都市再生のカギは、住民が憩う「地区の家」。イタリア・トリノが示す脱工業化の姿とは

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イタリアのトリノと聞いて何を連想するだろうか。2006年の冬季オリンピック・パラリンピックの名場面を思い浮かべる人、そして車のメーカーであるフィアットや美食を連想する人もいるかもしれない。一方、ここ数年トリノは「イノベーションの街」としても注目されており、欧州の都市の中でも高い評価を受けている。

なぜトリノはイノベーションの街となったのか。その背景には危機的状況に陥った都市を救うために取り組んだ「脱工業化」の戦略があった。

トリノが街を再生するために特に力を入れてきたのは「地区の家」という建物だ。放置されていた公共施設を再利用する取り組みで、今は地域住民が集い、社会的なつながりを深める場所となっている。市民主体となって活動する「地区の家」はトリノの街をどのように再生してきたのだろう。この記事では、トリノがイノベーションの街になるまでの経緯を遡った上で、「地区の家」を実際に訪問した様子をレポートしていく。

歴史と未来を繋ぐ都市トリノの挑戦

2024年イタリア・トリノは、欧州イノベーション都市賞(iCapital)の最終候補6都市の一つに残った。欧州イノベーション都市賞とはヨーロッパ委員会が地域社会でイノベーションを最も推進しているヨーロッパの都市を表彰するもので、最終候補に残ったのはトリノのほかに、イギリス・ブリストル、エストニア・タリン、フィンランド・エスポー、タンペレなどだ。受賞者の発表は2024年11月13日にリスボンで行われる。

今回の賞では、先駆的なサステナビリティの取り組みから、包括的なデジタル変革の促進まで、日常生活の構造にイノベーションを組み込むことでコミュニティを再構築する取り組みをしてきた都市にスポットライトを当てている。トリノが評価されている理由の一つは、歴史と産業遺産を活用し、現在と将来の都市の課題に取り組む都市の姿勢にあるという。

トリノ市内には歴史的な建物が残る(筆者撮影)

例えば、トリノ市が主導する「トリノシティラボ」という研究ハブ。市民、企業、行政が協力してテクノロジー、製品、サービスを開発しており、都市に新たなイノベーションをもたらすことを目標としている。ラボに参加するメンバーは、トリノ市の一地域を使って実際に実証実験を行うことも可能。テクノロジーの機能性と実用性をテストし、市民生活への影響を評価できる上、テストが成功した場合には、すぐに実装できるメリットもある。

トリノシティラボ以外にもハブや研究機関などが誕生している。「CTE NEXT」は2021年に設立され、人工知能(AI)、ブロックチェーン、IoT、ビッグデータ、5Gといったモバイル技術を中心に開発などを行っている。

また2023年には「Living Lab ToMove」が未来のモビリティ開発を行うために設立された。開発拠点が発展するにつれて、トリノでは昨今、スタートアップの創業も盛んになり、その数はイタリアの中でトップクラスを誇る(※)。「ToTeM」と呼ばれるプラットフォームでは起業を考える人々に対し、ビジネスアイデアを一緒に考えたり、事業の立ち上げをサポートしたりしているそうだ。市全体でイノベーションや新しいビジネスを支援する動きがみられる。

路面電車の走る大通り付近(筆者撮影)

トリノの過去の栄光「フィアット」の跡地も、新しいイノベーションが生まれる場所に

では、なぜトリノはここまでイノベーションに力を入れる場所になったのか。その背景にあるのは、過去の苦い経験の教訓を活かした戦略だった。

トリノはもともと、自動車ブランド「フィアット」で栄えた都市だった。

元工場に作られた施設「Casa 500」に展示されているフィアット車(筆者撮影)

フィアットは1899年に設立され、2024年で125周年を迎えた老舗自動車メーカー。初めは小さな工場からスタートし、徐々に事業を拡大。戦後、イタリア国内屈指の大企業へと成長していった。

当時の生産工場の中で最大級といわれたのが「リンゴット工場」だ。ピーク時には約1万人が働いていたとも言われる。他の都市などから工場での職を求めて大勢の労働者が移住したことでトリノ市の人口も増加。1950年代前半には約70万人だった人口は1970年ごろに約120万人となった。

リンゴット元工場内には当時の生産ラインが残されている(筆者撮影)

トリノ市はこのフィアット特需に依存し、巨大な一企業の恩恵を受けている状態だった。そのためオイルショックなどでフィアットの経営が悪化すると、トリノ市財政も傾いた。人口流出が止まらず、2001年には86万人になり、1970年の人口と比べて約30%減少したのだ。

そして、トリノ市は持続的なまちづくりを目指すほかなくなった。フィアットばかりに頼っていた経済構造を根本から変えなければ、再び同じことが起こるのは明白だったからだ。そこでトリノ市は「脱工業化」を図る方針を打ち出す。経済と社会の状況を多様化するための新しい解決策としてイノベーションや新しい技術の研磨に舵を切った。

イノベーション革新のほかにも、使われなくなった工業地帯の再活用も進められ、巨大なリンゴット工場も生まれ変わることになった。工場の建物は壊さずにそのまま活かし、現在は商業施設やアートギャラリーなどの多目的施設として機能している。

屋上は元々納車前の試走コースだった。現在は空中庭園になり、広さは欧州最大級とも言われる(筆者撮影)

