ボランティアに参加したことがあるだろうか?
「誰かのために何かをしたい」という心は美しい。しかしその気持ちは、一歩捉え方を間違えてしまうと、自己満足するための偽善だといわれてしまうこともある。誰かのために何かしてみたいが、自己満足に浸りたくはない。そう悩んでいる人もいるのではないだろうか。
筆者は今回、カンボジア・シェムリアップで子どもに衛生教育を伝える活動を行なっている「Happy Soap Project(ハッピーソーププロジェクト)」が主催する「Happy Soap Festival(ハッピーソープフェスティバル)」にボランティアとして参加した。
今回はハッピーソーププロジェクトを始めた鈴木リサさんに、プロジェクトを始めたきっかけを伺った。本記事ではそこで見聞きした、モヤモヤを吹き飛ばす“気持ちいい社会貢献のあり方”をお届けしたい。
日本人とカンボジア人が互いの“良さ”を学び合う
ハッピーソーププロジェクトとは、リサイクル活動と衛生教育をきっかけに国際交流をはかり、日本人とカンボジア人が互いの“良さ”を学び合う活動である。
本活動では、カンボジア人は「自身で自国の問題を解決する活動」を、日本人は「その活動を応援すること」をきっかけに、国を超えた助け合いの形を体験してもらう。そうすることで、楽しく時代を生きぬく力を学んでもらうことを目的としている。
具体的には、宿泊施設や一般の家庭から使い切れなかった石鹸を集めて、おもちゃ入りの石鹸にリサイクルし、カンボジアの子どもたちに衛生教育を届ける活動を行なっている。そして、この活動を日本人とカンボジア人が協力して行うことによって、互いの良さを学び合う場を作っている。
今回はその活動の一環として、地元の小学校を会場に「ハッピーソープフェスティバル」という手洗い教育のイベントを開催した。当日は、来場者603名、サポーター92名(うち日本人44名、カンボジア人48名)の述べ695名が参加し、大盛況であった。資金はクラウドファンディングにて130万円が集められた。
きっかけはカンボジア人の衛生観念に衝撃を受けたこと
今回のプロジェクトを企画した鈴木リサさんは、普段は「Saboo Sabay(サブーサバイ)」という石鹸屋をカンボジアで営んでいる。
カンボジア在住の日本人の中には、カンボジアへの支援に関わっている人も少なくない。しかし、鈴木さん自身はカンボジアの支援にはまったく興味がなく、むしろボランティアなどの慈善活動を行うことに少し抵抗があったそうだ。
そんな鈴木さんが「ハッピーソーププロジェクト」を立ち上げようと思ったきっかけは、周りに住んでいるカンボジア人の衛生観念が自分のものとまるで違っていたことだという。手洗いをしないどころか、床を拭いた雑巾で机も拭き、バイ菌への危機感がまったくないことに驚いた。
自身が石鹸屋なので、お店で余った石鹸の切れはしをカンボジア人にあげたところ、みんな気持ちよさそうに使っていた。そこで「石鹸の使い心地の良さは伝わっているし、あれば使ってくれる」と、実感した。
カンボジアで学んだ“生きる強さ”
鈴木さん自身、カンボジアで暮らし始めてから、ハッピーに生きることができている感覚を持っていた。それはカンボジア人から“生きる強さ”のようなものを学んだからだという。
カンボジアを訪れると多くの人が「カンボジア人はニコニコ笑っていて感じが良い」という印象を抱く。しかし、鈴木さんは「これはただニコニコ笑っているのではない」と語る。
カンボジアでは人前で泣いたり怒ったりと、負の感情を人に見せることは恥ずかしいことだとされているという。カンボジア内戦が終結してまだ25年、彼らは苦しいこと、悲しいことをたくさん経験してきただろうし、もちろん、それは今もあるだろう。しかし、そんなカンボジアの影が差す部分を飲み込んで、彼らは陽気に笑っている。
「自分がカンボジア人からハッピーに生きる方法を学んだように、他の日本の人もカンボジアから学ぶことができるのではないだろうか。」
そんなふうに考えていたところ、今のハッピーソーププロジェクトの衛生担当者とつながり、衛生教育を通じて真の国際交流を図るというアイデアに至ったということだ。
日本でしないことを、カンボジアで平気でやっていないか?
