家族は幸福か、はたまた束縛か。“特別な絆“を超えたゆるやかな生き方を探して

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家族とは、本当に美しいものなのだろうか。

「仕事は早々に切り上げて、家族と夕食を囲む」そんな働き方は、ワークライフバランスを保つものとして多くの国や地域で賞賛される。週末は「家族デー」として過ごす人も多い。国によっては、季節の行事を中心に親族で集まる機会が設けられている。一方で、人々が集まっているときに集う家がないことは、一段と孤独感を掻き立てる。

そんな「家族」という概念を、どこか当たり前の、不変のものとして捉えていないだろうか。現在私たちが「家族」と呼ぶ形態の原型ができたのは、18世紀後半だと言われている。そしてその形は常に変化を続けている。

「あたたかい家庭を築きたい」「家族ならわかりあえる」──そう感じることで得られる幸せもあるのかもしれない。一方、そうした従来の家族システムへの依存により、その必要がないのに「孤独」を感じなければいけなくなったり、介護や育児の場面で特定の誰かに重い負担がのしかかったりと、社会での不調和も起こり始めている。

この記事では、「家族」というシステムの歴史を紐解き、それが現代で及ぼしている影響を、俯瞰的な視点で改めて見つめ直してみたい。一般的な家族像とは異なる選択肢を選んだ人々の実践例もみながら、身の回りの「当たり前」から少しでも自由になるきっかけになれば幸いだ。

時代と共に変化してきた「家族」の歴史

現在一般的に「家族」と呼ばれている形態は、社会学や人類学の分野では「近代家族」と呼ばれる。近代家族の形成は、1760年代から1840年代にかけての産業革命の時期に始まった。この時期、特にヨーロッパや北米では、農業社会から工業社会への移行が進み、多くの人々が農村から都市へと移り住んだ。これが西洋社会における家族構造や生活、その機能に大きな変化をもたらした。

かつて農業などの「生産」の単位であった家族は、「消費」の単位へとその役割が変化した。また、伝統的な大家族や拡大家族から、核家族への移行が進み、家庭内での性別役割分担も明確になった。学校教育が普及するまでは、子どもの教育と社会化までも家族が担っていたと言われている。

 

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近年ではさらに単親家族、再構成家族、同性愛者の家族など、さまざまな形態の家族ができあがり、世帯のあり方も多様化している。さらに、男性は家庭外での労働、女性は家庭内の役割という分業から、性別役割がより流動的になり、性別を問わない労働市場参加が進んでいることも明らかな変化だろう。

このように、家族のあり方はその時々の産業構造や、生産と消費の形態、さらには労働や教育のあり方にも大きく影響を受けてきた。そしてそれは、今後も流動的に変化することが考えられるのだ。

家族と愛を結びつける神話

時代によって形態を変化させてきた家族という単位。現代の家族にはもう一つの特徴がある。それは「愛情」と結びつけて語られることだ。

かつて家や村落共同体を維持させるための手段であった「家族」が、個人の意識の目覚めとともに、変化した。アメリカの社会学者であるバージェスはそれを「制度から友愛へ(from institution to companionship)」と表現している(※1)

さらに、エドワード・ショーターは近代家族の特徴として下記の3点をあげている(※2)

  1. ロマンティック・ラブに規定される配偶者選択
  2. 母性愛に規定される母子の情緒的絆
  3. 家内制に規定される世帯の自立性

そのような規範と感情の結びつきは、日常生活のふとしたところに見て取れるだろう。たとえば、「夫婦は愛し合っているものだ」というイデオロギー、「子どもを愛さない親はいない」という考え方などだ。18世紀後半から、こうして愛情に支えられた家族観が形成され、現代を生きる私たちの日常に浸透してきた。

現代を既存の「家族システム」で生きる限界

それでは、いまの日本の状況を見てみたい。どのような家族が暮らしているのだろう。

数十年前の状況と比べると、日本でも家族の形態に明らかな変化が見られる。かつては多くの家庭が「夫婦と子ども」から成るいわゆる核家族だったのが、2020年時点でのデータによると「夫婦と子ども」世帯の割合は約25%に減少した。「単独」世帯は1980年時点の約20%から、2020年には約38%へと顕著に増加している。

また、「ひとり親と子ども」世帯も増加しており、2020年時点で「3世代等」世帯の数を上回っているという(※3)。「標準家族」として長らく考えられてきた、夫が働き、妻が専業主婦で、子どもが2人の家族モデルは、現在では全世帯の数%に満たないほど珍しくなっている(※4)

このように、過去数十年で家族のあり方が大きく変わっている一方で、「家族は愛情によって維持される」という価値観は依然として根強い。そしてその価値観は、「愛情」を建前として、特に介護や育児などの場面で「無償労働」を家族に強いることもある。

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現代の家族形態の中で、「家族の面倒は家庭内で見るべき」という規範をどれほど維持することができるだろうか。福祉が家族頼みになっているしわ寄せは「介護疲れ」などの社会現象として明確に表れている。

また最近は、「親ガチャ」という言葉が使われて久しくなった。親の経済状況や教育リテラシーなどにより、子どもの人生が大きく左右されるという現象が起こっている。個々の人生──学歴や収入、そして幸福さえもが、生まれ落ちた「家族」に依存してしまう。これも、家庭が子どもに対して担う範囲の広さを反映していると言える。

新しい時代に広がる、家族「以外」の選択肢

ただ、現代を生きるすべての人々が、そうした家族の価値観にがんじがらめになっているかというと、そうではない。新しい形態の生き方や暮らし方が、世界中で模索されている最中だ。同性婚(パートナーシップ)、三人婚、フランスのPACS制度(※5)、スウェーデンのサムボ法(※6)などは、新しい家族の形態を作り出すものと言える。