トリノの社会的つながりを深める「地区の家」の力

街の再生を志す中で、トリノ市はまちに点在する使われなくなった公共の建物を、市民に無料で貸し出す取り組みも行っている。この仕組みを活用しているのが「地区の家」だ。

「地区の家」はトリノ市や複数の非営利団体と協力して進められているコミュニティ・ハブ・プロジェクト。全部で8つあり、それぞれ異なる団体が運営している。筆者が訪れたのは「サン・サルバリオ」の地区の家。この地区はもともと工業地区で、工業が盛んな時代には多くの労働者が暮らしていた。しかし経済が衰退したことで失業率が上がり、一時的に治安が悪化。その後2010年に、生活の質向上を目的としたサン・サルバリオの地区の家が誕生した。

ここで働くソニアさんが建物内を案内してくれた。建物は地上2階、地下1階、中庭があり、開放感のある心地の良い空間に、人が集まるのも頷ける。ソニアさんは2階の窓からサン・サルバリオの地区の家のシンボルを紹介してくれた。

「みて、これがサン・サルバリオの目印です。大きく、高いところに描いてあるから、初めて来る人でもこの場所を見つけやすいんですよ」

サン・サルバリオ 地区の家の壁画(筆者撮影)

何の絵なのかは分からないそうだが、青地に波紋のようなデザインが描かれた建物を目掛けて地域の人がやってくるという。ちなみに写真の下部分にある赤いロゴは、「地区の家」を表すイタリア語“Casa del Quartiere”の頭文字をとった“CQ”だとか。

地区の家は年齢、性別、障害の有無、国籍など関係なく、地域住民の誰もが利用することができる。例えば平日は午前中には高齢者を中心に、午後には学校が終わった子どもたちが中心に利用し、夜には主に働く世代へのワークショップなどが開かれているという。その日ごとにワークショップや講座の内容が異なるが、デジタル技術を学ぶ講座や、合唱、演劇、アートや英語の教室などがあるそうだ。中には有料のものもあるが、費用は安く抑えられている。

講座やワークショップ以外にも、中学生を放課後に預かるサービスがあるほか、無料のソーシャルヘルプデスクでは給付金や支援策の相談や就職支援などを受け付けている。

中庭で作業をする人たちの姿が。近くで小さな子どもたちが遊んでいた(筆者撮影)

ソニアさんに、地区の家にとっての今後の目標について聞いてみると、こんな返事が返ってきた。

「もうほとんどゴールした状態ですよ!夢みたいなんです。みんなが活動を楽しんでるから」

あとは活動を継続していくことだけだという。トリノ市が「脱工業化」での都市再生を図り、生み出された結果のひとつとも言える「地区の家」。サン・サルバリオ地区が使っている建物は1900年ごろに建設された。80年間、公衆浴場として地域の人が汗を洗い流した場所が、今は地域住民が共に学び、支え合う場となっている。建物は100年以上地域コミュニティの活性化や社会的つながりを深める重要な役割を果たし続けているのだ。

編集後記

取材当日、筆者が「地区の家」の建物に到着し、入り口で右往左往していたら、偶然近くにいた利用者の一人が「カモン!とにかく入りなよ!」と歓迎してくれた。その上、コーヒーまで出そうとしてくれたのだ。そして彼につないでもらったソニアさんが快く取材を受けてくれた。

今回の取材は、利用者や運営者たちの親切心に触れ、人々の温かみを感じる時間となった。利用者にとって地区の家が「みんなを受け入れ、繋がり合う場」であり、安心できる場所になっているからこそ、筆者にもあたたかな対応でもてなしてくれたのだろう。取材中にソニアさんが地区の家について「ほぼゴールした状態」と言っていたことは大げさではないと感じた。また、この活動やつながりが生まれたのは、この地区の家の価値を理解し、財政的に支援する行政の存在もあってのことだ。

冒頭の話に戻るが、トリノ市は欧州イノベーション都市賞(iCapital)の最終候補に残った。この賞が地区の家も評価対象としたのかは明らかではないが、今回実際にトリノを訪れて、賞が評価対象とした「歴史と産業遺産を活用し、都市の現在・将来の課題に取り組む姿勢」を身をもって体感することになった。

今後もその価値を、地域のコミュニティが草の根で支え続けていくことだろう。トリノで地区の家が存続し、まちのコミュニティ活性化やつながりに貢献し続けてほしいと強く願っている。

StartupBlink The Startup Ecosystem of Turin

【参照サイト】JOC 日本オリンピック協会
【参照サイト】FIAT USA FIAT® Brand History | Our Story
【参照サイト】europeana Fiat, the Agnellis and the Italian automotive industry
【参照サイト】European Commission Celebrating a decade of innovation in cities: Meet the finalists of the 10th European Capital of Innovation Awards (iCapital)
【参照サイト】TORINO CITY LAB
【参照サイト】TORINO CITY LAB Il Living Lab ToMove
【参照サイト】Torino City Lab
【参照サイト】アーバン・アドバンス
【参照サイト】CLIMABOROUGH
【参照サイト】Politecnico di Torino
【参照サイト】ToTeM
【参照サイト】Casa del Quartiere di San Salvario
【参照サイト】Queensland University of Technology New urban trends towards the use of public space in Turin
【参照サイト】PROJECTS’ CATA-LOG トリノの地区の家 サンサルバリオ(イタリア)Casa del Quartiere di San Salvario – Bagni Municipali
【参照サイト】Agenzia per lo Sviluppo Locale di San Salvario ETS
【参照サイト】Casa del Quartiere di San Salvario

Edited by Megumi

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