カンボジアと聞けば、子どもたちの笑顔を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。事実、「カンボジア」で検索をすると、トップに出てくる写真はアンコールワットやカンボジアの子どもたちの笑顔ばかりだ。
子どもの笑顔には人を惹きつける強大な力がある。カンボジアで活動するボランティア団体がその笑顔を広告に使いたくなるのは深く頷けるし、SNSでシェアしたくなる気持ちもわかる。
しかし、ハッピーソープフェスティバルでは敢えて、「子どもたちの笑顔を撮影しない」取り組みを行なった。
子どもたちを撮影する際は、人権保護のために手や後ろ姿の写真を使うこと。子どもたちとの自撮りをSNSにあげるのは、もちろん禁止だ。そうした「子どもの笑顔を売りにしない」という方向性は、カンボジアのボランティア団体では非常に珍しいという。
一体なぜ、子どもたちの笑顔を撮影しないのか。鈴木さんの口から出た答えを聞いて、筆者が今まで抱えていた、ボランティアに対するモヤモヤが晴れていく清々しさを感じた。
「子どもたちの笑顔を撮影しないの理由のひとつは、子どもたちの人権を守るため。そして、人権に意識的になってもらうため。」
たとえば、日本で笑顔が素敵な子どもたちがいたとする。しかし、可愛いからといって勝手にその子どもたちの顔を撮影するだろうか。ましてや、SNSでその子どもたちの顔を晒すことがありえるだろうか。
おそらく、ほとんどの日本人は「NO」と答えるだろう。写真が悪用されることや、事件のきっかけになることを危惧する人も多い。しかし、カンボジアであれば、なぜだか「OK」であると判断してしまう。
よくよく考えれば、やってはいけない気がする。しかし、まるで道端のネコでも撮るように、子どもたちの写真を何の気なしに撮り、ネット上にあげてしまっている人も多い。
カンボジアだから許される?確かに、日本ほど気にする人は少ないのかもしれない。しかし日本では絶対にしないことを、カンボジア人に対してなら平気でやってしまっていることに、もっと意識的になってほしいというのが鈴木さんの想いだ。
楽しんでいる自分たちが主役。だから子どもたちの笑顔は写さなくていい
鈴木さんは「そもそも、子どもたちの笑顔を撮影する必要がない」とも話す。この回答に対し、頭にクエスチョンマークを抱えた人も多いかもしれない。
「楽しんでいる自分たちが主役。だから子どもたちの笑顔は写さなくていい。」
ピンクや水色のTシャツを着ているボランティアスタッフたちもみんな、良い笑顔をしている。つまり、このイベントの主役は子どもたちではなく、イベントに参加している“ボランティアスタッフ”だ。そもそもプロジェクト自体が「社会貢献をしよう」という献身の気持ちで始まったものではない。鈴木さんの「カンボジア人に衛生教育を伝えたい」という個人の想いが、多くの人を巻き込んで動き出した結果だ。
目的は、あくまで衛生教育をきっかけに国際交流をはかり、日本人とカンボジア人が互いの良さを学び合う機会を設けること。鈴木さんは、子どもたちの笑顔はその副産物だと考えている。
ボランティアをイメージだけで捉えてしまうと「何かを与えなければいけない」と感じ、ボランティアを“与える側”であると勝手に思ってしまう。「先進国に住む私たちが貧しいカンボジアを支援する」こんな押し付けがましい考え方を持っていたのは、筆者だけではないだろう。
しかし、ハッピーソーププロジェクトでは“お互いを応援する”スタンスを取っていて、自分たちが出来ることを差し出し合い、出来ないことを補い合い、お互いが協力をしてプロジェクトを進めていく。そして、ボランティアスタッフたちは、自分たちが楽しいから参加する。
「何かを与えなきゃ」「社会に良いことしなきゃ」と背負う必要はなく、純粋にその場を楽しめば良いだけなのだ。なぜなら、主役はボランティアスタッフなのだから。
子どもたちではなく、主役のボランティアスタッフが楽しんでいる笑顔を撮ってほしい。子どもの笑顔を撮影する必要がないのは、このためだったのだ。
編集後記
「自分たちが楽しいからやる」
この純粋な気持ちはとても清々しく気持ち良い。「誰かのために何かする」というのは、そこに“意味”という大義名分を担がなければ動き出してはいけない気がしてしまうけれど、“誰かに認めてもらうための意味”は必要不可欠ではない。
自分たちの「楽しい」が先に来て、その延長線上に「誰かのため」があっても良いということを、ハッピーソーププロジェクトは伝えている。
ボランティアや社会貢献は、もっと重たいものであると筆者は思っていた。もちろん、その活動が相手の迷惑にならないかどうかは考えなければいけない。しかし、「やりたい!」というシンプルな気持ちで飛び込んでもいいのだということを、今回身をもって感じた。
フェスティバルが終わった後も、ハッピーソーププロジェクトの活動は続いている。現在、日本でのイベントも多数予定されており、来年のフェスティバルも検討中とのことだ。興味がある方は、ぜひ参加してみてはいかがだろうか。
【参照サイト】Happy Soap Project(ハッピーソーププロジェクト)
【参照サイト】Saboo Sabay(サブーサバイ)
Photo taken by takumiko