木を植える。屋上を緑化する。鳥や昆虫が戻ってくる場所をつくる──「生物多様性の回復」という言葉から私たちが連想するのは、決まってそうした視覚的な風景だ。
しかし、その緑は、本当に生態系の回復を意味しているのだろうか。植物は、土のなかにいる微生物の働きにも支えられながら生きている。もし、その土台となる微生物の多様性が失われていたら、見た目の緑だけでは、その場所の生態系がどの程度機能しているのかを捉えきれないかもしれない。自然再生の成果を測るとき、私たちはあまりにも「目に見えるもの、測りやすいもの」ばかりを数えてはいないだろうか。
そんな「見えない自然」に着目し、都市のあり方を根底から問い直しているのが、株式会社BIOTAだ。土や空気、建築物に存在する微生物のDNAを解析し、その結果をランドスケープデザインや都市空間の設計へと実装している。微生物を入り口に、人の健康から都市の生物多様性まで、人と環境の関係を捉え直してきた企業である。

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2026年5月、BIOTA代表取締役の伊藤光平氏らによる論文『Microbial diversity as the next frontier of payments for ecosystem services in nature-positive finance』(Ito, K., Ando, H. & Honda, H., 2026)が、世界的な科学誌『Nature』を擁するNature Portfolioの国際学術誌『npj Biodiversity』に掲載された(※1)。そこで提案されたのは、これまで自然資本の評価から見落とされてきた「微生物多様性」を、生態系サービスへの支払い(PES)といった自然保全のための資金循環に組み込むという考え方だ。
現在、世界では、生物多様性の回復に向けてより多くの資金を動かすことが求められている。2022年に採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組」では、2030年までに、生物多様性のため年間少なくとも2,000億ドルを動員する目標が掲げられた(※2)。ただ、お金を流すためには、「自然がどれだけ回復したのか」を判断する物差しが必要になる。森林面積が増えたのか、鳥や昆虫が戻ってきたのか、水質が改善したのか。伊藤氏らが提案しているのは、そうした評価のなかに、これまで見落とされてきた「微生物多様性」も加えられないか、ということだ。
目に見えなかった自然まで測れるようになれば、自然の価値を評価する方法はどう変わるのか。そして、それは実際に自然を守るためのお金の流れにつながるのか。一方で、自然を数字に置き換えることで、こぼれ落ちる価値はないのだろうか。
微生物という小さな存在から、「自然には価値がある」の、その先を考えてみたい。
話者プロフィール:伊藤光平(いとう・こうへい)

