イギリスでは毎年11月、お金についてオープンに話し合うことを推奨するキャンペーン「Talk Money Week」が開催される。同キャンペーンは金融教育の推進や金融リテラシーの向上、行動変革を目的に、政府の独立機関である金融年金サービス(MaPS)が金融・教育機関や慈善団体などと協力して主催しており、開催期間中は全国の公共・商業施設や学校、銀行などで様々なイベントが実施される。
お金のリアルな話は、多くの人にとってタブーになりがちだ。しかし、同時にお金についての悩みや疑問について話し合う場は今後ますます重要になってくるだろう。
2014年に金融教育を義務化したイギリスでは、「Talk Money Week」をはじめ、多様な形式で金融教育が行われている。子どもの頃から金融リテラシーを高めることで長期的な資産管理スキルを向上させるだけではなく、根強い社会問題である貧困問題の解消も目指しているのだ。
金融教育の背景にある、イギリスの貧困問題
イギリスの貧困率は、社会経済状況や政策の変化により、上昇・低下を繰り返して来た。しかし、近年は生活費及び住宅費の高騰・賃金の低迷・福祉制度改革・人口増加・人種間の経済格差といった様々な要因が、貧困問題に拍車をかけている。
雇用年金省(DwP)の最新データによると、2022・2023年には人口の17%(1,140万人)が相対的貧困状態、14%(950万人)が絶対的貧困状態にあった(※1)。住宅費を考慮すると、この数字はそれぞれ21%・25%に上昇する。子どもの貧困率はさらに高い。長期的に見ると、1990年代後半以降、子ども・年金受給者・子どものいる世帯者の貧困率は減少傾向にあるが、扶養する子どもがいない就労世代の貧困率は上昇している。
一方で、貧困が貧困をさらに悪化させる負のスパイラルを示すデータもある。ジョセフ・ロウントリー財団(JRF)の調査では、2023年5月の時点で約600万世帯の低所得層が平均2,600ポンド(約49万円)の無担保負債を抱えており、年間平均680ポンド(約13万円)の利息を払っていることが判明した(※2)。ローンの主な用途は生活費の支払いだ。家賃や光熱費を払ったり食料品を購入したりするために借金し、その借金をまた新たな借金で返すという生活を余儀なくされているのだ。
経済的幸福度と金融リテラシーは比例する?
貧困問題の原因の一つとされているのが、人々の金融リテラシーの低さである。イギリスの成人の金融リテラシーはOECD(経済協力開発機構)の平均を大きく下回っており、英国の金融業界団体UK Financeの調査(※3)では「学校でお金についてもっと学んでおけば、特に経済的困難に直面した際、より適切に対応できた」と考えている成人が推定7割近くいた。
このような背景から、イギリスにおける金融リテラシーの向上は資産運用・将来設計といったポジティブな側面だけではなく、貧困の連鎖を断ち切るための手段の一つとしても重視されている。さらには、貧困リスクを下げることにより、生活の質や個人の幸福感を向上させる狙いもある。
実際、経済的幸福度(所得・生活水準・生活の質・幸福など、包括的な幸福度を測るための指標)の高い人は何らかの金融教育を受けていること、経済的幸福度が心身の健康にも大きく影響することが複数の調査で明らかになっている。例えば、OECDが世界39カ国を対象に実施した「2023年国際成人金融リテラシー調査(※4)」は、金融リテラシーが高い人は低い人と比べ、経済的幸福度や経済的回復力が高いことを示唆している。
もちろん、金融リテラシーが高いからと言って経済的に安定した生活が送れる保証があるわけではなく、低いからと言って必ずしも経済的窮地に陥るというわけでもない。また、経済的に安定している人が必ずしも心身共に健康であるとは限らない。しかし、金融リテラシーの向上が経済的な意思決定や生活の質に与える影響を示す多くの調査結果は、その重要性を強調するには十分ではないだろうか。
「セーフティネット」としてのイギリスの金融教育
金融リテラシーは一夜にして習得できるものではない。実生活に必要なお金の知識・スキルを早い段階で身に着けることは、将来の経済的な意思決定スキルの向上に役立つ。さらに、社会的弱者や低所得層がより多くの経済的選択肢を得られるようになり、貧困や経済格差の解消も期待できる。
