アイデアに関する名著『アイデアは交差点から生まれる』の中で、アイデアは2種類に大別されている。
1つは、「方向的アイデア」だ。ある1つの分野の中に含まれる様々な概念を結びつけ、ある特定の方向性に向かってアイデアを生み出していくものだ。
2つ目は複数の分野に属する概念を結びつけ、新しい方向へと飛躍するアイデアであり「交差的アイデア」である。
前者は「改良」「模倣」「持続的イノベーション」に、後者は「発明」や「破壊的イノベーション」に近い概念だと理解して頂ければいいだろう。ただし、両者は完全に独立したものというよりは重複する部分もあると筆者は理解する。
車を例にしてみよう。「もっとガソリンの燃費効率をあげて遠くまで走るためのエンジンづくり」は「方向的アイデア」だ。
「そもそもガソリンを使わないで、水素エネルギーや電気エネルギーを電池に貯めて走る車をつくろう」とするのは、全く新しい別分野(「車」と「電気」など)とを融合させた「交差的アイデア」だ。
また、「AV機器を組み込んで、音楽を聞ける車内空間づくり」は、快適さの向上というベクトルの中で、特段新しい技術ではないが「車」と「音楽(オーディオ機器)」とを交差させたものであり、方向的かつ交差的だと解釈できるだろう。
2つのアイデアの種類の境界やその優劣を考えることに大きな意味はない。「交差的アイデア」も一度発明されれば、改良を重ねる「方向的アイデア」が必要になる。その意味において、どちらのアイデアに優劣があるという話でもなく、世界を豊かにするためには「どちらのアイデアも必要」なのだ。
1870年代に電話を発明したのは「ベル」かもしれない(別の人間とする説もあるが)。音の振動を電気信号に置き換え、離れた人間同士が話をするなんて、当時は夢物語のはずだ。その価値は疑いようがないが、電話が発明されてしばらくの間、電話は今よりもっと一部の人間のものであった。150年の時を経て、今日では地球上の数十億人が電線も不要でどこにいても地球の裏側と会話ができるようになった。そこには無名の名もなき人の無数の「方向的アイデア」の実現が必要不可欠だった。交差的アイデア、方向的なアイデア両方ともが重要なのだ。
ただ、今という時代は、科学や大量生産・大量消費の発展の中で社会が専門化・専門分化を進めていった結果、その専門知・専門化だけでは解決できない問題があらゆる分野で出てきている。そういった課題を解決するためにも、交差的アイデアやその交差的な発想の重要性は高くなっている。またそのインパクトも交差的アイデアのほうが大きいと言われている。
交差的アイデアを生み出すには、個々人もしくはチームのレベルで異分野との接点、異分野の知見・方法論との組み合わせが重要とされている。
前述の『アイデアは交差点から生まれる』の中では、交差的なアイデアを生み出す環境が、現代はそれまでの時代と比べて飛躍的に整いつつあるとされている。特に3つの変化が強い追い風となっている。
1つ目は「人の移動」だ。交通手段の発達とグローバル化の進展によって、異分野の人と人が出会い、情報を交換することがより一層活発になっている。
2つ目は「科学の相互乗り入れ」だ。世界最大の科学者の組織でもある米国科学新興協会のアラン・レシュナー会長も「専門分野別の科学はもう死んだ」「主要な科学の進歩には、複数の分野が関わっている。」と言っている。
ブラウン大学の脳科学研究チームは、サルの思考や意思を脳から直接計測し、サルがコントローラーなしでテレビゲームを行うことを成功させた。このチームのメンバーは数学者・医師・神経科学者・コンピューター科学者で構成されており、それぞれの専門性の知見があってはじめてこれが実現した。
3つ目は「デジタル技術の向上」だ。デジタル上の情報は複製および保存にかかるコストがほぼゼロだ。そのため、他者とのメール・会話等でのコミュニケーションや過去や異分野の情報へのアクセスにおいて時間的・空間的コストを取り払ってくれた。また単純な作業の効率化も進み、単純作業に従事する人や時間が減り、別のアイデアをつくるといった部分にエネルギーを投下できる総量が増えている。
最近特に、交差的アイデアが実現された事例や新しいパラダイム、新しいベストプラクティスが色々な分野で生まれていると感じるのは筆者だけだろうか。
どうやら我々は歴史的に、交差的アイデアが個々人でも花開かす事ができる時代のはじまりあたりに生を受けたようだ。自分が持つ専門知識や関心を、別の分野と掛け合わせた交差的アイデア、あなたも是非試してみてはいかがだろうか。