【前編】都心から1時間の森林が持つ役割って?東京山側で自然との“関わりしろ”を作る、do-moと東京チェンソーズ

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「東京」と聞いてパッと思い浮かべるのは、どんなイメージだろうか。

立ち並ぶ高層ビルや、夜も眠らない繁華街。あるいは、朝の満員電車や、大勢の人が行き交う駅の喧騒かもしれない。

しかし、ご存じだろうか。そんな東京が、樹齢70年を迎える潤沢な木々が生い茂る森を持つ、世界を見渡しても稀有な都市だということを。

自然人村周辺の森林

「東京山側」と呼ばれる、東京の西側一帯を流れる多摩川の源流域。その森林地帯の面積は約5万3千ヘクタール、都の森林の総面積の7割を占める。戦後植えられた樹齢70年の木々が生い茂る山々には多様な動植物が生息し、生物多様性の保全においても重要な地域とされている。

そんな東京山側を拠点に、豊かな自然の価値を高めながら、人と自然との“関わりしろ”を作ることで、森と人との間をつなごうとする事業者がいる。東京の森林への“玄関口”とも言えるあきる野周辺地域にて事業創造やブランディングを行う株式会社do-mo(以下、do-mo)と、多摩地域西部に位置し、島しょ部を除いて東京都唯一の山村である檜原村を拠点に林業を行う株式会社東京チェンソーズ(以下、東京チェンソーズ)だ。

アプローチは違えど、同じエリアで自然を基盤とした事業を展開する2社には、普段から交流があるという。今後は事業を通した連携も見据えているという2社が考える東京山側ならではの価値や役割とは、どのようなものなのだろうか。

東京チェンソーズ代表・青木亮輔さんと、do-mo代表・高水建さんが、do-moの運営するアウトドア施設「自然人村」を舞台に、語り合った。

(左)高水さん(右)青木さん

話者プロフィール:高水健(たかみず・けん)さん

1990年東京都あきる野市五日市生まれ。「東京の森にdo-moをお返しする」を哲学に据え、雄大な自然をそのまま残すあきる野市を、事業を通じて受け継ぐチーム、株式会社do-moの代表取締役。町おこしの第一人者として五日市を盛り上げるイベントを企画・実行する父の元で幼少期を過ごす。少年時代からプロ野球選手を志し、大学まで野球に没頭。新卒で入社したスタートアップでは2年でトップセールスになるも、心に芽生えた違和感と向き合い独立。2016年にdo-moを設立。先代である父が運営してきたアウトドア施設をM&Aの形で受け継ぎリブランディングを果たす。そのほか、飲食店が少なかったエリアで地産地消を体現するカフェ・レストラン3店舗を企画・運営、日本有数の紫陽花山である南沢あじさい山を事業継承するなど、あきる野市に新たな観光コンテンツや関係人口を創出する事業を展開している。

話者プロフィール:青木亮輔(あおき・りょうすけ)さん

1976年大阪生まれ。1999年東京農業大学農学部林学科卒。学生時代は探検部に所属し、モンゴル国洞窟探査やチベットでメコン川源流航下などの活動に熱中する。卒業後、1年間の会社勤めを経て、2001年に林業の世界へ。2006年、所属していた地元森林組合から仲間とともに独立し、東京チェンソーズを創業。森林整備事業や木材販売事業を中心に、「東京美林倶楽部」「森デリバリー」「MOKKI NO MORI」などの事業も展開。2023年5月より檜原村議会議員。株式会社東京チェンソーズ代表取締役、(一社)TOKYOWOOD普及協会専務理事。座右の銘は「林業に縛られず、林業にこだわる」。

東京山側の自然と共に事業を育む二人が語る、東京の森の価値

do-moは、事業を行うあきる野市で生まれ育った根っからの“土地の人”である高水さんが、2016年に始めた事業だ。地域での飲食店事業から始まり、東京の森と人の創発空間をコンセプトとしたサウナ・アウトドア施設である「自然人村」や、あきる野市の有名な観光名所で近年梅雨の時期には一万人近くが訪れるようになった「南沢あじさい山」の管理・運営、その紫陽花を活かした製品の開発やイベントなどを行っている。

