南半球のブラジルはいま、夏真っ盛りだ。2月、筆者が暮らすリオ・デ・ジャネイロは一年で最も熱を帯びる。カーニバルの季節である。
「リオのカーニバル」と聞いて、何を思い浮かべるだろう。羽飾りをつけたダンサー、巨大な山車、色と光に包まれたショー……そのどれもが正解だ。けれど、その背後にある物語を知る人は、少ないだろう。
ブラジルに長く身を置きながらも、筆者はこれまでパレード専用スタジアム「サンボードロモ」に足を踏み入れたことがなかった。壮大な商業ショーなのだろうと、どこか冷めた目で見ていたからだ。
しかし今年、その扉をついに開けた。そこで目にしたのは、単なるショーではなかった。それは高度な芸術であり、社会告発であり、歴史を語り直す場だった。しかもそれが、世界最大級のスケールの祝祭として、表現されるのだ。

色と光と煙が渦巻く、サンボードロモの夜。この華やかさは、周縁に生きる人々の、誇りと歴史で成り立っている。
「カーニバルとは何なのか?」
名門サンバチーム・Salgueiro(サウゲイロ)の選抜ダンサーとして活動する工藤めぐみさんに誘われ、地元向けの無料公開リハーサルへ足を運んだことが、その偏見を覆すきっかけとなった。
本番のチケットが高騰するなか、この日は誰でも入れる。地域の人々にとって大切な一夜だ。あいにくの雨だったが、スタジアムはカッパを着て場所取りをする人々の熱気で満ちていた。爆音でサンバのリズムが鳴り響いた瞬間、胸が震えた。
サンバチームは、地域コミュニティを基盤としている。多くはスラム地域を拠点とし、3,000〜4,000人規模でパレードに参加する。サンバと言うと、若い女性ダンサーを思い浮かべる人が多いかもしれないが、実際のパレードには、高齢者も多く参加している。粋なスーツを着こなすVelha Guarda(長年チームを支えてきた古参メンバーグループ)に、大きなスカートを翻しながら優雅に回転するBaianas(サンバ誕生の母体となった黒人女性文化を体現するグループ)。60〜80代の彼らが浮かべる誇らしげな笑顔には、若さだけでは成り立たない文化の厚みがあった。
さらに、メディアには映らない裏方「Harmonia」たちも、隊列を整える自負を胸に奔走する。華やかな舞台を支えるのは、自らの役割を楽しみ、チームの誇りを身体中で表現する名もなき無数の主役たちだった。
サウゲイロのパレードの途中、音響トラブルで音楽が途切れた。それでも、誰も止まらなかった。
約4,000人が踊りながら歌い続ける。観客も、大声で歌い続ける。 伴奏はない。それでも声は揺れ、重なり、10分近くスタジアムに響き渡り続けた。
リハーサル後深夜24時、疲れた体を引きずってチームの本拠地「クアドラ」へ向かうと、さらに驚いた。さっきまでリハーサルで踊っていた高齢者たちの姿があった。 夜中2時を過ぎても、仲間と歌い、踊り続けていた。
「カーニバルとは、何なのか」 その問いが、頭から離れなくなった。

