雑草採集から暮らしの“十分さ”を測り直す、台湾のアートチーム「Weed Day」

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まずは、この写真を見てほしい。

Image via Weed Day

これがすべて雑草だと知ったら、驚くだろうか。この草花はどれも、私たちが普段、雑草と呼んで一括りにしているもの。しかし本来、それぞれが固有の名前を持ち、異なる特徴を持っているのだ。それを映しだすかのように、草花は一つひとつ丁寧にガラスケースに入れられ、名前とともに飾られている。

この作品は、台湾を拠点に活動するアートチーム・Weed Day(雜草稍慢)によるもの。ティファニーとゾーの二人組で、雑草のお茶やアート作品、教育プログラムの提供をおこなっている。

今回、ティファニーに取材を行い、立ち上げの背景にある自然と人間の関わりへの意識や、美術館や学校での取り組み、そしてより自然の中で調和のとれた社会を築くための視点などを聞いた。

植物を手に立つ二人の女性

Weed Dayのゾー(左)と、ティファニー(右)|Image via Weed Day

“雑草”を捉え直す、雑草茶とアート

Weed Dayは、ティファニーが2014年に立ち上げ、後にゾーが加わった二人組のアートチームだ。自然界から食材を採集するフォレジング(Foraging)や、その草花を使用したお茶やアートの実践を通して、自然の中にある社会や人間のあり方を問いかける取り組みを数多く展開している。

フォレジングで採集するのは、いわゆる「雑草」だ。そうすることで、生態系バランスが崩れた場所でも、元々その地域にあった在来の弱い植物がより成長しやすく、繁殖力の高い植物とも競争できる環境を整えているという。

大人も子どもも草むらに入って植物を観察し、採集している

ワークショップでのフォレジングの様子|Image via Weed Day

ただし、彼らは決して、厄介な草花を処理するために草を刈り、再利用に回しているわけではない。今私たちが「雑草」と呼んでいる草花にも、ほかと何ら変わりない価値があると捉えているのだ。

「中国語で雑草を意味する『zācǎo(ザーツァオ)』は、ネガティブなイメージで捉えられています。なぜなら、雑草という表現を使うときは通常何かを除草するときだからです。しかし、それは人間にとって何が良いことで、何が悪いことなのかという判断軸でしかありません。つまり、本来は雑草も害虫も存在せず、それらはすべて単に植物や昆虫なのです」

そんな想いから、Weed Dayの二人は採集した草花をお茶やアート作品にすることで、自然と人の関わり方について対話する機会をつくっている。

建物の中に土と共にガーデンのようなスペースが広がり、子どもたちが遊んでいる様子

イベントの様子|Image via Weed Day

一人の人が、壁の展示物に手を伸ばして、草花を取り付けようとしている

展示の様子|Image via Weed Day

「私たちにとってフォレジングとは、その土地を知ること、観察すること、理解することです。フォレジングの時は、まず土地に挨拶をします。そして、今日ここにいることに感謝する。そうしてから、観察をしているんです」

ハーブ農園で気づいた、土地への不公平さ

そもそも、なぜティファニーは「雑草」という考え方に疑問を抱くようになったのだろうか。

「私はもともとハーブの勉強をしていたので、初めはハーブティー専門のグループとして活動していました。でも、農家さんの元で学ぶうちに、地方でも除草剤や農薬がたくさん使われていることに気づいたのです。

そのとき、『土地は言葉を発することができないのに農薬をまくことは、土地にとって不公平だ』と感じ、土地の代弁者になりたいと考えたのです」

当時ティファニーは草むしりをする中で、有機農家の人が取り除く雑草の多くが、実は役に立つものであることに気づいていた。そこで、ただハーブティーをつくるのではなく、雑草からお茶を作り、その価値を人々に伝えるとともに、台湾で行われている農薬散布の環境負荷について啓発する活動を始めたのだ。