自然人村。サウナの後の水風呂は、目の前の渓流や滝壺へ。奥にはキャンプサイトも。 

自然人村。サウナの後の水風呂は、目の前の渓流や滝壺へ。奥にはキャンプサイトも。 / Image via do-mo

近年、新しい飲食店や施設を続々オープンさせ、話題に事欠かない同社ではあるが、実は、どっしりと地域に根付いてきた。

例えば、この日の対談場所にもなった自然人村は、過去50年以上にわたり深沢地域の自治会が運営してきたもの。そこでキャンプ場経営を担っていた父・高水秀夫さんから、高水さんがM&Aで事業を継承した。現在はそのキャンプ場を、多摩産材を使ったタイニーハウスや、近年ブームになっているサウナを作るなど、アップデートした形で運営しているのだ。

また、南沢あじさい山は、もともとは地元の方々から「ちゅういっちゃん」と親しみをもって呼ばれていた南沢忠一さんが、半世紀にわたり一人で紫陽花を植え、作ってきたものだ。do-moはそれを、忠一さんに手入れの方法を学んだうえで引き継ぎ、あじさい山のストーリーを伝える立て看板や、山を一望できる休憩スペースを作るなど、アイデアを加えながら大切に維持しているのだ。

また、あじさい山の紫陽花を使った「あじさい茶」や「あじさいジェラート」といった製品も開発し、見るだけではない紫陽花の味わい方を訪れる人に提案している。

南沢忠一さん 

南沢忠一さん / Image via do-mo

一方、2006年に檜原村で創業した東京チェンソーズは、ビジネスとしての持続可能性を考え、補助金のみに頼らない林業を行おうと、植林や木の育成、伐採といった一般的にイメージされる林業に加えて、林業と人との“関わりしろ”を作る新たな取り組みをいくつも重ねてきた企業だ。

例えば、通常は丸太になる幹の部分(全体の50%程度)しか使われない伐採木において、枝や葉などのあらゆる部位に新たな価値を見出して活用する「1本丸ごと販売」や、林業ならではの視点を取り込んだ自社ブランド製品の開発、親子できこり体験と学習机作りを体験できるプログラム「6歳になったら机を作ろう」といったイベントなど、森林の価値を最大化することや、子どもから大人まで、人生のさまざまなタイミングで森林と関わってもらうことを大切に事業を行っているという。

東京チェンソーズの事業のイメージ。(左上)木を伐採する人(左下)木の一部を使ったテーブル(右上)木材で作った椅子(右下)木を伐採する女の子

(左下)Image via 山路哲夫建築設計事務所 (他) / Image via 東京チェンソーズ

そんな2社が舞台とする東京山側の森林は、6割が戦後復興のために植林されたスギなどの人工林だ。それらの木々は今、樹齢60年から70年を迎え、年々太く大きくなり、戦後最大の蓄積量(※1)と言われるほど潤沢な状態に達しているのだという。

※ 木材資源の量のこと

今の時代にこうした樹齢を迎える木々が生い茂る森林が維持されているのは、木材需要が跳ね上がったバブルの時期に木々の樹齢が20〜30年とまだ若く、その時期に伐採を免れたからだと青木さんは話す。

青木さん「木材需要に応えられなかったがゆえに、『山の木が守られた』とも言えるわけですね。バブルがもう20〜30年遅かったら、ここらへんの木も切られてしまっていたと思います。

荒れていない自然や街が残っているって、すごい武器だと思うんですよね。そんな良い時代に、この土地の自然をフィールドに事業を展開していける僕らは、とても恵まれていると思うんです」

青木さん

青木さん「今の子どもたちが僕らと同じ年代になる頃には、ここは樹齢100年の木が生い茂る、またフェーズの違う自然になっていく。だから、自分たちがその世代に森林をどうつないでいくのかも、とても大事だと思います。だって、世界に名だたる都市であるこの東京に、樹齢100年の森が広がっているって、めちゃくちゃすごくないですか?」

高水さん「素敵ですね。改めて考えてみれば、あきる野の事業者はみんな、そうした自然の恩恵を受けていると思います。だから、何をやるにしても、その自然や、自然を守り受け継いできてくれた先人への感謝を忘れてはいけない。do-moとしても、こうした土地の背景を大切に、それが伝わるようなサービスを作っていきたいですね」

(左)高水さん(右)青木さん

有名すぎないからこそできる、“暮らしと交わる”観光

戦後に植え育てられた国産材は、輸入木材との競争に負け、当初計画されていた需要を生み出すことができなくなった。これは、一般的には林業の課題としてマイナスに語られることだろう。一方で、切られなかったからこそ、今を生きる自分たちがこの潤沢な自然に出会うことができた。そうした前向きな捉え方もあるのだ。

