズの大きさは、個人の給与額に必ずしも見合わないという点だ。

富めるものがますます富み、貧しきものは貧しいままになりやすいシステム

もう少し具体的に考えてみよう。

例えば、職場にAさんという女性社員がいるとしよう。Aさんは、自国の政治情勢が悪化し、止むに止まれず数年前にこの国に移住してきた、1才の娘と7才の息子を持つシングルマザーだ。育ち盛りの息子には食費や教育費がかかる一方、まだ小さい娘の世話をする必要があるため、Aさんはフルタイムで働くことができない。外国人としての言語の壁もあるため、周りの同僚たちと同程度の仕事をするのにも、一苦労だ。

一方で、Aさんの上司のBさんはこの国の比較的裕福な家庭に生まれた男性社員だ。トップクラスの教育を受けてきたこともあり、優秀で仕事ができる。今の会社の売り上げの大部分を作っているのはBさんであり、当然彼が会社から受け取っている給与は、Aさんの数倍にもなる。定年間近なBさんは、すでに子どもを育て上げ、妻と何不自由ない二人暮らし。会社から支払われる十分すぎる給与は、たまの旅行に使ったり株式投資に回したり、子どもに残す遺産にしたり…..と、自由に使うことができる。

AさんとBさんは筆者が想像する架空の人物であり、このストーリーも完全なフィクションだ。しかし、こうした状況は世界のあちこちで実際に存在するのではないだろうか。ここで言いたいのは、Bさんが悪者だということでは決してない。問題は、当事者たちの責任を超えた、社会の構造そのものであり、そのうちのひとつが、「高い成果を出した人により多く支払われる」ことを前提とする、会社組織の給与システムだということだ。

男女格差

Image via Shutterstock

個人のニーズに応じて支払われる、ニーズベースの給与

こうした構造的課題に対して、いま欧州の一部で議論と実践が進んでいるのが、個人のニーズに応じて給与を支払う、”ニーズベースの”給与システムだ。近年、多くの企業が実際にこうした給与システムを導入しはじめている。

例えば、イギリスのウェールズを拠点とするPublic Interest Research Centre。長年社会課題や気候変動のムーブメントを牽引してきた非営利団体である同組織では、2022年から「Socially just pay policy」と呼ばれる給与システムを簡略化して導入している。

このシステムは、まず全従業員が同額の「基本給」を受け取り、扶養家族がいる人や都市部で高額な家賃を払わざるを得ない人は、住宅費や医療費といった名目で「追加給与」を受け取ることができるというものだ。さらに、この追加給与は社会的なマイノリティとして本人の責任ではないところで差別や抑圧といった不利益を被っているスタッフにも支払われる。スタッフはそうした状況について具体的に説明する必要はなく、ただ追加給与を申請すれば良いのだという。

また、同じくイギリスのブリストルを拠点とするコンサルティング企業​​Greaterthanでは、「Happy Money Story」という独自のメソッドを活用して給与を分配している。

同社の社員のひとりが考案したこのシステムでは、まず各自が個々のプロジェクトについて自分やチームメンバーの貢献度合いを振り返り、自分の生活ニーズと合わせてメンバーに共有する。そして、各自がその場を離れ、お金をどのように分けるかを個々に考える。その後、チームの全員が納得できる案に至るまで議論を行い、それぞれの給与を決定していくのだという。議論は数回のミーティングを必要とする場合もあれば、慣れてくると10分程度で済む場合もあるという。

他にも、ドイツでは2021年に議論に関心を持つ組織や学者たちが集まり新しい給与システムについて調査するNew Pay Collectiveを結成。またスイスでは、さまざまな業界の実践者が新たな給与システムに関する知見をシェアし合うコミュニティNew Pay Communityが結成されるなど、新たな給与システムへの議論そのものが、欧州を中心に広まりつつある。

