シンガポールで「成長からの脱却」が注目の的に。Post Growth Singapore代表が語る、“再想像”の力

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アジア経済の中心の一つとなっているのが、シンガポールだ。国際的な金融の中心地としても知られ、その凄まじい経済成長には目を見張るものがある。2010年には実質GDP成長率が過去最高の14.5%までに到達。コロナ禍ではマイナス成長を経験しつつも、機械類や半導体の需要に後押しされ、2022年には3.6%まで回復した。

そんな成長真っ只中のシンガポールで、「成長から脱すること(Post Growth:ポスト成長)」の議論が沸き起こっていることを、知っているだろうか。

この動きの中心的な存在となっているのが、コミュニティグループ「Post Growth Singapore」だ。その共同設立者であるリム・ルカール氏に、成長重視の経済戦略を推進している都市国家で、なぜいま「成長からの脱却」が注目されているのかを聞いた。

話者プロフィール:Lim Lecarl(リム・ルカール)

Post Growth Singapore共同創設者。Yale-NUS Collegeを環境学の専攻、都市研究の副専攻にて卒業。ウブントゥ哲学とケア倫理に触発され、現代の大きな社会生態学的課題を乗り越えるためのコミュニティの構築に尽力。国内の大学間環境組織の元共同議長。非営利組織・Global Fund for Childrenと協力して、若者主導の環境団体のための環境インパクト基金を創設。社交ダンスを続けており、学校ではチュックボールのチームに所属。

成長真っ只中の社会に問いかけた、「成長の次」

Post Growth Singaporeは、2024年初めに設立された草の根組織。リム氏が友人らと共に立ち上げ、現在は数名のコアファシリテーターとボランティアによって運営されている。

メインの活動は、毎週末開催される勉強会やディスカッション、上映会などのサークル・セッションだ。毎回異なるテーマが設定され、5人から30人ほどが参加。上映会には最大250人ほどが参加するなど、盛り上がりを見せている。

もう一つ、オンラインコミュニティの運営も行っている。イベント情報や学び、疑問の共有、コラボの提案などが毎日のように活発に投稿されている。2024年1月に開設してから、1年間で390人が参加するという人気ぶりだ。

250人ほどが集まった上映会|Image via Post Growth Singapore

ただ、シンガポールでもともとポスト成長が注目されていたわけではない。

「1年前の当時、ポスト成長について話している人はあまりいませんでした。知っている人も少なかったです」と、リム氏は語る。彼がポスト成長の概念に初めて触れたのは、約2年前に出身校であるYale-NUS Collegeで受講した環境学入門の授業であった。エコロジー的近代化や持続可能な消費、ESGなどを学んだ中で、理にかなったアプローチは「ポスト成長」であると感じたのだという。

「生態経済学や政治経済学の授業を通して、現代の資本主義経済では資本が絶え間なく蓄積されていることを理解しました。そしてGDP成長や生産性は必然的に良いことであるという信念が、工業も農業も含めた経済活動を過度に加速させ、社会的・生態学的危機を引き起こしている、と。

シンガポールの気候変動対策において、政府も企業も、草の根の運動でさえ、「強い持続可能性」ではなく「弱い持続可能性」に重きを置き過ぎている可能性があります(※)。本当に注意を払うべきなのは、経済活動や私たちの生活、仕事の仕方が、地球環境の限界を示す様々なプラネタリー・バウンダリーを超過している現状であることを忘れています。こうした文脈を踏まえ、ポスト成長の議論は私たちにとって重要だと捉え、共に学び、情報やアイデアを共有できる場を作りたいと考えました」

※ 「強いサステナビリティ」は人工資本と自然資本を代替不可能とみなし、「弱いサステナビリティ」は人工資本と自然資本を代替可能とみなす

政府関係者から企業まで。時にはバナナを食べて語る日も?

Post Growth Singaporeに集まってくるのは環境活動家だけかと思えば、そうではない。主な参加者は20歳から35歳の若い世代ではあるが、実に多様なバックグラウンドの人が好奇心を胸にサークル・セッションを訪れているのだ。

「政府の関係者や企業の人、あとは教授なども含め、自身のポスト成長への理解を深めたいと思っている人が参加していました。その中には、環境的な関心から参加する人もいますし、生産主義に対する疲れや不平等などの社会問題を認識して、ポスト成長が社会を癒すために必要なアプローチだと考えて参加する人もいます。本当に、すごく幅広いです」

そんな多様な知識や経験が入り混じるセッションで、どんなテーマが特に注目されたのだろうか。

「2024年は、経済成長と環境負荷をデカップリングするグリーン成長への批判、エコフェミニズム、オルタナティブ・ビジネス、都市計画、エネルギー、ヘルスケアなどのトピックを取り上げました。ソマティック・セラピー(※)を通して気候変動への不安を解消するイベントなども開催しましたね。

私たちは、知識とは誰もが発言できるものだと考えています。例えば経済学は、経済学者や政策立案者だけが発言できる分野ではないのです。これを体現した面白いサークルの一つが、フードシステムの回でした。外部共催者のファシリテーターがバナナを持ってきてくれて、みんなでバナナを食べながら、自分たちの生きている現実を通してフードシステムについて考えました。『私たちがどう“食”を経験しているのか』という質問を通して、学術的な専門用語なんて使わなくても説明できるという結論に至ったのです」

