【後編】都会人と自然をつなぎなおし、インナーネイチャーを育む。東京山側の場「自然人村」の可能性

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「まんまとやられましたよ」

サウナを堪能し、火照った頬に脱力した身体、完全に“ととのった”状態で現れたのは一般社団法人Ecological Memes(エコロジカル ミーム)代表の小林泰紘さんだ。

ここは前編記事の対談舞台でもあった、新宿から電車で約1時間、東京都あきる野市の深沢エリアに位置するWilderness(ウィルダネス)リゾート「自然人村」。東京とは思えない豊かな自然のなかでのサウナやキャンプ、タイニーハウスへの宿泊など、自然に癒しやリフレッシュなどを求め訪れる人々で連日賑わいをみせている。

一方で、自然人村をはじめとして、地域で多角的に事業を展開する株式会社do-mo代表の高水健さんは、「自然を楽しむ」を超えた、この場や土地のより濃く深い魅力や価値を届けるべく、新たな取り組みの模索をはじめている。

そこで今回は、人と自然の関係性を問い直し、これからの時代の人間観やビジネスの在り方、社会実装の方法論をさまざまな領域を横断しながら模索するEcological Memesの小林さんを現地に招き、探索を通して自然人村の可能性の深掘りを試みることにした。本記事では、その探索の様子をお伝えする。

(左)高水建さん(右)小林泰紘さん

(左)高水建さん(右)小林泰紘さん

話者プロフィール:高水健(たかみず・けん)さん

1990年東京都あきる野市五日市生まれ。「東京の森にdo-moをお返しする」を哲学に据え、雄大な自然をそのまま残すあきる野市を、事業を通じて受け継ぐチーム、株式会社do-moの代表取締役。町おこしの第一人者として五日市を盛り上げるイベントを企画・実行する父の元で幼少期を過ごす。少年時代からプロ野球選手を志し、大学まで野球に没頭。新卒で入社したスタートアップでは2年でトップセールスになるも、心に芽生えた違和感と向き合い独立。2016年にdo-moを設立。先代である父が運営してきたアウトドア施設をM&Aの形で受け継ぎリブランディングを果たす。そのほか、飲食店が少なかったエリアで地産地消を体現するカフェ・レストラン3店舗を企画・運営、日本有数の紫陽花山である南沢あじさい山を事業継承するなど、あきる野市に新たな観光コンテンツや関係人口を創出する事業を展開している。

話者プロフィール:小林泰紘(こばやし・やすひろ)さん

人と自然の関係を問い直し、人が他の生命や地球環境と共に繁栄していく未来(リジェネレーション)に向けた探究・実践を行う共異体 Ecological Memes代表/発起人。インドやケニアなど世界28ヶ国を旅した後、社会的事業を仕掛ける起業家 支援に従事。その後、個人の生きる感覚を起点とした事業創造や組織変革を幅広い業界で支援したのち、独立。現在は、主に循環・再生型社会の実現に向けたビジョン・ミッションづくり、事業創造、リーダーシップ醸成などを支援・媒介するフリーランスのカタリスト・共創ファシリテーターとして活動。座右の銘は行雲流水。一児の父。趣味が高じて通訳案内士や漢方・薬膳の資格を持つ。環境再生型コミュニティ農園「かすかべ農園」園主。『リジェネラティブ・リーダーシップ』を日本に伝え、実践・深化させるため、講演・アドバイザリー活動や経営支援、リーダーシッププログラム等も展開している。

口伝されてきた伝説から見る場の背景

自然人村は、高水さんの父親が、まだバーベキューやキャンプが今ほどメジャーではなかった1995年に、地域から委託を受ける形で先駆的に始めたキャンプ場だった。「自然の荒々しさやありのままの摂理を大切に、この場でありのまま(自然人)の自分に立ち帰ってほしい」といった願いからこの名がつけられたという。その後、2020年に高水さんが事業を譲渡ではなく買収するかたちで継承し、現在に至っている。

