ボルネオの生き物たちに流れる「いのちのものがたり」に触れて【現地ツアーレポ前編】

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ボルネオ島の熱帯雨林

沈みゆく太陽が靄に包まれた空に重なり、映し出された薄桃色の世界。ある夕暮れ時、熱帯雨林で見舞われたスコールの合間に現れた景色だ。

小さな頃、図鑑で見たウツボカズラ、恐竜の世界にタイムスリップしたかのような巨大なシダ、葉の裏側だけが紫色の名も知れぬ植物、原色のキラキラした模様の羽を持つ蝶々に、照らされたライトのもとへとやってくる巨大なカブトムシ。テングザルにオランウータン、ボルネオゾウ……ボルネオ島の熱帯雨林には、200種類以上の哺乳類、およそ260種類の両生類や爬虫類、600種類を超える鳥類に約15,000種類の植物が生息している。

一頭、一匹、一羽、一本……そこに生きる生物たちは、生かし、生かされながら、地球のリズムに合わせて息をしていた。そうやって、いのちをつないでいた。

ウツボカズラ

人間を含めたあらゆるいのち、地球全体のいのちについて考えるきっかけをつくろうと、2022年に始まった「いのちをつなぐ学校」。コロナ禍で創業70周年を迎えたサラヤ株式会社が、感染症に関する正しい知識、自分で判断できる正しい知識を学んでもらいたいと始めたプロジェクトだ。専門家による特別授業や参加型の学習プログラムなど、オンライン・オフラインでさまざまな学びを届けている。

その一環で、今回、マレーシア・ボルネオ島にて、中高生たちが環境問題や生物多様性、生命を体感する「ボルネオ学習ツアー」が企画された。

BESの小象と子どもたち

自社製品に使用しているパーム油が、熱帯雨林の破壊や生物多様性の喪失につながっていると知り、その生産地であるボルネオで、ゾウやオランウータンの保護活動、生態系を守る活動を始めたサラヤ。そこで、地上で一番大きな生き物であるゾウを目の当たりにした代島裕世本部長は、同時に、目に見えない小さな菌までを支える「大きなエコシステム」の存在を感じたという。

「ボルネオでは、ゾウやオランウータンが絶滅危惧種として、個体数を減らしている現実があります。ですが、限られたものだけを助けることは部分的であり、それだけが増えてしまうことになります。そうではなく、菌やウイルスを含めた“すべての生物との調和”が大切であり、そのことを伝えたいと思ったんです」

2024年8月、10代の若者と大人たちの合わせて20人が、ボルネオ島に向けて出発した。全国から集まった中・高校生6人、「いのちをつなぐ学校」の校長を務める生物学者の福岡伸一先生(以下、フクオカハカセ)、新渡戸文化学園の山藤旅聞副校長、サラヤ株式会社、一般社団法人Think the Earthのメンバー。生物多様性の宝庫であるその場所で、私たちは約1週間、溢れる生命の息吹に触れ、そこに宿る「いのちのものがたり」と出会った。

ナナフシ

ラフレシア、チョウ、カブトムシ、ワニ……ボルネオ島で出会った生物たちは、私たち人間に「何か」を伝えようとしていた。彼らが発していたメッセージとは──現地にワープしたような気持ちで、読み進めていただけたら幸いだ。

ゴキブリだらけの洞窟で巻き起こる「食う食われる」の営み

洞窟の中に「キャー」と悲鳴が鳴り響く。そこは、サバ州サンダカンにある「ゴマントン洞窟」。その地面から壁までの至るところには、ゴキブリがひしめき合っている。洞窟内に足を踏み入れた私たちは、そこかしこにいるゴキブリを踏まないようにと、注意深く歩みを進めていく。

ふと上を見上げると、洞窟の天井は高く、隙間から白い光が差し込んでいた。それから視線を手元に戻すと、やはり無数のゴキブリたち。普段、こんなにも近くで眺めることのないその生物の体は、茶色く光沢を帯びて輝いていた。

