多死社会における幸福論。富山県上市町と矢野和男さんから学ぶ、「終わり」から考える幸せ【前編】

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Sponsored by 富山県上市町

「幸せ」とは、なんだろうか。あなたは今この瞬間、「幸せ」と言えるだろうか。

誰しもが身近に感じていながらどこか曖昧なのが、この「幸せ」という概念だ。「幸せは、人それぞれだ」──口ではそんなことを言いながら、しかし心のどこかで、「幸せ=これだ」という明確な答えを、誰かに提示して欲しい。そんな風に思っているのではないだろうか。それは、後ろ向きなニュースが絶えない社会に生きていればなおさらだ。

多死社会を幸福に生きるための、ヒントを探る。

日本の総人口に占める高齢者の割合は、2023年に29%に達し、同年75歳以上の人口は2,000万人を超えた(※)。その数は2040年にピークを迎え、今後15年の間、医療や介護といった「ケア」のニーズは高まり続けていくと予想されている。日本の医療従事者の数は年々増えているものの、他のOECD加盟国に比べると人口に対する絶対数が少ない。さらに、都市部と地方での医師の偏在なども課題とされている。

こうした後期高齢化社会の次に訪れるのが、「多死社会」である。次から次へと人が死んでいく──そんな社会は、「幸せ」とはほど遠いものだと感じるかもしれない。しかし、私たちがいくら絶望しようとも、その社会はやってくる。

それならば、この「縮小していく」社会で、私たちが本当の意味で「幸せに」生きていくためには、何が必要なのか。これを考えていくことが、今私たちが何よりもすべきことなのではないだろうか。

そのヒントが眠るのが、富山県上市町だ。ここでは、町の中心にある総合病院が地域に密着した包括的な医療ケアの担い手となり、役場や地域住民を巻き込みながら、町のコミュニティ基盤を作っているという。今回は前編と後編にわたり、まず前編では、その中心となって活躍する医療従事者から、地域での実践や「終わり」から「始める」マインドを学び、「暮らしていて幸せな地域」について考えていく。

さらに後編では、20年近く人間の生体データを用いた幸福の研究を行い、日本で最も幸福について詳しいと言っても過言ではない科学者・矢野和男さんから、科学的に証明されている「幸福の原則」を聞き、それを上市町の実践と照らし合わせることで、より再現性の高い「幸せへの道筋」を明らかにしていきたい。

佐藤副院長、川岸看護部長

佐藤院長(左)と川岸看護部長(右)

話者プロフィール:佐藤幸浩(さとう・ゆきひろ)(写真・左)

1989年、自治医科大学卒業。富山県立中央病院にて研修後、1991年氷見市民病院の内科医として勤務。その後、上市厚生病院や自治医科大学附属病院消化器内科、芳賀赤十字病院などで内科医としてキャリアを重ね、総合内科専門医や消化器病専門医を取得。2005年かみいち総合病院に内科副部長として赴任。2018年に同院の副院長に就任し、現在は地域医療連携室長や家庭医療センター長などの職を兼ねる。2024年4月に同病院の院長となる。

話者プロフィール:川岸孝美(かわぎし・たかみ)(写真・右)

1985年、富山県立中央病院に入職し、集中治療室、緩和ケア病棟等に勤務。2005年看護師長に就任。2010年から2013年まで、高志リハビリテーション病院(現:富山県リハビリテーションこども支援センター)に副看護部長として出向。2015年、認定看護管理者取得。看護管理者としてキャリアを重ね、2019年かみいち総合病院へ赴任。2021年、同病院の看護部長に就任。

医師と看護師が、町のアクターと密に連携。住民の声をとことん聴く「ケア」のあり方

上市町は、富山県富山市の東に位置する、人口約2万人の小さな町だ。富山駅から地鉄で25分とアクセスが良い一方、日本百名山にも選定される剱岳(つるぎだけ)を背にし、壮大な自然を身近に感じられるのが魅力だ。かつては物資流通の中心地として栄え、現在は米作をはじめとした農業、また製造業を中心とする工業に支えられる田園工業都市である。

上市町の風景

上市町の風景

駅やショッピングセンター、役場といった、生活に必要な機能が町の中心にコンパクトにまとまっているのも特徴だ。そして、立地的にも町の中心に位置し、この地域の「ケア」を中心となって担っているのが、かみいち総合病院である。

