住民同士で350メートルの食卓を囲む。「ボンジュール」が飛び交う、パリ14区の“超ご近所”づくり

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2024年6月下旬の晴れた昼下がりに、パリ14区にある喫茶店の前で、Patrick Bernard(パトリック・バーナード)さんと待ち合わせた。これが初対面ではあったものの、彼の朗らかな笑顔を見て、彼こそが待ち合わせをしていた人物だということがすぐにわかった。

彼は「遅めのランチ」だというサンドイッチを頬張りながら、14区の近所を歩いて紹介してくれた。すると驚いた。彼とすれ違う人々が次々と世間話を始める。すれ違いざまに、植物の水やりをしながら、ある人は3階の窓から覗き込んで、パトリックさんに話しかけるのだ。

老若男女問わずに「ボンジュール」が飛び交うこの地域。実は、自然にこの雰囲気が作られたわけではない。パトリックさんをはじめとする地域の人々が、その仕掛けを生み出したのだった。彼らはこの地域を「Hyper Voisins(イペール・ヴォワザン、英語ではHyper Neighbors)」と呼ぶ。そう、ここは「republic of good neighbours(善き隣人の共和国)」とも呼ばれる、パリ市内の「超ご近所」区域なのだ。

大都市に暮らすと、プライバシーと効率が重要視され、近隣住民とのコミュニケーションが希薄になりがちだ。それは、日本もフランスも変わらない。他人との距離が遠いことは、居心地の良さを提供してくれることもあるが、「自分のことを知ってくれている人がいない」「すぐに頼れる人がいない」ことが不安を掻き立てることもある。挨拶を交わして、急用ではない雑談をする──そんな“さりげない”関係性が私たちの健康に関わっているのかもしれない。コロナ禍を経たいま、より強くそれを実感している人も多いだろう。

パリの14区ではそうした孤独を解消するために、ある日は道路を通行する車を止めて、350メートルの長いテーブルを設置した。そして地域の住民でご飯を囲んだ。また、コンポストボックスが設置されたことにより、ごみを減らす過程で、住民同士がコミュニケーションを取るようになった。

ソーシャル・エンジニアリングとも呼ばれるそれらの仕組みを構築する中で、パトリックさんは14区にどのような変化を見たのだろう。人間が根源的に欲するものの一つ「心身の健康」を保つための、彼らの旅路を聞いた。

14区を一躍有名にしたロングテーブルと、コミュニティコンポスト

パリの14区では、“誰にでもボンジュールと言える場所”を目指して、Hyper Voisinsの活動が始められた。そんなHyper Voisinsを世界的に有名にしたのは、「ロングテーブル」だ。ロングテーブルとは、地域住民が一堂に会して食事を共にするイベント。毎年9月に開催されるこのイベントでは、14区の道路上に大きなテーブルが設置され、住民が持ち寄った料理をシェアする。2018年以降は、350メートルのテーブルに、1,000脚の椅子が並べられてきた。2023年の参加者は1,400人にものぼったそうだ。

多様な年齢層やバックグラウンドの住民が参加し、地域の絆を深めるとともに、多文化交流の場ともなっているこの取り組みは、新しい出会いや友人関係の構築を支援し、地域社会の一体感を高めることを目的としている。

Image via Hyper Voisins

ロングテーブルでの会話は「良い経験」「共有したい経験」に限られているのだそうだ。

「出自が異なる人も多いので、政治的な議論はしません。これは一つの実験であり、ゲームなのです。フランスには議論好きな人も多いですが、みんなそれを理解してくれていますね。ここでは文句だけ言うことは禁止。みんなユーモアを交えて話しています」

もう一つ、14区の取り組みを特徴付けるのは、コミュニティコンポストだ。コミュニティコンポストは、住民が共同で行う堆肥化プロジェクトである。住民が自宅から持ち寄った生ごみを指定されたコンポストボックスに投入。専門的な管理者やボランティアが堆肥化プロセスを監督する。完成した堆肥は、地域の公園や庭、住民の家庭菜園に供給され、環境負荷軽減と地域の緑化活動に貢献している。

