はやく、遠くへ。
それは長らく、グローバル経済の前提だった。しかしいま、この気候危機の時代にその「はやさ」が再び問われはじめている。
フランスの老舗シャンパーニュ・メゾン「TELMONT(テルモン)」は、航空輸送を完全にやめ、風の力でシャンパーニュを運ぶという決断を下した。世界のシャンパーニュ輸出量の約3割を占めるアメリカ市場へ、あえて風の速度で運ぶことを決めたのだ。フランス・ナント拠点の海運会社ネオライン社と提携し、2025年から北米向け輸出を開始する。

2025年10月、フランス西部サン=ナゼール港で行われた進水式には、テルモンの巨大ボトル「Balthazar(12リットルボトル)」が掲げられた。
この決断の背景にあるのは、「母なる自然の名のもとに(In the Name of Mother Nature)」というテルモンの哲学だ。1912年創業のテルモンは、100年以上にわたり、自然との共生を掲げてきた。これまでも、包装の簡素化、再生ガラスの使用、最軽量ボトルの導入、有機・再生農業への転換など、あらゆる環境改革を進めてきた。そしていま、製造だけでなく輸送までも自然の力へと委ねようとしているのだ。
テルモンのシャンパーニュを乗せるのは、全長136メートル、総重量5,300トンの帆走貨物船「Neoliner Origin(ネオライナー・オリジン)」。高さ75メートルのカーボンマストと3,000平方メートルの硬翼帆を備え、航海あたりのCO2排出量を最大80%削減する。
船の心臓部は、フランスのアトランティック造船所が開発した硬翼帆。カーボンファイバーとグラスファイバーで作られた帆はわずか2分30秒で展帆・格納でき、風向きに合わせて自動で調整される。船には最新の気象解析システムが搭載され、リアルタイムで最も効率的な航路を選択可能だ。帆を掲げるための巨大な柱である「マスト」は折りたたみ式になっており、橋の下をくぐってこれまで入れなかった港にもアクセスできる。
そして、この歴史的な船出に参加したのは、テルモン一社だけではない。自動車大手のルノー、化粧品のクラランス、ラグジュアリーブランドのロンシャンまで、フランスを代表する企業たちが最初の顧客として名を連ね、自社の製品をこの「風の船」に託す契約を結んでいる。
貨物スペースには最大5,300トンを積載可能で、従来の帆船による輸送規模をはるかに上回る。これまで風力補助とされてきた技術を超え、ネオラインは産業レベルでの実装段階に突入したといえる。最終的な目標は、推進力の90〜95%を風でまかない、エンジンは港の出入り時にのみ使用することだという。すでに2隻目の建造計画も進行中で、2026年着工が予定されている。
現在、世界のCO2排出量の約3%を占める海運業界。その多くが重油や液化天然ガスを燃料としており、脱炭素化は喫緊の課題だ。国際海事機関(IMO)は2050年までに排出量実質ゼロを掲げており、ネオライナー・オリジンのような取り組みは、その実現に向けた具体的な一歩となる。
シャンパーニュを風で運ぶという選択は、経済合理性ではなく「自然への敬意」を新たな価値基準に据えるという宣言に他ならない。テルモンの決断は、ラグジュアリーが自然と切り離された消費ではなく、自然と共にある時間を、豊かに体験することへ移行しつつあることを、教えてくれている。
【参照サイト】TELMONT
【参照サイト】Avec le Neoliner Origin, le transport à la voile prend une dimension industrielle
【参照サイト】サステナブルなアプローチでシャンパーニュの新時代を切り拓くテルモン Neoline社と提携を決定、米国向け輸出で初の風力輸送を開始 世界初の風力貨物船「Neoliner」を活用し、脱炭素化を推進
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