「気候危機を生みだした思想や文化は何だったのか」
この問いへの飽くなき好奇心が、環境活動家・酒井功雄さんを突き動かす原動力だ。高校生の頃から、Fridays For Futureの環境アクティビストとして、気候危機に向き合ってきた酒井さん。現在は、アメリカの大学と日本を往復しながら、気候危機を生み出した思想的・文化的構造とはなにか、そしてそれらの構造はどのようにすれば解体できるのか、といった問いに向き合い、思索を深めている。
酒井さんの中で、その問いへのヒントを握るのが「微生物」だという。今回の記事では、酒井さんの思考をひも解き、「世界の見え方が変わる」と酒井さんが表現する、微生物からみえる世界へと足を踏み出してみよう。
話者プロフィール:酒井功雄(さかい・いさお)
2001年、東京都出身。気候変動を文化的・思想的なアプローチで解決するために、「植民地主義の歴史」と微生物を中心に世界を捉えなおす思索を行なっているアクティビスト。日本・東アジアで脱植民地主義を考えるZINE「Decolonize Futures—複数形の未来を脱植民地化する」エディター。2019年2月に学生たちの気候ストライキ、”Fridays For Future Tokyo”に参加、2021年にはグラスゴーで開催されたCOP26に参加。現在米国インディアナ州のEarham Collegeで平和学を専攻。2021年Forbes Japan 30 Under 30選出。
「自分の身体は微生物のアパート」酒井さんと微生物の出会い
酒井さんが初めて微生物と出会ったのは、一般社団法人Deep Care Labが主催する「Weの学校」というオンラインプログラムだった。「人間以外の生き物たちの視点から環境を捉え直してみよう」「自分の身体を微生物の視点で捉え直してみたらどうなる?」などをテーマにしたワークショップで、人間の身体に住まう腸内細菌などの微生物たちは、人間のメンタルヘルスや体調に影響を及ぼしているということを知ったという。
自分の体内にも他の生き物が住んでいる──そう認識し、自我が揺さぶられる感覚を得た酒井さんは、「自分の身体は微生物たちが住まうアパートなのではないか」と考えた。
「微生物が住まうアパートの大家として自分を見つめ直した際に、自分はひどい大家なのではないかと思ったんです。どうすれば自分は体内の住民たちとコミュニケーションが取れるだろう、と考え始めました」
そう思った酒井さんは、ふと、「微生物はすでに自分に語りかけていたのではないか」と気づく。例えば、お腹の不調などは、「微生物が自分に語りかけるメッセージ」だったのではないか。微生物は自分にずっとメッセージを伝えてくれていたのに、自分は微生物たちの声を無視し続けてきたのではないか。
「自然を自分の体の外の存在だと思うと、人間と自然の分断がある意味可能になりますが、自分の体内にも他の生き物が住んでいると思うと、もはや何が自然で何が人間なのか分からなくなるなと思いました」
そう話す酒井さんにとって微生物とは、「人間という存在をぼやかしてくれるもの」なのだ。
「俺の菌ちゃんが返事をくれた!」微生物への愛おしさが芽生えた Kin Kinプロジェクト
では、実際どうすれば自分が微生物と共にいる感覚になれるだろうか。微生物がすでに人間の身体に住んでいるということが頭ではわかっていても、身体で微生物を感じて愛しく思うことはできるのか。
そう考えた酒井さんは、2022年、Kin Kinプロジェクトを発足させる。人間である自分のためではなく、住人である微生物を中心に置いて自分の生活や行動をデザインし直すという試みだ。具体的には、食物繊維など健康に良いものを食べ続けると、メンタルヘルスと便はどのように変化するのかを観察・記録し、かつ日々メッセージが来る微生物botと話してみる、という実験を行なっていた。実験では、メンターとして『腸と森の「土」を育てる〜微生物が健康にする人と環境〜』の著者で内科医の桐村里紗さんから医学的な視点からのアドバイスを受けた。
ただ、微生物のことをずっと考えていても、すぐに結果(良い便)がでるわけではない。それは、「健康的な食事などの捧げものをずっと送っているけれど返事がこない」ような感覚だったという。
「自分が主導権を握っているわけではなく、コントロールできない主体が自分の体の中にいて、その存在がやっと自分に返事を返してくれたという風に思ったときに、自分の身体に住む微生物がものすごく愛おしくなりました。『俺の菌ちゃんが返事をくれた!』という感覚になったんです」