14区のコンポストボックスの一つ(筆者撮影)

「コンポストボックスは14区の各所に設置されています。基本的には鍵がかかっており、住民だけが開錠できるようになっています。コンポストに関する悩みはWhatsAppのグループで共有していますね。家からコンポストボックスまで生ごみを運ぶ過程で、住民が顔を合わせる機会も多くなります」

一日に何回ボンジュールと言えるか?「それはゲームのような感覚だった」

大都市では互いに「邪魔をしない」というのがリスペクトの形であると認識されるようにもなった。パリでも同様の状況があり、自然と人々の間にコネクションができるような環境ではないという。世界中で問題になっているコミュニケーションの希薄化に、14区ではどのように取り組み始めたのだろう。

「まず一つポイントだと思ったのは、私(パトリックさん自身)を常に可視化しておくということです。私は住民が常に挨拶できる距離感にいたいと思っています。よく街を歩いていますし、色々なところに顔を出すようにしています」

もちろん、パトリックさんのような存在をどの街でも確保できるわけではない。だからこそ、コミュニティを作る人を「(ボランティアではなく)職業としてつくっていく」ことも重要だとパトリックさんは話す。現在パリ市とも連携しながら、そのポジションの確立について検討しているようだ。

14区を歩くパトリックさん(筆者撮影)

「私たちは『どのようにボンジュールの回数を増やせるか?』そんなゲームをしているような感覚なんです。ボンジュールの回数を増やすための装置として、ツールを開発する必要があります。これらのツールのことを『ソーシャル・エンジニアリング』と呼んでいます。ロングテーブルもコミュニティコンポストもソーシャル・エンジニアリングの一部なのです。これらのツールを導入した結果、ボンジュールの数は0回から5回へ、5回から15回へと飛躍的に増えていきました」

いつでも話せる人がいるという安心感があり、ボンジュールの回数も増えた14区では、住民から「こんなことをしてみたい」とアイデアが寄せられるようになった。最初のころは、アイデアの8割がパトリックさんのものだったが、今では全体の5割ほどが市民からの提案になっているという。

「挨拶がゲームのような感覚になると、そのうちやめられなくなりますよ。ソーシャル・エンジニアリングは義務のためにやるわけではありません。まちやプロジェクトをどのように魅力的にするかの装置なのです」

孤独でいるには、お金がかかる

パトリックさんはインタビューの中で、実際に14区に暮らすある女性に起きた変化を話してくれた。彼女は以前、怒りっぽい人だった。そんな彼女は、ロングテーブルに飾る花をアレンジしてくれるようになり、地域コミュニティに馴染み、次第に穏やかになっていたという。新しい家族もできた。90歳になった現在も、元気にHyper Voisinsの活動に参加している。

そして驚くべきことに、そうした社会的なつながりは経済的な意味での「節約」にもなるという。いま14区に、さまざまな領域の研究者が目を向けているのも納得だ。

「一人でいるのにはお金がかかります。孤独でいると、刺激を求めて『浪費』してしまいます。人と何かを共有した方がお財布にとっても『お得』なはずです。いま私はそんな仮説を持って、孤独と資本主義の関係について研究者と一緒に探求しています」

インタビュー中の様子(Photo by Erika Tomiyama)

フランス政府も経済的な戦略としてHyper Voisinsに関心を示している。では、孤独を乗り越えた先にどんな未来が待ち受けているのだろうか。パトリックさんがキーワードに出したのは「コンヴィヴィアリティ」だ。

コンヴィヴィアリティ(conviviality)の語源は、「con-(一緒に)」「vivere(生きる、生活する)」というラテン語だ。それは文字通りに解釈すると「一緒に生活すること」「共に過ごすこと」という意味だ。このラテン語の単語がフランス語を経由して英語に取り入れられ、現在は「共に楽しむこと」「和気あいあいとした雰囲気」などを指すようにもなった。

