このまちの良さは、足元に。亀岡の“暮らしの歴史”に学ぶ循環経済のヒント【ツアーレポート後編】

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城下町ならではの古い門構えの建物、晩秋から春先にかけてあたり広がる丹波の霧、その霧が水分を与えることで美味しく育つ野菜──それらは、亀岡の日常に映し出される風景だ。ゆったりとした時間の流れと人々の暮らし。そこには、自然のリズム、そして昔の人々が大事にしてきた感覚が残っている。

亀岡

IDEAS FOR FOODとごみの学校が開催した、「プラスチックごみゼロ」を目指す京都府亀岡市で、循環経済をテーマにまちを巡る2日間の旅。ツアーレポート前編では、同市が進めるさまざまな取り組みの実態と、その背後にある想いや目的を掘り下げた。続く後編のテーマは、「歴史と風景」。古くより亀岡の地に紡がれてきた文化や伝統、先人たちの営みから、循環経済の本質を探っていく。

案内人は、亀岡市にある天然砥石の魅力や歴史、活用方法を発信する天然砥石館の館長・田中亜紀さんと、亀岡出身のコーディネーター・並河杏奈さんの二人。地域に根ざし、地域とともに歩み続けるお二人に、過去を通して未来を考える大切さについて伺った。

あなたが住む地域もそう。どんな場所にも刻まれてきた歴史がある。過去から紡がれてきた歴史を知ることは、新たな循環、そして文化を生み出していくのかもしれない。

資源がない国の工夫から生まれた、ローカルなサーキュラーエコノミー

亀岡の地で、時に移ろいゆきながら紡がれてきた景色。その始まりは、地層から火打石が発掘されたおよそ2億年前に遡る。そんな亀岡の長い歴史のなかで、変わらず残り続けてきたものが、砥石。恐竜やアンモナイトが生息していたジュラ紀や三畳紀の時代、深い海底に堆積した泥の石や鉄が、プレートテクトニクスの活動によって地上に姿を現したものが砥石となり、やがて刀や包丁を研ぐために使われるようになった。

そんな砥石に地域の循環を考えるヒントが隠されている──そう話すのは、7年前に亀岡に誕生した「天然砥石館」の館長・田中亜紀さんだ。館内に到着し、ずらりと並ぶ砥石の前に腰かけた私たちに、田中さんはこう問いかけた。

「かつて日本で行われていた循環型の取り組みには、どのようなものがあるでしょうか。また、現在と昔では、どのような違いがあるでしょうか?」

天然砥石館の館長・田中さんによる包丁研ぎのレクチャーの様子

天然砥石館 田中さん

「昔は、し尿を肥料として農作物を育てたり、身近な植物である竹を用いて竹細工をつくったりするなど、地域内で収まるより小さな規模での循環の取り組みが盛んでした。一方で、現代では、サーキュラーエコノミーや循環という言葉を聞くと、プラスチックごみのリサイクルや亀岡で行われているおむつのリサイクルなど、一度ものを原料に戻して再利用する活動を思い浮かべる人もいるかもしれません。新品のものが好まれるようになったこと、技術が進んだことなどもあり、近年ではより大きな規模での循環の仕組みが考えられるようになりました」

包丁研ぎ体験

包丁研ぎ体験の様子

かつては今よりも、さまざまな資源が不足していた日本。だからこそ、人々はあるものを大切に、工夫して生活してきたという。そんな資源のない国だからこそ生まれたのが、世界に類を見ない日本の文化財である日本刀だった。

「日本刀は、砂鉄と木炭を交互に入れる作業を30分ごとに繰り返し、三日三晩続けることでつくられる『たまはがね』という原料からつくられます。不眠不休の大変な作業ですが、その苦労のおかげで不純物が少なく、切れ味の良い、研ぎやすくて長く使える刃になったんです。そうして室町から戦国時代にかけて発展してきた刀は、戦争のない江戸時代には不要になり、次第にその技術は和包丁に応用されるようになりました。丈夫で、柄を取り換えれば長く使える日本の包丁は、世界的にも評価されています。

ものが限られていたその時代は、今よりもごみが少なかったと言います。そうした状況のなかで自然と生まれた人々の工夫が、技術を発展させ、日本の文化をつくり、そして地域の循環を生み出していたのです」