ゴマントン洞窟

コウモリやアナツバメ、ゴキブリなど昆虫たちの住処である「ゴマントン洞窟」

ゴマントン洞窟に生息しているのは、ゴキブリだけではない。日中は夜行性のコウモリの住処で、夜は昼間の狩りから帰ってきたアナツバメの住処となる。つまり、ここでは昼と夜で「住人」が異なるのだ。その入れ替えのタイミングが、夕方の18時頃。数百万匹のコウモリが洞窟から飛び出し、まるで龍のごとく旋回しながら夜の外に向かって羽ばたいていく。それが、「ドラゴンフライ」と呼ばれる所以だ。そんななか、アナツバメたちがコウモリのいなくなった洞窟へと戻ってくる。

目を凝らしてその光景を見ていると、そのとき、木の上から様子を窺っていたワシやタカなどの猛禽類が、狙いを定めてコウモリに食いついた。瞬く間にコウモリはタカの胃袋の中に。ほんの一瞬の出来事だった。

ドラゴンフライ

ボルネオの空に広がるドラゴンフライ

洞窟のなかでは、ゴキブリがアナツバメやコウモリなどの糞尿を食べて分解している。キナバタンガン川のクルーズ中に目にしたワニの口の中には、木から落ちてきたであろう生物が入っていた。ワシもアナツバメもゴキブリもワニも、みな他の誰かの生命をもらって生きていた。「食う食われる」は、何億年も前からこの地球で続けられてきた生命の営みであり、そうしてあるいのちが次へ、また次へと繋がれてきたのだった。

「食う食われるという関係は、生態系のあらゆるところに張り巡らされていて、それは弱肉強食のような上下関係ではありません。誰かが誰かを食べ、食べられる。そのおかげで一つの種が増えすぎず、もう一方も減りすぎないようにバランスが保たれています。食う食われるというのは、同一の環境を共生するための知恵なのです」とフクオカハカセは言った。

キナバタンガン川のイリエワニ

そんな命がけの世界のなかで、生物たちは常に「死」と隣り合わせだった。一方で、言葉をつくり、文明を生み出した人間たちのなかでは、死は恐るべきものとなり、遠ざけられるようになった。そうやって、いつしか人々は謙虚さを失い傲慢になったかもしれない。新型コロナウイルスが世に姿を現し、私たちが見えないウイルスに翻弄されていたとき、その傍らでは、生物たちはいつも通り食って食われ、死と隣り合わせの日々を生きていた。

ボルネオの熱帯雨林で垣間見た、いのちの循環。それは、生命の本来のリズムから離れ、利己的になってしまった人間を気にも留めず「当たり前に」そこにあった。

キナバタンガン川のほとりで感じた「ふたつの時間」

「あそこにサイチョウがいる!」「木が揺れている、あれはテナガザルかな?」「あ、イリエワニ!なんか口に入ってる?」

キナバタンガン川のクルーズ中、姿を見せたボルネオならではの野生動物たち。そんな彼らを見逃すまいと、双眼鏡とカメラを片時も離さず、目を凝らし続ける人間たち。朝昼夕と時間を変え、私たちは小さなボートで野生生物を探しに出た。

そんなキナバタンガン川でのクルーズ中、川の両岸には緑色の木々が生い茂っていた。一見人の手が入っていない森のように見えるが、実はその多くが、一度は商業用木材として輸出するために伐採された二次林(※1)。その木々の上にはテナガザルやツノサイチョウが止まり、下にはイリエワニや巨大なトカゲが身体を横たわらせている。そして、そのすぐ奥には、ヤシの木がちらりと見えていた。今やボルネオの主要産業の一つとなった、アブラヤシのプランテーションだ。

キナバタンガン川

キナバタンガン川沿いに生える二次林とその奥に見えるプランテーション

プランテーションで育てられたアブラヤシは、パーム油(植物油脂)として、日本でもチョコレートやスナック菓子から化粧品まで、多くの製品に使用されている。一度植えれば次の植え替えまで20~30年間、毎年大量の油を生産することができるため、その利便性や汎用性の高さから産業化され、現在マレーシアとインドネシアの2国で世界の約80%以上が生産されている(※2)。プランテーションでの賃金は比較的高く、海外から出稼ぎでやってくる人もいるほど。家族のため、子どもの夢を叶えさせてあげるため──アブラヤシ農園で働くことを目指す人がいるのだ。