株式会社BIOTA代表取締役。慶應義塾大学環境情報学部卒業。同大学先端生命科学研究所で、ヒトの身体だけでなく、都市や建築物に存在する環境微生物コミュニティを対象としたバイオインフォマティクス研究に従事。大学卒業後にBIOTAを創業し、環境微生物のゲノム解析をもとに、都市デザイン(建築、ランドスケープ、都市計画)へと研究成果を実装している。
目に見える自然だけを増やしていないか
伊藤氏が微生物の探究を始めたのは、高校時代にまで遡る。最初の対象は、人間の身体を住処とする微生物だった。
「ヒトの身体には、驚くほど多様な微生物が共生しています。そのバランスが保たれているからこそ、私たちは健康に暮らすことができる。私はもともと、そのような人の身体と微生物の関係を研究していました」
大学へ進むと、その視線は身体の内側から外側へ広がっていった。室内、建物、そして都市へ。そこで伊藤氏が目にしたのは、無菌化が進む都市空間において、広範な地域で微生物の多様性が著しく損なわれ、生息する微生物の種類が大きく偏ってしまうということだった。人が集まる場所では、人の身体から脱落したヒト由来の微生物ばかりが蓄積していく。この閉ざされた循環を、どうすれば「自然」へと再び接続できるのか。伊藤氏が辿り着いたのは、足元にある土と植物という原点だった。
「都市の微生物コミュニティが人由来のものに偏っているのなら、全く異なる由来を持つ微生物を都市に持ち込む必要があります。そこで着目したのが土壌でした。土の中には、人とは異なる環境で進化を遂げた微生物が膨大に存在します。ランドスケープデザインを通じて土や植物を都市に呼び戻すことは、微生物の多様性を取り戻すための必然的なアプローチでした」
逆三角形のピラミッドを底辺から支える
しかし、実践を重ねるなかで、伊藤氏の問いはさらに広がっていく。個別の微生物だけに目を向けて微生物多様性を増やそうとしても、持続可能性は高められないという気づきだ。
「当初は、人にとって健康な微生物空間をいかに効率よくつくるかを考えていました。しかし、微生物の多様性を維持するためには、その背景にある生態系そのものを構築しなければなりません。結局、生態系全体を豊かに循環させることが、最も確実かつ持続的に微生物多様性を増やす道だったのです」
伊藤氏が重視するのは、単なる種数ではなく、遺伝系統的に離れた微生物がどれほど共存しているかという「遺伝系統的多様性」である。異なる環境に由来する異なる機能を持つ微生物が混ざり合うことで、生態系としての機能はより強固になる。この視点に立てば、既存の都市緑化が抱える課題も鮮明になってくる。
「植物の状態は、いわば『土の結果』に過ぎません。土壌がどれほど豊かであるかが、その上に育つ植物の多様性に関わります。これまでの緑化は、表面の植物には目を向けても、その土台である土や微生物を評価してきませんでした。ピラミッドの底辺を無視して、上にいる生き物だけを増やそうとしても、逆三角形の不安定な構造は維持できないのです」
ネイチャーポジティブとは、目に見える生き物を足していくことなのか。それとも、生き物が自ら生き続けられる関係を、足元から整え直すことなのか。

城北埼玉中学・高等学校で行われた、BIOTAと生徒による植栽プロジェクト。微生物多様性を育む土づくりから植栽デザイン、植え付けまでを協働で実施した|Image via 株式会社BIOTA
「悪い菌がいないか」から、「豊かな生態系があるか」へ
これまで、公衆衛生の分野において微生物は、もっぱら病原菌などの「人にとって悪い菌」がいないかを確かめるための汚染指標として扱われてきた。今回の論文が提案するのは、そのパラダイムの転換だ。微生物がいることを、生態系の豊かさと機能を証明するための「ポジティブな指標」へと書き換えるのである。

従来のPESでは、森林や鳥、魚など目に見える生態系や、炭素固定量などが主な評価対象となってきた。伊藤氏らは、その土台にある微生物多様性も測定・評価に組み込むことを提案している。(論文のFigure 1を日本語に翻訳) |Image via 株式会社BIOTA
肉眼では見えない微生物をその評価に使うため、BIOTAが用いているのが、環境中から採取したDNAを解析する方法だ。綿棒や掃除機などで空間や物の表面からDNAを採取し、その配列を解読することで、どのような機能を持った微生物が何種類ほど存在しているか、ある地点と別の地点でどの程度共有されているかなどを調べる。伊藤氏は、それを鳥の移動を追うことになぞらえる。
「僕たちがつくった緑地の微生物が、どれほどの距離を移動し、周囲の環境や人の身体にどのような影響を与えているのか。目に見えない微生物の移動を、鳥の移動を追跡するように定量化したいと考えています」
ここで重要になるのが、単に「測れる」だけではなく、その変化がどこから生まれたのかを確かめることだ。論文では、微生物の由来を推定する技術や、地点間で共有されるDNA配列の特徴を比較する技術を、MRV(測定・報告・検証)へ活用する可能性が論じられている。MRVは、企業や金融機関が生物多様性や自然資本との接点を明確にし、自社ビジネスが与える影響や依存度を客観的に評価・管理するための極めて重要なプロセス(基盤)となる。
一方で、伊藤氏は「何種類いれば豊かな自然と呼べる」といった、一律の基準を決めることには慎重だ。気候や土壌が違えば、もともと存在する微生物も異なる。そのため、異なる地域を一つの数字で順位づけするより、同じ場所で取り組みの前後に何が変わったのかを見ることを重視している。