高水さん「事業継承後、この場所の自然をもっと堪能してもらえるようにと考えてサウナやタイニーハウスを増設しました。私自身があきる野出身ということも影響して、do-moでは各事業を『地域の資源を活かして、訪れた人たちに地域の魅力を届けたい』という想いで運営してるので、今回増設した2つの施設にも地元の多摩産材を用いています」

タイニーハウス(左上)とサウナ(右上)。どちらも多摩産材でつくられている / Image via do-mo

タイニーハウス(左上)とサウナ(右上)。どちらも多摩産材でつくられている / Image via do-mo

その他にも、自然人村のエントランスのカウンターには地域の土が活用され、サウナでは深沢エリアでdo-moが別事業として運営する「南沢あじさい山」に咲くあじさいからつくられたお茶のロウリュウが楽しめるなど、あきる野の自然資源が施設内にふんだんに活かされている。

そんな自然人村を、高水さんの案内のもと歩きながら、小林さんがこの土地の背後にある文脈を手繰り寄せるような問いを投げかけていく。

小林さん「サウナの後に目の前の渓流に入ったのですが、川魚もたくさん泳いでいました。その後、この滝壺にも来て滝壺浴を堪能させてもらったのですが、結構深いですよね。ここから源流までは辿れますか?」

サウナ後の滝壺浴

自然人村内の滝壺 / Image via do-mo

高水さん「自然人村でしかできない唯一無二の体験を考えているなかで、滝壺が頭に浮かんでサウナをつくったので、滝壺まで行ってくださって嬉しいです。滝壺は深いところで2メートル30センチ、水が増えると3メートルほどになることもあります。流れているのは秋川の支流の三内川(さんないがわ)ですね。源流にも辿れます。滝壺の上には穴澤天神社があるのですが、地域の人たちのあいだでは天王様と呼ばれていて、滝壺は天王渕と呼ばれています。また、滝壺には、河童が住んでいたと言い伝えられています」

小林さん「ということは昔は結構水に引き込まれてしまう事故も多かったのではないでしょうか。河童の伝承は地域によっても様々ですが、水難防止への願いや水霊信仰と深い関わりがあることが多いです。このあたりは地形的にも増水しやすい場所で、穴澤天神社も水神を鎮める神社とも伺いました」

高水さん「そういえば父が昔『かっぱとだんご』という紙芝居をつくって地域で読み聞かせのイベントをしていました」

(左)小林泰紘さん(右)高水建さん 滝壺の前に2人で立っている。

小林さん「河童に関わる言い伝えは、水とのお付き合いの仕方の知恵ですよね。例えば、『ここは河童がいるから泳いではいけない』といった伝承や民話は、子どもたちを水難から守ったり水に引き込まれやすい場所を伝えるためだったりします。父さまはこの地域のそうした知恵を伝える『カッパおじさん』だったのかもしれないですね」

地理や歴史から辿る土地の物語

滝壺から施設内を流れる三内川のうえにかかる小さな橋のうえに場所を移して、話はつづく。

小林さん「『かっぱとだんご』以外に地域で語り継がれている話や、地域の人が大切にしている神社などはありますか?」

高水さん「神社もお寺も結構多いのですが、この近くの人がよく行くのは、阿伎留神社ですね」

秋川渓谷沿いの神社

多摩川の支流である秋川渓谷沿いの神社 / Image via Googlemap

小林さん「なるほど。秋川の二重蛇行を見おろす段丘にある神社なんですね。東京だと石神井川などにも大蛇伝説がありますが、川の重要な蛇行点には祠や神社があることも多く、穴澤天神社と同様に水神を鎮める役割があるのかもしれませんね。あと、調べると『阿伎留(あきる)』は水田の『畦を切る』に由来するという説もあるんですね。肥沃な氾濫原がもたらす実りへの感謝や川への畏怖畏敬など、水に関わる古くからの信仰あるのかもしれません

あきる野の位置する五日市エリアは、江戸時代は木材や炭のまちとして、渋谷などより早くに栄えていたといいますが、当時のことはどんな風に地域の人々の間で語られていますか?」