計19の診療科に、199の病床。規模としては中病院に分類されるこの病院では、313人のスタッフが勤務し、ひととおりの治療を受けられる体制が整う。かみいち総合病院の特筆すべき点は、医師や看護師が病院の“外”に自ら出ていき、住民や多職種の人々を巻き込みながら進める医療ケアの在り方、そしてそれが医療やケアといった枠組みを超え、「まちづくり」にまでつながっているという点だ。

川岸さん「2019年にこの病院に来たときに感じたのは、住民の皆さんとの距離がとても近いこと。例えば佐藤先生は、患者さんはもちろん、そのご家族のことまで本当によく知っています。どんな患者さんに対しても、『あの人はこんな人だよ』と、すぐに教えてくださるのです。この人は何者なんだろう、と思うくらい(笑)」

例えば2023年春からは、特定の分野の知識やスキルを持つ認定看護師が行う「出前講座」を開始。住民の希望に応えて行われる講座は大人気で、2024年2月の時点ですでに33回開催、これまでに計540人もの住民が参加しているのだという。

川岸さん「認定看護師の出前講座は、病院のホームページに講座内容を掲載し、そこから直接申し込みができるようにしています。ですが、例えば上市町の区長さんたちは、わざわざ病院に足を運び、『今度この講座をうちの地区でやって欲しいんだよね』と言いにいらっしゃることも多いのです。そうした『顔の見える関係性』があるのが、この町の良いところだと思います」

出前講座の様子

認定看護師による出前講座の様子

町役場や福祉施設、ソーシャルワーカーといった多職種とも、「何かあったらすぐに相談できる」関係性ができている。だからこそ、病院だけではできない“一歩先の”医療ケアがスムーズに実現できるのだという。

佐藤さん「医者は、病気を診断して薬を出すことはできます。一方で、患者さんの心のケアは苦手な場合も多い。病気が治った後も、その人の生活は続いていきます。だからこそ、多職種が協働し、それぞれが持っている知識や技術を生かし、補い合いながら生活に寄り添い支えること。これが、良いケアを行うためには必要だと考えています」

「町の人に寄り添い支える医療」転換のきっかけは、住民からのネガティブな声

しかし、かみいち総合病院は現在のこうした「地域密着型医療」を開設当初から行っていたわけではない。

同病院が建てられたのは、1951年。当時の病院に求められる役割は、「都会と同じ医療を農村地域で提供すること」だった。そのころは若年層のスタッフも多く、24時間・365日体制の医療を実現できたという。

かみいち総合病院

現在のかみいち総合病院

しかし、時代が進むにつれて、上市町にも例外ではなく少子高齢化の波が訪れる。医者や看護師が不足し、都会の先端医療と比べて技術的にも遅れを取るようになっていく。そうした中で、都会と同レベルの医療を提供できないかみいち総合病院に対して、次第に住民からネガティブな声が聞かれるようになっていった。これが、病院が現在の地域密着型医療に舵を切るきっかけとなる。

佐藤さん「これまでの医療を続けていくだけでは、もはや住民の信頼は得られない。では、病院として何をするべきなのか。それは、ただ病院がやりたい医療をやっていくのではなく、住民の声を聞き、住民が本当に必要としている医療を提供することだと気づいたのです。そこから目指し始めたのが、『住民の生活に寄り添い支える医療』です」

これを実現するためにかみいち総合病院が住民の声を聞くためにまず始めた取り組みが、「ナイトスクール」だ。最初は、病院の体制変更などについて病院側が説明し、その後に住民とのフリーディスカッションを行うという形式で始めてみたという。しかしいざ対話を始めてみると、住民からあがってきたのは「病院への苦情」ばかりだったと佐藤さんは話す。

佐藤さん「病院や医療のあり方を、住民や福祉関係者たちと常に話し合い、考え続けること。これからの時代には、それが必要になってきます。ですから、ナイトスクールも住民の皆さんと“一緒に”考える場にしていきたいと思ったのです」

「死」や「終わり」についての対話が、“当事者性”を呼び覚ます

地域医療について主体的に考えてもらうためには、どんな問いかけをすれば良いのか──そこで病院が出した答えは、「最期のときにどこで過ごしたいか」「誰と過ごしたいか」といった、人生の終わり、つまり「死」に向けた対話を住民と共にすることだった。これが、それまで医療を「提供される側」だった住民たちの“当事者性”を呼び覚まし、対話を建設的なものに変えていったという。

佐藤さん「病院はもちろん率先して考えますが、上から目線で、『病院はこうやるから、みんなついてきてね』と言うだけでは不十分なのです。役場、住民、病院、みんなが病院や医療をどのようにしていくかを考えること。医療やケアを“自分ごと”として考えられるようになること。そこから、“お互いに支え合おう”という意識が生まれてくるのではないでしょうか」

