富山・砺波の散居村に息づく「土徳」とは。人と自然が重ねてきた土地との関わり

2026.09.22

【特集】残すものと、委ねるもの。 〜富山の風土から紡ぐ、大切にしたい豊かさ〜

豊かな水循環と「土徳」という精神が息づく風土を持つ富山。本特集では、農業、食文化、建築、伝統工芸など、地域の文化を未来へ繋ぐ現場を訪ねます。単に過去を「保存」するのではなく、何を残し、どう現代へ編み直していくのか。先人の知恵を受け継ぎながら変化を生み出す人々との対話から、これからの社会に残したい豊かさの源泉を探ります。

見渡す限りの広大な平野に、ポツンポツンと家々が点在している。それぞれの家は豊かな木々に囲まれ、まるで緑の海に浮かぶ小島のようだ。富山県・砺波(となみ)平野に広がる「散居村(さんきょそん)」の風景である。

この日、筆者は近隣の地域でつくられているという菅笠を借り、散居村を歩いた。視界を遮るもののない平野を歩いていると、家々を囲む屋敷林や田んぼ、水路など、この土地で人々が積み重ねてきた暮らしの形が少しずつ見えてくる。

散居村

水深1000メートルを超える富山湾から、標高3000メートル級の立山連峰まで。そのダイナミックな自然環境の中で、人々は古くから厳しい自然と折り合いをつけ、豊かな水と土の恵みを受けて生きてきた。この地には、人間の力の及ばない自然の大きなはたらきと向き合いながら、営まれてきた人々の暮らしがある。そうした土地と人との関わりのなかに生まれる品格や美しさを、民藝運動の思想家・柳宗悦は、「土徳(どとく)」という言葉で捉えようとした。

富山県西部・砺波で出会ったのは、この土地に受け継がれてきた文化や暮らしを、観光を通じて未来へつなごうとしている富山県西部観光社「水と匠」。散居村に佇むアートホテル「楽土庵」や泊まれる民藝館「杜人舎」、地域をめぐるツアーなどを手がける水と匠の活動の根底にあるのが、この土地に息づく「土徳」という考え方だ。その言葉に惹かれ、水と匠を立ち上げたプロデューサーの林口砂里さんに話を聞いた。

東京で現代アートや音楽コンサートのプロデュースに携わりながら、14年前、思いがけず故郷・富山へ戻ったという林口さん。なぜ彼女は富山に戻り、そこで何を見つけたのか。散居村の風景を歩き、林口さんの言葉をたどるなかで見えてきたのは、自然や土地、そして人との関わりをめぐる、この場所ならではの感覚だった。

案内人:林口 砂里さん(はやしぐち・さり)さん


東京デザインセンター等での勤務を経て、2012年より拠点を富山県高岡市に移し、地域のものづくり·まちづくり振興プロジェクトにも取り組んでいる。2019年に、富山県西部地区の地域資源を活かして活性化を図る観光地域づくり法人「富山県西部観光社 水と匠」のプロデューサーに就任。富山県高岡市出身。

富山へ戻った理由を、今も言葉では説明できない

現在も東京に事務所を持ち、二拠点を行き来しながら多忙な日々を送る林口さん。生活の拠点を富山へ移したのは、今から14年前だ。Uターンのきっかけについて尋ねると、「表向き、きっかけとしてよくお話しているのは東日本大震災。でも、なぜ帰ってきたのか、実は自分でもよくわからないんです」と話し始めた。

「震災当時、私は東京にいて、『明日どうなるかわからない』と思いました。そうであれば、いつかやろうと思っていることを先延ばしにするのではなく、今やりたいこと、やらなければいけないことをやろうと思ったんです。そこで、いつかはやりたいと思っていた『実家の里山で父と一緒に畑をやる』ことに。まずは週末だけでもやってみようと、富山に戻ってきました」

それまでは、富山に帰ってくることは全く考えていなかったという林口さん。当時は仕事も順調で、忙しく充実もしていた。しかし、「なんとなくモヤモヤしていた」という。そんななか起こった震災をきっかけに富山へ戻ってくると、次第に腑に落ちていった。

「『ああ、ここに帰ってくるということだったんだな』と思いました。私は、自分の意思で富山に帰ってきたというよりも、『他力(たりき)』に催されて、ここに戻ってきたのではないかと感じています」

「富山の土徳」とは何か。人と自然が共同でつくる土地の品格

林口さんにとって富山への帰郷は、「自分の意思」だけでは説明できないものだった。そんな話を聞いたあと、筆者の頭に浮かんだのが、実際に散居村を歩いたときに目にした風景だった。集落のあちらこちらに見られた、浄土真宗にまつわる信仰の場だ。

この地域では浄土真宗への信仰が篤く、宗教が暮らしの中に息づいているという。自然と人との関わりだけでなく、そこには「目には見えないもの」と人との関係もあるのではないか。そんな問いを林口さんに投げかけた。

散居村を散策している間であった祠。そこには、毎日水を替えて生けられた花が飾られていた

「私たちは、設立当初から『富山の土徳』を伝えることをミッションに掲げています。ただ、私自身、もともと『土徳』という言葉を知っていたわけではありません。富山に戻る少し前に、南砺市城端にある大福寺の太田浩史ご住職から『土徳』という言葉を教えていただきました。

