2011年3月11年に発生した東日本大震災から、10年以上の時が流れた。年始に能登半島地震が発生したこともあり、2024年の3月は例年にも増して「災害」を意識する人が多かったのではないだろうか。
けたたましく鳴り響く非常ベルの音を聞いたとき、テレビの画面に映る津波警報のテロップを見たとき。あなたは瞬時に「逃げよう」と思えるだろうか。「点検かな?」「警報器の誤作動かな?」と考えたり、周りの人が逃げているかを確認したり……不安に感じつつも本当に「非常事態だ」と確信できるまで、動けずにいる人もいるのではないかと思う。
「この状況は正常の範囲内だ」「自分は被害には遭わない」──私たちは緊急時、目の前のリスクを低く見積もってしまう心理傾向を持つ。それが「認知バイアス」と呼ばれるものだ。今回の記事では「正常性バイアス」「楽観性バイアス」を始めとする災害時の避難を妨げる認知バイアスを知り、これらに対する対処法を考えていく。
災害時の避難を妨げる認知バイアス
代表的な「正常性バイアス」と「楽観性バイアス」
災害が起きたとき、避難を妨げる認知バイアス。その代表的なものとして挙げられるのが、「正常性バイアス」と「楽観性バイアス」だ。
正常性バイアス
災害などの非常事態が起こったときに、その状況を「普通だ」「正常の範囲内だ」と無意識に判断し、実際のリスクや危険を過小評価してしまう心理傾向。
楽観性バイアス
人が自分自身の将来について楽観的に考える心理傾向。正常性バイアスと楽観性バイアスは相互に補完し合い、災害時の避難を躊躇させてしまう大きな要因になっている。
さらに、正常性バイアスを強化する機能を持ちうるものとして、下記のバイアスが挙げられる。
同化性バイアス
異常を背景のなかに同化させてしまう傾向。じわじわと変化することに対して気づきにくい状態を表す。
同調性バイアス
集団の規範に従ってしまう傾向。集団と異なる行動を取りにくい心理状態を表す。
このように私たちは、自分に都合が良いようにバイアスをかけて物事を認知しがちなのだ。
その他の心理傾向
また、災害時の避難を妨げる心理傾向として下記のようなものも挙げられる。
利用可能性ヒューリスティック
最近起きたことや印象的だった出来事など容易に思い浮かべられる情報をもとに物事を判断する心理傾向のこと。
オオカミ少年効果
繰り返し誤情報や虚偽の情報にさらされることで、人々が本当の警告を無視するようになる心理傾向
災害時、実際に避難した人の割合は
避難行動がなかなかとれない傾向は、データからも見てとれる。
信州大学地域防災減災センターの資料によると、日本・欧米の研究結果を概観しても、避難指示や命令が発されても避難する人々の割合が50%を超えることはほとんどないという(※1)。
また、東日本大震災の8年前の2003年に発生した、宮城県沖地震(震度5強~6弱)のあと、気仙沼市で行われた「避難」に関する調査結果を見てみたい。
まず「実際に避難したかどうか」という問いについて、「避難した」と答えた人は1.7パーセント。また、人々が次に取った行動として、テレビで津波情報を見たり、防災行政無線を確認したり、「本当に津波が来るのか」という情報収集をしていたことがわかっている(※2)。
この調査に当たった東京大学大学院情報学環特任教授・片田敏孝氏は、NHKの記事で、この結果について「気仙沼の住民が津波を意識していなかったわけではないのです。大半の人たちは津波に非常に警戒心を持たれたのは確かです。しかし、『津波が来るんじゃないか』と思ったことと、『自分の命の危険を感じたか』は、また別の話なのです」
と語っていた。
普段は役に立つ認知バイアスが、災害時のリスクに
実は、正常性バイアスや楽観性バイアスは、完全な悪者というわけではなく、日常において重要な役割を果たしている。例えば、常に最悪の事態を想定していると日常的にストレスを受けてしまうが、正常性バイアスや楽観性バイアスがあることによって過度な不安を抱くことなく生活を送ることができるというわけだ。
日常で役に立つ認知バイアスが災害時にリスクとなってしまうことをわかりやすく表した動画が、日本赤十字社の動画である。下記のキャンペーン動画では、正常性バイアスと同調性バイアスの2つの認知バイアスを「メガネ」に例えて説明している。
落ち込んでいる男性のもとにやってきたメガネ売り。メガネ売りが差し出したメガネの片方には、心配なこと、嫌なことを見えなくしてくれる「自分は大丈夫レンズ」が、もう片方には、何が起きてもみんなと一緒だから大丈夫だと思わせてくれる「みんなと一緒レンズ」が入っていた。
そのメガネをかけると、男性の不安は和らいでいく。しかし、災害が起きたときに「すぐ大丈夫になるだろう」「みんな逃げていないから大丈夫だろう」という気持ちになり、危険にさらされてしまうのだった。
このように、正常時は私たちの生きやすさにつながる認知バイアスが、非常時は私たちを危険にさらしてしまうのだ。
認知バイアスとどう付き合うか
普段私たちの役に立ってくれる認知バイアスを、非常時に悪いほうへ働かせないために、私たちはこの心理傾向とどのように付き合っていけばよいのだろうか?