「できなくなったこと」を無理に追い続けるのではなく、“終わるべきもの”にきちんと向き合う。そこから病院としての存在意義を見直し、全く新しい方向に転換する。かみいち総合病院は、こうしてマイナスだった過去を乗り越えた。

さらに、その過程で住民を巻き込んでいったことが今の上市町を作っていると言えるのではないだろうか。

住民からの苦情を受けた際、その要望に病院がひたすら応えていくという道もあったのかもしれない。しかしそのままでは、どこまでいっても「病院=ケアする側」「住民は=ケアされる側」といった認識を変えることはできず、今のかみいち総合病院と上市町の住民の間に存在する強いつながりを生み出すことはできなかっただろう。その境目を溶かすスイッチとなったのが、「人生の終わり」への対話だったのだ。

ナイトスクールの様子

ナイトスクールの様子

分娩を廃止するという「終わり」の決断が、新しい産後ケアの「始まり」に

「終わり」から「始める」──かみいち総合病院には、こうしたマインドがあるのかもしれない。それは、近年始まった地域連携型の産後ケアにもつながっている。

産後ケアとは、産後の母親に向けて、育児の支援や心身のケアを行うサポートのことだ。2017年に国が努力義務化したことも助け、近年行政や民間で徐々に事業としての広がりを見せている。

かみいち総合病院では、2018年からこの産後ケアを始めていた。しかし、その頃は認知度が低く、5年間で利用があったのはたったの1件のみだった。そんななか、かみいち総合病院ではスタッフ人数の減少から、それまで行ってきた分娩を廃止。2022年9月のことだった。総合病院が分娩をやめるということは、赤ちゃんの出生をよそのまちに託すということだ。

川岸さんは、「分娩の廃止は苦渋の決断だった」と語る。それは住民にとっても、そして、「出産に立ち会うこと」を何よりのやりがいとする助産師たちにとっても、だ。

川岸さん「分娩を止めるということは、助産師さんにとってはとても辛いことです。当然ですが、みんな落ち込んでいました。これをきっかけに、実際に退職した助産師さんもいました。しかし、だからこそ、そこで残ってくれた助産師さんに対して『何か新しいことを考えていこうよ』と呼びかけていったのです」

病院と温泉施設が連携した「産後ケア」。挑戦を繰り返し、一歩先のケアへ

川岸さん「代わりに、上市町の子育て支援はしたい。そう考え、何か新しいことをできないかとみんなで話し合いました。そのなかで出てきたのが、産後ケアの取り組みを改めて見直し、もっとお母さんたちを休ませてあげよう、という意見でした」

そのときに川岸さんの頭には、コロナ禍で看護師に宿泊先を提供してくれていた地域の温泉施設「つるぎ恋月」が浮かんだ。温泉施設で産後ケアをさせてもらえないか。このアイデアを役場に持っていくと、「湯神子温泉も使えるのでは」と企画が膨らみ、これら2つの温泉の協力も得て新しい形の産後ケアが実現した。

川岸さん「お母さんたちには、温泉にゆっくりつかってもらい、美味しい懐石料理を食べていただく。リラックスした後は、助産師さんに産褥(さんじょく)体操を教わったり、身体や育児の相談をしたり。不安が尽きない育児に対してプロから直接アドバイスをもらえることが、お母さんたちの安心につながっているようです」

こうして、それまでほとんど利用のなかったかみいち総合病院の産後ケアは、温泉施設との連携を始めてから、2023年度には延べ70人ほどが利用するほどの大好評を博す取り組みに成長した。

助産師による産後ケアの様子

助産師による産後ケアの様子

川岸さん「最初は、全員が産後ケアに乗り気だったわけではありませんでした。『(分娩が廃止になり)こんな辛いときに、新しいことなんて考えられない』と。しかしそんな彼女たちが、実際に産後ケアを始め、お母さんたちからの喜びの声をいただくうちに、段々と前向きな気持ちに変わっていきました。今では、若年出産者や外国人といった特定妊婦さんのケアもやりたい、と自分たちから言ってきてくれるほど。これほどイキイキと能動的に動いてくれるようになって、本当に良かったと感じています」

何かが「終わる」からこそ、新しいことを考えていく。佐藤さんや川岸さんはこうした病院の取り組みをイキイキと楽しそうに語る。その前向きなエネルギーは、病院のスタッフにも波及しているようだ。そしてそれは住民へ伝わり、それが感謝の声としてまた病院に返ってくる。上市町には、そんな良い循環が確かに存在する。