実際に富山へ戻ってくると、『土徳』というものを体感できる場面がたくさんあり、これは今の時代や地域にとってだけではなく、世界にとっても非常に大切な価値観ではないかと思うようになったんです。そこで、水と匠としても、それを伝えていくことをミッションにしようと考えました」

「土徳」という言葉は、民藝運動を牽引した宗教学者・柳宗悦が、富山を何度も訪れる中で生まれた柳の造語とされる。その背景には、浄土真宗の「他力」に関心を寄せていた柳が、彼を師と仰いでいた板画家・棟方志功の富山への疎開をきっかけに、富山の人々の暮らしや、そこに根づく信仰に触れたことがあった。そして、棟方志功もまた、富山で大きな影響を受けていく。

民藝

楽土庵のラウンジや客室には日本の民藝品や現代作家の工芸品などが並ぶ。

「棟方は青森から東京へ出てきた、非常に野心的なアーティストだったと思います。ある意味では、自我を強く前面に出して作品をつくっていた。ところが、富山に来てからは、『それまで自力の世界を駆けずり回っていた自分が、大きな仏意に包まれ、富山では、大きないただきものをいたしました。それが『南無阿弥陀仏』でした』という趣旨のことを書き残しています(棟方志功『板極道』)。

それまで『我が、我が』と表現してきたものから、もっと大きな、目に見えないはたらきを受け取り、自分の身体を通して表現するという方向へ転換していったんです。柳はその姿を見て、『この土地には、棟方をこのように変えていく力がある』と感じ、それを『土徳』と名付けました」

林口さんの話から浮かび上がってくるのは、富山が単に美しい風景や優れた手仕事の土地だったということではない。

「土徳とは何なのかを、柳自身が明確に定義しているわけではありません。ただ、『土に徳がある』と書くからといって、単純に自然環境だけが持っているものではないと思っています。そこに人が加わり、人と自然が一緒になって共同でつくり上げていく。その土地の品格や美しさのようなものが、土徳なのではないかと、私たちは解釈しています。

都市化が進む中で、人間が自分たちにとって都合のいいように自然をコントロールし、つくり変えてきました。そうすると、自然側の働きが見えにくくなり、土徳も感じにくくなります。でも、世界中にはさまざまな地形や自然環境があり、そこに暮らす人々も異なる。その両者が関わり合ってつくり上げてきたものは、当然、土地ごとに違うもので、それぞれの地域の土徳が今もあるはずだと思うのです」

自然を「コントロール」するのではなく、折り合いをつけて生きる

では、「人と自然が共同でつくり上げる」とは、具体的にどのようなことなのだろうか。その答えを、林口さんは砺波平野の散居村に見る。

「これは富山だけの話ではなく、世界中どこでも、産業革命以前は自然をコントロールすることはできませんでした。自然に逆らうのではなく、何とか折り合いをつけて生きるしかなかった。散居村も、その中で生まれた一つの合理的な暮らし方だと思います。

散居村が広がる扇状地は土地が肥えている一方、水はけが非常によい土地です。本来であれば稲作には向かない土地ですが、富山は高い山々に囲まれているため、豊かな雪解け水があります。水が抜けやすくても、それを上回る豊かな水があることで、稲作を営むことができた。ただ、水はけが良すぎるため、水の状態を常に管理し、調整する必要があります。だから自分の田んぼの真ん中に家を建て、いつでも管理できるようにした。そうすると家が孤立するので、防風や防雪のために屋敷林を植え、その木を家の増築や家具づくり、日々の煮炊きの燃料に使いました」

実際に散居村を歩いていると、屋敷林は人の暮らしを守るだけのものではないことにも気づく。木々の間には鳥や小さな生き物の姿もあり、人のためにつくられた空間が、同時にさまざまな生き物の居場所にもなっている。

屋敷林

散居村の中に佇む屋敷林

土徳は富山にしかないものではない。その土地その土地に、人と自然との関わりのなかで育まれてきたものがある。散居村は、そのことを目に見える形で伝えてくれる風景なのかもしれない。

「おそらく、この自然の中で人間が生きていくためにはどうするのが一番いいのかを考えた結果として、こうした暮らしが生まれたのだと考えています。その合理性は、人間側だけの合理性ではありません。自然の側の合理性とも、ある程度折り合いをつける必要があった。自然だけに合わせれば人は暮らせませんし、人間だけの都合で自然を変えてしまえば、今度は自然とのバランスが崩れてしまう。その両方にとって合理的な場所を探りながら、人々は生きてきたのだと思います。散居村には、そうしたあり方が、今もかろうじて残っているのではないでしょうか」

土地に残るものを、「どう感じ取るか」

水と匠は、散居村の中にある築200年の古民家を再生した1日3組限定の宿「楽土庵」や、城端の「杜人舎」を運営している。宿泊者には、土徳の背景をすべて言葉で説明するわけではないが、その空間に身を置くことで伝わるものがあるはずだと林口さんはいう。