残さず使い切る。四季の恵みを食べ尽くすための「保存食」

江戸時代以降、日本の食文化とともに発達した包丁。その起源は、奈良時代にまで遡る。当時は、日本刀型の細身の包丁を使い、魚を余す部分がないところまで切ってお供えする「包丁式」という神事が行われていた。そこでは、自然の恵みを食べ尽くすことが大切にされてきたという。

「昔は、『いかに四季の恵みを生かし、食べ切るか』が特に重要視されていました。今でも『包丁人』という言葉があり、包丁をみれば料理人の腕がわかると言うほど。食材の味を最大限に引き出すため、包丁の切れ味を鋭い状況に保つこと、錆びさせないことが大事にされていたんです」

そうした文化のなかで生まれたのが、「いただきます」、「ごちそうさま」、そして「もったいない」。もったいないは、世の中のすべてものはつながりあって成り立っているという仏教用語「勿体(もったい)」の否定語で、「使えるものが捨てられたり、働けるものがその能力を発揮しないでいたりして惜しい」という意味で使われるようになった。

日本食

食べ物を使い尽くし、食べきるために大きな役割を担ってきた包丁。資源が少ない日本では、さらに自然の恵みを大事にするべく、「保存食」が発達してきた。とりわけ冬は、冬越しのために食料を貯蓄しておかなければならず、乾物や干物、塩漬けにする漬物などが発達してきたという。

「特に、かつおぶしは究極の保存食で、その起源は古墳時代にまで遡ります。室町時代には、かごにカツオを載せて囲炉裏で燻製にされるようになり、江戸時代には、土佐や紀州藩から江戸に運ばれてくるカツオを長持ちさせるため、カビ漬けの技術が発達しました。その後、明治に入ってカビ漬けと燻製の手法が確立され、本枯れ節(カビ漬けを繰り返した鰹節)になったのです。

鰹節削り

鉋(かんな)を使った鰹節削りも体験させていただいた

漬物にしたり干物にしたりすることによって、食材そのものの風味が増す。保存食は、いかに廃棄せずに食べきるかという点で優れているだけでなく、日本の文化自体を豊かにしてきたと言えるかもしれません。現在は、いかにサーキュラーエコノミーをまわしていくか、という大きな円に注目しがちですが、昔を振り返ると、自然と効率的なサイクルが生まれていました。資源が乏しくなってきた今、改めて昔の循環経済を学び、考えてみるのもいいのではないでしょうか」

「研ぐ」を通して、自分の心と生活を研ぎすましていく

まだ人類が誕生していなかったはるか昔から存在していた亀岡。そんな歴史ある場所で、皆で包丁を研ぎ、鉋で鰹節を削り、その鰹節で出汁をとった。まるで数百年前にタイムスリップしたような気持ちで、古くから受け継がれてきた文化を体験した私たちは、長く続く文化が持つさまざまな魅力に気付かされた。出汁づくりを終えた後、参加者たちはこんな言葉を共有し合った。

これまで、もののメンテナンスをしてきませんでしたし、昔ながらの文化をやってみることはありませんでした。合理的に生きていたなと感じます。でも、今回の体験を経て、時間をかけること、昔を思い返すことに価値があると気付いたので、今後はそうした観点も大切に、色々なことをデザインしていけたらと思います

丁寧に道具を取る、集中すること自体がリラクゼーションや瞑想の効果があると感じました。包丁を研ぐのは時間がかかりますが、研ぐと掃除をした後のように心もすっきりします。一定の時間集中することで、別の仕事や作業をする際の集中力も高まるかもしれないと思いました

今までだったら新しい包丁買おうと思っていましたが、おばあちゃんの包丁を研いで使いたいと思いました

研ぐという行為には、世界が開けるわくわく感がありました。循環経済の本質には、「やらなきゃ」ではなく、やることで楽しい何かが生まれてわくわくする感覚があると思います

今回研いだ包丁は100円ショップの包丁だったが、砥石を使って丁寧に研いでいけば、刃は見違えるほどまっすぐに、そして綺麗になった。だが、ただ切れ味を良くして長く使えるようにするだけではなく、「研ぐ」という行為には、人々を前向きな気持ちにさせてくれる効果があるようだった。自分の精神や考えが研ぎ澄まされていく感覚があったり、大切な誰かの包丁を受け継ぎたいと思ったり、料理が楽しみになったり。包丁研ぎは、ものを大切にしながら自分の心を整え、誰かとつながるきっかけにもなっていた。