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資金循環という新しい「生態系」を構築する
論文の核心にあるのは、微生物多様性をPES(生態系サービスへの支払い)の枠組みに組み込むという提案だ。
PESとは、水源地の森林を守る活動に下流の受益者が対価を払うように、自然の恩恵を受ける側がその保全者に資金を拠出する仕組みを指す。微生物多様性をこのモデルに組み込むことは、目に見える成果の裏側にある真の貢献に正当な対価を支払うことを意味する。
「森林や農地が正常に機能している背景には、必ず土壌微生物による物質循環の支えがあります。今回の論文では、微生物多様性を企業が投資すべき価値ある対象として定義しました。既存のカーボンクレジットや森林保全の仕組みの中に、これまで不可視だった微生物というレイヤーを追加したかったのです」
「今回の論文では、微生物の多様性も企業が投資する対象になれないか、ということを書いたんです。森林を守ることなどには、すでにお金を払う仕組みがあります。そのなかに微生物も入れられないか、と考えたんです。生態系ピラミッドの底辺を構成する微生物の維持に投資することで、上にいる生き物だけを増やそうとするよりも、省力的で持続的な開発が実現する可能性があります」
しかし、科学的な証明と、実際の資金の流れの間には、まだ超えるべき溝がある。伊藤氏も、事業者や投資家との対話を通じて、その難しさを肌で感じているという。
「微生物多様性が重要であることは、論文を通じて示せました。しかし、実際に誰がその回復に対して対価を支払うのか。その受益者の特定や投資判断の基準づくりについては、まだ明確な答えに辿り着けていません」
これは、微生物を自然資本として扱う構想の行き詰まりというより、むしろ「測る」の次に設計すべき問いが見えてきたということだろう。自然に価値があることを科学的に示すことと、その価値へ実際にお金が流れることは同じではない。誰が自然から恩恵を受けるのか。誰が保全を担うのか。そして、その費用を誰が負担するのか。その関係まで設計されて、はじめて「測ること」は、自然を守るための資金の流れにつながっていく。
さらに論文では、これは市場だけでなく「ガバナンス」の問題でもあると指摘されている。どの指標を「自然が回復した」と判断する共通の物差しにするのか。誰がその基準を認め、PESやクレジットなどの制度へ組み込むのか。微生物の指標から実際の資金の流れを生み出すには、科学と金融だけではなく、行政や制度をつくる側も関わる必要があるのだろう。

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数字に還元しきれない「テロワール」を守る
しかし、ここでもう一度立ち止まりたい。
自然を企業や行政の意思決定に持ち込むためには、比較できる数字が役に立つ。だからこそ、BIOTAも微生物の種類や由来、多様性を測ろうとしている。ところが興味深いことに、微生物を測る会社を経営する伊藤氏自身は、「見える化」そのものをゴールにはしていない。
「僕自身も、微生物をただ見える化すること自体をゴールにしているわけではありません。数値にすることでこぼれ落ちてしまうコンテキストがあることも重々承知しています。それでも、今の社会で理解を得るためには、種数や多様性をスコア化するというプロセスが必要なのです」
たとえば、ある土地に何世代も棲みついてきた「蔵付きの菌」や、土地の米と水から生まれる発酵食品の文化。そこには、単なる数字では測りきれない、人と微生物が紡いできた時間の蓄積がある。
「地域に伝統的な発酵文化を持つメーカーなどは、その場所にしかない微生物を保全していると言えるはずです。そうした土地固有の微生物を、ワインの用語である『テロワール』のように価値づけできれば、数字を超えた豊かさを守ることにつながるのではないでしょうか」
数字にできれば、これまで見えなかった存在を、企業や行政の意思決定の場へ持ち込める。一方、一つのスコアへ置き換えた瞬間、土地の歴史や文化、そこで積み重ねられてきた関係が見えにくくなるかもしれない。自然を測ることは、自然を理解しきることではない。数字は価値を決める答えではなく、これまで見えていなかった存在へ目を向けるための入口なのである。

