都市の屋上で、「テロワール」は表現できるだろうか。
ワインの世界には、テロワールという言葉がある。土壌、気候、地形、栽培文化、歴史。その土地に積み重なった条件が、ワインの味わいや価値に反映されるという考え方である。この概念は、都市型ワイナリー、ひいては都市農業を考えるうえでも有効な視点を与えてくれる。
都市型ワイナリーという言葉は、モダンで洗練された響きを持つ。一般には、都市の外からブドウを調達し、都市に構えたワイナリーで醸造するモデルを指すことが多い。しかし、そのあり方は一つではない。都市の屋上でブドウを育てる試みもあれば、醸造所とレストランを一体化させ、ワインがつくられる過程そのものを体験価値に変える場所もある。
都市型ワイナリーはしばしば、『都市でワインを造る新しい試み』として語られる。だが、都市とワインの関係そのものは新しいものではない。歴史的に見れば、パリをはじめとする大都市にもブドウ畑は広がっていた。現在でも、都市とブドウ栽培が日常的に共存している場所がある。一方で、ニューヨークや東京では、都市の景観、飲食文化、消費者との近さを生かしながら、ワインに新しい意味を与える試みが生まれている。
本稿では、筆者による現地取材の経験をもとに、ウィーン、ニューヨーク、東京、そして銀座ミツバチプロジェクトを比較しながら、都市における食と生産の価値がどこから生まれるのかを考えたい。中心となる問いは、都市型ワイナリーが単なる新奇性や体験消費を超えて、都市における食、生産、環境、商業、地域理解を結びつける新しい「場所性」になり得るのか、という点である。
ここで問われるテロワールは、土壌や気候だけに閉じた古典的な意味でのテロワールではない。都市におけるテロワールとは、食、生産、体験、商業、環境価値、地域理解が結びつくことで立ち上がる、社会的な枠組みではないか。いわば、「ソーシャル・テロワール」である。
目次
ウィーン:都市とワインが歴史的に共存する
都市型ワインを考えるうえで、ウィーンは最も重要な参照点の一つである。ここでは、ブドウ畑は都市の発展とともにあり、ワインは人々の暮らしや社交、食文化の中に長く根を張ってきた。
その象徴が、生産者が自家製ワインを提供する「ホイリゲ」である。ホイリゲは、簡素なレストランのような場として説明されることもあるが、単なる飲食店ではない。都市に暮らす人々が、近くの畑でつくられたワインを飲み、生産者や隣人と時間を共有する。いわば、都市生活とブドウ栽培を結びつける窓口であった。
しかし、ウィーンワインの重鎮であるFritz Wieninger氏への取材で印象的だったのは、ウィーンのワイン文化を単純な伝統保存としてではなく、歴史的継承と現代的再解釈の組み合わせとして語っていた点であった。
Wieninger氏は、1960年代のホイリゲ文化を安酒とタバコの煙が満ちた嫌な場所として記憶しており、父親の良質なワインが水のように消費されていたという。そのため自身はホイリゲの経営から身を引き、畑に向き合うことでワインの品質をさらに上げようと決めた。
この享楽的な空気の背景には、第二次世界大戦後の暗い時代への反動もあったという。ウィーンのワインが質を高めていくのと軌を一にして、ホイリゲもまた、単なる大量消費の場ではなく、文化的交流の場として装いを変え、現在ではウィーンを代表する憩いの場として評価されている。そこには、単なる伝統保存ではなく、歴史的継承と現代的再解釈が表れている。
ウィーンの都市ワインは、都市の中に新たに持ち込まれた体験消費ではない。都市生活とブドウ栽培が長く共存してきた結果であり、そこには、都市、農地、飲食文化、消費者、時代が綾を成して織り上がった厚みがある。

Image via Fritz Wieninger
ニューヨーク:Rooftop Redsは大都市と農業価値を結びつける
ニューヨークのRooftop Redsは、都市の屋上でブドウを育てる先駆的プロジェクトとして注目された。醸造は別の場所で行われていたが、ブルックリン・ネイビー・ヤードの屋上では、ブドウの緑に囲まれながら、その樹から生まれたワインを飲むことができた。目の前に広がるのはニューヨークのスカイラインである。世界的な大都市を視覚と味覚で体験できる場として、Rooftop Redsは都市型ワインの象徴と言える。

