茶道の「今を生きる」哲学に宿る、サステナビリティの本質。作法という“不自由”が生む豊かさ

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朝目覚めてから夜眠りにつくまで、私たちの頭は「やるべきこと」でいっぱいだ。メールやメッセージの通知、ニュースやSNSでの絶え間ない情報、いつか何かを成し遂げなければという焦りの中で、目の前にあるはずの「今」を、知らず知らずのうちに見失っていることがあるかもしれない。

そんなとき筆者は、茶室に足を運ぶ。左足から一歩、部屋に踏み入れるその瞬間から、外の喧騒と自然と距離が生まれる。茶室では、すべての所作が決まっていて、私たちはその動きを丁寧にたどる。

不思議なことに、その「制限された空間」でこそ、肩の力がふっと抜け、自分自身に立ち返ることができるのだ。一定の規律の中に身を置くことで、かえって心と体が緩み、自由が生まれる感覚。そして、他のすべてから離れて「今」に集中できる感覚。そんな安らぎが、茶室にはある。

スコットランド・カウデンの日本庭園での茶会にて(筆者点前時) The Japanese Garden at Cowden, Scotland

スコットランド・カウデン城日本庭園での茶会にて(筆者点前時)
The Japanese Garden at Cowden

茶道の流派のひとつ、表千家(おもてせんけ)の世界に入って17年。

小学生の頃の茶道教室から始まり、高校・大学では茶道部に所属。現在は、最初に師事した先生のもとで稽古を重ねている。一時的に離れていた時期もあったが、折に触れて茶の世界に戻り、海外滞在中には茶道のデモンストレーションなども経験した。

そうして学びを深めていくなかで気づいたのは、「茶道のあり方は、サステナブルな世界を映し出す、ひとつのマイクロコズムである」ということ。

そこで本記事では「茶道の精神とサステナビリティ」について考える。自然や季節との調和、マインドフルネス、ものを大切にする心、そして人とのつながり。これらの多角的な視点から茶道のあり方を紐解き、より良い未来へ向けて茶道がもたらす知見を探っていきたい。

季節の移ろいに見る「今、このとき」を生きる感覚

「一期一会」という言葉が、茶道に由来することをご存知だろうか。今この瞬間は、たとえ同じ顔ぶれ、同じ場所でも二度と経験できない。一生に一度きりの時だからこそ、心を尽くして大切にしよう。そんな思いが込められている。目の前にいる人と過ごすかけがえのない「今」を慈しむこと。茶道は、そんな「今」に向き合う力を育んでくれる。

そして、今を生きる繊細な季節の感覚も、茶道には欠かせない要素だ。かつて人々の暮らしは自然と密接に結びついていた。二十四節気(※)や、さらに細かく約五日ごとに移ろう七十二候が示すように、わずかな自然の変化に寄り添いながら生きていたのだ。

※ 1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けた24の期間

けれど現代では、季節さえも「義務」のように消費してしまうことがある。「桜の季節だからお花見をしなければ」と、チェックリストのように行動することもあるかもしれない。本当は、ふと目にした桜の花びらに心を奪われるような、そのまま時間を忘れて佇んでしまうような、そんな瞬間を大切にしたいはずなのに。

茶道には、そうした自然の美しさを五感で味わう工夫がたくさんある。たとえば、春には桜をあしらった茶碗や、春の訪れを告げるうぐいすをかたどった和菓子。夏には、目にも涼やかなガラスの器や、水の波紋を模した和菓子。

秋には、豊かな実りや紅葉を表現する和菓子や、澄んだ夜空に浮かぶ月を、両手ですくった水に映した情景を詠んだ「掬水月在手(みずをきくすればつきてにあり)」の掛け軸。冬には、寒さに耐えて咲く椿の蕾を床に飾り、ふわふわの雪で作った雪うさぎを模した和菓子などが登場する。

お道具、掛け軸、茶花のすべてが季節と呼応し、繊細で美しい自然の移ろいに心を寄せる感覚を取り戻させてくれるのだ。

近年では、桜の開花時期が年々早まるなど、気候変動による自然のずれが顕在化している。こうした変化は、生態系のバランスを崩し、私たちの暮らしや未来にも大きな影響を与えている。このような状況の中で、人間が自然とは切り離された存在であるという認識を見つめ直すことが求められている。

だからこそ、茶道が大切にしてきた「今、目の前にある自然を慈しむ心」は、私たちが自然の中にあるという深い実感をもたらすことで、自然との共生への意識、そして自然への敬意を育むうえで、いっそう重要な意味を持つようになっている。

作法という不自由が生む「ゆとり」

「今、このとき」を慈しみ、季節の移ろいや自然の美しさに五感を澄ませる。茶道は、そうした感覚を育む場であると同時に、それを可能にするための繊細な所作を重んじてきた文化でもある。亭主が抹茶を点(た)て、客がお菓子と抹茶をいただく時間には、一見すると窮屈にも思えるほど細やかな作法が存在する。