日本科学未来館「セカイは微生物に満ちている」展。BIOTA代表・伊藤光平氏が総合監修し、微生物と人間が共生する未来の暮らしを提案した(2022年)|Image via 株式会社BIOTA
自然の価値が上がったとき、その恩恵は誰のものになるのか
目に見えない自然が評価されるようになれば、私たちが「場所」に感じる価値も一変するかもしれない。伊藤氏は、微生物の観点から不動産のヒエラルキーが書き換わる可能性を示唆する。
「微生物は土に近い場所に最も多く存在するため、建物の上層階へ行くほどその多様性は低くなります。そうなると、これまで価値が低いとされてきた地上階や低層階が、豊かな生態系に触れられる『贅沢な場所』として再定義されるかもしれません」
眺望や駅からの距離、床面積。そうした従来の不動産価値とは別に、「豊かな生態系と接触できること」という物差しが加わるかもしれない。見えなかった自然を測ることは、これまで高く評価されなかった場所に新しい価値を見いだすことにもつながる。
BIOTAは現在、高輪ゲートウェイシティで、建物の内外にいる微生物を継続的に調査している。開業前からデータを取り、人が街へ入ったあと、人由来の微生物や外の自然に由来する微生物がどう変化していくのかを追っている。
「高輪ゲートウェイシティでは、オープンする前から建物のなかの微生物を調べています。人が入って、人由来の微生物がどう増えていくのか。一方で、街には緑も多いので、自然由来の微生物がどう建物のなかに入ってくるのか。そういうダイナミズムが見えてくると、これから都市をつくるときの公衆衛生や、グリーンインフラの価値を考える指針にもなると思っています」

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ただし、伊藤氏が見据えるのは、一部の特権的な人々のための「豊かな微生物環境」ではない。
「僕は、微生物多様性は地球全体で共有されるべきインフラだと思っています。一部のオフィスや住宅だけでなく、都市のあらゆる場所で、誰もが平等に微生物の恩恵に触れられるようにすること。それが、これからの街づくりの本質的な役割になるはずです」
自然を経済の中に組み込むことに、魔法のような正解はない。しかし、これまで見過ごされてきた微生物に目を向けることは、私たちが「価値」と呼んできたものの境界線を、目に見えない生態系の営みへと広げてくれるのかもしれない。

菌糸素材でつくられた、土に還るだるま「MycoDaruma」。微生物による分解を通じて自然の循環へ戻ることを意図して制作された。タイ・Kaomai Estate 1955での展示|Image via 株式会社BIOTA
編集後記
森のなかを歩くと、なぜか呼吸が深くなったり、気持ちがほどけたりする。そんなとき、足元の土にも、葉にも、空気にも、目には見えない微生物が生きているのだと想像すると、自分の身体もまた自然から切り離されたものではないように感じることは、確かにある。自然を見るというより、そのなかに自分もいる。その感覚は、微生物という存在を知ることで、少しだけ鮮明になったような気がする。
「都市のなかで一番たくさんいる住民は、微生物のはずなんです。そこに少し目が向くだけでも、僕たち自身も幸せになると思うんですよね」
自然を数値化することは、ともすれば、複雑な生態系を一つの物差しへ押し込めることにもなりうる。しかしBIOTAが試みているのは、数字という共通言語を使って、これまで評価の対象からこぼれ落ちていた存在を、社会の意思決定の場へ招き入れることだ。
測ることは、自然の価値を決めることではなく、むしろ何をまだ見ていなかったのかに気づくことなのかもしれない。微生物という目に見えない住民を知ることは、自然の価値だけでなく、その自然のなかで生きる私たち自身の位置を捉え直すことでもある。そんなことを考えた取材だった。
※1 Ito, K., Ando, H. & Honda, H. Microbial diversity as the next frontier of payments for ecosystem services in nature-positive finance. npj Biodivers (2026).
※2 Decision 15/4: Kunming-Montreal Global Biodiversity Framework
【参照サイト】株式会社BIOTA
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