Image via Rooftop Reds
Rooftop Redsは新奇な試みとしてみられがちだが、実際には堅牢なビジネスモデルを持っていた。Ian Rodenhouse氏は同プロジェクトの過半数の株を所有するオーナーであり、自身のワイナリーで醸造も行っていた。Rodenhouse氏によれば、Rooftop Redsは屋上体験やスカイラインを楽しむホスピタリティ事業であると同時に、ニューヨーク州フィンガー・レイクス地域のワインをグラスやボトルで販売するアンテナショップでもあった。
つまり、消費者が訪れ、飲み、体験し、購入する直接収益型の回路を持っていたのである。屋上ブドウから造られるワインの量は限られていたため、その他のワインも販売する必要があった。しかし、それらはいずれもニューヨーク産のワインであり、都市に暮らす人々が、気軽に地産地消を楽しめるラグジュアリー空間だったという。
ここでいうラグジュアリーとは、単に高価であることを意味しない。ニューヨークの景観を眺めながら、その都市と結びついたワインを屋上で楽しむ。ワインを通じて大都市と農業が結びつく感覚を体験できることである。ここに、都市で農業を行う付加価値がある。ビジネスは成功し、ブドウ栽培ビジネスとしては一般的な、10年での損益分岐が可能であったという。

Image via Rooftop Reds
一方で、このモデルには限界もあった。屋上でのブドウ栽培は、水漏れや構造上の負担など、建物側にとって無視できないリスクを伴う。最終的に賃貸契約は更新されず、ブルックリンでの事業は2024年に終了した。
Rooftop Redsは、都市農業の体験価値を収益につなげた事例として強かった。しかし同時に、屋上緑化でしばしば語られる波及便益が、建物所有者にとって十分な動機になるとは限らないことも示している。ここでいう波及便益とは、ヒートアイランド対策、景観改善、コミュニケーション創出、エリア価値向上といった、社会インフラとしての機能である。
ここから学ぶべきなのは、「屋上緑化は建物価値を高める」という単純な教訓ではない。問うべきなのは、誰が収益を得るのか、誰が波及便益を受けるのか、その便益を阻む制約は何か、という点である。都市農業は、直接収益、波及便益、建物側の負担を切り分けて設計して初めて、自立したビジネスとして存続し得る。
Rooftop Redsは終了したが、そのアイデアは東京へ引き継がれた。2020年に始まったCity Vineyard Projectである。このプロジェクトでは、竹中工務店が制度的な推進役となり、深川ワイナリーが醸造を担っている。Rooftop Reds は、都市屋上栽培に関する知見を提供した。
東京:ワイン体験の即時性とビジネスモデル
深川ワイナリーは、中本徹氏のスイミージャパンが運営する都市型ワイナリーである。同社は屋上ブドウ栽培に関わる一方、渋谷ワイナリーなど他の都市型ワイナリーも展開している。Rooftop Redsと異なるのは、屋上ブドウ栽培そのものよりも、都市の中で醸造が見えること、飲食と接続すること、消費者が出来立てを体験できることに重心を置いている点である。

深川ワイナリー元醸造長の金子誉幸さん 写真提供:金子誉幸
MIYASHITA PARKにある渋谷ワイナリーでは、醸造所とレストランが一体となった空間が印象的である。入口を開くとキッチンが正面に見え、調理人の熱が伝わってくる。その横にはウィンドウ越しにワインの発酵タンクが並ぶ。照明を反射するステンレスタンクたちは、幻想的な雰囲気を醸し出す。ここでは、醸造そのものが体験できる価値になっている。
ブドウは遠く離れた場所から調達されている。それでも消費者にとっては、醸造と飲食が同じ空間の中で起きているライブ感がある。ここで生まれている価値は、古典的なテロワールというよりも、都市の中で醸造、飲食、消費を近づけるビジネス設計に由来するものだろう。つまり、ワイン体験の即時性である。