しかし、アブラヤシを植えるために、生物たちの住処であった豊かな熱帯雨林は破壊され、生物多様性が失わつつある。キナバタンガン川の下流は、その80%が原生林を失い、野生動物保護区域に指定されている。原生林の面積が小さくなることで動物たちの行動範囲も狭まり、近親の交配が進んで遺伝子の多様性が失われることから、プランテーションでの生物多様性の豊かさは、原生林と比べると著しく低いという。

テングザル

何百年という月日を経て、ボルネオの原生林に自生していた50メートル以上にものぼる高い木々。それらは、重機によって一瞬で切り倒され商業用木材として輸出され、それが尽きると、今度はアフリカからヤシの木が持ち込まれ、プランテーションがつくられるようになった。言葉をつくり、「賢く」なり、機械を生み出した人間が止めた「いのちと時間の流れ」がそこにはあった。

※1 もともとあった天然林に伐採などの大きな人為的な攪乱が加わり、その後に自然に森が再生した結果できた植生(出典:佐渡市 天然林・人工林・二次林 三つの森の形
※2 認定NPO法人ボルネオ保全トラスト・ジャパン 3分でわかるパーム油より

保護されたゾウたちと人間の介入

足に白い輪っかの跡が付いたゾウや、親と離れ離れになったゾウ。彼ら彼女らは、いずれも保護施設で暮らしている。原生林がどんどんと面積を減らすなか、住処を奪われてプランテーションに迷い込んだゾウたちは、アブラヤシを倒してその実を食べるなど、プランテーションの経営に害を及ぼすようになった。そうして、次第に人前に姿を現すようになり、日本で田畑を荒らすイノシシやシカのように「害獣」として罠にかけて殺されるように。そこでケガをしたり、孤児となったりしたゾウたちが保護されるようになったのだ。

そうした保護動物たちがいる一方で、私たちは旅の途中、野生の動物たちにも出会った。毎晩違う木の上に寝床をつくり、気持ちよさそうにゴロンと寝転がるオランウータン。川沿いで親子一緒に姿を見せ、お母さんのお乳を吸うボルネオゾウの赤ちゃん。同じ種でありながら、それぞれ異なる状態で生きる動物たちを目の当たりにし、中高生は、大人たちにこう尋ねた。

「保護施設にいる動物たちは、はたして幸せなのでしょうか?」

ボルネオゾウの保護施設

保護という名で自由を奪われ、人間の近くで生きる動物たちを目にした子どもたちの口から出てきた素直な疑問。これに対し、保護施設の園長は、こう答えた。「私たちが保護しなければ、彼らは自然の中で生きのびられません。だから、彼らはここで食べ物を得られて幸せだと思います」

この答えを訊いた子どもたちは、まだ腑に落ちていないようだった。動物たちの本来あるべき姿を想像し、人間が介入している状況にどこか違和感を抱いていた。しかし、保護しなければ人間の命は脅かされ、産業にも影響を及ぼすため「保護せざるを得ない」現状がある。何もしないよりはした方がいいのだろうか──答えのない問いが、子どもたちの心をモヤモヤとさせていた。

保護されたゾウたち

私たちが川沿いで出会った野生のボルネオゾウの前には、数多のボートが並び、大勢の人々がシャッターを切っていた。野生であっても保護されていても、人間の存在が近くにはあった。さまざまな理由があるが、本来、人前に姿を現すはずのない野生の生き物たちを目撃しているという現実は、これまでの人間の行い、そしてこれからのふるまいについて、何かを語りかけているよう気がした。

「いのちの価値に大小はあるのでしょうか?」

排水溝に潜む爬虫類を探し、空を舞う蝶々を狙って虫取り網を振る。ゾウやオランウータン、テングザル、ツノサイチョウなど、ボルネオならではの珍しい動物たちがいる場所で、中高生たちの目線の先にいたのは、昆虫や爬虫類などの「小さな生き物」だった。