瓶に入った雑草茶

福島・西会津で採集を行なった際の雑草茶。地図には、どこで何を採取したかが記録されている|Image via Weed Day

ティファニーが活動を続ける中で、より自然界の中で草花に触れてきたゾーがWeed Dayに参加。それと同時期に、お茶だけなくアートも活動に取り入れ始めた。アカデミックに植物を学んできたティファニーと、現場で学んだゾーという相反するコンビは、良い化学反応を生んでいるそうだ。

二つ並んだポストカード

草花でできた筆で書いた詩と絵のポストカード。これがアート分野で最初の作品|Image via Weed Day

アートの制作を通じて、教育分野への可能性を感じた二人は、美術館と協働して環境教育に繋がる企画展示などを開始した。その多くは参加型となり、次第に学校や自治体とも組んで環境教育プロジェクトを展開するようになった。

「ある自治体と協働した作品では、地元の人たちに雑草のイメージを描いてもらい、その絵を陶器に転写し、風のお守りを作りました。この村は以前、輸出用の陶器を売っていた村だったので、地元の老陶芸家と協力して、その文化を取り入れたのです。

それから、染め物もしました。最初に植物を染めて、そこに雑草の絵を描いてもらいました。地元のコミュニティで行うので、どの人が何を描いたかを見ながら会話できることが魅力となった企画でした」

川の上で揺れる、染色された布

2023年に開催された台湾最大規模のアートイベント「ロマンチック台三線芸術祭」で公館エリアの人々と連携したプロジェクト|Image via Weed Day

地元の人と一緒に、川の近くで展示準備をする様子

2023年に開催された台湾最大規模のアートイベント「ロマンチック台三線芸術祭」で公館エリアの人々と連携したプロジェクト|Image via Weed Day

さらに、コロナ禍の2020年にはWeed Dayの拠点ともなるコミュニティスペース・Grasslandを開設。雑草茶を提供したり、社会環境課題に関するイベントの開催場所に活用したりと、人々の有機的なつながりを生み出す拠点となっている。

お店の外観

ティファニーの祖父母から受け継いだ建物を改装し、ゆかりのある地にGlasslandを開設した|Image via Weed Day

生態系のつながりと、生活のあり方

Weed Dayで教育プログラムを提供するときに、必ず見せている図があるという。それがこの写真にある、大きな3つの円と、その重なりに文字が描かれたものだ。

Image via Weed Day

3つの大きな円はそれぞれ、生物多様性(中央)・ハーブ文化(左)・社会的関与(右)と書かれている。それぞれの円が重なる部分に書かれているのが、再野生化(左)・持続可能な生活(中央)・第六感の目覚め(右)であり、全てが重なる中央には、フォレジングを意味する、現代採集の文字がある。

この図を通して、自然の変化を意識したフォレジングによって環境生態系を回復し、人と植物の関係を整え直し、人と自然環境の間に調和のとれた豊かな関係が築けることを伝えているのだ。

「私たち現代人は、自らを、環境からとても遠い存在だと考えています。この距離のせいで、自分たちが何を望んでいるのかが分からなくなっているのです。世界の中で迷い、自分の体や自分自身についても分かっていません。

なぜなら、技術の進歩が人と自然、人と人を近づけているようで、実は遠ざけているからです。情報へのアクセスは容易になりましたが、実際には私たち自身との関係を遠ざけています。だから、コミュニティの感覚や自分自身についての知識を取り戻すことが重要です。そしてそれは、フォレジングを通して実現できると信じています」

この概念図は、ティファニーたち自身によって制作された。環境教育でありながら、ハーブ文化を維持し、社会との関わりにも着目した背景には、ティファニー自身が「ルーツの大切さ」を実感していたからだという。

「私はアメリカの学校に通っていました。それでも台湾に戻ってきた理由のひとつは、自分のルーツを忘れることができないと感じたからです。

台湾の主流コミュニティの文化は、先住民と比べて注目されていません。しかし実際には、西洋の医学や知識の台頭により、私たちは植物や植物療法、ハーブ文化に関する漢民族独自の知識を失いつつあります。私自身が漢民族だからこそ、先住民の文化とは異なるハーバリズムの文化も同じように守りたいのです」