写真提供:金子誉幸氏
中本氏の発想は、ビジネス戦略として捉えることが妥当である。著書『素人から始めた都市型ワイナリー革命』などから見えるのは、都市型ワイナリーを、畑とワイナリーの連続性ではなく、都市の中で醸造、可視化、飲食、消費を結びつける面白さとして捉える姿勢である。ブドウや果汁は契約農家から調達でき、ワイナリーが畑の隣にある必要はない。この発想は、ビジネスとして合理的である。
深川ワイナリーの元醸造長である金子誉幸(たかゆき)氏も、こうした見方を示している。金子氏は醸造家として、Decanter誌の銀賞を受賞した実力者である。スイミージャパンにとって屋上ブドウ栽培は、テロワールや農業価値の実現というより、象徴であり、広告塔としての位置付けである。一方で、City Vineyard Projectについては、別の情熱も駆動していると述べる。そのドライバーが、大手ゼネコンの竹中工務店であり、情熱とは人と人を繋ぐという目標である。
City Vineyard Projectは、未利用地の活用、屋上緑化、建物や地域価値の向上という文脈で説明されている。これは、ワインやブドウそのものによる直接収益というより、都市空間にもたらす波及便益を前面に出した説明である。筆者が参加した屋上ワイン試飲イベントの事前配布資料にも、「緑化の付加価値による建物やエリアの価値向上を目指す取組です」と記されていた。
しかし、ここでRooftop Redsを参照すれば、脆弱性も見える。Rooftop Redsは、建物側への波及便益が強かった事例ではない。むしろ、屋上体験、ワイン販売拠点、ホスピタリティによる直接収益型の要素を強く持っていた。建物側には負担もあり、最終的に契約は継続しなかった。したがって、都市農業を持続させるには、波及便益だけでは脆弱である。農産物としての価値、体験価値、直接収益、地域理解を結ぶ設計が欠かせない。
City Vineyardが本当に都市農業として進むなら、Rooftop Redsのような直接収益と体験価値の回路、さらに言えば、農産物価値・商品化・地域理解を結ぶ設計を避けては通れない。

City Vineyard Project 筆者撮影
ワインの外側から見える、都市のテロワール。銀座ミツバチプロジェクト
この点で、銀座ミツバチプロジェクトは重要な比較対象となる。都市型ワイナリーの可能性を考えるうえで重要なのは、ブドウやワインに限らず、都市の中で生まれた食の価値が、どのように地域の文化、商業、体験、消費者との関係性と結びつくのかという点である。その意味で、銀座ミツバチプロジェクト(以下、銀ぱち)は、都市農業が「場所性」を獲得するプロセスを考えるうえで示唆的な事例だ。
銀座は華やかであり、名前だけで付加価値がつく。しかし、銀ぱちの強さは名前だけにあるのではない。銀座という市場そのものも強みである。銀ぱちは20年ほど前から、銀座のバーやレストランに蜂蜜を卸してきた。使う側にとっては、品質や味わいが安定した輸入蜂蜜の方が扱いやすい面もあるという。それでも銀ぱちの蜂蜜が選ばれるのは、季節ごとの違いを読み取り、料理やカクテルで表現し、その差異に対価を差し出す人々がいるからである。

筆者撮影
銀ぱちの蜂蜜は、季節や場所によって味わいが大きく変わる。4月と刻印された瓶の蓋は桜色にデザインされており、開けると桜の官能的な芳香が強く漂う。7月の蜂蜜は逆に抑制されており、腐葉土のようなミネラル感を感じる。ミツバチの行動範囲や蜜源によって、香りや風味が顕著に異なるのである。ワインの言葉で言えば、テロワールが表現されている。銀座には、その違いを読み取り、料理やカクテルを通じて伝える職人がいる。そして、その差異にプレミアムを支払う消費文化がある。銀座ならではの成熟した文化が都市農業を支えている。また銀ぱちのミツバチ博士である「ふくちゃん」は、生産現場を見せることが大事だと語る。小さな子どもを含めた人たちが集まり、地域理解が深まることで、結びつきが強固になる。
銀ぱちは、養蜂や販売のノウハウもパッケージ化している。国内外に100か所以上の実装実績があり、養蜂技術だけでなく、ケーキや羊羹などの商品化、瓶のデザイン、販売方法、地域理解の進め方までアドバイスしている。たとえば足立病院では、院内レストランで販売する導線も手がけた。銀ぱちが広げているのは、単なる養蜂技術ではなく、都市農業を地域の中で受け入れられる形にする実装モデルである。