青木さんは、あきる野の街についても、森林と同じように捉えることができると話す。

青木さん「ここは高尾などと比べると知名度が低く、観光地としてのアプローチはちょっと難しいかもしません。一方で、観光地として有名にならなかったからこそ、開発のために木が切られることもなかったし、街並みも荒らされなかったのです」

あきる野市の風景

あきる野市の風景 / Image via do-mo

あきる野地域をよく知る高水さんは、地元の人たちがおおらかな気質を持っていることも、暮らしを大事にした新たな観光のあり方を作っていく助けになるのではないかと話す。

高水さん「地元の人がこの場所を観光地だとは意識しすぎていないことも、この土地の良さだと思います。がつがつしていないというか。一方で、やりたいことをきちんと説明すれば、理解してくれる土壌もある。だからこそ、いわゆる観光地としてではない、地域の暮らしと交わるような、これまでとは違う観光が提供できるのではないかな、と思っています」

高水さん

レジャーだけではない。「働く」という日常も受け入れてくれるフィールド

都心に暮らす人が週末や余暇に気軽に足を運び、肩肘張らずに暮らしの延長線上で雄大な自然を楽しむ。東京山側はそれができる場所だ。実際に、ハイキングやキャンプ、川遊びなどをしに訪れる人は多い。

一方でこのエリアは、都心や関東エリアのビジネスパーソンが、いつもと気分を変えて仕事をしたり、普段と異なる環境で自分や仲間と向き合ったり、実際の体験を通して自然や環境について学んだりできるフィールドでもあるという。

例えば、東京チェンソーズは森林を活用した企業研修の受け入れを行っており、檜原村にはワーケーション施設で地域の交流拠点でもある「Village Hinohara」がある。

Village Hinohara

Village Hinohara / Image via 一般社団法人アナドロマス

do-moが運営する自然人村でも、テレワークや数人での会議ができるワーキング棟を新たに建設した。ガラス張りの大きな窓から見える緑とすぐ外を流れる川は、疲れた目や頭を癒してくれそうだった。

高水さんは、do-moの自然人村も、今後はレジャーでの利用にとどまらず、自然の中に身を置くことで「働くという日常」に新たな気づきをもたらすような場所にしていきたいと話す。

高水さん「自然に癒されたりサウナで身体を整えたりしてからリフレッシュした頭で仕事に向き合うのも良いし、クリエイティブな議論の場が必要な時に、チームで訪れてもらうのも良いと思います。

社会の変わり目で新たな取り組みが求められているからこそ、自然からインスピレーションを受けたり、自然を身近で体験したうえで何かを思考したりしていくことが必要だと思うんです。そのために、都心と地続きの東京山側エリアは最適なのではないでしょうか」

自然人村の中のワーケーション棟で仕事をする人

自然人村のワーケーション棟では、緑に囲まれた環境で仕事ができる。  / Image via do-mo

地域そのものの価値を上げ、自然に人が集まる地域へ

ファミリー層から都心のビジネスパーソンまで、多様な人を惹きつけるポテンシャルを持つ東京山側エリア。すでに東京チェンソーズやdo-moがそれぞれに行っているように、さまざまな事業者の多様な視点が、より多様な人々をエリアに惹きつけ始めているようだ。

青木さん「同じ自然を見ていても、僕と高水くんが感じる価値は違うと思うし、それに対して共感する人もきっと違う。そんな風に、多様な地域の事業者が、それぞれに個性的な役割を果たしてファンを作っていくことで、より多様な人がこのエリアに来てくれるようになると思っています。

例えば、以前は檜原村によく来るのは年齢が高めの人たちでしたが、そこに『檜原 森のおもちゃ美術館』ができたことで、親子連れも来てくれるようになりました。do-moの自然人村も、サウナーや若い層など、これまでと違う新たな層を地この土地に呼び込んでくれていると思います」

(左)高水さん(右)青木さん

(左)高水健さん(右)青木亮輔さん

青木さん「そうした地域事業をおこす人たちに集まってきてもらうには、今いる地域の事業者が都心の人に届く魅力的な活動をしたり、行政とも協力して自然を守り豊かにしていったりと、『地域そのものの価値』を上げていくことが何より大事だと思っています。そうすることで、『秋川流域で自分も何かやりたい』と思う人たちが、自然と増えていくのではないでしょうか。

それには少し時間がかかりますが、林業をやっていると何十年、100年という単位は当たり前になりますし、田舎ってもともとそういう時間軸で動いていたと思うんですよね。

そして、そうした事業者同士が、緩やかに、違和感のない連携をしていけると良いですよね。例えば、以前うちが企画した企業研修では、宿泊は瀬音の湯、体験は檜原村、研修とBBQはVillage Hinoharaで……と、あえて複数の場所を使ってみたのですが、そうした連携ができると、お客さんはより深くこの地域のことについて知りながら、滞在を楽しんでもらえます」