「コンヴィヴィアリティは、お金では計れませんが、豊かさの一つであることに、みんなが気付きはじめています。健康と同じで、買うことはできませんが、育てることはできます。そのために、地域で住民同士が関わる余地が残っていることが大事なのです。コンヴィヴィアリティを生み、育てていくために、地域が持っているアセットを使って何をするかが大事だと思っています」

コンヴィヴィアル・シティをどうやってつくれるか

パリはこれまで「15分都市」として計画を進めてきた。15分都市とは、住民が必要とするほとんどのもの(職場、学校、買いもの、医療、レジャーなど)を15分以内に徒歩または自転車でアクセスできるように設計された都市の概念だ。そうした街では、偶発的なコミュニケーションが生まれやすそうにも思われるが、「トップダウンで、ハードの設備ができたところで、大きな意味はない」とパトリックさんは話す。

「15分都市はパリを特徴付ける重要な施策ですが、それは都市計画に過ぎません。それが実現されたとしても、本当の意味で住民が豊かにはなれないと思うのです。草の根ではいま15分都市に対して、『3 minites village(3分の村)』を提唱しています。これは、社会的なつながりを確保するための新しい概念です」

14区の街並み(筆者撮影)

家から一歩外に出れば、誰かが何かをしている。そしてあなたは3分以内に誰かと挨拶を交わすことになるだろう。「3分の村」は15分都市のコンセプトに引っ掛けた一つの表現ではあるが、14区のまちのあり方をそのまま体現しているようにも思った。

最後に、パトリックさんは14区の目指す先をこう話してくれた。

「人間は社会的な動物です。社会的なつながりなしには、生きていくことが難しい。一人でも生きていけるほど世の中は便利になりましたが、それでもなぜコミュニティが一緒にともにいるか。それは私たちの自然な能力であり、欲求なのだと思います。これからも14区では、壁を高くするのではなく、机を長くしていこうと思っています」

編集後記

次にロングテーブルが開催されるのは、2024年9月22日。ロングテーブルは屋根のない道路の上で実施されることから、その日程が近づくと、みんな天気予報を気にするようになるそうだ。「もし家で一人で過ごしていたら、何もやることがなかったら、遊びにおいで」とパトリックさんは笑顔で誘ってくれた。ロングテーブルは、だいたい正午から20時くらいまで、のんびりと行われるのだという。

パトリックさんの話を聞いてから改めて思い出していたのは、筆者が東京に住んでいた頃のことだ。そういえば、隣に住んでいる人の名前も顔も知らなかった。出くわせば挨拶はするものの、正直なところ、その人たちのことを知る必要も特にないと思っていた。

ロンドンで暮らすようになってから、近隣の人々と挨拶や雑談をするようになった。(パリ14区の人々と比べるとごく狭い範囲だが。)「元気?」「仕事疲れたけど、やっと金曜日だね」「先週のフットボールの試合は観た?」内容は大したことないのだが、仕事には関連しない話題で、家族ではない人々と会話をする時間に、気持ちを持ち上げられたことが何度もある。だからこそ、パトリックさんが社会的なつながりを「私たちの自然な能力であり、欲求」と表現したのが腑に落ちていた。

取材をした日、実際に14区を歩いていたときに見た、パトリックさんと冗談を飛ばしあう住民の朗らかな表情が印象的だった。古き良きご近所付き合いだけではなく、ソーシャル・エンジニアリングを通じて新鮮な形で住民が出会い直せるように──挨拶を基軸にしたシンプルな施策に、パリの新しい景色を垣間見た気がした。

【参照サイト】Hyper Voisins – Instagram
【参照サイト】‘It’s a beautiful thing’: how one Paris district rediscovered conviviality
【参照サイト】‘Super Neighbours’ Bring Village Feel to Paris Streets
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