アフリカ生活で学んだことの一つは、「赦し」の精神だった。
南アフリカのズールー語の教えで「Ubuntu(以下ウブントゥ)」という言葉がある。人間は不完全であることを前提として、「自立や個性を至高のものとせずに、人と助け合って生きなさい」という意味だ。
南アフリカ人の友人によると、「自分はパイナップル農家で相手はバナナ農家。自分がバナナを欲しいなら、ヨーロッパの個人主義の社会では、自分がパイナップル農家として稼いでバナナを購入する。しかし、アフリカの社会では先に相手にパイナップルを与えてから、自分の要望を伝えること」。相手にまず自分の持っているものを分け与える精神が、ウブントゥの基盤にあるのだと言う。
アパルトヘイト時代の匂いが残る地区、ソウェト
筆者が南アフリカに渡航した際、大半の日々をアパルトヘイト時代に黒人居住区であったソウェトで過ごした。アメリカの大都市を思わせるヨハネスブルクの中心地とはかけ離れたソウェトは、街中に溢れる薬物中毒者やごみの匂いから、そこが他と変わらない「ただの南アフリカの一角」ではないことを思い知らされる。
小さい頃からアルコールや薬物に手を染める子どもも多い中、ソウェトで生まれ育った社会活動家の友人は、子どもに遊び場を提供するプロジェクトを運営していた。彼の住む地域の近所には広大な空き地があり、彼はそこを子どもたちが「子どもらしさを発揮できる場所」としてリノベーションの計画をしていた。
彼を待ち受けていたのは、今も変わらない構造社会だった。その土地はアパルトヘイト時代に白人に取られた土地であり、アパルトヘイトが廃止されて30年以上経った今でも、フランスに住む人間が所有し続けていたのである。
南アフリカの大都市では多様な人種を目にしたにも関わらず、ソウェトにはアパルヘイト時代から住む人々が今もなお、そこで生活しており、白人を見かけたことは一度もなかった。そんなソウェトだからこそ、その土地を今もなおアパルトヘイト時代に権力を持っていた人が所有しているのは、明らかにおかしなことであった。
自分がどんな状況にあっても、人に分け与える精神
それでも彼は友人とお金やスキルを出し合い、自分たちの所有しているものの範囲で子どもたちに自由と学びを届けるために奮闘した。画家の友人はワークショップを開催し、子どもたちと一緒にストリートの外壁をカラフルな絵画で埋め尽くし、ファッションデザイナーの友人は、ごみを再利用した生地を使ってファッションとアートの可能性を伝えた。
南アフリカではいまだに多くの人がアパルトヘイト時代前に所有していた土地を取り戻せない現実がある。しかし筆者は、それでも自分が持っているものを共有しようとする人々に出会った。他のアフリカの地域でも多くの不条理と、それに向き合う人々に出会った。
東アフリカにあるルワンダでは、フツ族とツチ族の間で30年前に起きたジェノサイドで、わずか100日間でおよそ100万人が虐殺された。しかし夫と子どもを殺された女性が、実際に家族を殺めた相手の男性と当たり前のように会話しているのを目にした。
また映画『クンタキンテ』で知られている通り、西アフリカにあるガンビアからはかつて、多くの人々が「黒人奴隷」としてアメリカに連れて行かれた。先祖の多くがある日突然、奴隷として囚われ異国の地で自由を奪われた歴史があるにも関わらず、休暇でガンビアでやってくる私たち外国人に対して、彼らは最高のおもてなしをしてくれる。
これらの信じがたい彼らの精神の根本にあるのは、「赦し」ではないかと筆者は思う。
日本では、倫理に反して犯罪を犯したものは社会から隔絶され処罰されるが、アフリカの社会では「人間は不完全」であることが前提とされ、その上で「赦し」と「共存」がなされているように感じる。
だからこそ、ソウェトに住む友人は構造的に貧困から抜け出せず不条理を生き抜く中でも、人々と助け合えるのは「ウブントゥの精神があるからだ」と教えてくれた。
意識せずとも、日常に根付く「ウブントゥ」
第8代南アフリカ大統領で、反アパルトヘイトの闘士ネルソン・マンデラ氏も、演説で何度も口にしていた言葉「ウブントゥ」。歴史上だけでなく、現在の日常生活にも生きていると感じる。
例えば、日本で誰かの助けが必要なときは「サービス」として購入し、それに対価を支払うのが当たり前だ。食料品はスーパーから購入し、家を建てるときや、水道やトイレが壊れたときは業者にお願いする。すべての行為は資本主義社会の中にあり、生活する上で必須だ。そして、日本のような資本主義で包囲された社会では、自然と損得勘定が出てしまう。社会の求める理想的な型にはまろうと、他者の欲望を模倣し、他者と競い合い、その結果、利益ばかりを気にしてしまうことも多い。
対してアフリカの社会では「サービス」ではなく、「助け合い」を通して生きていくのが一般的だ。アフリカ諸国の大半の人口を占める農家は食料を分け与え、生活必需品は身近なものから作ったり、隣人同士でシェアしたりして生活している。この社会において、「助け、助けられる」のは当たり前だからこそ、助けを求めやすいとも感じる。
筆者の移住したウガンダでも「どんなに貧しくても、身近な人が自分より苦しんでいたら手を差し伸べる」のが当たり前だと学んだ。以前は助けを求めることに抵抗があったが、ここに住む友人たちがいつも口を揃えて言うのは、「人は、他の人の助けがないと生きていけないの。自分に余裕があれば、人を助けて当たり前でしょう」ということだ。
いま私たちの生きる社会では、個人主義と自助が当たり前となり、それで生活が完結してしまう。しかし、南アフリカの言葉ウブントゥと、その他の地域にも根付いている「互いに不完全な存在だからこそ共助し合う」精神に出会い、その居心地の良さを実感した。
人々が日々意識しているわけではないが、ウブントゥの精神は当たり前に日常に存在している。そしてその精神は、知らぬまに人の命を救い、人間の豊かさの可能性を広げてくれている。