年齢とともに踊り方は変わる。それでも、サンバを全身で楽しむ心は変わらない。
誰が歴史を語るのか。4,000人が可視化する問い
調べるうちに見えてきたのは、「壮大なショー」とはまったく異なるものだった。 各チームは毎年、一つのテーマを掲げる。曲、衣装、山車、振付──すべてがその物語のために作られる。
そしてそのテーマは「社会への声明」なのだ。今年のリオの最上位リーグ(Grupo Especial)に参加する12チームのテーマを見ても、現職大統領ルーラの人生を讃えるものがあれば、貧困と差別を綴った作家カロリーナ・マリア・ジ・ジェズスを主役に据えるものもある。
その他にも黒人芸術家の足跡、アフロブラジル宗教のルーツ、サンバの功労者、北東部から生まれた文化運動、アフロ・ディアスポラの越境性など、多様な人物と文化が舞台の中心に置かれていた。
その構造は、今年始まったものではない。
サンバの起源そのものが、奴隷制を生き延びたアフリカ系コミュニティの社会・文化的抵抗と深く結びついている。排除され、周縁に置かれた人々が、自らのリズムと身体で存在を主張してきたのがサンバだった。
軍事政権下には、直接的な政治批判が難しい中で、歌詞に風刺や暗示が織り込まれた。近年でも、現代の奴隷労働や歴史認識を風刺した作品が議論を呼び、ヤノマミ族の危機を扱ったパレードが違法採掘や森林破壊の問題を国際的に知らしめた。
繰り返し問われてきたのは、追いやられた者たちの歴史であり、「ブラジル人とは何者なのか」という問い。2019年にはまさに「歴史が語らない歴史を語ろう」というテーマを掲げたチームが優勝した。そこでは、奴隷抵抗の女性リーダーや暗殺された黒人女性政治家など、公式の歴史にほとんど登場しない人々が主役として描かれた。
もちろん、すべてが社会批判というわけではない。サンバの功労者や伝統文化を称えるテーマも多く、長年コミュニティを支えてきた人々の人生が舞台で光を浴びる。カーニバルは、記憶を受け継ぐ場でもあるのだ。
今年は、現職大統領ルーラの人生をテーマにしたパレードをめぐり、「文化表現か政治宣伝か」という議論が起き、最高裁判所にまで持ち込まれた。カーニバルが社会的影響力を持つ舞台であることを象徴する出来事だった。
祝祭という形式を取りながら、「誰が歴史を語るのか」という問いを音楽と踊りと山車で可視化する。4,000人が身体で語る歴史。それがカーニバルなのだ。

2019年のMangueiraのパレードで讃えられた奴隷制度廃止運動家ルイス・ガマ。本テーマでは「歴史に埋もれた黒人の英雄たち」を称え、大きな反響を呼んだ。©︎Tomaz Silva/Agência Brasil
周縁コミュニティが世界最大級の舞台で輝く夜
そして本番。スタジアムに足を踏み入れた瞬間、その熱気に圧倒された。両脇に伸びる観客席は約7万人で埋め尽くされ、世界中から観光客が集まる。今年、カーニバル期間中にリオ市にもたらされた経済効果は約59億レアル(約1,800億円)にのぼった。都市を動かす巨大産業であり、国家規模のイベントでもある。
一方、煌びやかな衣装をビニール袋に入れて抱え、サンダル履きで入場口へ向かう多くはコミュニティの人々だ。会場があるのも、モダンに整備された地区ではなく、リオ中心部の庶民的なエリア。薄暗い通りでは人々が路肩や縁石に腰を下ろし、炭火の煙を上げながら串焼き肉を売っている。ビール片手に談笑する声が、夜気に溶けていく。
そのローカルな日常の延長線上に、この巨大な舞台は立ち上がっている。カーニバルは、コミュニティから始まる祭りなのだ。
バックステージに入ると、景色は一変する。輝く巨大な山車が並び、何千人もの参加者が色彩を極めた衣装に身を包んでいる。輝く装飾、豪華な刺繍が施されたドレス、神話のような装束。色と光と質感が、視界いっぱいに広がっていた。

華やかな巨大産業を支えるのは、ビニール袋に衣装を詰め、路肩で談笑するコミュニティの人々。カーニバルは、彼らの日常の延長線上にある。
自撮りをする若者たち。誇らしげに衣装を整える高齢者たち。慌ただしく走り回るスタッフたち。緊張と高揚が入り混じった空気が、出番を待つ人々のあいだに満ちていた。
やがて打楽器隊の重低音が響き、工藤さんも所属するサウゲイロの出番が来た。巨大な山車が姿を現すと観客が一斉に立ち上がる。わずかな乱れも許されない80分間の真剣勝負。700メートルのコースと観客席が一体となり、一つの物語を紡いでいく。
明け方4時、最前列でずっとチームの旗を振り続ける細身の高齢女性がいた。隣に立つと、彼女が満面の笑みで振り返った。「このパレード、どう?」
「感動しています」と答えると、彼女は嬉しそうに言った。 「美しいでしょ! 私たちのエスコーラ(サンバチーム)なの」。その一言で、カーニバルの意味がわかった気がした。