※ 認知や感情よりも身体性に焦点を当てた心理療法

Image via Post Growth Singapore

リム氏の語り口からは、社会の課題の重みを認識しながらも、その場の議論を心から楽しむ様子や、「未来を変えられるかもしれない」という高揚感に近い感覚が伝わってくる。

シンガポールの人口は、約591万人。面積は、東京都より少し大きい約720平方キロメートル。そんな人口密度の高さ、多様な人との距離が近い環境も、一つの議論が具体的な変化に結びつく可能性をぐっと高めることに一役買っているかもしれない。

1年目から見えてきた、アジアが内包するポスト成長の可能性

「最初の1年を終えて、シンガポールやアジアの文脈において、ポスト成長に関する研究をもっと広げていく必要があると気づきました。一部のサークル・セッションでは、道教や仏教などの伝統的なアジアの哲学がポスト成長の理想とどのように交わるかという議論に刺激を受けました。それらは、むやみに成長を追求しなくても繁栄する社会につながり、単なる利益追求を超えてケアとコミュニティを中心とするさまざまな生き方が存在することを教えてくれます。

ポスト成長的な考え方は、伝統的な哲学の中にすでに根付いていて、私たちが成長する過程で知った古い格言である可能性もあります。資本主義的な経済によって、私たちが他のことを優先してしまっているだけなのです」

そう振り返った、リム氏。そんな気づきが得られたのは、“知識の独占”を避けるためにサークル・セッションの形式の改善を重ねてきたからだったのかもしれない。

「もう一つ学んだことは、説教じみたことを語るレクチャー形式はおそらく最善ではなかったということ。誰も知識を独占するべきではありません。

そこで、より参加型になるようファシリテート型に変更しました。参加者それぞれが考えを共有する過程にで何かを体験したり発見したりできるのです。主催者も気負わずに参加することができていて、それがオープンで興味深い議論にもつながっていると思います」

Image via Post Growth Singapore

まずは未来を「再想像」するところから

取材の中でリム氏が何度も言葉にしていたのが「reimagine:再想像」という表現だ。彼にとってポスト成長は、社会を再想像することでもあるという。

「基本的にポスト成長は、『繁栄(thrive)するためには経済成長が必要だ』という考え方から脱却して、社会・生態学的な幸福を中心に据えた可能性の『再想像』を促すもの。

現代の産業社会では成長主義や生産主義が支配的なので、壁が高いことは想像できますが、私たちは、社会ですでに重視されている考え方と、ポスト成長とのつながりを見つけることができるはずです」

とはいえ、シンガポールでは、経済成長の波に乗って“豊かさ”を手に入れることも身近に思える。あえて未知の未来を思い描くことに、怖さを感じたりはしないのだろうか。

「ポスト成長を受け入れたり心地よく感じたりするのは、希望から来るものだと思います。気候科学や生態学・社会的指標を見れば、私たちが悪い状態に向かっていることは誰でもわかります。人によっては、それを崩壊と呼ぶでしょう。ただ、それは、私たちがもっとうまくやれるかもしれないという不安と希望でもあり、必ずしもそのような未来を確実なものとして持つ必要はないということでもある。

脱成長やポスト成長に恐怖を抱いている人たちがいることも理解しています。しかし多くの場合、それは『ポスト成長=石器時代への回帰や社会主義』と誤解しているからではないでしょうか。ポスト成長を探求することは、時に生命を吹き込むような力があります。私たちの共通の未来のためにさまざまな可能性を探索するクリエイティブな余白があると知ることは、豊かさを与えてくれるのです」

編集後記

気候変動の議論は、欧州を出発点とするものや、欧州出身者によって設計された視点が多い傾向にある。もちろん彼ら自身に非はないものの、成長偏重から脱した未来を「再想像」するにあたって、その構造を見直すことには意義がある。

そんな視点に立つと、Post Growth Singaporeの着実な広がりは、非西洋的な考え方を気候変動対策やポスト成長の文脈に取り込むための大きな前進と捉えられるだろう。

さらにシンガポールでは、少なくとも政府高官レベルで成長の限界を認識している兆しがあるそうだ。2024年の予算スピーチでは、ローレンス・ウォン元副首相が「成長の追求は当然のことだと捉えています。ただし、私たちはどんな犠牲を払ってでも成長を目指すわけではない」と語ったという。

具体的な施策は少し先になりそうだが、ポスト成長の実現が不可能ではない未来も垣間見ることができる。もしそれが私たちの頭の中から始められるならば、誰でも、まだ想像されていない未来をつくる一人になれるはずだ。

【参照サイト】Post-Growth Singapore
【参照サイト】Post-Growth Singapore Instagram
【参照サイト】シンガポール基礎データ|外務省
【参照サイト】21世紀の新環境政策論~人間と地球のための持続可能な経済とは第31回 改めて「持続可能性とは何か」を考える | 一般財団法人 地球・人間環境フォーラム
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