「人間って何?」を問う。日本の農村を撮り続けた映画監督が語る、自然を支配しない生き方

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今日の日本において農村や里山地域の人口減少が深刻な課題となっている。農林水産省によると、特に山間地域では2045年には2015年の人口から半減すると見込まれている(※1)。また、農村人口の高齢化により農業従事者数は減少傾向にあり、1998年に約690万人だった農業従事者数は2021年には約230万人へと大幅に減少しているのが現状だ(※2)

日本の農村地域における急速な変化が見られる中で、実際に農村・山里地域の人々は自然環境の中でどのような営みを続けているのだろうか。今回は数十年に渡って日本の農業や食をテーマにドキュメンタリー作品を制作し、今秋新作である『かつて山里は持続可能な世界だった』の制作・配給に向けたクラウドファンディングを実施している原村政樹監督に、ドキュメンタリー映画制作の背景や、持続可能な社会に向けた日本の農村や山里の「知恵」についてお話を伺った。

話者プロフィール:原村政樹(はらむら・まさき)

原村政樹1957年千葉県生まれ。上智大学卒業後、1988年、東南アジアの熱帯林破壊をテーマにした「開発と環境 ~ 緑と水と大地そして人間」(JICA企画)で監督デビュー。医療・看護・建築・伝統文化・国際協力などの短編映画・テレビ番組の制作を経て2004年「海女のリャンさん」(文化庁記録映画大賞・キネマ旬報ベストテン第一位)で長編記録映画の製作を開始。以後「いのち耕す人々」、「天に栄える村」、「無音の叫び声」(農業ジャーナリスト賞)、「武蔵野 ~ 江戸の循環農業が息づく」、「お百姓さんになりたい」、「タネは誰のもの」、「食の安全を守る人々」など、農業をテーマに作品を発表。

「人間って何なのだろう」という問いから、農業の世界へ

これまで国内外で数十本ものドキュメンタリー作品を制作してきた原村監督が映像を撮り始めたきっかけは、幼少期に観た世界旅行の番組だったという。

「小学生の頃に『日立ドキュメンタリー すばらしい世界旅行』という番組をよく観ていたのですが、この番組を通してアマゾンといった僻地に興味を持ちました。高校時代には文化人類学者の梅棹忠夫の著書『モゴール族探検記』という本を読んで衝撃を受け、文化人類学や民俗学を学びながら、ドキュメンタリーの制作を通して人間の原点を伝えていきたいと思うようになりました。その後記録映画の世界に入り、最初は助監督として映画制作を始めました」

原村監督は、制作会社でテレビ番組の制作に携わることとなったが、現地での取材を通して食や農業に対する関心が高まっていったという。

「日本では1970年代頃から有機農業に注目が集まり『複合汚染』という小説(※3)が出版されるなど公害問題も勃発していました。そうした状況下で私自身アジアやアフリカでも取材を重ね、さまざまな地域で生きる人々を撮影する中で、『結局、人間って何なのだろう』という思いが強まっていったのです。その中で、人間の命を支えている『食』の重要性を感じるとともに、食を生業としている農業に興味を持ち、今では40年以上農業をテーマに取材を続けています」

自然をコントロールするのではなく、共存する。農村と山里での叡智に触れて

来年2024年春に公開予定の長編ドキュメンタリー作品『かつて山里は持続可能な世界だった』は原村監督が制作した映画の14本目となる。これまで農業や自然をテーマにドキュメンタリー作品を制作する中で、人間と自然の関係の強さを感じてきたという。

「近代化を否定するわけではありませんが、人間が自然をコントロールすることに違和感がありました。私が制作した『武蔵野 江戸の循環農業が息づく』(2018年公開)というドキュメンタリー映画は、江戸時代から続く落ち葉堆肥農法がテーマであり、制作を通して植物や土壌微生物などさまざまな生物によって、人間は『生かされている』のだと感じました」

また、日本全国を取材する中で、有機農法や自然農法などさまざまな方法を実践する農家たちの姿から、十人十色の農業のあり方を実感したという。多種多様な農業の根底に、これまで「農業」という生業を継承してきた先人たちに対する農家の強い想いを感じたと原村監督は話した。

「農家に共通するのは、『先祖がいるから自分がいる』という価値観や、伝統を次の世代に受け継ぐという想いでした。福島県天栄村で原発事故に立ち向かう市民を描いた『天に栄える村』(2012年公開)では、原発事故の影響で農業を続けることが困難な状況であっても、『ここでやめてしまえば田んぼが荒れ、100年後に残せない』という想いから、農業という営みを継承しようとする農家たちの姿がありました」