高水さん「自然人村でも近々、東京チェンソーズさんが切った檜原村の木を使って新しいキャビンを建てる予定です。それをきっかけに、自然人村に来た人が東京チェンソーズさんや檜原村のストーリーを知ることができる。そんな仕掛けをもっと作っていきたいと思っています」

高水さん

流域でつながる都市と森。都心と地続きの東京の森の役割

2人の話を聞いていると、東京チェンソーズやdo-moに限らず、東京山側には、決して闇雲に観光を盛り上げようとせず、しっかりと自然の価値を理解し、ともに守り育てていけるパートナーを増やそうとする文化があるように感じられる。

それは、東京山側の人たちが、森林が木材を生産するだけでなく、私たちが日々吸う空気や農作物を育てる水を浄化し、雨水を貯めて洪水などの災害を防ぎ……と、見えないところで森、街、そして海にまでつながる大きなシステムを支えてくれている存在だからだと理解しているからだろう。

青木さん「今、東京には樹齢70年の豊かな森林があります。その森は空気や水を育み、都心の暮らしの支えとなっています。その恩恵をこれからも受け続けるためには、森林をしっかりと守っていくことが必要です。そのためには、一部の人を除いて分断されてしまっている森と街の暮らしをつなぐ導線やきっかけ作りが必要だと思います。

そうしたメッセージを具体的に表すものとして、『流域』という考え方があると思っています。

森が豊かになれば、川も豊かになり、その先の海も豊かになる。多摩の農地も保全されて、湧水が枯れることもなくなります。つまり、自分が暮らす流域を健全に保つことが、自分にちゃんと帰ってくるんです。そうしたことが、流域というひとつの括りの中であれば可視化できるし、自分ごと化できると思うのです。『山と自分の暮らしは、流域でつながっているんだな。それなら、流域の山にも行ってみよう』ってね」

青木さん

青木さん「これは、日本ならではの発想です。島国で山と海が近く、どの都市にも必ず川をのぼった先に森がある。そういう国って、なかなかありません。だからこそ、こうした流域的な発想は日本各地に広げていけますし、結果的に、日本の自然や森、街をより良くすることにつながっていくと思います。その可能性の一端を、この東京山側エリアは担っていると思うのです」

高水さん「そのためにも、ただBBQや宿泊ができる場所として“消費”されるのではなく、この土地の自然を活かしたここにしかないものを生み出すことによって、感動を与えることでこの場所のファンになってもらったり、自然と関わるきっかけになって、その人自身の自然との原体験を呼び起こすきっかけになるような事業を展開していきたいですね。

そうしたことで、訪れる人との間に太いつながりを生み出していきたいし、さらにはそれが次世代が引き継ぎたいと思える事業となり、東京山側に事業者として関わる人も増やしていけたらと思うのです」

(左)高水さん(右)青木さん

編集後記

対談を行った10月下旬、自然人村のある深沢の森林は、紅葉前で少し色づき始めた木々が美しく、とめどなく聞こえる澄んだ水が流れる川の音が自然への没入感をもたらしてくれる、深い自然を感じられる場所だった。

そうした場所に、都心から1時間程度で行ける。そして、自分の住む多摩川周辺地域も、この川を通じてそこまでつながっているのだと思うと、あの森林が、より近くに感じられた。

自然人村の入り口

都会のリズムに疲れて、リフレッシュしたいとき。会議室で話していては答えの出ない、未来の話をしたいとき。東京山側に足を運んでみてはいかがだろうか。

そこではいつでも、自然が待っていてくれる。そして、先人が受け継いできた自然を守り、豊かにしながら、多様な“関わりしろ”を作ってくれている、東京チェンソーズの青木さんやdo-moの高水さんのような人たちがいる。

自然との関わりを自分の中に持つ人たちが、東京でこれからのビジネスや文化を作っていく。そんな未来が訪れたら、素敵ではないだろうか。

後編では、これからの時代の人間観やビジネスの在り方、社会実装の方法論を日々模索するEcological Memesの小林泰紘さんをお迎えして、土地の背景を深堀りしながら、自然人村の新たな可能性について模索していく。そちらもぜひ、読んでみて欲しい。

※1 森林面積・蓄積の推移(林野庁)

写真撮影:cicaco

【参照サイト】株式会社do-mo
【参照サイト】東京チェンソーズ

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