この経験は、自分がコントロールしきれるわけではない存在と付き合うためのマナーや言語を学んでいく感覚に近かったという。酒井さんにとってこのプロジェクトが、個としての自分ではなく、多生物・集合体の一部としての自分を意識するきっかけとなった。
一方で、「自分の身体だからこそ何をしても自分の自由だ」という思考にも陥りやすいかもしれない。しかし、酒井さんは「自分の中に他者がいると考えると、自分の身体さえも他者化する感覚を味わえる」と話した。
科学的な検証ではなく、あくまで認識変容を目的にしたプロジェクトだったため、様々な要因が影響していると考えられるものの、実験後プロジェクトの参加者からは、「身体にペットを飼っている感覚になった」という声が上がり、日常の中で微生物の存在を意識できる機会となったという。現在も酒井さんは、自分の中に微生物がいることを意識し、微生物をケアすることを通じて自分の身体とのコミュニケーションを取ることを心がけるようになったそうだ。
Kin Kinプロジェクトに参加していない人でも、日常的に微生物を身近に感じるにはどうすれば良いのだろう。
「食事を変えたら自分の体調や排泄物はどのように変わるのかといった部分に目を向けたり、ぬか床、発酵、コンポスト、土壌に触れる、など様々な方法があります。特に、食事を変えることで自分の体がどのように変わるかを観察することは、重要だと思います」
重要なことは「自分が微生物を完全にコントロールできるわけではないこと」に、いかに気づけるかであると、酒井さんは力強く語った。その気づきが、自然との向き合い方を変え、「個」ではなく「多」である自分という存在を意識する鍵となるかもしれない。
微生物から学ぶ、地球への賢い「たかり方」とは
さて、ここまで聞くと、人間は体の中で微生物と共生している、と捉えられるだろう。一方で、人間の身体は微生物に勝手に利用されている、とも言えるかもしれない。
しかし酒井さんは、「微生物から、人間は地球に対する賢いたかり方を学べるのではないか?」と考えているという。「たかる」というメタファーについては歴史学者の藤原辰史さんが「『たかり』の思想 食と性の分解論」という論考で詳しく解説している。このような微生物の人間に対する「たかり方」は、人間が地球に同じように「たかる」ときに新たな視座をもたらしてくれるかもしれないのだ。
「微生物は、人間の身体という限られた空間の中でうまく機能するように生きていて、家である人間の身体を使い果たすということはありません。一方、人間は、家である地球を自分たちが住めない環境にしてしまったら立ちゆかないにもかかわらず、資源を破壊し続けています。これは、下手な『たかり方』です」
そうであるとすれば、私たちは微生物からどのように上手い「たかり方」を学ぶことができるのだろう。酒井さんは、良い意味で「利用しあう」関係が必要ではないかと話す。
「ケアなども大事にする一方、良い・正しい状態だけを求めていくべきではないと思います。人間が根源的に『たかっている』という認識は、自分達がちょっと『利用』しているような悪い存在であることを否定しません。
たとえば、インドに行った時に、猿や犬がそこらじゅうにいて『彼らが人間のスペースを利用している』という感覚がありました。ある意味、自分達も使われているんだなと。そうした利用し合いは『たかる』ために必要なのかなと思います」
その上で、自分達の住んでいるところがもっと良い状態になり続けていく「賢いたかり方」を具体化してみると、例えば、生態系が再生できるスピードに経済システムを移行したり、一方的に自然を収奪するのではなく「お返し」をしたりすることが挙げられるという。
人間は自然環境に依存しなければ生活できないからこそ、それを認めた上で、生態系との関係の在り方を見直し、より良い関係性を模索する。その過程で微生物や他の動物が自然とどのように共存しているのかを学ぶことは、最も大切で基本的な姿勢に立ち返ることに繋がるのだろう。
探究は終わらない。微生物が揺さぶる人間像とは
「自然と人間の境界線はぼかされている」と考える酒井さんにとって障壁となるのが、現代社会における主軸の言説となっている「人間と自然はまったく別物」という考え方だ。酒井さんは、人間と自然を強固に分断するこの思考の枠組みの根底には、二元論が存在していると指摘し、微生物の視点から、二元論的思考の解体に挑戦している。
「生態系がどう機能しているかを見てみると、気候危機の時代では、二元論的な思考はもはや使えないのでは、と思っています。そうであるとすれば、どういった思想に代わっていくべきか。この部分を探求したいと考えています」