※5 性別に関係なく、成年に達した二人の個人の間で、安定した持続的共同生活を営むために交わされる契約(参照サイト
※6 婚姻しないが継続的に同棲する異性カップルに法的な保護を与える目的で設立された制度(参照サイト

そうした家族の概念を緩めるような制度もあれば、家族の形態は維持しながら、外部のコミュニティとの接点を増やしていく暮らし方もある。その一つが、オランダの「バディー制度」だ。

オランダでは、親が子どもの面倒をみるほかに、ボランティアの大人が子どもと一対一で接し、一緒に過ごす時間を設ける制度がある。それが相棒のような「バディー」だ。幼児から思春期のティーンエイジャーまで、社会で子どもたちを育んでいく取り組みである(※7)

バディー制度はもともと、精神疾患の親をもつ子どもたちを外に連れ出してケアするために始まった。需要が増え、対象の子どもが広がり、国内には、たくさんのバディーを紹介する団体があるという。

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ベビーシッターや預かりサービスなどとの違いは、世話をするのではなく、子どもと「対等な立場で」過ごすことだ。利用料は無料で、バディーと子どもが過ごすのは、1~2週間に1回、数時間ほど。運動したり、工作したり、内容はバディーが子どもの好みを考えて決める。運営は自治体の予算、財団の基金、企業からの寄付などで成り立っているという。(※バディーになる大人には犯罪歴がないことを証明する書類の提出や研修への参加が義務付けられ、審査は厳正に行われる。)

また、どんな家に誰と暮らすかということも、家族の形態を選び取ることと同様、大事になってくる。例えば、IDEAS FOR GOODでは以前、オーストラリアのメルボルンにできたコハウジング「Nightingale Housing(ナイチンゲール・ハウジング)」を紹介した。

人や地球とつながり直せる暮らし方。オーストラリアの「コハウジング」を覗いてみよう

ここでは、一人暮らしの若者、子育て中の家族、高齢者といった、多世代の人々が暮らす。住人はそれぞれ独立したプライベートの居住空間を持ちつつ、敷地内には共有キッチンや共有リビングルーム、屋上菜園などがあり、住人同士が顔を合わせ、交流できるスペースがデザインされている。

また、アメリカの「ロサンゼルスLGBTセンター」がつくった多世代住宅も、新しい時代の生き方を提示する一つの例だろう。住居は、シニア世代とユース世代の両者を対象としている。

かねてから、LGBTQ+(特にシニア層)が孤独な状況になりやすい問題があり、またLGBTQ+のユース世代は人生のどこかのタイミングでホームレス状態になってしまうなど、貧困を経験しやすい状況にあるのだという。

若者とシニアをつなぐ。LGBTQ+当事者が支え合う、LAの多世代ハウス

この住居はそうした孤独の問題と、安定した住居の問題を同時に解決するために作られた。もちろんLGBTQ+だからといって住民全員と意気投合するとは限らないが、安心感の中で交流できるのは入居者にとって一つのポイントだろう。

このように家族を抜本的に変えない中でも、日頃交流する人や寝食をともにする人を自ら選びとっている人々もいる。そしてもちろん、それらのシステムを使いながら、家族を大切に暮らしている人々もいる。

「マンションの隣に住んでいる人の名前も知らない」という状況に陥りやすい核家族に向けた住宅設計や、新型コロナを経てのコミュニケーション不足などに違和感を覚えている人たちによって、選択肢はこれからもどんどん広がっていくことが予想される。「愛情や恋情」だけではなく、「友情」を基点とした暮らし方も拡大していくかもしれない。

編集後記

筆者はいまイギリスのロンドンで暮らしている。移り住む前は、ロンドンをはじめとするヨーロッパの大都市に対して「自由な」イメージを抱いていた。街には色んな人が住んでいて、それぞれが個性を隠す必要はない。そのイメージ自体は概ね間違っていなかったのだが、一つ困ったことがあった。それは、一人で外食をできる雰囲気の場所がかなり限られていることだ。

一人で過ごせる自由がないように思える背景には、やはり「できるだけ家族やパートナーと過ごすべき」という強い価値観が要因の一つとしてあるように感じる。そうした価値観に触れると、たまに数年前まで暮らしていた東京の「一人でも放っておかれる」雰囲気が、無性に恋しくなることもある。

選びたければ選べばいいし、選びたくなければ選ばなくていい──ときには「家族」を俯瞰的に捉える時間も必要なのかもしれない。私たちが家族というシステムを選びとって幸せになることが許されているのならば、逆に私たちが家族というシステムから解放されて幸せになることも許されているはずだ。

人々が選び取ったものに、その後制度がマッチしてさえゆけば、あらゆる人が自分を偽らずに、息苦しくもならずに、生きられるようになるのではないだろうか。

※1 The family: from institution to companionship.
※2 The Making of the Modern Family. By Edward Shorter.
※3 家族の姿の変化・人生の多様化(内閣府男女共同参画局)
※4 家族社会学の研究者が語る、時代とともに変わる「家族」のかたち。(東洋大学)
※7 ボランティアの大人が子どもの「バディー」に カギは一対一の時間と「対等な関係」(朝日新聞GLOBE)

【参照文献】家族と愛──結婚の社会学的考察をめぐって──(伊藤雅子)
【参照サイト】INTERVIEW 06: 高年社会参加班代表 筒井淳也(つつい・じゅんや) Lifelong Sciences
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