かつおぶし削り

ヒントは、すぐ足元にある。まちの良さを知るには、歴史や文化をひも解くところから

ものがないからこそ、「いかに使い尽くすか」が考えられ、発達してきた日本の技術や文化。それらは、ものや人、そして経済の循環を生みながら、人々の暮らしを豊かにしていた。

そうした過去から続いてきたものは、今の「まちの風景」のなかにも残されていて、そのなかにこそ、まちづくりのヒントが隠されている──そう話すのは、地元亀岡で活動する一般社団法人Fogin(フォグイン)代表の並河杏奈さん。「亀岡に新たな循環を生みだしたい」と、2025年春にオープン予定の泊まれるセレクトショップ『リバー!リバー!リバー!』を立ち上げ、地域ならではの滞在・体験の魅力を届けるためのイベント企画や商品開発、ツアーを通して、亀岡の魅力を発信している。

そんな並河さんは、亀岡の良さを探るなか、土地の歴史や風景からまちづくりを考えるようになったという。

亀岡市ツアー

並河さんのガイドのもと、亀岡の川沿いをまちあるきした。

「周りの人たちが、『亀岡には何もない』と言うのを聞いて、『本当に亀岡には何もないのだろうか?』と思い、亀岡らしさを探し始めました。そのなかで気付いたのが、地域の歴史や文化を知ることの大切さ。この土地ではどのような木が生えやすいか、畑ではどういう作物を育てるのが適しているか。そういった地域の固有性は、地形や地質、気候から生まれていきます。そのうえに、私たちの社会や文化、コミュニティが成り立っていると思うようになったんです。

今日もこれだけ晴れていますが、朝は濃い霧が出ていました。この丹波の霧こそが、野菜が美味しく育つ条件になっています。さらに、霧は糸に良いテンションをかけることもあり、この地では絹織物が盛んにつくられるようになりました。すべては重なり、かかわり合って成り立っている。日常の色々な風景から、そんなつながりや文化の連鎖が見えてきたとき、その土地らしさや魅力は、足元にあると気付きました」

亀岡の景色

亀岡の景色

日々の何気ない景色に垣間見える、歴史や文化のつながり。どのようにしてまちができていったのかを知ることが、まちづくりや地域循環においても大事だと語る並河さんは、今、盆地や河川といった「まちの風景」をベースにまちづくりに取り組んでいる。

「昨今は、昔と比べて雨の降り方が変わりました。そこで、これまで堤防を高くすることで川の氾濫を防いでいたのを、遊水池を利用してさまざまな場所で水を受け止めるようになりました。そうした流域全体で行う、総合的で多層的な水災害対策である『流域治水』という概念が少しずつ広がっていて、まちの成り立ちや地形などが大事にされています。地域の固有性やアイデンティティを見つけ、未来につないでいく。そのために、地元の人との出会いを通して知った亀岡のこと、地域の魅力をもっと伝えていきたいですね」

並河さんと参加者

並河さんと参加者

人々の活動が、文化を生み、暮らしを豊かにしていく

同じ亀岡という場所で、でも違う方法で、「まちを良くしよう」と活動する二人。その言葉に共通していたのは、「過去を知る」ことだった。その土地の歴史や文化を知ることこそが、明るい未来への道しるべになる。そんなことを教えてもらった。最後に、印象的だった田中さんの言葉で締めくくりたい。

「循環経済を目的としなくても、活動していることで文化や技術が発達し、人々の暮らし自体も豊かになっていったのではないかと思います」

田中さんのこの言葉通り、いつの時代だって、新たな技術が生まれ、文化がつくられてきた。人が動けば、何かが変わる。そう考えると、これからの暮らし方や文化を変えていけるのも私たちだ。

「どんな素敵な社会をつくっていこう?」そんなふうに思ったら、なんだかワクワクしてくる。

【関連記事】京都・亀岡から始まる「ごみゼロ」革命。まちぐるみで挑む環境先進都市への歩み【ツアーレポート前編】
【参照サイト】天然砥石館
【参照サイト】river!river!river!

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