カンボジアで感じた、仏教的コミュニティでの「生きやすさ」の正体

Browse By

東南アジアにいると、不思議と心が軽くなる。お金を稼ぐことに縛られず、不思議と何とかなる感じがする。この空気の正体は何だろう。

筆者はうまく言語化ができないまま、2013年に初めて訪れたカンボジアに魅了されてから気が付けば10年もの間、日本とカンボジアを行き来している。そのうち3年弱、「生活者としてこの国を見てみたい」と思ってカンボジアに住んだ。そのときの経験を通じて、おぼろげながらこの国の「生きやすさ」の断片をつかめた気がする。

今回の記事では、そんなカンボジアの「生きやすさ」を生み出しているものの根底を探っていくことにしよう。

社会的弱者を援助する仏教思想

カンボジアでは、歴史的にコミュニティのような、同じ階層同士の「横のつながり」を生み出す組織や集団は、ほとんど見られなかったというのが通説だ。その理由はいくつか存在する。

まず、気候や自然の条件が良く、横のつながりによる助け合いがなくても果物などを採取したり稲作をおこなったりすることで、基本的な食料自給を達成しやすい点が挙げられるだろう(※1)。実際に、カンボジアでは一年中多様な果物や野菜が採れ、常に色とりどりの食材が市場に陳列されている。

マーケットのフルーツ

筆者撮影

また、自国民の大量虐殺を行ったポルポト時代を含む、1970年ごろから約20年にわたって続いた内戦時代の記憶も、カンボジアにおけるコミュニティ論を語るにあたって取り上げられることがある。

長く続いた内戦の中で、国民が頼れるのは権力や暴力だけだった。国民同士での密告が奨励され、政府の方針に異議を唱えるものは容赦なく抹殺された時代が長く続いたことで、オープンな議論が交わせるようなベースは破壊された。

その代わりに形成されたのは、目をつけられないように、上の立場の顔色を伺いながら行動することを是とするような規範である(※2)。このような行動規範が残っていることも、横のつながりを生み出すことを困難にしてきた要因と考えられている。

以上のように、歴史的に人々の「横のつながり」が形成される土壌がなかなかできなかった。しかしカンボジアでは、まったくの他人が人間関係を結び、裕福な人が貧しい人の生活を援助する行為(住まいの提供、金銭的援助など)が伝統的に行われてきた(※3)。カンボジアは異なる階層同士の人々の「縦のつながり」によって発展してきたのである。

この背景としてあるのが、国民の多くが信仰している上座部仏教の思想だ。敬虔な信仰を持つカンボジアの友人にこんな話をされたことがある。「困っている人を助けたら、自分が困ったときにだれかが助けてくれます。逆に悪い行いをしたら、それもいつか自分に返ってくるので、自分の行いは見直さないといけないのです」。

これは因果応報と呼ばれる仏教的な考え方だ。余裕のある人は、困っている人に分け与える。この精神は今もカンボジアの人々に深く根付いている。

寺院を起点としたコミュニティがセーフティネットに

現代のカンボジアでは、人々が集う生活圏で形成されたコミュニティがしばしば見られる。その代表例が、寺院を起点としたコミュニティだ。

寺院

筆者撮影

2019年にカンボジア計画省統計局が実施した国勢調査では、国民の約97%が仏教徒だという(※4)。実際、小さな村落であっても村人たちの寄進で建てた寺院があり、結婚式や葬式、お盆などさまざまな場面で人々が参拝する様子が見られる。

また、祭りごとなどがない時期には、子どもに読み書きを教える「寺子屋」のような役割を担っていたり、地域住民が集う場になったりしている。

社会保障がぜい弱なカンボジアでは、昔から寺院がセーフティネットの役割を果たしてきた。経済的理由などで、親が育てられない子どもは寺院に預けられ、僧侶による読み書きやお経などの授業を受けられる(ただし、仏教的な価値観から、この門戸が開かれたのは男子のみだった)。

寺院内で暮らすため、住まいを心配する必要もない。実際に、筆者がカンボジアのフリースクールで働いていたとき、寺院を住み家にしながらスクールに通っていた子どももしばしば見受けられた。また、子どもでなくても寡婦など社会的立場が弱いとされる人は、白衣を着用し、仏教の戒律を守って暮らす「ドンチー」として、修行しながら寺院内で生活できる。

さらに、寺院は地域における学校建設や道路の補修などでも中心的な役割を担ってきた。地域住民も寺院に協力して、土地や労働力、資材の提供などを行っている(※6)

このように、寺院コミュニティが果たす役割は大きい。寺院を介して人々がつながり、そのつながりがセーフティネットとなってきたと言えるだろう。

カンボジア

筆者撮影

自立とは、誰かに助けを求めていけること

近年の経済発展を背景に、中産階級が増えたカンボジアだが、金銭的に余裕を持って暮らせる人の割合はまだ限られているのが現状だ。特に首都のプノンペンは物価が高く、仕事や学業で農村部から移住してきた人たちは、プノンペンに住んでいる親戚や友人と一緒にルームシェアをして暮らすことが多い。家賃を出し合って住居を借り、場合によってはお互いが持っている物をシェアし合いながら、足りないものを補っている。

このように、お金がなくても足りないものを補い合える人が周りにいれば、なんとか生活していける。

筆者は一時期、四肢が不自由な方のヘルパーとして働いていたことがある。そのときに行われた研修で、こんなことを言われた。

「自立した生活というのは、依存先を増やしていくこと。一人だけで生きていくのは自立ではなくて、孤立なんだ」

この言葉は、障害者の当事者研究を行っている熊谷晋一郎氏の言葉だそうだ。依存先をつくって、困ったときに「助けて」と言えるつながりを増やしていく。みんながそうすれば、少しは生きやすい社会になるのではないだろうか。

カンボジアで「生きやすさ」を感じたのは、困ったときに助けを求めやすいつながりや仕組みが、伝統的にあるからなのだと思う。

「誰かに助けを求めるのは、他人に迷惑をかけてしまう」

そう思っている人はいないだろうか。SOSを出すことは「誰かの迷惑」ではない。受け取った恩は、自分に余裕ができたとき、ほかの人に渡せばいい。

私たちは、それぞれが支え合いながら生きてきたのだから。

※1/2/3 岡田 千あき(2010)「カンボジアの現代コミュニティに関する一考察」大阪大学大学院人間化学研究科紀要 p.200/p.201/p.200
※4 National Institute Statistic Ministry of PlanningGeneral Population Census of the Kingdom of Cambodia 2019
※5 JICA(2005)「貧困削減と人間の安全保障 調査研究報告書」p.215
※6 江田 英里香(2013)「コミュニティにおけるソーシャル・キャピタルの役割について」国際貢献ジャーナル p.51
※7/8 内閣官房孤独・孤立対策担当室(2023)「人々のつながりに関する基礎調査」p.19/p.40

Edited by Erika Tomiyama

FacebookTwitter