一席にかかる時間はおよそ30分。その本質は、「一服の茶を通じて心を通わせること」にある。だからこそ、茶道では、心を尽くして相手と向き合うために、研鑽と稽古を重ねて正確な「型」を身につけていく。こうして習得された作法は、茶会の場において、心を交わすための確かな土台となるのだ。

その中には、驚くほど細やかに定められた所作がある。畳の上の歩き方、お道具の拭き方、ふくさのたたみ方、お茶碗の回し方など、ほぼすべてが「決まっている」のだ。初めはその細かさに戸惑い、窮屈でがんじがらめに感じたり、形式的で退屈だと映ることもあるかもしれない。

筆者が通う稽古場(岐阜・先生のお宅)

けれど、しばらくして動きを自然に身に馴染ませられるようになると、心に余裕が生まれてくる。体がすでに決められた動きに沿って動いている間、心には、ふっと落ち着きが広がるのだ。規律に身を委ねることで、むしろ思考が澄み、心が整う。自分の心と本当の意味で向き合うことができるような、「決められた型に、心を注ぐ」そんな気がしてくる。

心にゆとりが生まれると、繊細な気づきができるようになる。お釜から立ちのぼる湯気が、中華風の雲のように渦を巻く形に美しさや、露地(茶室の庭)の風に揺れる木漏れ日が畳に反射してきらめく様子、お茶碗にお湯を注ぐときと水を注ぐときの音の違い。そんな些細な瞬間に心を奪われる瞬間こそ、心の豊かさとは、こういうことなのかもしれないと思うのだ。

それは、定められた作法という枠に身を委ねることで得られる、自分の内面との深いつながりであり、日々見過ごしていた美しい気配に気づく、こころの静けさである。不自由に見える「型」の中にこそ、心の「ゆとり」が宿る。茶道とは、その逆説的な解放を通じて、豊かな心を育む世界であると言えるかもしれない。

手の中の歳月。過去と現在をつなぐ茶道具

作法に身を委ね、感覚が研ぎ澄まされていく中で、自然と意識が向かうのが、手にした茶道具の存在である。茶道には、お道具を「育てる」という概念がある。茶道具は、はじめに作られてから時間が経つごとに異なる表情を見せ、大切に使い継がれていく。

たとえば、お茶碗は最低でも1年間、自分で使い続けて「育てて」から初めてお客さんに出すべきだと教えられたこともある。大切に使い続けることで、お道具はいっそう生き生きと美しくなっていくのだ。色合いや触れた時の感触、艶の変化などを感じながら、道具とのつながりが芽生え、愛着が深まり、手にしっくりと馴染むようになる。それは、物理的にも精神的にも「サステナブル」といえるあり方なのかもしれない。

実際、茶道具の中には千利休の時代から引き継がれているものもある。こうした貴重な道具は、美術館などで展示されることがあるかもしれないし、使わずに保存するべきだという考えもある。しかし、表千家茶道において、基本的にお道具は単なる鑑賞用ではなく、実際に使うことによって初めて意味を持つものとされる。手に触れられてこそ生きるという思想が大切にされているのだ。

茶道は、過去から受け継がれてきた大切なお道具に囲まれて行われる。ものや自然を尊び大切にする心は、単なる伝統の継承にとどまらず、未来へと続く持続可能な精神を育むものではないだろうか。

国境を越える「茶禅一味」

愛を込めて扱われてきた茶道具に静かに宿る歳月を感じるとき、歴史の流れの中に自分が身を置いているという静謐な感覚が生まれる。そうした物理的な存在を通じた静けさは、茶道が持つ儀式的でどこか神聖な空気と重なり合い、その根底には禅の精神が息づいていることに気づかされる。そして、この神秘的な気配は、文化や国境を超えて人々の心に届いていくようだ。

筆者は海外に出る際、いつも最小限の茶道具を持参するようにしている。スコットランドやアメリカ、メキシコなど、どこで茶を点てても、その場の空気が自然と静まり、皆が集中する様子を何度も目にしてきた。ある参加者はその時間を「hypnotising(催眠的)」と表現した。実際、抹茶や茶道の知識が徐々に広まってきている英語圏では、茶道を「meditation(瞑想)」として捉える見方も一般的だ。

勤務地・メルローズアビーにて Melrose Abbey

筆者の勤務地のひとつ、メルローズアビーにて茶道イベントを開催した(2024)
Melrose Abbey

もしかしたらそれは、茶道の根底に禅の精神が息づいているからかもしれない。「茶禅一味(ちゃぜんいちみ)」という言葉が示すように、茶道と禅は本質的に一体である。決められた所作を辿りながら心を澄ませ、相手を思いやり、自然と共に過ごす修練は、禅において悟りを目指す作法と通じている。