昔の人々が自然と折り合いをつけるなかで生み出してきた風景や建築。では、そこに宿るものを、現代を生きる私たちはどのように受け取ることができるのだろうか。

「私は、人の感受する力、感性というものを信じています。ここに来る皆さんも実際、何かしらを感じ取ってくださっているように思います。例えば、『雑誌を見て来ました』という方が、宿のラウンジに入って座った瞬間に、『なんだかすごく安心する。落ち着ける空間ですね』とおっしゃることがあります。何も説明していなくても、人は感性によって何かを受け取ることができる。それを日々、目の当たりにしています。

だからこそ、必要であれば説明するけれど、言いすぎない。そこで何かを感じ、『なぜだろう』と散居村そのものに興味を持つきっかけになったり、またここに戻ってきたいと思っていただけたりする。そういう空間になればいいと思っています」

楽土庵

楽土庵のラウンジ。入り口正面には民藝品が飾られている

言葉ですべてを説明しなくても、空間や風景のなかで、人は何かを感じ取ることができる。では、その「感じ取る力」を取り戻すことは、私たちに何をもたらすのだろうか。

「私たちは肉体を持ち、生きていくためのさまざまな欲や煩悩を持っています。それは、生きていくためには必要なものだと思います。一方で、私たちの五感だけでは捉えきれないものもある。地球の重力のように、目には見えなくても、確かにはたらいているものがあります。浄土真宗では、阿弥陀如来を具体的な存在としてではなく、その『はたらき』そのものとして捉えます」

林口さんが語る「見えないもの」は、必ずしも宗教的なものだけを指しているわけではない。土地の風景や、そこに積み重なってきた暮らし、誰かの営みのなかに、言葉では説明しきれない何かを感じることも含まれている。

散居村

「今は人間の自我が強くなり、便利さや経済性、人間側の合理性によってつくられたものに囲まれて生活する機会が増え、はたらきに触れる機会が少なくなっていきます。だからこそ、富山の土徳をお伝えするのと同時に、訪れた人が自分自身で感じ取れる場をつくろうとしているんです。それぞれが自分たちの地域に戻り、そこにある土徳を見つめ直すきっかけになればいいと思っています。

散居村や楽土庵、杜人舎という空間から、民藝の品や現代美術の作品、提供する郷土料理まで。そうしたものの中に形をとって現れているはたらきに触れる機会をつくっていく。それに触れていただくことが、『自己の回復』につながるのではないかと考えています。もちろん、それが正しいかどうかを証明する手立てはありません。だから、『これが正しい』と押し付けるつもりはありませんが、私たちはそう感じてこの仕事をしています。そして、そこに共感してくださる方が多くいらっしゃることも実感しています」

杜人舎で宿泊者向けに提供される地域の食材を使った朝食

昔から続く文化や風景を、ただ保存するのではない。そこに触れることで、自分自身の感覚を少し取り戻してもらう。そして、その人が自分の暮らす土地にも目を向ける。水と匠が目指しているのは、そんな循環なのかもしれない。

「土徳というのは、出来上がったものをそのまま守り続けるものではなく、ずっと変化していくものだと思っています。地域の方だけではなく、その地域を訪れる方、移住してくる方、関わる方が、新しい変化を起こしていく。同じ形のものをそのまま継承するのではなく、時代に合わせながらも、本質を失わない。その土地の土徳を、さまざまな人が関わりながら、これからもつくり上げていくことが大切なのだと思います」

編集後記

林口さんは、自らの富山への帰郷を、「他力によって催されたもの」と捉えている。

人は、自分の人生も、土地の未来も、すべてを自分の意思だけで決められるわけではない。それでも、ただ何かに委ねるだけではなく、その土地から受け取ったものに応答し、自分なりの形で次へと手渡していくことはできる。

散居村の人々が、自然を一方的に支配することも、自然にただ従うこともなく、その間に暮らしの形をつくってきたように。

そうした関わりの積み重ねによって、土地の品格や美しさは、過去から未来へと受け渡されていく。

富山で語られる「土徳」は、遠い土地にある特別な価値ではない。自分たちの暮らす場所にもまた、私たちがまだ気づいていない、その土地ならではの営みや関係があるのだろう。

何を残し、何を委ね、そしてこれから何を新たにつくっていくのか。富山を訪れた私自身も、そう問いかけられている気がした。

【参照サイト】水と匠

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この記事を書いたライター

大学時代、ヨーロッパで数年間過ごし、大学院では移民・難民研究(開発人類学)を専攻。その後、大阪の真ん中から海と山が近い千葉の里山に移住し、山の中の古民家でシェアハウス生活を送りながら、生態系の一部としての人間のあり方を模索している。農や飲食など「食」を通じた地域づくりや高校生への講師活動にも携わり、ライター業のかたわら人と人がつながる場づくりにも取り組む。2020年からIDEAS FOR GOODでの取材・執筆を続け、人間以外の視点にも寄り添いながら、日々の暮らしの感覚と社会の問いを地続きに捉える記事を届けている。最近のテーマは、目の前のものをじっくり感じ、味わい尽くすこと。曖昧なもの、わかりにくいものこそ大事にしたい。