もし、大地震で道路が寸断され、いつもの銀行もスーパーも閉まってしまったら。2023年にトルコを襲った大地震では、まさにその「陸路の崩壊」が支援の大きな壁となった。
そんな絶望的な状況を、街を囲む「海」を使って解決しようとする大胆な試みが始まった。トルコ最大の民間銀行であるイシュ銀行が首都イスタンブールで公開した「イシュ・ヴァプル(İş Vapur)」は、世界でも類を見ない「浮遊する銀行」だ。一見するとお洒落な観光フェリーのようだが、その正体は、都市が機能を失った瞬間に人々の命綱へと変貌する、次世代の動く防災インフラである。
全長50メートルのこの船は、日常と非日常をシームレスにつなぐ設計がなされている。通常時は、主要な港であるガラタポートなどに停泊し、銀行窓口だけでなく、厳選された書籍が並ぶ書店やカフェ、さらには誰でも利用できるコワーキングスペースを備えた文化拠点として街に溶け込む。銀行の顧客であるかどうかに関わらず、誰もが海を眺めながら仕事をし、本を読める場所となるのだ。
しかし、ひとたび地震などの災害が発生すれば、この船は真の姿を現す。船内のモジュール式家具を組み替えることで、銀行窓口は3つから13へと一気に拡張され、混乱する被災地での金融アクセスを守る。
さらに、上層デッキは最大300人が宿泊できる避難所へと変わり、船内には診療所、高機能な厨房、シャワーなどの衛生エリアが即座に展開される。陸路が使えない状況でも、海路を使って必要な場所へ自ら移動し、物流と医療、そして経済の拠点を届けることができるのだ。
このプロジェクトの背景には、単なる「復旧」を超え、日常時も非常時も使える仕組みを整える「フェーズフリー」という思想がある。災害が起きてから対処するのではなく、日常的に使うインフラそのものに、最初から災害時の機能を組み込んでおく。この姿勢こそが、気候変動や自然災害が激甚化するこれからの時代に求められる都市のあり方だと言える。
日本もまた、トルコと同様に多くの自然災害と向き合ってきた国だ。この「イシュ・ヴァプル」が示しているのは、単なる「船」という形態の珍しさだけではない。それは、平時は街の文化を育む拠点でありながら、有事には高度な医療や金融機能を備えたライフラインへと即座に姿を変える「インフラの柔軟性」だろう。
お気に入りの本を読み、コーヒーを楽しんでいた場所が、いざというときには自分や誰かを守る拠点になる。特別な準備を強いるのではなく、日常の心地よさの中に「守る機能」をそっと忍ばせておく。そんなデザインのあり方は、これからの都市が持つべき、しなやかで優しい強さと言えるだろう。
【参照サイト】İş Bankası’ndan yüzen şube: İş Vapur hizmete açıldı
【参照サイト】Türkiye’s Isbank launches world’s first floating branch in Istanbul for all visitors
【参照サイト】Turkey’s İşbank launches floating branch designed for disaster response
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