筆者自身、表千家家元で開催される不審菴(ふしんあん)短期講習会に参加した際、そのつながりを体感したように思う。講習会は一週間の泊まり込みで、宿泊施設に滞在しながら毎朝5時に起床しお寺に向かい、他の参加者と共に読経。その後は素早く着付けを済ませ、講話を受け、茶道の稽古に打ち込み、深夜に就寝するという、心身ともに非常にハードな日々を送った。

電子機器から完全に隔離され、情報に煩わされることのない生活。その濃密な日々の中で、茶とは何か、そして自分自身の心と向き合う時間があった。一週間、仲間とともに茶に没頭し、学び、考えた日々は、禅に通じるような静謐な集中をもたらし、茶道とはそんな修練でもあるのだと、身をもって実感した経験だった。

他者を思いやる茶のあり方

茶道は、禅に通じる内省的な修練であると同時に、「一座建立(いちざこんりゅう)」という言葉に象徴されるように、亭主と客が心を通わせてひとときの場を共に創り上げる、他者とのつながりの時間でもある。これが茶道の本質であり、その根底にある「他者を思いやる心」は、個人を尊重する平和な社会づくりにもつながっているように思わされる。

亭主は茶会に客を招き、心を込めて茶をふるまう。そのため、細部にまで心を配り、茶室を清め、茶や菓子を用意し、釜や茶入れなどの道具を整え、掛け軸や茶花で空間をしつらえる。こうした細やかな調えが茶会の雰囲気を形づくり、亭主の思いを静かに客へと伝えている。

一方で、茶会におけるもてなしは一方通行ではない。客は亭主の心遣いを受けとめ、感謝の思いを持って共にひとときを大切に過ごす心構えで臨む。茶席は亭主と客が互いに敬い尊重し合うことによって成り立っているのだ。

2025年3月、米国ワシントンD.C.にて表千家十五代家元・猶有斎(ゆうゆうさい)宗匠のスピーチを拝聴する機会があった。その中で紹介された印象的なエピソードがある。宗匠が英国バッキンガム大学に修士留学する直前、ある方が開いてくださったお別れの茶会での出来事だ。

その茶会の床の間には、大きな船が波の中を航海する絵が掛けられ、「鉄船三百丈、波頭の高き畏れず」という言葉が添えられていたという。これほど堅固な船であれば、どれほど荒れた波でも恐れることはない、という意味である。そしてその掛け軸の前には、「順風」と名付けられた船の形をした花入が飾られていたそうだ。

宗匠は、これらのしつらえから、旅立つ自分に対する亭主の思い、旅の無事を祈り、海外で困難に遭っても恐れることはないという励ましの心を受け取ったと話された。お茶の席で具体的に言葉を交わしたわけではなく、床の間のしつらえそのものから、亭主の思いを自然に伝えていたのだという。

この話を聞き、粋なはからいに心打たれた。はっきりと相手に言葉で伝えることだけが正解ではなく、しつらえによってそっと思いを届けるからこそ、じんわりと心に温かさが広がるのかもしれない。他者を尊重し、さりげなく気にかける。茶道に宿る日本の精神が、そこに表れているように思えた。

茶道から得られる豊かさのかたち

忙しない日常のなかで、茶室の静けさは、型に身をゆだねることで心を解き放つ術を教えてくれる。

互いを思いやり、師や仲間とともに季節の移ろいを味わい、ささやかな出来事に心を揺らす。そうして見つけた、何気ない「今」の輝きこそが、やがて未来を豊かに彩る力となるのだ。

茶道は、私たちの感受性をひろげ、日々の中にそっと佇む自然のきらめき、器の手触りに宿る時の重み、季節の気配に込められた美しさといった、かけがえのない瞬間を受けとる心の器を育ててくれる。そうして、なんでもない毎日が彩られていく。

内なる自己と向き合う精神力、他者との心のつながり、そして日々表情を変える自然との結びつき。そうした体験を通して私たちは、「今を生きている」という感覚の豊かさや尊さを、全身で味わうことができる。

それは、450年以上にわたり紡がれてきた伝統の重みと、未来へと続く営みの壮大なうねりの中に、自らの存在を重ねていくような体験でもある。茶道は、そのダイナミズムのただなかで、確かに今を生きる手応えをもたらしてくれる。

過去と未来をつなぐ「今」を豊かに生きるというこの実感こそが、私たち一人ひとりの心に平和を育み、地球や人間の尊厳を守るための土台となる。つまり、それはサステナブルな未来を築くうえで、欠かすことのできない感覚なのだ。

※ 表千家は、千利休を初代とする三千家(三流派)のひとつ。
※ 水とお湯を茶碗に注ぐときの音の違いに気づかされたのは、表千家茶道をテーマにした本・映画『日日是好日』によるものである。こうした作品や先生、仲間たちとの関わりのなかで、さまざまな気づきを得ていけることも、茶道の醍醐味のひとつである。

【参考サイト】表千家不審庵 茶の湯 こころと美
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