ニーズの考慮が、安心感を持てる組織づくりに

では、こうした新しい給与システムを採用した組織の内部では、実際にどのようなことが起こっているのだろうか。

Public Interest Research Centreで働くAnthony Jarrett氏は、「給与が現在よりも下がらない限りは、この給与システムに不満はない」Reasons to be Cheerfulの取材に答えている。彼は組織の中で最も長い30年の経験を持ち、ガバナンスやファイナンスといった組織の根幹に関わる業務を担っているにもかかわらず、メンバーの中で一番低い給与を受け取っているが、それで良いというのだ。

さらに、この給与システムの導入により、同組織にはより多様な従業員が集まるようになったという。導入の数年前は、応募者は中流階級の新卒者が多かったが、現在はそうした層だけではなく、社会的に周縁化された、マイノリティにあたる人々も応募してくるようになったのだ。

​​GreaterthanのCEOであり、2年間で少なくとも40回のHappy Money Storyを経験したFrancesca Pic氏は、「Happy Money Storyの導入によりメンバーの安心感が増している」と話す。彼女によれば、そのプロセスは「実に開放的」であり、メンバーがお互いの仕事の成果に感謝し合ったり、それまであまり話すことのなかった個人の経済的苦労に関してオープンに共有し合えるようになったりと、良いチームの関係性を作る強力なツールとして機能しているのだという。

欧米諸国には自分の給与をあげるよう上司に交渉するという文化があるが、彼女はこれを「すでに高い自己価値を持っている人に有利であり、女性や少数民族といった自分自身の価値を低く見積もりやすい人々が損をするシステム」だと指摘する。Happy Money Storyのプロセスでは、自分を過小評価しがちなメンバーに対し、他のメンバーがもっと高い報酬を要求するよう促す場合もあるため、こうした格差を是正できる大きな可能性も持っているのだという。

ニーズに応じた給与システムは、社会的企業・組織こそ導入するべき

さらに、ドイツ・ベルリンを拠点とする社会起業家Lisa Jaspers氏は、「社会的企業こそこうした給与システムを導入するべきだ」と主張する。「現在の報酬のあり方は、最も恵まれた人たちが最も稼ぐということを意味します。それは、社会問題に取り組むために存在する組織の間でさえも起きていることです」

彼女の信念は、「事業そのものが社会にとって良いものであったとしても、給与システムにおいて不平等を助長していたら意味がない」という価値観に基づく。また、先にも述べた通り、ニーズを考慮した給与システムは社会的に恵まれない背景を持つ人を組織に引きつける。そして、その人たちの視点や洞察力が、事業を通して本当に公正な社会を作ろうとしたときに不可欠なものであるとJaspers氏は考えているのだ。

長年従業員に全員同額の給与を支払ってきたPublic Interest Research CentreがSocially just pay policyを導入したのも、人種やジェンダー、またそのほかの不平等がより顕著になるにつれて、従来のフラットな給与体系がだんだんと機能しなくなってきたことを感じていたからだという。

現在の給与形態からこぼれ落ちるものは?

いかがだっただろうか。本記事で紹介したニーズベースの給与システムを導入している組織はいずれも小規模で、強い信頼関係や暖かい雰囲気がすでに構築されているという前提がある。Jaspers氏が「特権階級にとっては、開けたくない箱を開けることになります」と話すように、その運用には忍耐や注意力が必要となる可能性が高い。このため、重要なのはそれぞれの組織に合わせたより良い給与システムを、働くメンバーが主体となって議論する場をまずは作ることかもしれない。

現在の成果や勤続年数に基づく給与システムが、すべて間違っているというわけではない。大きな成果を出したり、組織に長く貢献すれば、より多くの給与を受け取れる。これは、働くうえでのインセンティブになるだろう。

だが、この価値観が当たり前となり、そこからこぼれ落ちてしまう人々が自己責任で括られてしまう社会は、本当にすべての人にとって幸せで包括的な社会なのだろうか。今盛り上がりつつあるニーズベースの給与への議論は、そんな問いを私たちに投げかけている。

【参照サイト】Needs-Based Salaries Are Upending Workplace Norms
【参照サイト】Socially just pay policy
【参照サイト】The happy money story game.
【参照サイト】Happy Money Story: How it happens in Greaterthan and what ripples it creates!
【参照サイト】New Pay Collective
【参照サイト】NewPayCommunity

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