高水さん「都会の人が来ると『渋谷が村だったときに、五日市は街だった』と言う方もいます。そのことを誇りに思っている人は結構いると思いますね。当時は、木を切って筏を組み、木材を秋川から多摩川をつたって流したり、炭をつくったりして、江戸を中心に販売していました。商人の行き来も盛んだったようです。

父も私が小学生くらいのときまで炭焼きをしていて、自然人村にも釜があり、バーベキューにも自家製の炭を提供していました。裏にあった竹を取ってきて割るなど、よく手伝っていましたね。キーンキーンという備長炭の高い音も覚えています。林業は今も残っていますが、炭焼きは一軒をのぞいて無くなってしまいました。またこの場所でもやりたいなとは思いますけどね。煙が結構出るのでどうかなと……」

(左)高水建さん(右)小林泰紘さん

小林さん「炭焼きの職人さんも全国的に少なくなっていますよね。地域によっては一昔前まで各家庭で炭焼きをしていた、というような地域もあって。そこには薪炭林として活用しながら裏山に手を入れ、保水力と生物相の豊かな雑木林を育む暮らしの知恵があったはずなんです。

あと、この辺りの多摩川上流エリアは、江戸の人々にとって重要な水源林であり、修験の山でもあり、幕府のお留山として木を切ることが禁止されていたこともあって、そこまで奥山にいかずとも巨樹が多い。樹齢の長い巨樹は、マザーツリーとして森林生態系において非常に重要な役目を果たしていて、土中に広がる根っこは菌類とつながり、そうした菌糸ネットワークを通じて栄養素を運び他の木々の健康を支えています。山の保水力は土壌微生物や根系や菌類たちの営みにより保たれていますから、そうしたことを昔の人は経験的に知っていて巨樹を残したり手を合わせてきたりしてきたのでしょうね」

高水さん「おっしゃる通り深沢には、樹齢300年の大樫や千年の契り杉と呼ばれる大杉などが残っています。do-moでも今後、より深く深沢の自然に触れてもらえるよう、自然人村への滞在者をご案内できるようにしていきたいと考えています 」

土地の記憶や人の営みを体感する体験を

自然人村からほど近くにある「南沢あじさい山」は、do-moが2017年に地域のおじいちゃん南澤忠一さんから紫陽花の管理技術を承継したうえで、運営を担っている場所だ。自然人村から徒歩15分、車で5分ほどに位置する。

「家族のお墓までの道のりをあじさいでいっぱいにしたい」と50年にわたって忠一さんは花を植え続け、今では季節になると1万株を超えるあじさいが山を覆い、多くの人が訪れる深沢エリアの観光名所となった。忠一さんは、2023年に93歳でご両親の元へ旅立ったが、あじさい山はdo-moが引き継ぐことで今も美しい風景を保ち続けている。

忠一さんとあじさい山

南澤忠一さんとあじさい山 / Image via do-mo

小林さん「あじさい茶をいただきましたが、甘く香ばしい良い香りがしました。あじさい茶のロウリュウも、忠一さんのお話を知ったうえで入ると、ロウリュウとともに忠一さんの記憶が自分のなかに流れ込んでくるような感じがして。土地の記憶や人の営みを体感できるとても良い体験でした。現状は自分で調べないとこうした背景を知ることができないと思うのですが、あじさいロウリュウに限らず、背後にあるストーリーや文脈をつなげてあげると、体験価値が一段と深まりすよね」

あじさい茶のロウリュウ

自然人村のサウナで体験できる、あじさい茶のロウリュウ / Image via do-mo

訪れたのは10月末で、あじさいの花は咲いていなかったが、忠一さんが一株一株願いをこめてあじさいを植える姿と、初夏に鮮やかに咲き誇る花々を想像しながら、お墓に手を合わせた。

