データを“聴く”音楽。生物多様性の豊かさと危機を“体感”させる「蛾の歌」

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夏の夜、灯りに誘われて姿を現す、蛾。その姿に少し苦手意識を持つ人も少なくないかもしれない。けれど、彼らもまた花粉を運び、生態系を支える大切な一員だ。その存在が今、脅かされている。ミツバチの危機が広く知られる一方で、蛾もまた、光害や農薬、生息地の喪失などが原因で、近年ではその数が世界的に減少している。学術誌サイエンスに掲載された生物多様性に関する研究によれば、蝶および蛾の個体数は過去40年間で世界的に約35%減少している(※)

一方で、どれだけ科学的なデータを示されても、夜行性で目にする機会も少ない蛾に心を寄せるのは、簡単なことではないかもしれない。しかし、蛾の減少を示すデータを、彼らの現実として“聴く”ことができたらどうだろうか?

英国のヴァイオリニストであるエリー・ウィルソン氏は2025年、蛾の生態データを使って作曲した音楽作品『Moth x Human』を発表し、同年6月7日、英国のニュー・ミュージック・ビエンナーレで初演した。

ウィルソン氏が用いたのは、英国生態水文学センターが記録した、保護区であるソールズベリーのパーソニッジ・ダウンズで記録された80種類の蛾の飛来データ。その具体的な方法は、各種にユニークな音を割り当て、蛾がモニターに記録されたタイミングでその音が鳴るように機材を設計するというもの。

そして、記録した音をつなげたメロディー、つまり蛾たちが奏でるメロディの断片が、ヴァイオリン、チェロ、トロンボーン、ピアノ、シンセサイザーといった楽器のためにウィルソン氏が作曲した音楽のインスピレーションとなった。つまり、この楽曲は、人間と蛾の共同作品なのだ。

完成した楽曲は、生物多様性の現実を聴覚的に描き出す。豊かな生態系を持つ保護区のデータから始まる前半は、80種の蛾が奏でる複雑で多層的なサウンドが広がる。

しかし、曲が終盤に差し掛かると、音楽は一変する。わずか19種しか生息しない農地のデータが用いられ、サウンドは著しくまばらで、静寂が際立つのだ。聴いている人々は、生息地破壊が生態系からどれほど多くの「音」を奪い去ったのかを、理屈ではなく、自らの耳で体験することができる。

数字の羅列であるデータは無機質に見えるかもしれない。しかし、それが表しているのは、生きた生物のリアルな声に他ならない。そうした声を、言葉よりもダイレクトに伝えられるのが音楽だ。私たちは今、人間以外の種の声に、もっと耳を澄ませるべき時代を生きている。音楽が果たせる役割は、人間の感情を表現し共感を呼ぶという従来の枠を超え、あらゆる生命へのシンパシーを育むことへと、広がっているのかもしれない。

Defaunation in the Anthropocene

【参考サイト】Violinist composes music from moth flight data to highlight insect decline
【参考サイト】Moth x Human | Ellie Wilson
【参考サイト】Moth x Human: how a new work highlights biodiversity decline using moth flight data
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