川岸看護部長

川岸看護部長

在宅看取りを、上市町の文化に。死と正面から向き合うからこそ生まれる、町の中の“ケアマインド”

地域や組織、プロジェクト。何事にも、何らかの形で終わりは必ず訪れる。そしてそれは、人間の「命」も同じだ。私たちの命は、いつか必ず「死」という終わりを迎える。この運命を免れることができる人は、誰一人としていない。

上市町は、看護師やヘルパー、ソーシャルワーカーといったケア領域の多職種との密な連携が必要となる訪問診療や在宅看取りにも、10年ほど前から力を入れてきた。

佐藤さん「関係者が多いからこそのトラブルも度々起こります。例えば、家で看取られるはずだった人が急に病院に運ばれてきてしまったり、関係者同士の意見がうまく調整できなかったり。その度に、それを改善するシステムを作って乗り越えてきました」

「住み慣れた場所で過ごし、最期を迎えたい」──そんな、住民の「最後の希望」を叶える体制を作り上げるため、上市町は試行錯誤を重ねてきた。その想いは、確実に住民にも伝わり始めている。

佐藤さん「訪問診療を始めてから10年ほど経った頃、かつて在宅看取りを経験した患者さんのご家族から寄付をいただきました。『自分は母を家で看取ることができて、 とても勉強になったし、良かったと思っている。だからこのお金を、訪問診療にあててください』と」

取材の様子

取材の様子

佐藤さんはこの在宅看取りを、「上市町の文化にしたい」と語る。最期まで、自分たちの望む場所で、望むように過ごせること。それを実現できる社会は、きっと幸福に近い。だから、それをできる限りサポートする医療を届けたい──これが、佐藤さんの信念でもある。

佐藤さん「ただし、いざ死に直面したときにそれを考え始めるのでは、なかなか深い考えに至るのは難しいものです。ですから、元気なうちから、そして若いうちからもっと『死』について考える機会を持ってもらいたいと考えています」

そこで上市町では、医者や助産師が地域の小学校へ出張授業に出向き、子どもたちに『死』について教えているという。

佐藤さん「世の中には、生きることの大切さを教えられる人はたくさんいます。でも、死を教えられるのは、医療従事者しかいない。 死を理解しないと、本当の意味で命の大切さを理解することはできないのではないかと思っています」

川岸さん「上市町の人たちはケアを病院任せにするのではなく、自分ごととして捉えるマインドを持っていると感じています。

例えば、ある区長さんがこんなことを仰っていたことがあります。『自分の地区には認知症の親御さんを介護している息子さんがいて、その人がとても苦しそうなんだ。だから、ぜひ出前講座で認知症介護の話をして欲しいんだ』。

当日はその認知症の親御さんと息子さんが出前講座に来てくださり、それを見た区長さんは『良かった』と言って泣いていたのです。これはまさに、『お互いにケアし合おう』という意識から来るものではないかと思うのです」

未曾有の多死社会へ突入する準備ができているか?

これから日本が世界に先駆けて直面していくであろう「多死社会」。人の死だけではなく、制度・機能・組織・商店など、様々なものの「終わり」が、これまで経験したことのない頻度で訪れるだろう。私たちは、そうした社会を迎える準備ができているだろうか。

富山県上市町では、そんな未来から目をそむけることなく、あらかじめ「死」や「終わり」について対話を重ねる文化がすでに形成されつつあった。その中心となるかみいち総合病院の人々から、私たちがこれからの時代を幸福に生きるために大切な“態度”を教えてもらったように思う。

▶︎後編に続く

多死社会における幸福論。富山県上市町と矢野和男さんから学ぶ、「終わり」から考える幸せ【後編】

上市町の企業版ふるさと納税について

富山県上市町では、これから訪れる多死社会と向き合うため、医療とコミュニティが相互に作用する、先進的な地域医療モデルの実現を目指しています。こうした取り組みに賛同し、医療、ウェルネス、高齢者、子育て支援などの分野で協働できる企業さまを募集しています。詳細は以下のURLよりご覧ください。
上市町「ふるさと応援寄附金」(ふるさと納税)のご案内(公式サイト)
詳細資料:コミュニテイ・ホスピタル事業について(PDF)

統計からみた我が国の高齢者(総務省)

【参照サイト】かみいち総合病院
【参照サイト】産後ケア事業の実施状況及び今後の対応について

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