インナーネイチャーを取り戻し、人と自然をつなぎなおす「自然人村」の可能性

ここまで自然人村そして南沢あじさい山を実際に訪れながら、この土地の文脈を手繰り寄せるように対談を進めてきた。多摩産材のサウナに入り忠一さんの山のあじさい茶ロウリュウを体感し、タイニーハウスで一夜を過ごしたうえで場の背景に触れた小林さんが、ぽつりぽつりとこの場所の可能性を語りはじめた。

小林さん「自然人村には体験として素晴らしいことが沢山あると思います。ここからより深い価値を届けていくには、自然人村のある秋川や秋留台地というこの土地とつながる入口や、そのつながりの価値や意味をどうつくるかが重要になってきます。

地図を眺めながら思っていたのですが、あきる野エリアは山間部の奥多摩と平野部の大地をつなぐ丁度『あいだ』にある場所ですよね。この地理的な特徴を踏まえると、自然人村のあるこのエリアは『都市部の人と自然』というこれまで切り離されてきた存在が交わり、つながり直すきっかけとなり得る場所なのではないでしょうか。

自然人村の地図上の位置関係

Image via Googlemap

無限成長を前提とした従来の株主資本主義的なビジネスの役割が終焉し、次の時代の新たなモデルを多くの人たちが模索しはじめているなかで、サステナビリティやサーキュラーエコノミー、リジェネレーションなどの言葉が広がっていますが、『なんでこれやるんだっけ』と腹落ちしていない人も多い。それは身体実感が伴っていないまま頭での思考や概念が先行してしまっているからで、自然との内なるつながりを取り戻さないことにははじまらない時代なのではないかと思うのです。

自然とつながり、自然環境の変化に気づける身体を取り戻してゆけば、『あれ、なんか今年は紅葉の時期が違うな』『川の水の透明度や雪の溶け方が変わったな』と、感受できるサインや見方が変わっていく。気候変動でも生物多様性でも、会議室で話をしているだけだと本当は仕方がなくて、自然のなかに身を置き、自然の声や変化に応答できる土台を整えたうえでようやく、少しずつ本質的に変化に向かうことができるのです。

小林さん

小林さん

サウナがこれだけブームになって多くの人に必要とされているのも『生きるリズムや不調和を整えないと生きていけない』というサインですよね。本当は生き物として、自然の一部として生きるいのちのリズムを誰もが持っているわけですが、現代社会の働き方や暮らしがあまりにそうしたところから離れた人間中心のリズムで走ってしまっている。その結果が不調和として身体に現れて、崩れたバランスを取り戻すためにサウナを必要とする人が増えているのではと。どうしたらもう一度、自然のリズムや生態系のリズムのなかに、人の暮らし方や働き方などの営みを位置付け直せるのかが問われているのが、リジェネレーションの時代だと思うんです」

高水さん「私も大学卒業後、東京都心部で2年間営業として働いていたことがあるんですが、途中で『無理だな』と思ったんですよね。小林さんとお話していて気づいたのですが、都心で働きながらそう思ったのは、子ども時代に自然のなかで遊び育った原体験や、自然のなかで暮らしてきたリズムと、都会の人間中心のリズムの差に、耐えられなくなったからだったのかもしれないなと思いました」

小林さん「企業のリーダーシップ研修や事業構想のプロジェクトなどをやっていると、多くの人のなかに高水さんのような原体験や違和感があるんです。だからこそ、会議室を飛び出して自然とつながることで、蓋されていた根源的な想いやビジョンがたくさんでてくる。

そんな風に自然との接続点が戻ってきた状態で、新しい事業のアイディアとかこれからの会社のミッションを紡いでいくと、みんなイキイキとしてきて溢れるエネルギーが全然変わってくるんです。こうした内なる生命力や生きる実感が、これからのビジネスの駆動力で、自然人村がそうしたつながりを思い出すきっかけの場所になるといいですよね」

自然人村の滝壺付近

高水さん「今自分のなかで、『自然にあるものが都会に搾取されてしまっている』という感覚が強くあります。お店に並ぶ商品も、建築も、水道から出る水も、自然が入口で都市部に出ていっているのに、今はあきらかに都市部にある便利さのほうが上で、自然はそれより下というか。でも、都市部にある便利なものでは満たされないことが多くあるわけですよね。