イギリスでは、貧困の予防と経済的安定の促進を目的として、「早期からお金に関する実践的な学び」を重視し、10年前から金融教育が中学校のナショナル・カリキュラムに組み込まれている。
また、政府が金融教育を補完する要素として、「起業家教育」をPSHE(Personal, Social, Health and Economic education:個人的・社会的・健康的・経済的知識やスキルを学ぶことを目的とする教科)に組み込むことを推奨している点も特徴だ。起業スキルを教えることにより、子どもたちが将来自ら事業を立ち上げ、収入源を確保し、自尊心を高め、より良い社会生活に参加できるよう支援することを目的としている。
実際に金融教育で教えられていること
それでは、実際にどのような知識やスキルが、学校で教えられているのだろうか。
カリキュラムやアプローチは学校により異なるが、近年は政府の独立機関や多数の金融機関や自治体、支援・慈善団体などが提供している子ども・若者向けの金融教育ガイダンスに加え、実践的なプログラムやワークショップなどを利用する学校が増えており、学習法が多様化している。
小学校:算数のカリキュラムでお金を学ぶ
小学校の金融教育は義務付けられていないが、多数の学校が早期にお金の価値や仕組みに対する理解を促す意図で、算数のカリキュラムにお金に関する学習を組み込んでいる。
例えば、小学校では「1ポンド+3ポンド=4ポンド」というように、数字の数え方や計算をお金に置き換えて学ぶ。或いは、お店屋さんごっこや銀行ごっこ、ビジネス商談ごっこといったロールプレイング、ピギーバンク(ブタの貯金箱)など、様々な方法を用いて、子どもが楽しみながらお金の知識・スキルを身に着けられる工夫がなされている。
因みにピギーバンクとは、良い行いをした生徒がおもちゃのコインやチケットを受け取り、絵に描いたブタの貯金箱に貼り付けて貯金をするというものだ。一定の期間に最も多く貯金した生徒は、先生から利子(お菓子などのご褒美)を貰える。
さらに、金融機関が提供しているプロジェクトとして、Virgin Moneyが主催する「Make £5 Grow(5ポンドを増やそう)」などがある。これは、9~11歳の子ども達が5ポンド(約950円)を元手にビジネスを立ち上げ、商品・サービスの販売から利益を得て、さらにその利益を再投資や社会貢献に活用するというプロジェクト。これまでに2,000校が参加している。
中学校:貯蓄や資産計画まで
中学校(11~16歳)では数学・シチズンシップ(市民)教育・PSHEに金融教育が組み込まれており、収入と支出・クレジットと負債・保険・貯蓄と年金・金融商品とサービス・税金・投資など、多様なお金に関する知識を生徒に教えることが義務化されている。
多くの学校は生徒が自分で考え、実際の体験を通じて金融スキルを強化できるように、プロジェクトやシミュレーション、ワークショップなどで学ぶ「金融チャレンジ」を実施している。
例えば、架空の予算内で支出を見直し、貯蓄する方法を見つけたり、お金を借りる理由や方法についてのディスカッションを行ったり、将来の目標を達成するために長期的な資産計画を立てたりする。リスクを考慮しながら架空のお金を株式・個人年金・ISA(税制優遇の貯蓄・投資口座)・普通預金・不動産などに分散投資し、リターンを狙うといった、本格的な資産運用シミュレーション・プログラムを採用している学校もある。
また、数学の授業では、利子計算・予算計算・税金及び給料明細の計算法など、将来の家計管理に役立つお金の計算法を教えている。
金融教育で社会的インパクトを。ホームレス状態の人々の支援を行う、Big Issueの取り組み
近年は、より効果的で包括的な金融教育を目指す、新たなアプローチも広がっている。イギリスの金融教育の新たな潮流を引導しているのは、英国のホームレス状態にある人々や生活困窮者の自立支援活動を行うBig Issueのような社会的インパクト企業だ。同社は「金融インクルージョン」と「貧困防止対策」の一環として、より早期の金融教育を推奨している。
最近の取り組みの一つは、子ども(8~14歳)向け雑誌『The Week Junior』との提携だ。無料マガジン『Pocket Money(お小遣い)』の発行を通して、夏休みのお小遣いの使い方・節約方法に関するアドバイスや、読者が提案する「テイラー・スウィフトのようにお金で変化をもたらす方法」を掲載するなど、子ども達が金融教育を身近に感じながら、自然に実践的なお金の使い方・貯め方・増やし方を学べる機会を提供している。