さらに、原村監督は映像制作を通じて、人間同士だけでなく、自然との共存を模索する人々の姿に深い印象を受けたと語る。

「昭和30年代半ば以前の農村や山里では、山から恵みをいただきながら、その資源を守るという共存・共栄の知恵がありました。また、貧富の差を乗り越えて共存していった農民たちの姿もあります。林業に従事する70代の方も『森を受け継いできたから生きてこられた』と話していました。好き勝手に木を伐採したり、傷がある木を捨てたりするのではなく、生かす道を探す。人間と同じく木も多種多様であるように、それぞれが生きていけるような林業を目指していました」

農村で感じた「大量生産・大量消費」へのギャップ

これまで日本の農村や山里に生きる人々の生活を追ってきた原村監督は、彼らの営みを通して日本の精神を読み解きながらドキュメンタリー作品の制作を行っている。

「日本には、動物や植物、石ころや水など全てのものに生命や神様が宿っているという考え方があります。例えば、編み組細工が有名な福島県の奥会津を取材した際に、編み組細工に使用する山葡萄に対して『山葡萄を見ていると神を感じる』と話す農村の方がいました。山葡萄の皮を無駄にせず必要な分だけをとる彼らの姿から、風雪に耐えてきた山葡萄に対する想いを感じましたね。これは日本人の心の中に深く根付いている大切な文化・伝統であり、全てのものを愛しむ気持ちは、日本で精神風土として受け継がれてきたものだと感じます」

伐採業を営む傍らで炭焼きを続けている男性

原村監督は取材を重ねる中で、大量生産・大量消費・大量廃棄を前提とした現代社会と農村・山里における営みの間でギャップを感じていた。

「今回の映画の中では、親子3代で家業を継承する鍛冶屋を取り上げているのですが、彼らは100年間使い続けられるものを作ることが職人としての生きがいだと話していました。しかし、企業からは『すぐ買い換えるものだから、すぐに壊れるものを作ってくれ』と依頼されたそうです。これは現代社会の象徴的な出来事だと思いましたね」

農村や山里地域での撮影を続けると同時に、原村監督は種子法の廃止や種苗法の改正など日本の食を取り巻くアグリビジネスや科学技術に切り込んだドキュメンタリー作品の制作も行っている。

「『食の安全を守る人々』(2021年公開)では、化学薬品やゲノム編集など、食物を人間にとって『良い』形に変えていく科学技術を追いました。そして、人為的に自然界にないものを作ることに違和感を抱きました。研究所で限られた条件の中で実現できたものが複雑な生態系の中に入ったら、どうなるかわからない。そうした科学技術が本当に良いのか疑問ですし、限られた条件の中でしか物事を見ていないことからは、複雑な自然環境に対する『無知さ』を感じます」

「実際に科学技術を開発した研究者自身が警鐘を鳴らしているという現状もあります。だからこそ、科学技術の『進歩』のあり方を再考するとともに、農村や山里において継承されてきた知恵を振り返り、もう一度昔の考え方を取り戻す必要があるのではないでしょうか」

無縁社会で、生きる感覚が失われる?本来の生きやすさを取り戻すために

また、原村監督はインタビューを通して農村や山里における地域の人々とのつながりや、集団の中で自分自身の存在を振り返る姿が印象的だったという。

「現代社会では個人の能力や自立が重視されますが、『里山っ子たち』(2008年公開)に出演したお坊さんは、個人の範囲ではなく仲間や集団の中で自己実現していくことの大切さを語っていました。自分だけの力だけでなく、先祖の力があるからこそ自分が存在する。こうした想いは今回の新作映画にも共通して見られます」

同時に、原村監督は日本が抱える問題の一つである「人々の繋がりの希薄化(無縁社会)」に違和感を抱いている。そして、これまで取材をしてきた日本の農村・山里地域における地域のつながりこそ、そうした問題のヒントがあるのではないかと語る。

「現代の日本でも生活困窮者が顕在化しており、みんなでともに生きていく感覚が失われていると感じます。山里では薪や炭は生きていくために必須です。そのため、人々は貧富の差にかかわらず共有山で木材をシェアしていました。生活環境をみんなで力を合わせて守っていくという気持ちがあったのでしょう。そうした伝統を無くしてしまったのが、現在の日本社会だと思います。これから農村や山里で暮らせというわけではないですが、自然環境を含めあらゆるものたちと共存していくという考え方にもう一度立ち返る必要があると思います」