1時間以上立ち続け、最前線で旗を振り続ける。「私たちのエスコーラ(サンバチーム)なの!」と胸を張る。そこには、深い帰属意識と誇りがあった。
文化が育むもの。世代を超えた「居場所」
やがて、夜が白み始めた。
最後の山車がゴールにたどり着き、歓声に包まれる。時計は朝6時を回っていた。
帰りの地下鉄には、さっきまでパレードで踊っていた人たちが、衣装をビニール袋に詰めて乗り込んでくる。頬にはまだラメが残っている。その多くが、郊外や北部のスラム地域へと帰っていく。
その日の夕方、私は再びクアドラへ向かった。採点発表の日だ。
そこには、小さな子どもから高齢者まで、あらゆる世代が集まっていた。みんなサウゲイロのTシャツを着て、歴代のテーマ曲を歌い、踊っている。少女たちは誇らしげにステージでステップを披露する。少年バテリア(打楽器隊)では、10代の若者が6〜8歳ほどの子どもたちをリードし、太鼓のリズムで会場を盛り上げていた。大人たちはその姿をとても嬉しそうに見守っている。サンバという共通言語が、世代を超えて受け継がれる光景が、そこにはあった。
結果、サウゲイロは4位だった。1年間かけて準備してきたパレードは、彼らのアイデンティティそのものだ。悔しさも相当あったはずだ。それでも他チームの優勝が決まった瞬間、会場は立ち上がり、拍手を送った。文化を分かち合う者同士の敬意だった。
ここで生まれ育つ子どもたちの目には、どんな景色が見えているのだろう。仕事でも学校でもない、世代を超えて人がつながる「居場所」が、ここには確かに存在していた。

読み上げられる採点結果に一喜一憂する人々。リオのカーニバルには、驚くほど厳格な採点基準がある。

10代の若者が幼い子どもたちをリードする。 技術だけでなく、地域の誇りと「居場所」が、リズムと共に次世代へ手渡されていく。
サンバの力が示す、社会へのヒント
故郷・神戸で家族と共にサンバチーム「フェジョン・プレット」を営む工藤さんは、活動の一環として、保育園や高齢者施設を訪れ、ボランティアでサンバを披露してきたという。
「手が上がらなかったおじいちゃんが、音楽に合わせて手を動かしてくれたことがあった。サンバの力を感じました」
リオのスタジアムで4,000人が全身で物語を語り直すことも、日本の施設で動かなかった手がリズムに応えることも、本質は同じだ。音楽と踊りは、人を、そしてその尊厳を生かす力を持っているのかもしれない。
5歳の少年も80歳の女性も、共にひとつの物語を作り上げ、分かち合う。そこでは「老い」は衰退ではなく、経験という名の輝きに変わる。祭りは、社会への問いを、怒りではなく圧倒的なエンターテインメントへと昇華させる。
高齢社会で「老いること」をどう定義し直すか。分断の中で、世代を超えた「居場所」をどうデザインするか。「楽しい」は「正しい」をより遠くへ届けられるのか。
リオのカーニバルは、その問いへの一つの答えを、世界で最も情熱的な形で見せてくれている。
寄稿者プロフィール:武田エリアス真由子(たけた・えりあす・まゆこ)
ブラジル在住。2015年に初めてアマゾン奥地の村を訪れ、その豊かさと人々の生命力に魅了される。その後、NGOや企業を自ら立ち上げ、約10年間にわたり先住民や地域住民と協働して森を守る活動に携わってきた。現在は日本とブラジルをつなぐ環境・社会分野のプロジェクトに携わり、国際環境NGOコンサベーション・インターナショナル(CI)のプロジェクト等に参画している。アマゾンや先住民族、ブラジル社会・文化について発信している。
Edited by Megumi