熱帯雨林の散歩中、落ち葉の下を覗く子どもたち

走り回るかのような興奮した勢いとは裏腹に、見つけた生き物たちをひとつひとつじっくりと観察し、なかなか前に進まない。前よりも下や上ばかりを見ている彼ら彼女らは、生物多様性の一員として、その景色に染まりきっていた。その姿は、まるでこんな問いを投げかけていた。

「いかに、私たちの多くは、普段から大きなものやわかりやすいものばかりに目を向けているでしょうか」「いかに、小さな生命の存在、その働きを無視して生きているでしょうか」と。

虫取りをする子どもと大人

多くの人は、大きな動物や珍しい動物などを好んで見てその写真を撮ろうとする。野生のゾウをみるために、何十ものボートが列をなし、オランウータンの保護施設では、給餌の時間に無数の観光客が果物を食べるオランウータンを囲んでいた。その様子を目の当たりにしたフクオカハカセは、ボルネオの地で輝く小さな動植物たちと、大きな動物を好む人間を思い、こう言った。

「なぜ、ゾウやオランウータンは保護される一方で、保護されない生命体がいるのでしょうか」

ナイトトラップにかかった虫たちを眺める中学生

光合成をする植物、排泄物を土に落としてくれる動物、それから目にない菌もそうだ。その一つひとつの存在によって、地球という大きな生命は成り立っている。小さな存在に自然と目を向ける子どもたちの姿が、「生命の大切さに大小はあるのか」と問いかけていた。

いのちをつないでいくために。「利他的」になること

ボルネオの熱帯雨林のなかをみんなで歩いたあと、フクオカハカセはこんな話をした。

「森の中を歩いているとき、まったく蚊に刺されませんでした。なぜかと考えると、おそらくそこに蚊はいるけれど、増えすぎない力が働いているのだと思います。蚊を食べる捕食者がいて、その捕食者はまた、別の捕食者に食べられるという自然のバランス=動的平衡が保たれているので、ひとつの種が増えすぎたり減りすぎたりしないのでしょう。絶妙なバランスで全体が包まれていると感じました」

それから、こう続けた。

「自然界のそれぞれの役割というのは、どの生物も必ず何らかの動的平衡を支えている一員であって、もらったものを必ず何かに受け渡しながら循環を支えています。なので、ある意味で生物は、とても利他的にふるまっているわけです。しかし、ひるがえって、人間を見ると、私たちは利己的にふるまい、色々な自然資源を収奪したり、溜め込んだりしています。

人間も地球環境の一員として、他の生物と同じように利他的にふるまうことができれば、人為的な活動による温暖化や海洋汚染など、地球上の色々な問題が、もう少し良い方向に展開するだろうと思うのです。利己的なふるまいから利他的なふるまいにシフトする必要がある。この旅を通して、改めて教えてもらったことでした」

モウレンカンプオオカブト

この地球では、さまざまな営みが行われている。私たちの目に留まらない小さな世界でも、今この瞬間、数秒後も、数時間後も行われている無数の営みによって、大きな生態系の調和が保たれている。ボルネオの地で垣間見た、生物たちの食う食われるや光合成もそうした営みの一つである。

そんな彼らと同じ地球上に、私たち人間も生きている。酸素を吸って、二酸化炭素を吐いて、野菜や肉や魚を食べ、排泄し、寝て……生命活動を行っている。では、ほかの生命体と同じいのちのサイクルのなかで生きる一員として、私たちはどのように生きていくべきだろう……?

ボルネオの空を飛ぶ猛禽類

その問いのヒントは、きっと一歩外へ出たときに見える景色のなかにも広がっている。踏んでしまいそうなくらい小さな生き物たちのなかにも、それぞれの「いのちのものがたり」が流れているから。

【参照サイト】いのちをつなぐ学校
【参照サイト】ボルネオ保全トラストジャパン

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