原村監督は埼玉県の東秩父村を舞台に制作されたドキュメンタリー作品『若者は山里をめざす』(2023年公開)を通して現地の若者の姿を撮影した。その背景には、現代の若者が地域の人々とのつながりを持ちにくいことに対する危機感があった。

「山の環境が荒れ、人口流出で廃村になる中で、日本の農村や山里には若い力が重要だと思っています。こうした現状に若い方々が目を向けてほしいですね。私自身、都会における『無縁社会』の問題に関心があるのですが、この映画を制作する中で東秩父村に来た若者が『都会とは人とのつながりのあり方が違う』と話していました」

「農村でいろんな人とつながりあって生きる。孤独であっても煩わしい人間関係から離れたいと考える方も多いそうですが、病気や失業をしてしまうと困難な状況に陥ってしまいます。人と人とがつながり合い、困っている人に対して温かい心を持つことが大切だと思いますね」

映像制作から、新たな地域交流を目指して

原村監督のドキュメンタリー作品は、日本の農村や里山の実情を深く探るもので、観客にも変化をもたらしているという。実際、多くの観客が環境や農業に対する意識を変え、中には具体的な行動を起こす人もいるのだ。

「2008年に制作した映画『里山っ子たち』では、千葉県木更津市の木更津社会館保育園での里山保育の様子を撮影したのですが、その映画をきっかけに里山保育の取り組みを始める動きが少しずつ生まれています。大きく社会を変えているかどうかはわかりませんが、私の映画を鑑賞した方々の日本の里山に対する気持ちを変わったらいいなと思っています」

今秋クラウドファンディグを実施している新作映画『かつて山里は持続可能な世界だった』は自身の映画制作の集大成だという。今後は、ドキュメンタリー映画の上映のみならず、農村や山里地域の活性化に取り組む若者の存在をより広く知ってもらう機会を作っていくそうだ。

「ただドキュメンタリー作品を上映し、その中で映し出されている世界を観て終わるのではなく、さまざまな地域で村を活性化している若者がいることをもっと知ってもらいたいです。『若者は山里をめざす』の舞台である東秩父村では、映画が完成するまで若者たちの活動は知られていませんでした。東秩父村のみならず、上映後にその地域で活動する方たちが登壇し、『私たちの地域でもこういうことをやっている』と話してもらいたいですね。地域の方たちも面白いことをやっている方々を認識できますし、それが次のサポートにつながるかもしれません」

原村監督は、今後も地域交流につながるドキュメンタリー作品の制作と上映を実施していくそうだ。

「映画の中に出てくる方々の表情が良いんですよね。私自身もこういう表情や気持ちで生きていきたいですし、それを伝えていくことが私のできることだと思っています。これからも一歩一歩できる範囲で撮影を続けていきたいです」

編集後記

長期間に渡って現地に入り込み、農村や里山における人々の文化や精神を映像作品へとつなげる原村監督の姿は、筆者が学んでいる「文化人類学」の手法に通じるものがある。筆者は日本国内における養蚕業の調査をしているが、農業の領域で数千年に渡って継承されてきた養蚕という営みから、日本各地における地域の歴史や文化、そして原村監督が話していた全ての生物がつながり合うような精神風土が感じられる。

しかし、養蚕業も同様に日本国内の農業従事者の高齢化や後継者不足によって、農業全体が衰退の一途にある。有史以降、絶えず続いてきた人間と自然環境、生き物との関係を再考する上でも、日本の農村や山里の歴史、そしてその現在を追う原村監督の作品から多くのヒントが得られるはずだ。

原村監督の最新作『かつて山里は持続可能な世界だった』は、高度経済成長以前の山里の暮らしを写した写真やその時代を生きた人たちの証言、そして現代における伝統産業の生業の継承者たちに焦点を当て制作された。読者のみなさんには、ぜひこれまでの作品を通して原村監督が映し出す日本の「持続可能な社会」の形を観てもらいたい。

※1 農林水産省 農村を取り巻く現状について
※2 農林水産省 我が国の食料・農業・農村をとりまく状況の変化」
※3 有吉佐和子著。環境汚染や公害問題について記されている。

【参照サイト】『かつて山里は持続可能な世界だった』クラウドファンディングページ
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Edited by Megumi

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