その探求の一環として、酒井さんは、「学術的なアプローチから、微生物が揺さぶる人間像を哲学的に捉えてみたい」と話す。近代的価値観が思い描いている個人という概念は、「微生物の集合体としての人体」という知見を踏まえると、どのように変化しうるのか。また、人間であるということの意味はどのように変わってくるのか。
酒井さんは、腸内細菌が人間のメンタルヘルスなどに影響を与えていることなどをふまえると、「どこまでが自分の思想で、どこまでが微生物に影響された思考なのか分からない」現実が浮かび上がってくると指摘する。人間の思考にも微生物という他者が介入しているのだとすれば、これらの事実は従来の人間の定義をどのように揺さぶり、どのように他者との関係に影響してくるのだろうか。西洋的な人間像から離れて、どう異なる人間像を描けるのか。これらの問いを哲学的に探究し、現実世界にも繋げていきたいと考える。
「わたしは個であり、同時に多である」開かれ、繋がっていく世界
それでは、私たちの身体に住まう微生物たちの声に耳を澄ませ、微生物をケアするという視点と実践の先に、どのような未来が広がっていくのだろう。酒井さんは、「自分たちは色々な存在に依存していることをいかに思い出すか」が重要だと話す。
「問いとしてあるのは、自分たちは色々な存在に依存しているのだということをどうすれば思い出し、再び気づけるのだろうか、ということです。自分は自分の中に住んでいる微生物に依存しているし、他者にも依存しているし、生態系の働きにも依存している。アニミズムの考えを拡張していくと、物にも依存しています。そのような理解に繋がったときに、自分たちは依存先をケアできているかということや、依存している存在がちゃんと機能できているのか、といったことまで互いに責任を負いあうことが大切だと考えています」
このような問いを持った酒井さんの思索の先に広がるものは、「自分は個であり、同時に多である」世界だ。
その世界観は、インドへの留学を通じて得たチベット仏教の学びにも影響を受けている。チベット仏教では、「縁起」や「相互依存関係」が重要な言葉として登場する。これらの概念を酒井さんはこう教えてくれた。
「何事もそれ単体で存在しているものはなく、色々なものに依存している。周辺の環境に開かれて、常に繋がっている」
相互依存関係の状態で必要なことは、依存する側とされる側が互いに“ケア”の関係で結ばれることだ。
「自分たちは互いに繋がっているからこそ、依存先をケアするということはある意味自分自身をケアすることでもあります。微生物をケアするということは私たちをケアすること、究極的には地球をケアすることです。自分自身のなかにいる微生物たちのケアを考えることをきっかけに、地球の再生という実際的な変化まで、思想・実践を延長、拡大できれば良いなと考えています」
微生物が「人間という存在自体をぼやかす」ことに気づいた酒井さんは、微生物と人間というミクロな視点を、人間と地球の関係性というマクロな視点へと拡張させていく。「自分の身体は微生物のアパートなのではないか」という個人的な気づきを出発点に、人間と切り分けられない自然観に対する思索を深め、人間像の再考に挑み、そして二元論的思考の解体へと探究を深めていった。その先には「個であり多である」世界が広がっていく。
結局は、自分自身へケアのまなざしを向けることが、地球環境のケアへも接続されていく。その相互のケアの関係性は、実はすでに身近な、自分の身体と、そこに住まう微生物との間から始めることができるのかもしれない。
編集後記
取材を通して、実際に自分の考え方や、自然への向き合い方が変わっていくような感触があった。人間の身体に住まう微生物に着目するという視点は、私たち人間と自然の関係性の在り方に再考を促すだけでなく、世界への向き合い方そのものを変えうる力を持っているのかもしれない。まずは、自分の日常で微生物の存在を感じるところから始めてみたい。
「掘り下げていくと新しい水脈にぶつかる」と形容する果てしない探究心と鋭い洞察が、酒井さんを新たな地平へと誘う。微生物からみえる人間と自然の関係性、個であり多である世界。環境問題と一口に言えども、その根底に潜む問題の構図は、一見すると他分野と思うような問題とも通底している。交差する地平に浮かびあがるだろう諸問題の構造をしっかりと見極めたい。
【参照サイト】微生物を通じて世界を捉えることが、気候変動解決に与える可能性。Kin Kinプロジェクト主催「微生物中心の未来で気候変動を変える」|100BANCH
【参照サイト】Isao (22)@微生物|note
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Edited by Natsuki Nakahara