バイアスの存在を認識する
先の日本赤十字社の動画でメガネ売りが「メガネをかけていることを忘れてはいけない」という忠告を残していたように、よく言われることではあるが、やはりまずは、認知バイアスがあることを理解することが大切である。災害時に、自分の思考や行動が歪められていないかをセルフチェックすること、そして、周囲の人にも「認知が偏ってしまうことがある」と分かってもらうことが重要だ。
状況と行動をパッケージ化する
緊急時にはどうしても認知バイアスがネガティブな方向に働き、冷静な判断ができなくなってしまいがちだ。そこで、緊急時には、バイアスが生じる可能性のある「思考や判断」を行わせない、という考え方がある。この考えに基づき実行されるのが、「状況と行動のパッケージ化」だ。あらゆる災害に対してどのような危険があるかをイメージし、事前に行動計画をたて、そのための訓練を徹底的に行う──これにより、緊急時に「判断を介さず」すばやく行動を取ることができるようになるのだ。
とにかく行動する
周囲の行動をうかがいながら様子を見ていると、場の雰囲気が落ち着いてしまい、次の行動を起こすことが難しくなることがある。だからこそ、機を逃さずに自ら行動することが重要だ。例えば、自分自身が「率先避難者」になることもその一つである。率先して逃げる人の存在は、「みんな逃げているから自分も逃げよう」という雰囲気づくりにつながっていく。
認知バイアスを逆手にとる
上記の「率先避難者」の例ともつながるが、認知バイアスを逆手に取り、避難行動を促す手段もある。国立大学法人千葉大学が発表した研究結果によると、エリアメールを模した文章に「対象地域の人がすでに避難している」という情報を追加することで、人々が目の前の状況をより危険だと捉えやすくなり、避難の必要性をより高く評価するようになったという(※3)。認知バイアスをうまく活用すれば、避難行動を促進することもできるのだ。
声をかける、伝え方を変える
今の状況が平時とは異なることがはっきり伝わるように「伝え方を変える」ことも重要である。2024年1月に発生した能登半島地震において、ニュースキャスターが強い口調で避難を呼びかけていたことを覚えている人もいるだろう。これも、緊迫感をもって非常事態であることを伝えるための方法の一つだったと言える。避難を先導する立場の人が非常時であることを強調する伝え方をすることが大切なのだ。
さらに、正常性バイアスは、身近な人から声をかけられると抑制されるため、表現や口調を工夫しながら周りの人に緊急事態であることをはっきりと伝えることも必要だ。
迅速な避難行動をとるために
悲観的になりすぎることなく、未来に希望を持って人生を送れるように──私たちの心を守ってくれる認知バイアス。それが時には、未来への希望を打ち砕くものとなってしまう可能性がある。だからこそ、非常時「とにかく逃げる」という選択肢を選べるように、「認知の偏りを持つ私」という存在に自覚的でありたい。
※1 災害における認知バイアスをどうとらえるか-認知心理学の知見を防災減災に応用する-
※2 住民の避難行動にみる津波防災の現状と課題-2003年宮城県沖の地震・気仙沼市民意識調査から
※3 『もうみんな避難していますよ!』認知バイアスの利用で避難行動を促進できることを確認
【参照サイト】津波を知って津波に備える(1)「 “逃げない自分” を知ること」が備えの第一歩(NHK・明日をまもるナビ)
【参照サイト】特集 災害時の人間の心理と行動 災害時の人間の心理
【参照サイト】正常性バイアス|命の危険が迫っているのに避難しない心理(防災新聞)
【参照サイト】正常性バイアス ~災害時にカギとなる心理作用~(神戸市)
【参照サイト】知ってほしい! 避難の妨げになる「正常性バイアス・同調性バイアス」(日本赤十字社)
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