ティファニーが何かを鍋で茹でている様子

イベント準備をするティファニー|Image via Weed Day

Weed Dayのプログラムで「社会との関わり」と表現するとき、それは生まれ育った場所やまさに今生きている場所とのつながりを、それぞれが意識することを意味している。

そのため、台湾の外から二人を訪れて「台湾について学びたい」と依頼を受けても断り、代わりに、その国や地域へ二人を招待することを勧めているという。

「海外の人が台湾の土地や植物について知ったとしても、学術的な学習になってしまい、パーソナルなこととして捉えられません。でも、その人自身が住む地域の歴史や植物について学べば、日常生活の中でも新たな目線から自然を見ることができる。それが、私たちが伝えたいことの本質なんです」

改めて図を眺めてみると、自然や社会、文化、個人の生活が決して切り離せないものであることが見えてくる。フォレジングはあくまでも手段として位置付け、Weed Dayはその先にある自己内省や、目の前に広がる世界の再認識を投げかけている。

フォレジングから探求する自らの「十分さ」

私たちが一部の草花を「雑草」と一緒くたにしてしまう荒っぽさは、一体何から生まれているのだろうか。そして、より調和の取れた生態系を築くには、私たちはどのような暮らしを目指していくことができるだろうか。

ティファニーが、目指すべき生活のあり方として重視するのは、あらゆる事柄においてバランスを取り、「十分さ」を超えないことだ。

「私たちがワークショップをするとき、特に大人が対象のとき、最初に聞かれるのは『この植物で何ができるか』ということです。しかしもっと重要なのは、この植物が私たちの生態系の中でどんな役割を果たしているかということだと思います。使うことではありません。

それが人間にとって役に立つかどうかは別として、生態学的な観点からの価値も含めて見ることが重要です」

Image via Weed Day

逆に、子どもたちは先入観が弱いため、すべての植物を植物として平等に見ることができるという。そんな感覚を取り戻すべく、Weed Dayではありのままの自然を体験し、バランスを調整し直すことを提案している。

「バランスとは、草花など外在的なものだけでなく、日々の生活や食事など身体的なものにも言えます。水や野菜、肉の量などのバランスが取れているなど、ほんの些細なことでも生態系への負担が少なくなります。食が偏れば、世界に不均衡なシステムが投影されるのです」

生態系のことを考えると、自然と自分自身のあり方を考えることになる。人間が生態系の一部であると捉えると、ごく当たり前のことかもしれないが、現代の生活でそれを実感する機会は少ない。

Weed Dayは草花を入り口としながらも、その問いの矛先は自分自身に向いているのだ。最後に、ティファニーが力強く語った願いを書き記したい。

「私たちが伝えたいのは、自分自身を見つめ直してほしいということです。私は、すべての人が人生の目的を持たなければならないとは思いません。自分の人生を楽しめばいい。

でも、その楽しさはバランスから生まれます。健康、友人、食事、仕事。そういうシンプルなことが『十分であること』が必要です。その十分さは、自分の内側から生まれるものだと思います」

編集後記

日本語で「雑草」の定義は、主に農業生産に悪影響をもたらす、意図せずして生えてきた草であるという。

ただ、生産への悪影響というならば、その「雑草」が道端に数本生えているくらいでは「雑草」とは呼ばれないはずだ。つまり人間にとって不都合な場所に、度がすぎるほどの量で生えてくると「雑草」になる。少なからず、人間のものさしで悪者にされている草花だろう。

けれどそんな草花たちもまた、生態系の大切なピースの一部なのだ。それを認識できるかどうかが、自然の中に生きる人間の振る舞いを左右するかもしれない。だからこそ、今考えるべきなのは自らの生活や喜びがどんなバランスの中で成り立っているかということだろう。

【参照サイト】Weed Day(雜草稍慢)
【参照サイト】Weed Day(雜草稍慢)|PARADISE AIR
【参照サイト】雑草管理に関するQ&A|宇都宮大学 雑草管理教育研究センター
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