金融教育は、貧困対策としてどのくらい効果を発揮しているか
イギリスにおける金融教育の歴史はまだ浅いため、貧困対策としてどのぐらいの効果を発揮しているのかを知ることは難しい。これまでのところ、金融教育の成果を示す多数の調査結果が報告されている一方で、金融教育が十分に行き渡っていない点を指摘する声もある。
例えば、2023年に発表されたMaPSの調査では、対象となった子ども・若者の47%が「学校で金融教育を受け、それが役に立ったと感じている」と回答。一方、HSBCの調査では、6~14歳の子どもの51%が「将来のために貯蓄することが重要」、55%が「将来マイホームを所有したい」と考えており、61%が「5ポンドを貰ったら貯金箱に入れる」と回答した。つまり、若い世代のお金に対する意識改革を通して、未来の貧困予防策に貢献していると言えるだろう。
このようなポジティブな成果が見られる反面、金融教育が義務化された世代(16~25歳)の5分の3が金融リテラシーが低く、6割以上が「学校で金融教育を受けたことを覚えていない」という調査結果が報告されている(※6)。コロナ禍のロックダウンにより、十分な金融教育を受ける機会を逃した子どもも多い。小学校の金融教育は義務化されていないため、主に一部の裕福な地域の小学校のみが導入しているという「金融教育格差」も生じている。
こうした課題を解決し、イギリスの金融教育により大きな変化をもたらすために、対象年齢を小学生へ引き下げるよう提案する声も高まっている。実際、子どものお金に対する考え方が7歳までに形成され、金融リテラシー格差が11歳で顕著に現れることを示すMaPSなどの調査結果もある(※7)。
まとめ
イギリスの貧困問題は個人の経済状況だけではなく、複数の要因によるものであり、金融教育が唯一無二の解決策となるわけではない。「借金を返済したり投資でお金を増やしたいが、食べていくことすらままならない」という声も多い。
今後、生活費支援・社会保障制度改革・住宅政策の強化・雇用市場の安定化・健康格差の是非など、より包括的なアプローチと革新的な改善策が必須となるだろう。その一方で、金融リテラシーの向上が、経済的な困難に対処し、長期的な経済自立を促進するための重要な要素であることは疑う余地がない。未来の貧困を防止し、個人の生活の質や幸福感を促進するという観点で、早期の金融教育が持続可能な社会の構築に大きな役割を果たすことに期待したい。
※1 Poverty in the UK: statistics
※2 FACT SHEET: Dangerous new phase for families in debt – UK’s economic insecurity by numbers
※3 Financial Education Report 2024
※4 OECD/INFE 2023 International Survey of Adult Financial Literacy
※5 Abrdn launches first Savings Ladder Index
※6 Financial Education In Secondary Schools In The UK
※7 Financial education in schools
【参照サイト】Social Market Foundation: Publication Investing in the future: The case for universal financial education in the UK
【参照サイト】House of Lords Library: Financial education in schools
【参照サイト】Virgin Money: Make £5 Grow
【参照サイト】Teaching Times: Financial Education In Secondary Schools In The UK
【参照サイト】Big Issue: Britain has a serious money problem. Financial literacy must be taught in primary schools
【参照サイト】Talk Money Week
Edited by Megumi