だからこそ自然人村を起点に、都市部の人が山とか自然とつながる接点をつくっていくことで、都市部の人に自然は自分の生活の一部なんだという感覚を持ってほしいし、サウナひとつとっても自然があるからこそ楽しめるのだということを伝えていきたいです」

高水さん

高水さん

小林さん「サウナも、例えば山から木を切り出してきて薪を割って、それで自ら起こした火でととのう体験ができてもいいですよね。あとは、野山に入って、野草などを摘んできて、それを蒸留や蒸すなどしてサウナで体験できるなど。

どういった木を焚き付けるか、どういった野草を蒸すかで、火の感じや香りが変わる感覚を体感したり。過程も含めて関わってもらうことで、ここの山や植物とつながっていくことができますし、体験の深度も深くなる。山の状態や変化に触れるきっかけにもなる。すると、単に提供されたサービスを享受する消費者としてではなく、この土地とつながった関係者として、この環境を保つために何ができるかを一緒に考え、関わり続けてくれる人もでてくるかもしれない。

こうしたフィールドが東京にあるというのが、ものすごく大事なことだと思っています。全国各地に、自然とつながりなおす体験ができる素晴らしい場所は、たくさんあると思うんですが、距離が離れすぎていたり飛行機に乗ってしまうと身体感覚は一度途切れてしまう。でもここだったら、都心から電車で1時間程なので、都内に住む人でも身体感覚を保ったまま行き来ができる。日々の仕事や暮らしの中で目の前を流れる水が多摩川の源流とつながっていることに気がつける。

自然人村、三内川

それに、多摩川の水は、利根川と共に、東京都民の生命を支えています。人間の身体は半分以上が水分でできていますから、東京の道ゆく人たちのなかには、多摩川の水が流れているわけです。自然とのつながりを取り戻し、自分の中のインナーネイチャー(内なる自然)の感覚を再び育んでいくうえでもこの事実を認識することは非常に重要です。

『多摩川の中に私たちがあり、私たちの中に多摩川がある』こうした感覚を取り戻す場所としても、この地が果たせる役割はあるのではないでしょうか」

編集後記

対談中、do-mo代表の高水さんの口からは、ネイチャーポジティブ、生物多様性、環境問題といった言葉は一切出てこなかった。しかし取り組みや発言の節々からは、一貫して「利他」の精神が見て取れた。自然を含む自分以外の対象の喜びや豊かさを、極々ナチュラルに身体の根っこから願っているように筆者の目には見えた。

それは高水さんが生まれたときから、この東京・あきる野という土地のリズムのなかで、先人の知恵や周辺の自然環境に生かされていることを体感しながら生きてきたがゆえに育まれた感覚なのだろう。

しかし仮に都会に生まれ都会で育った人だとしても、小林さんがいうように、誰しもが生き物として自然のなかの一部として生きてきたリズムをもっている。この記事を読み終えたら、まずは外に出てみよう。

目をつむり風を感じて、一息ついたら目を開けて、草木の揺れに目を向けて、水道をひねって水を一口。

少しずつ、つながりなおしていけるといい。

対談を終えた帰り道、自然人村の入口に位置する穴澤天神社に小林さんがゆっくりと手を合わせた。それは、見えざる存在も含めた自然に生かされていることを、身体的にわかっている人の祈りの姿だった。

自然人村入口の穴澤天神社

写真撮影:cicaco

【参照サイト】自然人村
【参照サイト】株式会社do-mo
【参照サイト】一般社団法人Ecological Memes
【参照サイト】水利学研究試論/東工大学研究員 市川新
【参照サイト】東京都産業労働局農林水産部森林課/江戸時代の東京にあった2つの林業地
【参照サイト】東京都あきる野市/村明細帳と寄場村「五日市」
【関連記事】自分らしさの追求が、社会の持続可能性につながる。「Ecological Memes」が提示する、生き方のヒント
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