筆者撮影
テロワールを都市のソーシャル・フレームワークとして読み直す
こうした有機的なネットワークを、筆者は「ソーシャル・テロワール」と呼びたい。テロワールは本来、土に根差した言葉である。しかし屋上には、自然の土壌がない。代わりに人、店、商品、体験、地域理解、販売が重なり合うことで、場所の個性が立ち上がる。
銀ぱちは、City Vineyardが抱えている課題への答えを示している。都市農業を、漠然とした社会インフラや波及便益だけで舵取りするのではない。農産物としての価値を生み、飲食店と接続し、体験と教育を組み込み、地域理解を得ながら、採算可能なビジネスとして立ち上げる。そこまで設計されて初めて、都市農業は公共的価値と農業価値を両立できる。
さらに踏み込めば、竹中工務店のようなゼネコンには、銀ぱちのような農業法人にはない強みがある。自ら農業生産者になることではなく、屋上における農業の実装ノウハウを、都市インフラの側から設計し、提供することである。都市農業を成立させるために必要なのは、単なる栽培ではない。屋上の設計、荷重、防水、動線、地域理解、飲食店との接続、体験設計、商品化、運用主体との連携をまとめる力である。これは農業そのものよりも、都市空間を設計する企業が強い領域である。
都市型ワインは、古典的な意味でのテロワールをそのまま体現するものではない。土壌、気候、地形、歴史的な栽培の連続性という意味では、都市の屋上ブドウは脆弱である。しかし、都市には別の場所性がある。それは、土壌や気候の単純な代替物ではない。都市の中で、食、生産、体験、商業、環境価値、地域理解が結びつき、人々がそこに意味を見いだし、支払い、関わり、伝えていく。そのとき、私たちを包む柔らかな温かさこそ、ソーシャル・テロワールである。
【取材先】Fritz Wieninger氏 / Ian Rodenhouse氏 / 金子誉幸氏 / 銀座ミツバチプロジェクト関係者
【参考文献】中本徹『素人から始めた都市型ワイナリー革命』ステレオサウンド、2019年
【参考文献】Jancis Robinson, Julia Harding, Tara Q. Thomas 編『Oxford Companion to Wine』第5版、Oxford University Press、2023年
【参考文献】Stephen Brook『The Wines of Austria』Infinite Ideas、2016年
【参考文献】「東京のビルの屋上を緑化しながら地産地消ワインをつくる『シティーヴィンヤードプロジェクト』」マチジカン、2024年1月30日
【参考文献】「追跡!ワイナリー最新情報!『深川ワイナリー東京』「東京らしさ」をさらに進化させた都市型ワイナリー」Terroir.media、2023年6月5日
【参考文献】「Members’ Interview Vol.41 株式会社竹中工務店 蓑茂雄二郎」Inspired.Lab、2024年1月11日
【参考文献】東京・大手町のオフィスビル屋上、たわわに実ったブドウ収穫…12月頃までにワインが完成、2024年8月4日
【参考文献】銀座ミツバチプロジェクト「銀座はちみつ」PDF資料、2022年
【参考文献】銀座ミツバチプロジェクト公式ウェブサイト
【参考文献】100年企業戦略オンライン「銀座ミツバチプロジェクト」
【参考文献】JR東日本 Tokyo Moving Round「銀座ミツバチプロジェクト」
寄稿者プロフィール:加治あき
WSET Diploma。テクノロジー、農業、ワイン文化の交差点を書くワインジャーナリスト。東京のレストランからワイン業界に入り、酒屋での勤務を経て渡仏。ボルドーで醸造学を学ぶ。仏、独、米、豪で醸造・栽培経験を持つ。The World of Fine Wine(英)、FICOFI Magazine(仏)、GuildSomm(米)等に寄稿。
Edited by Erika Tomiyama






